第479話 「いつかの魔法」

 俺なりの解にたどり着くまで紆余曲折があったけど、着想の出発点はハッキリしている。この件について知らされたあの日、ユリウスさんが仰っていた「精神操作は川に毒を流すようなもの」というものだ。


 流れる水と、地に刻まれた水の流れ道、川の本質はどちらにあるのだろう。

 俺は、後者だと思う。一度水が干上がっても、そこが川だったというのは見ればわかることだし、水が戻れば再び流れて川になるだろう。

 ユリウスさんのたとえ話にあった、川に流された毒が精神操作の魔法だとすれば、解毒薬を探す試みは、たぶん無理筋だと最初から感じていた。特定の魔法にだけ働きかけ、その影響を除去するような、そんな都合のいい″薬″が見つかるとは思えない。


 だったら――川を焼き払ったら、どうなるだろう?


 流れる水をマナと見れば、その流れ道はマナをたたえる器の人体に当たるだろう。水の全てがなくなっても、死にはしないんじゃないか。そして、水もろとも毒を消せたら、あるいは毒が水を必要とするのなら、これで消毒できると思った。

 頭がおかしくなっていたのかもしれない。しかし、解毒薬探しという一見ありえそうな道が、罠のようにしか見えなかった俺には、こっちの消毒法の方がよほど現実的に思えた。


 川から水を枯渇させる――つまり、相手からマナを奪うという手法自体は、精神操作に対する解法と同じように、世の中には存在しないだろう。

 しかし、俺には思い当たるものがあった。俺にとっては最初の黒い月の夜で、例のあの犬を酸欠みたいな状態に至らしめた、複製術だ。あの時は、その辺のマナを複製術の魔法陣に吸わせて固定してやり、犬が呼吸できないようにしていた。これを、相手の体内でできないだろうか?

 そうは言っても、問題があるのは明白だった。そもそも、相手の体に直接作用するような魔法が、まったくと言っていいほどない。広く知られる魔法のいずれも、相手の体に外から襲い掛かって加害するか、あるいは自身の体の外に展開させ、追随させるぐらいのことしかできない。

 体内で直接作用する奴となると、せいぜい異刻ゼノクロックぐらいだ。あれが本物の禁呪だから、そのように体内で展開できるのか、逆に体内で展開するタイプだから禁呪なのか……いずれにしても、俺の構想が禁呪に抵触するだろうという予感はあった。

 つまり、普通の魔法を逸脱する手段を編み出す必要があるってことだ。


 相手の体内に首尾よく複製術を展開できたとして、相手のマナを絞り上げられる確証もない。

 ただ、諦めるだけの確かな証拠がないのも事実だった。それに、俺が最初にマナを出した時、実質的にはマナを絞り出されたようなものだった。あのときの手袋みたいに、能動的に自身のマナを使おうとしない場合においては、マナを使う優先権を奪われるケースもあり得るんじゃないか。

 そこまでが机上での構想だった。相手の体内に複製術を展開し、そこにマナを固定。自由に使えなくさせてやる……その方向性を定めた俺は、実現のために行動に移った。


 最初に選定した被験者は、スライムだ。動きが鈍く、体が透明なおかげで、体内で何が起きているかもわかりやすい。

 とはいえ、実験のためにと王都地下の水路に潜るわけにはいかない。そこで図書館で調べてみたところ、野生のスライムが存在するという場所を見つけることはできた。

 実際、ホウキでそちらの湖へ向かうと、湖畔に薄い水色のスライムが生息していた。それに、近辺には人家もなく、実験場所としては申し分ない。ちょうどいい場所を見つけた俺は、さっそく実験に取り掛かった。


 まず、どのようにして相手の体内に複製術を展開するか。最初に考えたのは記送術だ。というか、自分の手を離れたところで魔法陣を刻ませるとなると、これぐらいしかない。

 ただ、さっそく問題にぶつかった。記送術による遠隔記述を狙う場合、いつも魔力の矢マナボルトを使っていた。しかし、その場合は自分の意志でボルトを解き、内側から記送術を発現させる形で再展開させていた。普通に何かにぶつけたのでは、記送術による書き直しが発生せず、単なる矢の着弾で終わるからだ。

 試しに、矢に記送術と光球ライトボールという構成で試したところ、スライムの表面に矢が当たってそれきりだった。体内での再展開どころか、体表での再展開もなかったわけだ。


 さっそく行き詰ったものの、そこで諦めるわけにはいかなかった。早い話、着弾せずに貫ける矢があればいい。そんな都合のいい奴が――実はあった。心徹の矢ハートブレイカーだ。体表を射貫いて内部に浸透し、心臓を撃つためのこの矢なら、あるいは……。

 そこで、魔力の矢を心徹の矢に切り替えて試してみたところ、スライムの体を矢が完全に貫通した。今まで意識したこともなかったけど、スライム以外に使ってもこうなるのだろう。着弾で矢が壊れないのは予想通りだった。あとは記送術を使うときの、いつものやり方――つまり、任意の地点で矢を解き、記送術で再展開させてやればいい。


 そうなると、矢を解除するためのタイミングを見計らう必要がある。心徹の矢の弾速を考えれば、異刻の併用は必須だ。

 異刻と同時に使うのは、かなりの負荷にはなる。ただ、ある意味では必要経費のようなものだった。そもそも、相手に何を悟られたのか、発覚されないように済ませたい。となると、異刻で瞬間的に記述してしまう必要があるわけだ。

 しかし、異刻との併用を決めて実験したところ、別の問題に突き当たった。矢のスピードは、時間を遅らせても相当なものだったけど、そちらはなんとかなった。ただ、タイミングを見計らって矢を解いても……中身の魔法が再展開されないのでは、どうしようもなかった。


 もしかして、体内では記送術での再記述が不可能なんだろうか。俺はスライムの中で何が起こっているか、異刻の力で突き止めようと、観察を繰り返した。

 そこで判明したのは、体内に侵入した矢を解いた時、記送術での再展開が行われようとしているということだ。ただ、体内のマナと矢が運んだマナが混ざり合うのか、記述がにじんで形にならないみたいだった。

 しかし、薄霧ペールミストで別の色のマナを展開している時だって、マナが混ざり合って記述に失敗したという経験は、今までになかった。だから、これは記送術による再展開の仕様か、あるいは体内に魔法陣の記述を試みられた際の、防衛反応なのだろうと思う。

 だとすれば、矢の色をスライムに揃えてやれば、道は開けそうである。


 スライムと同じ色のマナを調達するってのは、新たな課題ではあった。なにしろ、スライムは能動的にマナを放出するようなことはしない。そのため、魔法を撃たせて水たまリングポンドリングに回収させるという手口を使えない。

 そこで、俺は色選器カラーセレクタを使った。色を細かく調整しつつ、単にマナの光線をスライムへ投射してやれば、完全に通り抜けられる色を探れると思ったからだ。同じ色であれば、矢が光盾シールドが通り抜けるように。

 完全な色を探るのには難儀したものの、目論見自体は成功した。スライムの体を完全に通り抜ける、スライムと同じ色を探り当てた俺は、その色でさっそく矢を放った。


 すると、今度はうまくいった――途中までは。体内に侵入した心徹の矢を解くと、内部から現れた記送術が再展開を始め、やがて複製術が機能し始めた。

 ただ、複製は最後まで進まなかった。コピーを作ろうとすると、記述の途中でスライムの体表にぶち当たり、そこでコピーが失敗したからだ。体表が外部からの防御膜として機能しているのだろうとは思うけど、どうやら内側から魔法陣がはみ出るのも許さないらしい。

 このことは、実際には俺にとって好都合だった。複製で体の外に出ないってことは、相手に視認されないってことだ。体内で何か起きていることに感づくかもしれないけど……確証は持てないんじゃないか。この時点では、そのように考えていた。


 とりあえず、スライム相手に体内で魔法陣の再展開はできた。これは大きな進歩だ。

 マナを枯渇させるためには複製が必須ではあったけど、これも簡単に解決できた。複製対象になる器を小さく作ってやればいい。そうすれば、空きスペースを埋め尽くすように、小さいのがワラワラ複製される。

 小さく作れば作るほど、記述の難易度は上がる。しかし、今回複製させたいのは、特に何か機能を持たせた魔法陣じゃない。複製過程でマナを吸いさえすればなんでも良くて、文も不要だ。だから、手の込んだ記述を細かくやる必要はない。

 そういうわけで、縮めて描くのは余裕だった。複製対象とする器は、円を二つ直交させたタイプ。これなら、対象の体内を立体的に埋めていける。最終的なサイズとしては、ビー玉ぐらいのものになった。

 小さく作ることには、メリットもあった。作りかけの器はとにかく不安定で、途中で記述が乱れれば、すぐに消えてやり直しになってしまう。一方で、一度できあがれば極めて安定した状態になる。

 となると、小さい方が完成が早い分、着実にコピーを増やせていける。複製を小さくすることは、ゲームに例えればこまめにセープするようなものだ。途中で少しミスってやり直しになったとしても、着実に進んでいける。一方で大きな複製は、ノーセーブでどうにかしようとするようなものだ。


 そうして、小さい複製でスライムの体内を埋め尽くすまでは成功した。しかし、これで相手のマナを枯渇させたいわけで、もっと吸わせられないだろうかと俺は考えた。

 そこで着目したのが、可動型だ。可動型と複製型を組み合わせ、できあがった器を丸ごと体内で動かしてやれば、空いたスペースに再び複製を展開できるのでは?

 まず、スライムの体内に展開した魔法陣を、外部から操作できるかを検証した。これはうまくいった――ある程度は。どうやら、動かしたい魔法陣と同じ色のマナを出せる状態じゃないと、そちらへ接続できないようだ。

 つまり、何らかの方法で色合わせが済んだマナを、事前に確保しておく必要がある。これは、あの指輪でいいだろう。


 相手の体内で動かせると確認した俺は、本番である複製術の操作に取り掛かった。すると、複製元から複製先の子々孫々に至るまで、一族郎党の器たちを丸ごと動かせた。

 気になっていたのは、端っこの方の器だ。外に飛び出しはしないだろうと思っていたものの、確信は持てないでいたし、体表の壁で阻まれるとしても、その後どうなるかわからなかったからだ。

 実際には、期待した通りの結果が出た。丸ごと動かした器の端っこは、体表で押し戻された後、後続の器と重なり合った。可動型で魔法陣を重ね合わせるのは、前に何度もやったことがあったから、できるんじゃないかとは思っていたけど、実際そうなったわけだ。

 そして、寄せて重なり合った分、スライムの体内には器に侵食されていないスペースが空くわけで……そこへ再び、複製術が浸食を始めていった。


 こうして、スライム相手であれば、体内で果てしなく複製を作らせることができるようになった。

 ただ、スライムは初期の実験相手としては安全で申し分ないものの、欠点もある。動かないから安全という利点は、体内に繁殖した複製術への反応を見る点では欠点に変わる。これがどのように効くのか、見てるだけじゃよくわからないわけだ。

 そこで俺は、実験を一段階上に進めることにした。スライムが実験機材みたいなものとすれば、今度のは動物実験だ。その対象に、俺は六瞳獣ヘクサイドを選んだ。比較的よくあるタイプの魔獣で、前に無力化させた経験もあって、やりやすいと思ったからだ。


 犬相手で最初に当たった問題は、犬のマナの色がわからないってことだ。ただ、これはすぐに解決した。身動きできない状態にした上で腹を割いてやれば、赤紫の肉が外気に触れてマナの煙が立ち上る。これが犬のマナだろうと当たりをつけたら、大正解だった。

 指輪に同じ色のマナを確保できたところで、俺は実験中の矢を放った。体内で矢を解くタイミングについては、異刻でどうにか見極め、矢が見えなくなった瞬間と定めた。

 犬相手に実験する上での懸念事項は他にもあって、体が不透明だってことだ。これでは複製術が機能しているのか、外からでは視認できない。

 ただ、俺が継続型を通して体内で増殖する複製術とつながっている限りにおいては、脳裏にそのイメージが浮かび上がった。一種のビーズアートみたいな感じのイメージだ。一つ一つがビー玉ぐらいのサイズだから、解像度としてはだいぶ荒い感じにはなるけども。

 犬相手に複製術を増殖させてやると、効果は目に見えて表れた。捕縛状態から実験に入ったものの、体内で何重にも複製が蔓延はびこると、束縛を解いてやっても身動きができないでいた。

 その状態からさらに複製を増やしてやると、犬の体は崩壊を始めた。普通に魔獣を倒したときと違い、赤紫のマナへと霧散せず、体が一瞬粒子化して内側へ収縮するような感じだ。最後には、いつもどおりの硬貨と犬みたいな形をした赤紫の構造体だけが残った。

 犬以外の魔獣でも、いくらか実験してみた。どうも、動きが速くて体が小さいほど、この魔法の効き目は高いらしい。逆に言えば、腐土竜モールドラゴンみたいなのが相手だと、ちょっとしたアシストにしかならないだろう。


 魔獣の後、俺は人体実験に移った。魔法が効くのは判明している。たぶん、ここまでの技術的な道のりが、全行程でも一番の難関だったのではないかと思う。後は、運用の問題だけだった。

 初期の構想において、俺はこの魔法を、操られたアイリスさんに撃ち込むつもりでいた。マナを枯渇させたからといって、それで精神操作という毒まで除去できるという確信はない。それでも、マナを使えなくすることで駒としての魅力を減退させれば、解放させられるかもしれないし……転移で逃さないようにもしたかった。

 ただ、うまくいって彼女を取り返せたとしても、甚大な副作用が出てしまっては……と思った。いや、取り返せるだけでも万々歳だろうけど、当事者である俺はそこまで気楽に構えられないってだけだ。あらかじめ、どうなるか知っておかなければと思った。


 フラウゼの近くに無法地帯があるのは、この実験においては好都合だった。こんな魔法、誰にも言えやしない。言ったところで、”治験”の許可すら降りないのではないかとも思う。

 シュタッド自治領の人間は、社会的には”存在しないも同然”だった。そりゃ、何事も起きないに越したことはない。しかし……予期しない副作用のリスクを考慮すれば、顧みられない民を実験台に用いるのが、妥当ではあった。

 そんな折、俺たちは魔人に襲撃された。薄々勘付いていたことではあった。こういう、どうでもいいと思われているところから、新しい魔人の素材を仕入れてるってのは。

 そう思うと、ここの子を実験台に選んだ俺も、連中と変わらないように感じた。あの子のためだなんて大義名分も、結局は自分のためでしかない。


 それに、俺が考えた魔法は、ハッキリ言って外法もいいところだ。体内に、何をするでもない器を無制限に増殖させ、健全な体からマナを奪う……この図式は癌を想起させた。だとすれば、心徹の矢は注射針ってところか。

 被験者二人は、よくやってくれたと思う。結局、疲労感以外の訴えはなかった。数日間マナ切れの状態を続けても、魔法を解いた後にはきちんとマナが回復した。

 そうして安全性を確認できても、この魔法を人に使う嫌悪感はついて回った。じいちゃんもばあちゃんも、癌で死んだ。癌がこの魔法程度の、ぬるい病魔じゃないってわかっている。だけど、二つが頭の中で完全に重なり合うと、もうダメだった。

 あの子たちに魔法を撃ったというだけじゃない。俺は、アイリスさんにも同じ魔法を使わなきゃいけない。見込みがありそうな救出方法だとしても……その時を思うと、吐き気が止まらなかった。あの子たちに愛着を覚えた頃、それでも実験を続けなければと心を奮い立たせ、魔法を使った後、俺は隠れて一人で吐いた。


 俺が自分に、この魔法を使った理由は、いくつかある。その中にある贖罪のウェイトは、きっとかなり大きかったのだろうと思う。

 でも、もう許しは請わない。彼女が戻ってくれさえすれば、それでいい。



 遠くで交戦の音が聞こえる。きっと、みんなも戦っているんだろう。今は祈るしかない。きっと、みんな無事で、揃って帰るんだと。

 横になっている彼女の上半身を、俺は抱きかかえている。なかなか目を覚ます様子はない。雪が顔にかかるたび、右手で優しく払った。その顔の冷たさに、心臓が痛めつけられる。

 彼女の中に蔓延した紫の器を解くべきか、俺は迷った。そばにおられる殿下は、「脈はある、心配要らないよ」と仰ってくださった。それでも……彼女の体を弱らせている一因が俺にある。その自覚が、この苦役を果てしなく引き伸ばすようだった。


 そして……どれほど経っただろうか。彼女はかすかに顔を動かし――目を開けてくれた。目と目が合って、彼女が戻ってきた、そう直感できた。周囲の方々はそれでも警戒しているようだけど、今の彼女に邪気みたいなものはない。演技って感じも、やっぱりない。

 最初は無表情だった彼女の顔が、だんだん泣き出しそうになって歪んでいく。申し訳無さ、安堵、喜び……いくつもの思いがせめぎ合っているんだと思う。その顔を見るたびに、俺の心も締め付けられそうになる。

 それから少しして、俺は彼女にゆっくり問いかけた。「無理せずに、話せますか?」という問いに、彼女は少し間を開けて小さく首を動かした。


「……おかえり」


 でも、彼女は言葉を返せなかった。代わりにすすり泣く彼女を、俺は抱きしめた。俺の左手から血が流れているけど、そんなのも気にせず、俺は強く強く彼女を抱きしめた。

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