第485話 「きみに捧ぐ」

 いきなりのお言葉に唖然とする俺に対し、閣下はまず、貴族についての知識を口にされた。

 閣下が仰るには、貴族にはそれぞれ、魔法陣とは別形態でのマナの力が宿ることがあるそうだ。家系にもよるけど、そういう力が現れやすい血筋があるのだとか。

 そういった力は、おそらくは貴族が作られた存在だというのが関係しているのだろう。王族が戦争のために貴族を作り出した際に、そういう力を刻み込んだのだと。そして、忌まわしい歴史が闇に葬られるのと同じように、貴族に宿るそういった形質の知識も、大きく損なわれたのだろう。

 閣下がお持ちになっている力は、自らのマナを対象の魔法陣に接続し、無理やり破壊するというものだ。前に闘技場がゴーレムに襲われた際、その力を使われたとのことだ。俺たちの反魔法アンチスペルと比べると、より直接的で強力だけど……その力を引き出すにはご自身の血が必要ということで、おいそれと使えるようなものでもないらしい。

 アイリスさんにも、そういう力はある。魔道具の扱いに精通しているというのがそれだ。なんでも、魔道具の中に入り込んで、深く理解することができるらしい。彼女は魔法陣の覚えも良かったということで、魔道具への親和性は、より広範な能力の一端に過ぎないのかもしれないとのことだけど。

 そして、奥様の力は……。


「妻、メディエルの力は……あまり良くわかっていないが、おそらくは生命力の活性化と考えられている」

「不明な点が多いのですか?」

「大昔、彼女に対して天文院から、『滅多なことでは使うな』とお達しが来たようでね。情報を得られるほど本気で使ったことが、実はほとんどないんだ。しかし……あの日は『なるほど』と思わされたよ」


 そう仰って、閣下は窓の外を眺められた。


「きみは、貴族の婚姻政策について、どれぐらい知っているかな?」

「……詳しくは存じません」

「そうか……高貴なマナを絶やさないようにと、各国の上層部が主導して、貴族同士の縁談を取りまとめている。血筋があまりに重なりすぎれば、母子に大きな負担となるからだ。しかし、どれだけ血筋に注意を払ったとしても、紫のマナ同士を結びつけるだけで、母子には確かに強い負担になるんだ」


 気がつけば、俺は全身にじんわり汗をかいていた。これまでの話の、断片的な情報をつなぎ合わせ、この先をなんとなく予想してしまう。きっと、大変なことが起きたのだろう。聞く前から、動悸が止まらない。

 そして……閣下は、俺の想像をなぞるように、話を続けられた。


「私は出産の場に、直接立ち会ったわけではない。ただ、横の部屋で控えていると……強いマナの奔流があった。産婆によれば、二人とも死にかけていたそうだが、どうにか一命はとりとめた。しかし、妻は……その日から、年を取らなくなったんだ」

「そんなことが……」

「実際に年を取らなくなったと判明したのは、ずっと後のことだったが。ただ、その当時も、自分の体が変わってしまったという感覚はあったようだ……それに、少し若返ったのは確かでね。そして、話はここで終わりではないんだ」


 そう仰る閣下に、俺は思わず顔を向けてしまった。すると、哀しげな微笑みを浮かべておられる閣下は、俺に向かって優しい口調で問われた。


「ここまでにしようか?」

「いえ……」


 この先も、きっと苦しい話なのだと思う。だけど……あの子に――いや、この家に関わることなら、知っておきたいと思った。こちらの家の方々に、逃げずに向き合って、力になりたい。

 だから俺は、閣下をまっすぐ見据えてうなずいた。


「……娘が生まれた後、そう経たないうちに、今度は殿下がご生誕されてね。“もしも“のためにと、妻は王妃のお傍に控えていたのだが……いよいよという段になって、陛下はご自身への干渉を拒まれ……お隠れになられてしまった」


 閣下は一度言葉を区切られたけど、俺は何の言葉も返せなくて固まってしまった。殿下ご生誕の折にお妃様が亡くなられたというのは知っていた。そのことが後を引いて、殿下が大変に苦しい目に遭われたということも。

 だけど……そのことと、この家が関係していただなんて、予想だにしていなかった。


「妻に力を使わせなかったのが、陛下のご意向だったということは、その場に居合わせた全員が証言した。しかし、それでも……見殺しにしたという外の声はあったよ。妻も、陛下には大変よくしていただいていた。だからか、妻はその日から口を利けなくなってしまってね……」

「あの、奥様が?」

「ああ。信じられないだろう? ただ、アイリスが口を利くようになってからは、少しずつ元気になって、程なくして今みたいな感じになったが……そういう時期もあった」


 閣下が仰ることだとしても、信じられないという思いはある。だけど、嘘には聴こえない。時折微笑んでさえみせられる閣下だけど、依然として眼差しは真剣そのものだ。


「私たち一家に対する重臣の反応は、二分された。同情してくださる方も多かったが、王室をおもんぱかって、私たちを敵視する向きもいてね……私たちに人並みの幸せは許されないとして、懲罰的な指令が出された。私がしばしば最前線へ飛ばされるのも、あの子が幼くして目の森の監視を任されたのも、結局はそういうことだ」

「そ、そんな……!」

「……ありがとう。しかし、国とはそういうものなんだ。たかだか貴族の一家よりも、王妃お一人の命の方がずっと重い。赤いマナを持つ新たな血の器になりえる方は、そう見つかるものではないんだ。それに、私たちへの仕打ちを憎む気持ちはあっても、同時に陛下と殿下に対する申し訳無さも、確かにあったんだ」


 そこで話が途切れて、部屋の中が静まり返った。俺は、今聞いた話を心の中で繰り返した。今の話、アイリスさんは知っているんだろうか? 殿下は知っておいでなんだろうか? 間違っても、知ってますかだなんて口にできるものじゃない。

 だけど……この話に関わられた方々への思いは、それでもやっぱり揺るぎなかった。俺の想像を超えて苦しんでこられた方々のお力になれているのなら、それはやはり誇らしく思う。

 ややあって、閣下は口を開かれた。


「私は……こういう境遇にあったせいか、一握りの家系に依存するこの社会を、大変危うく思っている。こんな脆弱ぜいじゃくな体制は、いずれ破綻するだろうとも」

「……以前、『貴族に頼らずに済む仕組みを』といった感じの話をされた記憶がありますが、もしかして」

「よく覚えているね。きみが察しているとおりだ。才能がある平民を見つけ、世に出るまで支援し、その活躍で以って平民全体を鼓舞する。あるいは、一般的な平民の兵の力を底上げするべく、魔道具の開発に力を注ぐ。貴族に頼らずに済む世のために、私は取り組んできた」


 思い当たるフシは、いくらでもある。俺がこのお屋敷に世話になったのは、他にも理由はあるけど、そういうことだろう。メルが閣下と懇意なのも、きっとそういうことだろう。浄化服ピュリファブの前身になった、着る魔道具を閣下が提言されていたのも、やはりそういうことなんだろう。

 思い返せば、俺は閣下が思い描かれているであろう構想に、どっぷり浸かっているのかもしれない。利用されている? そういう面も確かにあるだろうけど……不愉快だとは、まったく思わなかった。恩義もあるし、認められていると、素直に信じられるからだ。


「私の考えに賛同する方々もいる。正確な思惑はそれぞれ違うだろうけどね。ただ、私たち一代の働きで完遂する改革ではないのかもしれない。それでも……私は、やらなければならないんだ。アイリスが誰かと結ばれ、子をなすその日に間に合わなかったとしても……この世の有り様が必要悪だというのなら、それを正すのが私の人生なんだ」


 そこまで仰った閣下は、しかし、いきなり困ったように苦笑いなされた。


「しかし、偉そうなことを言った割に、現実はこの有様でね。娘にも勝てなんだ」

「それは……人の親とは、そういうものかと」

「それはそうだが、負けて恥じる気持ちもある。ただ、こんな私でも生きながらえたんだ。先程の話は、まだまだ諦めないつもりだ。賛同者もいることだしね……きみも、どうかな?」

「私が、ですか?」

「娘を助けてもらっておいて、意地汚い限りではあるが……きみが仲間であれば、本当に心強いよ」


 この期に及んで断ろうって気はしなかった。そもそも、閣下から、あーせいこーせいと言われた記憶はない。これからもきっとそうだろう。閣下は、俺を放し飼いにする価値を認めておられるわけだし。命令なんてなくても、俺はあの子のために、その同士になれると思った。

「喜んで」と言って俺は手は差し出そうとして――ちょっと迷った。閣下は右手側に壁が来る形で横になっておられる。握手するなら左だけど……悩んでいると、閣下は包帯が巻かれた左手を、俺より先に差し出された。俺は、少ししてからそれに応じた。


「その、手袋は?」

「ちょっとした……名誉の負傷と申しますか」

「私の手や右脚のような?」

「そのようなものです」


 あの戦いでの負傷について、気にされるかと思ったけど、そこまで気にはされなかった。手袋したままでの握手でも、閣下は快く受け入れてくださった。布越しで互いに相手の熱は感じ取れないけど、手には確かな温かさがある。


 その後、辞去しようとした俺は、一つ気になることが脳裏に浮かんだ。聞きづらい話ではあるけど、この機を逃して別の機会に……という気もしない。思い切って、俺は閣下に尋ねた。


「私に話してくださった、先程の話ですが、他に知っておられる方は?」

「ああ、やはり気になるだろうね……私の構想以外の事実について、殿下ご本人は知っておられる。ただ、アイリスとマリーは知らないはずだ」

「そうでしたか……」

「アイリスに対しては……何かしらの縁談が持ち上がった際に打ち明けようとはおもっていた。ただ、きみに先に話すとは……思ってもいなかったよ」

「それにしても……なぜ、話してくださったのですか?」


 すると、閣下は口を閉ざされた。まさか……考えなしにこぼされたってわけじゃないだろうけど。なんだか心配になってくる俺に、閣下は微笑んで仰った。


「私は、仲間が欲しかったんだろうな。あの子に近いところにいる、信頼できる仲間が」

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