第470話 「帰ってきた男①」

 10月26日昼頃、スイニーズ山脈にて。

 青年がロッジに戻りドアを開けると、彼は度肝を抜かれてその場に立ち尽くした


「久しぶりですね、リッツさん」


 どういうわけか、そこに友人がいたのである。

 宿の主人に知り合いかと尋ねられ、リッツはわずかに逡巡してからうなずいた。その後、彼は少し瞑目して思案し、友人と同じテーブルについた。


「メル、どうしてここに?」

「探したんですよ。僕を甘く見ないことです」


 普段の朗らかさは鳴りを潜め、メルは真剣な口調で答えた。そこから言葉は続かず、部屋の中は静まり返る。受付と食堂を兼ねたこの部屋はかなりの広さがあり、他に利用客も数人いる。

 しかし、こういう状況で口を挟む彼らでもない。聞き耳を立てることもせず、ただ当事者たちにのみ居心地が悪い沈黙が続く。

 ややあって、リッツが口を開いた。


「悪いけど、取材なら何も言うことはないよ」

「そんなんじゃないですよ。呼び戻すように言われて探しに来たんです。それに……心配してたんですよ」

「ごめん」


 少し熱くなって言葉を返したメルに対し、リッツはうなだれるように頭を下げた。自身の発言が、棘のあるものだったと感じたためである。一方、メルもやや責める口調になったことを悪く思ったのか、「すみません」と言葉を返した。

 そうしてまた会話が途切れ、少ししてからリッツが問いかけた。


「呼び戻すって言ってたけど」

「はい」

「俺に何か用が?」

「必要になるかもしれないってことです。少なくとも、居場所は把握しておきたいってことですし……連絡も取れませんでしたから」

「……本当に、ごめん」


 またも申し訳なさそうに頭を下げるリッツ。すると、宿の主人は彼に声をかけた。


「なあ、若いの。リッツとか言ったな」

「はい」

「荷物まとめて帰れ。求められる時にその場にいないだなんて、ただの間抜けがやることだぞ」


 言葉こそ荒っぽいが、それは彼なりの思いやりを感じさせる。少し間を置き、リッツは「ありがとうございます」と声を返した。が、主人はあまり面白くなさそうに軽く鼻を鳴らし、窓の外を何するでもなく見つめ始めた。

 それから、リッツは部屋に戻って身支度を始めた。とはいえ、ほとんど着の身着のままやってきただけで、支度はあっという間である。すぐに一階へ戻ってきた彼は、メルとともに宿を出ようとし……出る前に、お世話になった面々へ深く頭を下げた。

 彼は、このロッジでは周囲同様に、口数が少なくなっていた。しかし、竜退治の秘術を持っていると目される彼は、先住者にとっては刺激的な存在だった。そんな彼が、今立ち去っていく。

 すると、寡黙な戦士たちの一人が、声をかけた。


「なあ、リッツ君」

「はい」

「いつかまた、ここへ来てくれないか。秘密の技って奴、どうしても知りたくてな……」


 他の戦士たちも、彼の言に同調し、静かにうなずいた。言葉少なで自己主張しない猛者たちだが、こういうことで妙に協調性を発揮したことに、リッツは少し呆気にとられ……少し顔を伏せた。


「あなた方に伝えられる時が来たら、その時は必ず」

「そうか……楽しみに待つよ」

「長生きしなければな」


 日ごろ竜退治などという危険に身をさらしている者とは思えない発言だ。思わぬ発言に、山の強者たちは一瞬だけ静かになり……珍しくも笑い声を上げた。その笑い声は、控えめなものではあったが、リッツの心には大きく響いた。彼は改めて頭を下げ、そしてロッジを後にした。


 ロッジを出た二人は、無言で歩いた。少し歩いたところで、メルが口を開く。


「連絡事項が」

「うん」

「落ち着いて聞いてください」


 ロッジで再会して以来、メルはいつになく真剣な様相である、その彼がはっきりとこのように口にするほどだ、よほどの話なのだろう。リッツは硬い表情で身構えた。すると、メルは苦渋の表情で告げた。


「フォークリッジ伯が負傷し、現在は閣下のご邸宅にて療養中です」

「か、閣下が負傷? 大丈夫なのか?」

「左のわき腹を細い剣で貫かれ、さらに右の脛の下を折られています。命に別状はありませんが……」

「……共和国での戦闘で?」

「はい」


 落ち着けと言われたものの、それは無理な話だ。リッツにしてみれば、自身を拾ってくださった大恩のある人物の負傷である。狼狽を隠せず、表情に影が差す彼に対し、メルは少し冷ややかに言った。


「だから、僕が来てよかったじゃないですか。何も知らないまま置いてかれちゃ、ダメですよ」

「……ああ、そうだね」


 暗い面持ちで言葉を返すリッツに対し、メルはやや怪訝けげんな表情を向けた。


「ここに来たってことは、きっと竜退治だと思うんですが……」

「……ああ、そうだけど」

「倒せました?」


 しかし、リッツは答えない。ただ沈痛な表情で口を閉ざす彼に、メルは困ったような笑みを浮かべ、それ以上尋ねることはしなかった。メルが無言で先導し、高原を下っていく。


 静かに歩き続けて十数分、高原を少し下ったところにある木立で、メルは立ち止まった。その後、彼は手提げカバンから金属質の物体を取り出した。リッツにも馴染みのあるそれは……。


「携帯用のホウキか」

「はい。試作版ってことで貸してもらえました。乗り心地悪いですけどね」


 答えながら、メルはホウキを組み立てていく。リッツも工廠から貸してもらっているものだ。工廠がリッツにも貸していることを、メルはすでに承知しているのだろう。そして、ホウキを取り出さないリッツを、メルは少し不審に感じたようだ。


「これに乗って帰ろうと思うんですけど……まさかとは思いますが、無くしました?」

「まさか」


 リッツは返答の後、自身のカバンから折りたたみホウキを取り出してみせた。紛失したわけではない。では、なぜ用意しないのか。いぶかるメルに対し、リッツは何やら迷っているようだ。そして、彼はどこか諦め顔になり、メルに声をかけた。


「悪いけど、後ろに乗せてもらえないかな……」

「えっ? いや、リッツさんもホウキ持ってるなら……乗り方忘れました?」

「いや、そうじゃない」

「だったら」


「……マナを出せないんだ」



 二日後の昼、王都郊外に降り立った二人はまっすぐ王都魔法庁へ向かった。

 帰国にあたり、用いたホウキは一本だけである。「マナが出ない」という発言を最初は信じなかったメルも、リッツがまたがるホウキが動く気配を見せないとなると、二人乗りで運ばざるを得なくなった。


 魔法庁に入ると、二人は庁舎内の一室へ足を向けた。メルからすでに連絡が入っており、人払いがなされたその部屋には、現長官のエトワルド侯、前長官のウィルが待っている。

 相当な地位の人物が待ち構えていることに、若者二人は表情を硬くした。だが、それは待つ側にとっても同様かも知れない。宰相府からコンタクトを取るようにと指令が出た相手が、マナを出せないなどと言うのだから。


 緊張と、やや暗鬱とした感じを漂わせながら、二人は部屋の中に入った。待っている要人二人も、やってきた二人とはさほど変わらない表情である。重い空気が漂う部屋は窓がなく、やや小さい。

 そして、部屋の中央の小さな机の上に、白い手袋があった。それを見て、リッツは何のための手袋なのか、すぐに察しが付いた。

 すると、ウィルが手袋を手に取り、「これを」とリッツに差し出した。受け取った彼は、無言で手袋を右手にはめる。しかし、何の反応もない。

 ウィルは、少し目を見開いた。そして「左につけてもらえるかな」と声をかけた。リッツはそのとおりに手袋をつけ直すが、やはり何の反応も生じない。

 そこで、別の誰かが試そうということになり、リッツから手袋を回収したウィルが、右手に手袋をはめた。すると、白い生地の全体から濃い青色の光が漏れ出る。


「……この手袋は、マナを無理やり吸い出して外に放出するんだ。そうは言っても、微々たる量だけどね。自分の色を隠したがる人間のマナを確認するときなんかに使うんだ。だけど……」

「マナが出ないよう、意識して抑え込むことは?」


 エトワルド候の問いかけに、ウィルは首を横に振った。


「漏出するマナは微量ですが、吸い出す力に抵抗することはできないかと……少なくとも、マナの開通ができている人間が、この手袋に無反応だったという事例は、聞いたことがありません」

「しかし、急にマナを出せなくなるというのは……そういった事例は?」


 この場においては、立場も家柄も一番の侯爵だが、一切のてらいを見せず教えを請うた。そんな彼に、ウィルは少し考え込み、リッツに視線を向けてから口を開いた。


「一時的に出せなくなったという話は、耳にしたことがあります。かなり珍しい事象のようですが……極度の疲労状態にまで追い込まれると、回復したマナを自分のものとして使えなくなることがあるとかで」

「……なるほど」

「他にも……心労からマナを使えなくなるという事例が。あくまで、小耳に挟んだ程度ですが」

「そうか。ありがとう」


 若い前任者に軽く頭を下げた後、侯爵は気遣わしげな視線をリッツに向けた。


「今まで大変だったのだろう」

「……お気遣い、痛み入ります」

「私などは、このような事態に何もできないでいるよ。本当に情けないばかりだ」


 言葉のみならず、暗い表情でうなだれる侯爵に、リッツも申し訳無さそうな目を向けた。彼の”病状”が、侯爵の心労になっていることに疑いはないからだ。


「今回の用件はこれで終了だ。君は下がって、よく休みなさい」

「……ご恩情に添えず申し訳ございませんが、これからフォークリッジ伯の元へ、ご挨拶に伺わねばと」

「そうか、君は……そうだったな」


 侯爵は、リッツとかの家の関係について、よく知っている。今ここで彼を止めるべきであるように思われる一方、止められるものでもない。少し悩み、侯爵は「行きなさい」とだけ言った。すると、彼に頭を下げ、リッツは部屋を出た。


 渦中の人物が出て少し後、それまで静かにしていたメルは口を開いた。


「少々、よろしいでしょうか」

「ふむ」


 侯爵にとって、メルは知らぬ相手ではない。魔法庁と外部機関を結びつける上で、メルは職員に劣らない働きをして見せている。直接言葉を交わしたことこそ無いが、注目する存在だ。そんな彼が、何かあるという。侯爵は彼の言に耳を傾けた。


「リッツさんは、実は何か隠し事をしているんじゃないかと」

「実は、マナを使えると?」

「いえ、そこまでは申しませんが……」


 一度言葉を切ったメルは、少し考え込んだ後、ウィルに向かって問いかけた。


「スイニーズ山脈で再会したんですが、どういうところか知ってます?」

「……聞いたことあるけど、何だっけな……」

「竜退治に武芸者が訪れるところです。武道の最果てみたいな」

「あ~」


 合点がいったようにうなずくウィル。そして、メルは話を続けた。


「リッツさんが泊まってたロッジの利用者を見る限り、リッツさんも竜退治に参加していたようなんです。断言はできませんが、可能性はかなり高いです」

「……マナを使えない状態で?」


 侯爵が問いかけると、メルはやや間をおいて思案した後、「おそらくは」と返した。


「あの時の会話や場の雰囲気では、荒行の過程でマナを失ったのではなく、失った上で竜退治に加わったように思われます」

「そのようなことが……」

「たまにわけわからない人ですから、あの人」


 暗くなっていた雰囲気の中、メルは平然とした面持ちで言った。そして、言葉を続けていく。


「マナを出せないというのは事実だと思います。手袋も反応しませんでしたから。ですが、単にマナを使えなくなったにしては、今のリッツさんは絶望感がないというか、妙に落ち着いていると思います。”あの”リッツさんが、マナを……魔法を使えなくなったのなら、もう少し打ちのめされていても、おかしくはないと思うのですが」

「確かに、それはそうだね」


 メルの発言を、ウィルも認めた。うなずく彼にメルはうなずき返す。


「ですから……マナが使えなくなったというのも、突発的なトラブルじゃない気がします。そうなることを覚悟した上で、あえて受け入れたような、そんな感触があります。あるいは……」

「あるいは?」


 侯爵が口を挟んで先を促すと、メルはやや考え込んだ後、口を開いた。


「マナを出せないのが事実だとしても、実は何かしらの裏口というか……解決策があって、それをすでに見つけているんじゃないかと思います」

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