第480話 「身を焼く怒りを力に変えて」

 遠くからは、相変わらず戦闘音が聞こえる。しかし、俺たちの周りは奇妙なほど静かだった。アイリスさんとシエラがすすり泣く声の他には、自分の心臓の鼓動ぐらいしか聞こえない。胸の中で小さく震える彼女を感じて、俺は奥底に押し込めたはずのドス黒い感情が吹き上がってくるのを自覚した。


――俺を今まで支え続けたのは、彼女に対する想いだけじゃない。決して許すことのできない奴らがいる。


 心の中で、彼女への愛情と、敵への殺意がせめぎ合った。こんな状態のまま、彼女のそばに居続けることが、段々と辛くなってくる。

 それに、いつまでもこうしてられるわけじゃなかった。戦況が動きつつあるのが、ここからでもわかる。次の動きを求められている。

 そして、それはアイリスさんもきっと感じたのだろう。思っていたよりもずっと早く、彼女は落ち着きを取り戻しつつあるように感じた。前線で起きていることを気に病まないでと伝えたかったけど、それを受け入れられる彼女じゃない。


 ただ、こんなところにこの子を留めておきたくないというのは確かだ。俺は殿下に目配せし、それからシエラへ視線を向けた。

 すると、彼女は目元を袖で拭い、強い意志を感じさせる眼差しを向けて、うなずいてくれた。そんな彼女へ殿下がお声を掛けられる。


「シエラ、彼女を連れて離脱を」

「はい!」


 こういう時、堅っ苦しい返事をしない彼女を、俺は好ましく思った。殿下も、意気のある返答に微笑んでおられる。


 そうして俺は、アイリスさんをシエラに託した。彼女の体が離れていくと、彼女の体を少し冷たく感じていたはずなのに、温かさを失うように感じた。

 いや……俺の心の表に出ていた、温かな感情が薄れていくだけだ。彼女への想いにとってかわって、冷たい殺意と身を焼くような憎悪が、とぐろを巻いて這い上がってくる。互いの顔が離れると、苦しく切なそうな彼女の顔が、俺の胸を締め付けた。暗く淀んだ負の感情を持ちながら、彼女の顔を見るのが苦しい。

 それでも、俺は……彼女を安心させようと、笑顔を作った。うまくできたと思う。自分では作り笑いに感じたそれに、彼女は安堵したような微笑を返してくれた。


 それから、シエラは二人乗りの準備を始めた。さすがにアイリスさんはぐったりしていて、同乗するためのハーネスをつけるだけでも一苦労という感じだ。そのことについて、アイリスさんは消え入りそうな声で「ごめんね」と言ったけど、シエラは負担だなんて露ほども思っていないようだ。アイリスさんに笑顔を返して、黙々と作業を進めていく。

 そんな二人を眺めながら、俺は左手に目を向けた。操られてた彼女が、自身に突き立てようとしていたナイフを、この手でとっさに掴んで止めたおかげで、結構ザックリいっている。

 でも、そこまで強い痛みはない。寒くて感覚が鈍っているのかも知れない。いずれにせよ、まだ戦えそうだ。とりあえず、アイリスさんの視界に入らないように動いて、俺は傷に包帯を巻きつけていった。

 すると、不意に殿下が俺に問われた。


「離脱して距離が開くことになるけど、何か懸念は?」

「……私が使った魔法が、制御下を離れることになります。おそらく、問題ないものと思いますが……」


 自治領での実験では、魔法を解くことでマナが戻るのに、そう時間はかからなかった。個人差はあるだろうけど、アイリスさんの場合にどうなるかはわからない。

 ただ、精神操作から解放された場合、再発はないって話だった。今のアイリスさんの状況は、奴にとってもイレギュラーだろうけど……これでうまくいくと祈るしかない。

 それに、アイリスさんの身柄を取り戻せた場合のため、陣地には安全を確保するための用意がある。だから、早急に戦場を離れてそちらへ移送する方が、安全なのではないかとも思う。


 殿下と、周囲の武官の方々とも協議した結果、シエラに何人かのホウキ乗りを護衛としてつけた上で、ここを離脱してもらうことになった。念のため、アイリスさんには魔法を使えなくするという腕輪もつけてもらう。俺にも馴染みがある品だ。

 そうして準備が整うと、シエラは殿下に一礼した後、ホウキを飛ばして去っていった。


 ここまでの戦果は上々だ。しかし、戦闘はまだ終わっていない。むしろ、これからという空気さえある。遠くに感じる兵の方々の熱気は、地を覆う雪を溶かし尽くすようだ。そして、身を焦がすような思いを抱いているのは、俺だってそうだ。

 二人が去ってすぐに、殿下は外連環エクスブレスに問いかけられた。通話先はラウルだ。


「状況は?」

「銃士隊が連携して押し上げてます。ただ、敵方からの反撃は鈍いですね」


 彼の大声は、腕輪越しでもよく通った。殿下と周囲におられる共和国の武官の方々は、彼のハツラツとした声に顔を少し綻ばせられた。

 それにしても……あがり症の彼が殿下相手にまともに話せている。そういう状況だからと腹をくくっているのだろう。離れたところで任を全うしている彼を、心底頼もしく思った。


「動きが鈍いというのは?」

「指揮が乱れてると言いますか、反応が遅くてチグハグです。おおむね魔獣を前にした隊列で、魔法での応戦があまりない辺り、転移で撤退を始めてる感じです。ただ、そういう流れに構わず、連中の反撃が激しい箇所も見受けられます」

「交戦が激しい辺りの銃士隊は?」

「正面は引きつつ射撃で応戦、横から別の隊が迫って半包囲に近づけてますが……これ、空から見ないで、指示飛ばしてらっしゃるんですよね!?」

「さすがに、歴戦の将が率いる軍といったところだね。撤退したと思われる敵は、砦の方へ?」

「いえ……空戦部隊を半分に分け、砦の横手へ取りつかせているんですが、そっちは静かなもんです。もう、放棄するんじゃないかって感じですが」


 その報告に、武官の方々は顔を見合わせた。釣り出しの可能性はあるけど……ラウルの報告を考えれば、流れはこちらへ大いに傾いている。本当に、ここを諦めるつもりなんじゃないか?

 場の空気にやや期待感が顔を出し始める中、殿下はラウルに仰った。


「砦については、十分に距離を取った上で、継続してつついてほしい。残った部隊は、士気を保っている敵部隊への牽制と妨害を」

「はい! ところで、そちらはどのような感じで?」

「予断を許さないとは思うけど……とりあえず彼女を奪還した上で、離脱させることができたよ」


 すると、ラウルは殿下と通話中だというのに、まるでそんなこと気にしないかのような喝采を上げた。


「よっしゃ! やったな、リッツ!」


 彼の屈託のない明るさが、心に染み入るようだ。それでも……胸に灯った暗い炎は消えない。奴らが逃げつつある今、早くに動き出さなければ。

 通話が終わった殿下に、俺は話しかけた。


「殿下」

「出撃申請かな?」


 考えを見抜かれているようだ。俺は「はい」と答え、うなずいた。すると、ラウルと話していた時よりも、殿下の表情が引き締まったものになっていく。


「現時点で大きな目標は達成できた。敵も引きつつある。その上で、君が出るって言うんだね?」

「はい」

「私怨かな?」

「はい」

「素直だね……でも、私だって同じ気持ちさ」


 そんなお言葉をいただき、俺は少し驚いた。たとえ、同じ思いを抱かれているのだとしても、口にされるとは思わなかったからだ。そして、殿下は言葉を続けられた。


「目標を達成したとはいえ、大きく勝てる流れを活かさない手はない。欲をかき過ぎない程度にね。だから、追撃の有用性は認めるよ。だけど、その前に確認することがある。君、マナを出せないんだよね?」

「……マナを出せなくする魔法を自分に撃ちましたが、その魔法は自分の制御下にあります」

「つまり……不明瞭なところは多いけど、少なくともまた戦いに行けるだけの力はあると?」

「はい」

「まったく……」


 呆れたような笑みを浮かべられている殿下に、俺は申し訳なくなって頭を下げた。今の今まで殿下をだましてきて、心配までかけてしまった。

 しかし、殿下は優しい声音で「顔を上げてほしい」と仰った。


「彼女は君が救ったんだ。だから、私はこんな細かいことでとやかくは言わないよ。ありがとう」

「……はい」

「その上で、君をさらなる戦いに向かわせることには、やはり抵抗を感じる。だけど……君、きちんと帰って来れるんだね?」

「はい」

「……わかった。奴らに、誰を敵に回したのか、思い知らせて来るんだ」


 殿下の熱いご声援に対し、俺は深く頭を下げた。すると、殿下は俺の背を軽く叩かれた。


 それから俺は、魔法の記述に入った。青緑のマナで宙を刻んでいく。

 マナを食いつくす複製術は、俺の体内にも蔓延している。しかし、他に撃ち込んできた相手との違いは、俺がこの魔法を認識していて制御できるってことだ。目を閉じて体内に集中すれば、俺の中にある無数の器をはっきりと認識できる。今までのとは違う、俺のマナが完全な制御下にある感覚だ。

 その、体内の器を指に集中させた後、器を解きながら指を動かせば、きちんとマナが宙を走る。


 そうして刻んだ揚術レビテックスは、本来は俺にとって負荷が大きい魔法だったけど、今は違う。魔法陣が必要とするだけの強いマナを、自分の意志どおりに絞り出せるようになったからだ。

 できあがった藍色の膜に包まれ、俺は高度を上げていく。最後に眼下を見下ろすと、殿下は呆れたような、それでいて少し心配そうな微笑を浮かべておられた。


 やがて、十分な高度に達した俺は、遠方の砦に視線を向けた。

 肝心の、一番殺さなきゃいけない女は、もう転移でどこかへ逃げ失せているかもしれない。今から行ったところで、間に合わないかもしれない。そう考えると、今からやることは八つ当たりにしかならないかもしれない。

 だとしても……この怒りを吐き出してしまわないことには、どうにかなってしまいそうだ。


 俺は宙に魔法陣を刻んだ。複製が立体的に展開されていき、俺はそれを片っ端から重ね合わせていく。果てしなく宙に増殖していく器という器を、幾重にも手元に重ね合わせ……バレーボールほどの大きさの器が青緑の閃光を放ち始める。

 俺はそれを、両手でつかんで腰だめに構えた。マンガで見たあの技に、今の自分を重ね合わせる。怒りとイマジネーションが力になる。

 俺は目を閉じ、体内を視た。体中のマナを両の掌にかき集め、マナの束縛を解いては、両手に構えた器へ注ぎ込む。器の輝きは、より一層強いものになっていく。


 そして――構えた器が決壊し、目にする全てが青緑に染まった。

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