第483話 「再会」
アイリスさんがいるという部屋は、黒い布で周囲を完全に包まれている。一見すると、かなり異様な部屋だ。部屋を覆う布は、
精神操作も、結局は術者と対象を、マナでつなげているのだろう。それを阻害してやることで、安全を確保しようというわけだ。
部屋の外には衛生隊員の方がいらっしゃった。俺のことはすでに話がいっているらしく、名乗るなり手を両手でつかまれ、涙ながらに感謝された。それだけ、アイリスさんが慕われているってことだと思う。
見張りの方が落ち着くと、彼女は照れ隠し気味に微笑みながら、俺を部屋の中へ通してくれた。
部屋には、窓がない。全面がまっさらな板でできている。このために急遽作られた、って感じだ。ベッドサイドの小さな机に置かれたランタンが、室内を柔らかく照らしている。
そんな殺風景で少し薄暗い部屋の中、アイリスさんはベッドで横になっていた。顔を見た感じ、やつれたところはない。それに、俺が使った魔法の痕跡が、今は感じられない。
目が合うと、彼女は普段よりも少し弱々しいしいけど、微笑んでくれた。そして、俺はベッド脇の小イスに腰かけた。
互いに無言で、時間だけが流れていく。何を言おうか、具体的なことは考えていなかった。ただ、確認しなければならないことがある。俺は彼女に目を向け、問いかけた。
「アイリスさん」
「はい」
「普通に話せるんですね、良かった」
助け出したばかりの時よりも、声には元気が戻っている。それだけでも少し安心できた俺は、続いて彼女に問いかけた。
「マナ、出せますか?」
すると、彼女は右手を出して指を軽く動かし、小さな
「大丈夫ですね……良かった」
俺は、心の底から安堵した。もし万が一、マナを使えなくなっていたら……そう思うと、気が気じゃなかったからだ。
それで……安堵のあまり、次が続かなくなった。言い出しにくい感情ばかりが積もりに積もって、口を開くのが一層難しくなっていく。
しばしの間、沈黙が続いた。こうして再び会えて傍にいるだけでも十分だ。そんな言い訳じみた考えが浮かび上がった。
すると、アイリスさんが話しかけてきた。
「最初、シエラが見舞いに来てくれました。でも、なかなか話してくれなくて……今のリッツさんみたいに、難しい顔をしてました」
「そ、そうですか……」
「それで、『どうして?』って聞いたら、涙を流し始めて……リッツさんを誘って逃げ出そうとしたこと、すごく後悔してるって。でも、私は……あの子にそこまで思いつめさせたことが申し訳なくって……どちらが先かわかりませんけど、お互いに釣られて、二人でわんわん泣いちゃいました」
そういう彼女の口調は、話の内容にしては軽やかだった。きっと、二人で解決した話なんだと思う。
実際、俺の考えが当たっていたのか、彼女は落ち着いていながらも少し明るい調子で言葉を続けていく。
「泣き止んだ後、一緒に遊ぼうねって約束して……リッツさんが面白い遊びを考えたって言ってましたよ?」
「心当たりはありますね。湖でホウキを使って……っていう感じの奴ですか?」
「ええ。その時は、一緒にどうですか?」
「……女の子の間に挟まるのは、ちょっと……遊びに行くの、他の子も誘いますよね?」
「そうですけど……ふふっ、やっぱり、そういうこと気にするんですね。こうやってお話するのは久しぶりですけど……なんだか、ホッとします」
そう言って、彼女はいつもみたいに柔らかく微笑んで見せた。その笑顔が、どういうわけか胸を締め付ける。
「マリーとも、色々お話しました。私の家でレティシア様のお世話をさせていただいているそうで……お師匠様なんですよね?」
「ええ、まぁ……」
「お耳が赤いですよ?」
彼女が口にした「お師匠様」という響きに、無意識に反応してしまったようだ。こういう状況だってのに……相変わらずな自分と、そうでない自分を同時に感じてしまう。
「レティシア様は、どのようなお方ですか?」
「きっと、すぐ仲良くなれると思いますよ。すごく……いい子です」
「会うのが楽しみです」
口にした言葉通り、彼女はニッコリ笑った。
しかし、少し間を開けて、彼女はやや陰のある真剣な顔になった。
「戦況が落ち着いた頃合いに、メリルさんがいらっしゃって……私、申し訳なくなって謝ったんです。私のせいで、こんなことになって……この戦いで、きっと大勢が亡くなられたのだと。でも……」
「……なんて言われたんですか?」
「あなたが気にすることじゃない、あなただけのために戦ったわけじゃないって……人の心を踏みにじる非道を許せないから、私たちは人の尊厳を守るために、誇りをもって立ち向かったんだって……」
そう言って、彼女は瞳を潤ませた。それからややあって、目元を軽く拭った彼女は、俺に尋ねてきた。
「リッツさんからは、何かないんですか?」
そうは言われても、言い出しづらい。ついうつむいてしまう俺に、彼女はまっすぐ目を向けてくる。
――ああ、本当に隠し事ばっかりだな、俺。せっかく、彼女を取り戻せたっていうのに……せっかく、こちらへ戻れたのに、俺がこんなんじゃ、彼女に悪いじゃないか。
彼女の前で弱音を吐きたくはない。情けないところは見せたくない。それでも俺は、最終的には素直になることを選んだ。
「取り逃がしたことが、悔しくて悔しくて……」
「……きっと、いつか倒せますよ。だってリッツさん、ここまで来られたんですもの」
だとしても……言い出しづらい言葉をつい呑み込み、またうつむいてしまいそうになる。そんな俺に、彼女は優しく微笑んだ。
「もっと、お話ししましょう?」
「……怖くないですか?あなたを操っていた女が、今もこの世のどこかで、のうのうと生きながらえてるんです。俺、本当にアイリスさんのことを助けたくて……取り戻すだけじゃないんです、奴らを倒して、安心してもらいたかった」
これは結果論だけど、単に彼女を取り戻すだけであれば、もっと早くにこうなっていたはずだ。あのスイニーズ山脈へ行く前に、魔法の人体実験は完成していた。
でも……取り戻すだけじゃ不完全だと思っていた。問題の根を断たなければ――術者を、殺さなければ。
そこで、俺は考えた。俺が考えた魔法が、精神操作に対して本当に効くのなら……俺自身に対して使った上で、どうにか戦う力を身につけることができれば、ミイラ取りがミイラになることなく、例の術者に対抗できるんじゃないかと。
しかし、それは成らなかった。あの竜退治の日々が、完全に無益に終わったとは思えない。それでも、この日のために振り上げて握りしめた拳が空を切った無念で、胸が苦しい。
悔しい……だけど、口にしたことで、少し楽になれたかもしれない。助けたばかりのアイリスさんに持ちかけたことについて、やっぱり少しばかりの抵抗感はある。
ただ、彼女の方はまったくそう感じていないようだ。立場が逆ならきっとそうするように、彼女は優しく微笑んでくれた。
「でも、大丈夫ですよ。私の中に、もう″あの声″は聞こえません。あなたが私を、本当に取り返してくれたから」
穏やかな表情で話す彼女を見て、俺は深いため息をついた。憑き物や重荷が体を離れていく感じがある。せっかく、彼女を取り戻したっていうのに……そこにあるのかどうかもわからない恐怖に、一人で勝手に怯えて、彼女をまっすぐ見ることができなくなっていた。
「なんか……すみませんね。すんごい気を遣わせたみたいになっちゃって」
「いいんです。お話しできただけでも……とても、嬉しいですから」
「だったらいいんですけと……ちょっと弱音はいてる感じになっちゃって、それは悔しいですね」
「ふふっ……そういうの、私もわかりますよ」
それから彼女は、とてもいい笑顔で言った。
「あなたも私も、結構面倒くさい人ですから」
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