第482話 「悔しさを胸に」
本当に殺すべき相手に出会い、そして奴らを取り逃した俺は、少しの間立ち尽くしていた。果たせなかった思いが、悔しさへと変わっていく。
しかし、ここは戦場には違いない。敵の気配がほとんど感じられないとしても、そう遠くないところではみんな戦っているんだ。いつまでも、じっとしているわけにはいかない。震える手を握りしめ、俺はひとまずのご報告にと、その場を後にした。
途中、取り立てて問題は起きなかった。強いて言えば、とても寒かったぐらいだ。身を焦がす激情は、いつの間にか自身への情けなさや不甲斐なさへと変わっていた。
そうして俺は、殿下の元へと帰還した。周囲におられる武官の方々は、俺の方に驚きや称揚……そして、羨望のような眼差しを向けてくださっている。
その中にあって、殿下のお顔は穏やかだ。俺の帰還を温かく迎えようという空気を感じる。それが、逆に少し辛かった。
俺が戻って少しの間、静かな状態が続いた。それから、俺は意を決して口を開いた。
「ご報告を」
「どうぞ」
「……申し訳ございません。首謀者と思われる女の魔人、及びその上席者と思われる男の魔人の両名を……取り逃がしました」
「つまり、君の目の前に魔人が二人いたと」
「……はい」
すると、柔らかに微笑まれた殿下は、俺の肩に優しく手を置いてくださった。
「無事でよかった。何かされてないかな?」
「……未遂です」
「含みがある表現だね……ま、それはおいおい聞くとしよう。お疲れ様」
その
すると、俺は両肩をいきなり掴まれた。それも、力強く。驚いて顔を上げると、殿下が訴えかけるような強い眼差しを、こちらへ向けられていた。
「君一人を相手に、魔人が二人逃げたんだろう? 上出来じゃないか。奴らは、君が恐ろしくて逃げたんだ。それだけじゃない。他の魔人どもも、泡を食って逃げているところだ。たった一人の、平民の魔法使いの活躍を目の当たりにしてね」
「ですが……」
「懸念はわかるよ。後顧の憂いを、完全に断ち切れはしなかった。だけど……いいかい? この世で君を認めていないのは、きっと君だけなんだ。だったら……もう少し誇ってもいいんじゃないかな?」
話はそこまでとばかりに、殿下は優しく微笑んで口を閉ざされた。
認められている喜びはある。殿下のみならず、他の方々からも、そういう念を感じる。
それでも、気持ちが完全に晴れることはなかった。いい気になって色々
だけど……殿下からのご厚意を拒絶することはできなかった。これ以上心配かけたくもない。一度目を閉じ、恨み辛みと一緒に吐き出すつもりで長く息を吐くと、少しだけ楽になった感じがした。
それから、目を開けて殿下に向き直ると……少し自然に笑みを返せたように思う。殿下も、いくらか安心してくださったようだ。
遠くではまだ戦闘が続いているものの、殿下が仰ったように、かなり優位に傾いている感じだ。各所との連絡が一段落したところ、殿下は俺に向きなおって問いかけられた。
「リッツ、ここはもう大丈夫だと思うけど……君は、どうする?」
「どうする、とは?」
「戻ってアイリスの傍に行かないかってことだよ」
たぶん、彼女ばかりでなく、俺のことも案じてのご提案だろう。俺が即座に戻らなければ……という話ではない。事実、陣地へ移送された彼女の具合は安定していて、不穏な兆候は全くないようだ。
そばに行きたいのは山々ではある。だけど、今の精神状態で彼女と向き合うことに、抵抗感もある。お気遣いに反発することへの申し訳なさを感じつつ、俺は殿下に向かって口を利いた。
「申し訳ございませんが、皆が前線にいる今、自分だけ離れるわけにも……」
「まぁ……そう言うだろうね。だけど、アイリスの方は心配じゃないのかな?」
「シエラとマリーさんがいますし……他のみなさんも、きっと彼女を守ってくださるでしょうから」
「それはそうだけど……」
「……今の状態で、彼女に向き合えません」
抗弁の言葉が尽きて素直な気持ちを吐くと、殿下は呆れたような苦笑で「まったく」と仰った。
「念のために確認するけど、私に向き合うのは別に構わないと?」
「そ、それは……問題ありません」
「……なるほどね。君の中で誰が上なのか、よ~くわかったよ」
そう仰る殿下は、まるでマリーさんや奥様のように人が悪い笑みを浮かべられた。
まぁ……俺が彼女のことをどう思っているか、言わずとも察しておられるだろうから、今更な話ではあるか……。
☆
戦場へと留まることに決めた俺だけど、特に出撃する必要は生じなかった。殿下の近衛ということで、お側について有事に備え続けたといった感じだ。
一騎打ち終了直後から、前線各地で交戦が始まったものの、やはり例のカナリアが指揮権を握っていたんだろう。魔人側では取り乱す者や早々に撤退を選ぶ者が多く、銃士隊の相手はほぼ魔獣となった。これでまともな戦闘になるとは、敵方も考えていなかったものと思う。おそらく、時間稼ぎのための置き土産ってところだろう。
戦闘の規模は大きなものになったけど、その内実は共和国軍の大攻勢だ。魔人の手から離れた魔獣と、わずかばかりの魔人からなる、統制を失った軍に対し、共和国軍は押しに押しまくった。
この戦いにおいて、俺の戦友たちも一定の貢献を果たした。多くの魔人が逃げていったとはいえ、踏みとどまって戦っていた骨のあるヤツもいた。おそらくは腕自慢な連中だったのだろう。
射程と連携力に優れる銃士隊とはいえ、詰め寄られるとかなり厳しい。こういう状況下であれば、捨て鉢になった魔人が特攻をかける可能性もあって、優勢ではあっても兵にリスクは相応にあった。
そこで、俺たちの空中機動部隊は牽制しつつ、空から居残りの魔人の位置を把握した。その情報に従い、次は陸上部隊が動いて銃士のフォローへ。
やはり、残っていた奴らはかなり腕が立つ魔人のようだったけど、ハリーやウィンみたいな戦闘巧者、さらにはエリーさんの存在もあって、友軍への被害は最小限に食い止めることができた。
そして、日が沈む頃には、当初の戦闘目標であった砦近辺を完全に包囲することに成功した。砦側からの反応は特になく、内部への侵攻は日が開けてから……ということに。
もし夜戦を仕掛けられようものなら、連戦のようなものになるけど、現場の士気は高まり切っていて問題はなさそうだった。
そこで、助っ人である俺たちは、おおむね役割を果たしたということで陣地へ帰投した。
アイリスさんのことについては、陣地内で広く周知されたんだろう。さすがに戦勝を誇るにはまだ早く、浮かれた空気こそ流れていないものの、彼女が戻ってきたことへの歓喜は確かに感じられた。
それに、フラウゼからの増援が活躍したという話も、広く伝わっていたようだ。陣地へ戻ってきた俺たちは、そちらに控える兵の方々の歓呼で迎えられた。
戻ってからも、仕事がないわけじゃない。相手方の動きが読めないという部分はあるから、非常時への備えは依然として必要だ。それに、軍議への参加を求められているメンバーもいる。
ただ、俺は軍議に呼ばれなかった。ラックス曰く「再発防止のために、控えていてほしいから」とのことだけど……そういう彼女の顔には、心配や懸念よりもずっと、優しさを強く感じられた。
俺が何をしたのかについて、仲間たちから細かくは聞かれなかった。一騎討ちのことも、砦にぶっ放した魔法のことも。「聞いても教えてくれないんだろ~?」と、悪友の一人はわざとらしくスネていたけど。
こんな、隠し事ばかりの俺でも、みんなはリーダーだと認めてくれている。そのことに申し訳なさを覚えつつ、俺はアイリスさんがいるところへ向かった。
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