第484話 「帰国」
アイリスさんを奪還した翌日。共和国軍は早朝から、砦への本格的な侵攻を開始した。
しかし――敵方からの反撃は皆無で、砦はもぬけの殻だった。前夜も敵から攻撃を受けたわけではなく、それ自体は幸いだけど、拍子抜けではある。
砦への侵入と確保にあたっては、
つまり、完全に放棄したのだろう。
前日の、燃え盛るような戦意とは裏腹に、幕引きは肩透かしな感じだ。こうして気が緩んだところへ、転移で結集してカウンターをかけるのでは……そんな見方もある。
ただ、おそらくは共和国軍が勝利したのだろう。砦の確保と周辺一帯の偵察が一通り完了した昼過ぎ、軍本陣は戦勝の喜びで大いに沸き立った。アイリスさんの奪還のみならず、本来の戦争目標を達成したわけだ。
そこで問題になってくるのが、今後の後始末だ。一度魔人の手に渡った要地を、確固たる自国領へと戻すため、軍はまだ引き返すわけにはいかない。状況が落ち着いてから、他軍に引き継いで人員を入れ替えるという流れをとることに。
一方、俺たちフラウゼ側も、勝ったら勝ったで問題が発生した。というのも、なまじ戦争目的を達成したばかりに、俺たちの介入を隠し通せるものでもなくなったわけだ。アイリスさんを救い出してそれで終わらせられたなら、後は細々とした書類仕事でごまかして撤収……というのが、殿下が抱かれていた当初の目論見だったらしいけど。
ただ、これは嬉しい悲鳴ってやつだろう。殿下のご帰還が遅れるのは間違いないけど、ここでうまく立ち回れば、両国の同盟関係を強化しつつ、フラウゼの地位を大いに押し上げることができる。
というわけで、軍事的にはほぼ収束しつつある一方、政治外交的にはこれからという事態になった。殿下はこちらに残られ、殿下の私兵たる近衛部隊も、殿下の護衛や共和国軍への各種協力という形で残ることに。
そんな中、アイリスさんは“一時的“に帰国することになった。一般向けのシナリオとしては、「ご尊父であるフォークリッジ伯が戦傷につき私邸で療養中のため、今作戦の終結を以って一時帰国」という感じだ。言葉は足りてないものの、嘘はついていない。
気になるのはアイリスさんの体調だけど、一晩寝るとだいぶ良くなったようだ。本調子には程遠く、飛んだりはねたりってのは難しい。それでも、介添え無しで普通に歩くことはできるようになった。
それで……彼女について、俺とマリーさんもフラウゼへ戻ることになった。戦闘の殊勲者とされている俺を帰すことについて、ちょっとした反論もあったようだけど……「念のため」ということで、ラックスが進言してくれたようだ。世話焼きというか、なんというか……。
もちろん、俺は彼女に感謝した。
☆
11月6日、朝。俺は宿のみなさんと朝食を囲んだ。
俺が不在がちだった件について、ある程度の説明をみなさんにする許可を、殿下からいただいていた。「リーヴェルム共和国で行われた軍事行動に参加し、戦勝に貢献」といったものだ。どうせ後で一般へ周知される話だから、荒い情報であれば……ってことらしい。
この打ち明け話について、予想したよりは驚かれなかった。みなさんの中では、俺はもうそういうキャラなんだろう。でも、驚かれはしなかったものの、我が事のように喜んでもらえた。心配かけまくってた奴が帰ってきたから、だとも思う。
すると、ルディウスさんは「フォークリッジ伯ご令嬢、アイリス様の件で?」と尋ねてきて、それには心臓が止まるかと思った。
ただ、思い返してみれば、もっともな疑問ではある。アイリスさんが共和国へ行ったという話は知られていて、向こうで軍事作戦に参加するって話もそうだ。その一件と俺の話を結びつけるのは、自然な流れだろう。
彼女のことについて尋ねられ、全く言及しないのも不自然かと思った俺は、申し訳ないとは思いつつ口を開いた。
「大変そうではありましたが、変わりなくあらせられましたよ」
「そうですか。でしたら、良かったです」
聞いてきたルディウスさんだけでなく、他のみなさんも安心で頬を緩めた。嘘ついた感じになって心苦しくはあるけど、本当のことを言うのは……やっぱり無理だろう。
その後、共和国での生活について尋ねられた。ただ、俺は本当にとんぼ返りみたいなもので、語れるほどのものはない。それを素直に口にすると、薬師のお姉さんからは「そっか、大変だったね」と
そうしてしばし歓談を楽しんでいると、ドアがノックされた。たぶん、俺の客なんじゃないか。いつもの流れでリリノーラさんが応対に向かうと、外にはマリーさんが立っていた。
何も言わず、俺は立ち上がって入口の方へ向かう。今日のマリーさんは、いつもみたいな微笑みを浮かべている。特に深刻な話ってわけではなさそうだけど……まぁ、呼び出しなんだろう。リリノーラさんに代わってもらうと、マリーさんは早速口を開いた。
「おはようございます。早速で恐縮ですが、この後空いていらっしゃいますか?」
「大丈夫です」
帰国してから、お屋敷には立ち寄っていない。アイリスさんを取り戻した一件で、何かお話があるってことだろう。マリーさんを見た感じでは、そこまですごいことには、なってなさそうだけど……どうなっているのか、正直気にかかるところではある。
宿のみなさんに挨拶してから、俺はマリーさんと一緒に街路へ出た。
俺にとっては、この町並みも結構久しぶりで、帰ってきたんだなって感じがある。アイリスさんにとっては、なおさらだろう。この後も色々忙しい彼女だけど、今しばらくの団らんを味わってもらえたら、と思う。
――しかし、いくら俺が救い出したとはいえ、ご息女が戻ってきた翌日にお邪魔するのは、なんだかな~って感じがないこともない。せめて、一日か二日ぐらいは、ご家族水いらずで……。
などと思っていると、マリーさんに何か迷っていると感づかれたようだ。
「どうしました?」
「いえ……家族水入らずのところへ入り込むみたいで、なんていうか」
「私はどうなるんです?」
「いや、マリーさんってもう家族みたいなもんじゃ……」
何の気無しに思ったことを口にすると、彼女は珍しくキョトンとした顔になって驚き、その後無言で俺の背をバシンと叩いた。照れ隠しかも?
「私はともかく、レティシア様もいらっしゃいますよ?」
ああ、なんか……あの子の場合は、どうすればいいのか戸惑って、笑顔でモジモジしてそうだな……。それでも、アイリスさんが戻ってきたあの家に、すぐに馴染めると思うけど。
☆
道中は意外とお互いに静かだった。ただ、俺はあまり気にならなかったし、マリーさんもたぶんそうだったんだろう。彼女はずっと、穏やかな微笑みを浮かべていた。
そうして俺たちは、お屋敷に着いた。庭ではレティシアさんが掃き掃除をしていて、俺たちの姿を認めるなり、こちらへ駆け寄ってきた。前に会ったときとは大違いの、すっかり明るくなった様子に、俺も嬉しくなる。
「お師匠様、おかえりなさいませ!」
そう言われて、俺は少ししてから変な感じを覚えた。俺にとっても、彼女にとっても、そばにいるマリーさんにとっても、このお屋敷は自分の家じゃない。
だけど……本当に変に思ったのは、おかえりなさいって言葉への違和感が、後から遅れてやってきたことだ。たぶん、理屈よりも先に、感情はこの言葉を受け入れていると思う。素直に「ただいま」と返すと、彼女は何も言わず、ただ静かに幸せそうな笑みを浮かべた。
しかし……お屋敷に入ると、異常なほどに心拍が跳ね上がった。前にお邪魔したとき、奥様が大変な感じだったからだ。あの日シエラに触発されて引き戻し、「対抗策は考えてある」と打ち明けたら、それを信じていただけたのか、持ち直されたご様子ではあったけど。
あの奥様が、今はどんな感じでいらっしゃるんだろう。マリーさんについて歩を進めるほどに、心臓が高鳴っていくのがわかる。
そして、俺たちは奥様が待っておられるという場所についた。いつもの食卓だ。これで、中に入ったとき、いらっしゃるのがいつもの奥様なら……どれだけ気が楽だろう。もう、からかわれるのもどんと来いって感じだ。
そこで俺は、小声でマリーさんに尋ねた。
「奥様は、どのような感じで?」
「行けばわかります」
つれない返事だけど、どことなく人を喰ったような雰囲気というか……何かこう、”仕掛けてくる“ときの感じを、俺は肌で感じた。
――だったら、逆に大丈夫か? そう思って俺は、ドアを開けた。
しかし、中には誰もいなかった。担がれた? いや、たまたま食堂へと立たれただけかも?
そうして思い浮かんだ疑問も、一気に吹き飛んでしまった。横から、抱きしめられたからだ。
「奥様」
「なに?」
ああ、やっぱり……いきなりこういうことをする人となると、奥様しかいない。マリーさんは離れた足音はなく、見られっぱなしだ。そうでなくても、顔が熱くなる。これがアイリスさんだったらとか、余計なことを考えてしまう頭を落ち着け、俺は言った。
「あの……閣下に悪いですよ」
「そういうのじゃないわ。わかってるでしょう?」
「……マリーさんに見られてて、恥ずかしいです」
「私は恥ずかしくないわ」
そういう問題でも……と思ったけど、有無を言わせないその口調に、奥様の本心が現れているのかと思うと、口答えするのがただの意気地なしのように思えてきた。
「リッツ」
「はい」
「ありがとう。あなたが居てくれて、本当に良かった」
それから少しの間、静かにずっとそのままだった。俺も、奥様も、マリーさんも。
やがて、抱擁を解かれた奥様は、俺にまっすぐ向き直って仰った。
「夫が、あなたに話したいことがあると」
「はい」
「ただ……」
何か思うところがあるのか、奥様は苦笑いなされた。
「単に感謝して終わるって感じではなかったわ。少し難しい話があるのかも。そういう気分でなければ、このまま帰っても構わないわ。あなただって、今まですごく大変だったのでしょう? 夫には、私の方から取りなしておくから」
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、きちんとお会いしようかと」
「そう……終わったら、こっちへいらっしゃいな。お茶の準備をして待っているから」
「はい」
その後、俺はマリーさんと入れ違いになった。彼女も閣下のお話の中身は知らないようだったけど、これから向かっていく俺に、彼女は小さく手を振って励ましてくれた。
閣下は、まだ完全に癒えてはいないということで、寝室におられるとのことだった。しかし、何をお話されるというんだろう? 一度落ち着いた心臓が騒ぎ出すのを感じつつ、俺はドアをノックした。
すると、「どうぞ」という閣下の声がした。前に聞いたときと比べると、こころなしか張りがある声のように感じられる。このお屋敷の空気が、そう感じさせているのかもしれないけど……。
「失礼します」と言ってドアを開け、俺は閣下がおられる寝室へと足を踏み入れた。吊った右脚は相変わらず痛ましいけど、お顔を見る限りではだいぶ良くなったのかもしれない。柔和な感じであらせられる。
それから、閣下に勧められるまま、俺はベッド横の小イスに腰掛けた。そして……。
「ありがとう」
最初に、気持ちがこもった感謝をいただけた。言葉は短いけど、それで十分だった。しかし、まっすぐ俺を見つめてこられる閣下の眼差しに、少し照れくさくなってくる。それで、俺は少し顔を伏せた。
その後、少しの間静かになった。奥様が仰るには、俺から何か言う流れじゃない。何か重い話があるということで、言葉を選ばれているんだろうか。
すると、閣下はなんとなくためらいがちな感じで口を開かれた。
「妻から聞いたかもしれないが……少し重たい話があってね。きみには聞いてもらいたいような、あるいはそうでないような……といったところなんだ」
「閣下が望まれるのであれば、聞かせていただきたく思います」
「わかった」
しかし、そうは仰ったものの、なかなか続きの言葉が出てこない。よっぽどな話題なんだろうかと、身構えてしまう。
そこで、ふとドアの方が気になった。前にシエラに立ち聞きされてた記憶が蘇る。急いでチラッと振り向くと、そっちは大丈夫だった。ただ、同じ懸念を抱かれていたのか、閣下は視線を外した俺を咎められず、逆に含み笑いを漏らされた。
そして……閣下は静かに口を開かれた。そのお言葉は、意外なものだった。
「正直に答えてほしいのだが、私の妻は、いくらなんでも若すぎると……一度や二度は思ったのではないかな? 言っておくが、これは自慢じゃないぞ」
やや冗談めかして言葉を足された閣下に、俺は笑い返してから素直に答えた。
「常々、そう思っておりました。ただ、立ち入った話題になるかと思い、単に若作りだと思うようにしておりましたが……」
「そうか……実は、あれでもアイリスの実母なんだ」
それから少し間を開けて、閣下は言葉を続けられた。
「妻は、あの子を生んでから、年を取らなくなったんだ」
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