第472話 「告白」

 伯爵夫人との話の後、リッツは一直線に伯爵の部屋へ向かった。

 とはいえ、静養中ということは聞いていても、どこにいるか確証があるわけではない。そんな自身の不手際に、自嘲的な微笑みがこぼれる。


 だが、運よく伯爵はすぐに見つかった。彼の書斎のドアをノックすると、奥の方から「どうぞ」という声がしたからだ。「失礼します」と言ってリッツがドアを開けると、書斎から続く伯爵の寝室が見えた。そして、ベッドで横たわる彼の姿も。

 命に別状はないという話に相違なく、実際、彼は今しがた声を出して客を招いた。だが、包帯を巻かれて吊られている右脚は痛ましく、何より彼が寝たきりのまま客を招き入れるという事実に、リッツは顔を曇らせた。


 彼は伯爵に勧められるまま寝室へ入り、ベッド脇の小イスに腰かけた。見たところ、夫人ほど打ちひしがれた様子はない。普通の会話はできそうである。むしろ、問題があるとすれば、自分か――そんなことをリッツは思った。

 すると、伯爵は彼に声をかけた。


「私が負傷した件については、すでに?」

「はい。メルに教えてもらいました」

「そうか……恥ずかしながら力及ばず、この様でね」


 返す言葉に迷ったリッツは、そこで口を閉ざした。伯爵の、やや軽めに聞こえる口調も、きっとこちらを気遣いなさっているからだろう。一番悔しいのは、ご自身に違いない――そう思うと、どんな言葉も浅い慰めでしかないように、彼は感じてしまった。

 そこで彼は、少し間をおいてから話題を切り替えることにした。


「マリーさんは、どちらへ? ご存知でしょうか」

「妻が、ご実家に帰るようにと」

「そうでしたか」

「素直に帰ったとは、私は思わないが」


 その言葉に、リッツは頭を上げて伯爵の顔を見た。すると、伯爵は少し微笑みながら、言葉を継ぎ足していく。


「あの子は、あれでかなりガッツがある子だ。こんな状況で泣き寝入りするとは考えにくいな」

「そう……ですね」

「……他人の気が、しないのではないかな?」


 心の内を見透かすような発言に、リッツはややたじろぎ、口をつぐんだ。

 そこで会話が途切れると、伯爵は何も言わずに窓の外へ目を向け、リッツもそれにならった。視界に入る木々は、木枯らしに巻かれて葉が舞い散り、寒々しいばかりだ。そんなわびしい外を眺めながら、伯爵は言った。


「リッツ」

「はい」

「きみは、嘘をつくか?」

「……その必要を認めれば」

「今、隠し事はあるか?」

「……はい」

「聞かせてもらえないものかな?」


 尋ねる伯爵に、圧はまったくなかった。むしろ、問われたリッツの側にこそ、その内に圧があった。五体を賭して戦った伯爵に対する敬意が、隠し通そうとする自分を強く責め立てる。

 そして、彼は自身の現状を告げた。


「マナを、使えなくなりました」


 すると、廊下の方からガタンという音が響いた。驚きとともに首を振り向くと、書斎のドアが開いていた。誰かに聞かれたのだろう。リッツの表情がにわかに曇る。

 一方、打ち明けられた側の伯爵も、相応に驚いた。だが、物音に対するリッツほどの反応ではない。すぐに落ち着きを取り戻した彼は、重ねて問いかける。


「それは、本当か?」

「……はい」

「そうか……マナを使えなくなった兵というのは、何人か見たことがある。いずれも一時的な症状だった。よく休みなさい」

「……はい」


 思いがけず優しい言葉を賜り、リッツはうなだれた。それから少し間を開け、伯爵は言った。


「リッツ」

「はい」

「一つ、最後に答えてくれ」

「……はい」

「きみは、もう諦めているのか?」

「諦めません」


 リッツは、伯爵をまっすぐ見据えていった。今日一番の、覚悟が入ったその顔に、伯爵は満足そうな笑みで応える。


「わかった。信じよう」

「はい」

「無理するなと言いたいところだが……まぁ、それは諦めよう。せめて、後悔のないようにな」

「はい」


 そう答えたリッツだったが、いつだったか同じように「後悔のないように」と言葉をいただいたことを思い出した。瞬間、胸の中が熱くなり、彼は顔を伏せた。言葉を交わせないまま、時間だけがすぎていく。


 ややあって、彼は挨拶して伯爵の寝室を後にした。すると、廊下のほど近いところに、シエラが控えていた。その表情は暗い。そこで彼は、伯爵と話していた時のことを思い出した。マナを使えなくなったと発言した時の物音は、シエラのものではないか?

 しかし、今ここで確認することを、彼は選ばなかった。違えばやぶ蛇になりかねないし、そうであれば蒸し返すだけだ。どちらに転んでも、好ましい状況にはなりえない。彼はただ無言でシエラにうなずき、彼女は何も言わず、うなずき返した。


 そうして、二人は静かに屋敷の玄関へ向かった。すると、そこにはレティシアが待っていた。お見送りか、あるいは……彼女の姿を認め、思案に入ったリッツに対し、レティシアは駆け足で近寄る。そして、彼女は何も言わず、リッツに抱きついた。

 それは親愛の表現ではなかった。痛切な悲哀が伝わり、彼の顔が暗くなっていく。しかし、彼はレティシアに向かって言った。


「ごめん」


 すると、それ以上の引き止めはなかった。リッツを解放したレティシアは、屋敷を出ようとする二人に、まるで顔を合わせまいとするかのように、恭しく頭を下げた。見送られ、屋敷を出ていく二人。少し歩いて振り向くと、レティシアは動かずそのまま玄関にたたずんでいた。


 屋敷を出てから十数分後、シエラは急にその場に立ち止まった。うなだれている彼女に、リッツは体を向ける。

 その後、彼の頭の中が真っ白になった――シエラが、草原に向かってホウキを投げ捨てたのだ。



 シエラが何をしたのか、理解が追いつかなかった。彼女はいきなり、ホウキを投げ捨てた。彼女の、ホウキに対する思い入れを考えれば、ありえないことのはずだ。

 そして、彼女は俺の方に向いた。今日初めて見る笑顔だけど、それは捨て鉢なものにしか感じられない。そんな彼女が、俺に提案を持ちかけてきた。本当に、信じられない提案を。


「ねぇ……どこかに、逃げちゃおうよ」


 俺は言葉を返せなかった。でも、彼女は俺の反応が当然であるかのように気に留めず、俺に話しかけているのか独り言なのか、よくわからないまま言葉を続けていく。


「マナ、使えないんでしょ? だったら、私が養ってあげるよ。もう、ホウキのことなんて捨てるから、ね? 今までの私たちと、何の関係もないところへ行って、それで……」


 それで、言葉が続かなくなった。やけっぱちな笑みも、崩れに崩れ……彼女は、俺の胸元に頭をうずめた。両手で俺の袖を握りしめ、頭を震わせながら涙ながらに、彼女は言葉を絞り出していく。


「私、もう……もう、耐えられない! 気がつけばずっと、あの街であの子の影を探しちゃってる! あの子と食べた何もかも、喉を通らない! 私、もう、あの街に居られないよ、リッツ……」


 その叫びに、俺の心も震えた。


 何やってるんだろう、俺。


 きっと、俺がマナを使えなくなったという話が、シエラを支えてきた最後の柱をへし折ったんだ――いや、俺自身が、俺への期待が、その柱でさえあったのかもしれない。

 依然として、俺の構想は誰にも話せない。決して言えるものではない。でも……秘密を隠し通そうとする俺のやり方が、追い詰められた彼女への最後の追い打ちになってしまった。

 せめて、彼女だけは立ち直らせなければと思う。俺のことについて、安心させないと。いや、正直に話しても余計に不安になるかもだけど……赤裸々に胸の丈を打ち明けた彼女に、俺も応えなければならないと思う。それだけの、絆があるはずだから。

 だから俺は、シエラの両肩を軽く掴んで、彼女に言った。


「シエラ、驚かずに聞いてくれ」


 すすり泣くばかりで反応がない。でも、聞いてくれてはいるようだ。俺は話を続ける前に深呼吸をした。これから話す内容は、バカげていると思われるかもしれない。それだけに、告白するにも相応の決心が必要だった。


「マナが使えなくなったってのは、本当だけど、別に事故でも病気でもないんだ。『マナを使えなくする魔法』を作って、自分に撃ち込んだだけなんだ」


 それは、彼女にとってはあまりにも衝撃的な話だったのかもしれない。彼女は俺の顔を見上げてきた。泣きはらした目から涙が途切れ、表情は唖然としている。いい傾向だ――どこかヤケクソ気味になっている自分の中で、そんな声が聞こえた。


「今の所、考えた魔法は完璧に機能してる。後は、これをあの子に撃ち込んで……あの子を操ってるっていうクソアマを切り離すだけだ。効く確証はないけど、おそらく無力化・沈静化ぐらいはできると思う」

「……な、何言ってるの?」


 彼女は、俺が言っていることが信じられないらしい。でも、それでも構わない。自分が正気か狂気か、そんなのどっちだっていい。


「別に、理解しろだなんて言わない。でも、俺は本気なんだ。諦めるもんか。あの子のことは、絶対に取り返してやる」

「……信じて、いいの?」

「あったりまえだろ。そのために今話したんだ。おおっぴらに話せるような魔法じゃないけど、シエラにはって」


 俺の言葉に対し、シエラは少し戸惑っていた。でも、受け入れてくれたみたいだ。少しずつだけど、顔の暗さが晴れてくる。そこで、俺は言った。


「あの子を助けに行くとき、シエラも一緒に行こう」

「えっ?」

「王都で待つの、もう嫌なんだろ?」


 返答を待つ必要はなかった。彼女はうなずき――その頭が俺の胸元を打った。泣いて抱きついた姿勢のままだったのを、お互いにすっかり忘れていた。期せずして軽い頭突きをもらい、少し苦しくなる。一方、彼女はかなり恥ずかしそうになって後ずさった。

 それから俺は、道を外れて草原に足を踏み入れた。投げ捨てられたホウキを拾うためだ。それを手にした俺の頭に、色々と考え事が巻き起こる。


「どうかした?」

「いや……」


 少し思案にくれた俺に、シエラが尋ねてきた。「いや」とは答えたものの……ホウキを返した後、少し迷った末に、俺は彼女に言った。


「ごめん。お屋敷に引き返したい」

「えっ?」

「今の話、あちらの方々にも言わないと……」


 彼女にとっても、先程の訪問は、決して気持ちのいいものではなかったと思う。それでも、彼女はあまり抵抗感を示さなかった。振り回してくる俺に、だいぶわざとらしく、ふくれっ面になったぐらいだ。


「……ごめん」

「……まったく。こっちの身にもなってよ」

「うん……なんだったら、2、3発ぐらい殴ってもいいから」

「いいの?」


 自分へのケジメにと持ちかけた提案に、彼女はすんなり乗っかってきた。ちょっと意外に思いつつ、目を閉じて裁きを待つ。

 すると、結構間を開けてから、ちょっと柔らかく弾力があるもので、頭をぽふんと叩かれた。それが何だか、目を閉じていてもわかった。ホウキの頭――いや、シエラ的にはホウキの尻だっけか――だろう。

 その後、「ほら、行くよ」という声で目を開けると、ホウキにまたがった彼女が離陸体制に入っていた。


「せっかくだから、乗せてってあげる」

「ありがと」

「……本当に、マナ出せない?」

「うん」

「……まったく、世話が焼けるんだから」


 言葉には棘があるけど、顔は少し笑っている。こんな状態だけど、「大丈夫」だっていう俺の言葉を信じてくれているんだろう。気を持ち直してくれたようだ。

 いや、それだけじゃないだろう。彼女のおかげで、俺は吹っ切ることができた。それが、彼女にも伝わったんじゃないかと思う。

 ここからお屋敷まで、大した距離はない。別に、ホウキを使うほどのことでもない。だけど、この申し出を蹴ろうって気にはならない。それから、彼女の後ろについて二人乗りの体勢になると、それが妙に気恥ずかしく感じた。その一方で、いつもの自分が少しずつ戻って来た感覚もある。

――そうだ。こんな、いつもどおりを取り戻すために、俺は……俺たちは、戦っているんだ。


 その後、ホウキが浮上し、足が地を離れた。身長ぐらいの高度をゆるゆると進んでいく。安全運転ってわけでもないだろうけど……。

 すると、不意につぶやくように、シエラが言葉をこぼした。


「……なんか、泣いてた私がバカみたいじゃない」

「いや、泣かせた俺がバカだったんだよ」

「泣かせなくても、バカのくせに……『マナが使えなくなった』だの、『そういう魔法を作った』だの、まったく……」


 彼女の顔は見えない。覗き込もうとすれば、さらにバカ呼ばわりされるだろう。でも、憎まれ口を叩く彼女の口調は、ほんの少し嬉しそうだった。

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