第467話 「霊峰の神」

 青年がスイニーズ山脈へ訪れ、10日が経過した。その間、彼が一人で竜退治に向かおうとすると、大体は誰か一人が、ほぼ無言で同行した。

 ロッジにいる武芸者たちは、いずれも寡黙である。だが、決してお互いに無関心というわけではないようだ。個人間の交友関係のようなものが全く浮き上がらないほどに、互いに不干渉ではあるが、来たばかりの客を放っておくほど薄情でもない。青年がどれだけできる奴かという興味も、いくらか働いたのだろう。

 そうしてついてくる同行者は、青年にとってはありがたい存在だった。いずれの戦士も、竜との戦いにおいて、気遣いされずとも切り抜けられるだけの実力がある。その上、青年の境遇や戦い方について、まったくと言っていいほど詮索してこないからだ。


 一方、彼に手助けしてきた先達たちは、青年に対して共通の印象を抱いた――腕前がややチグハグだということだ。

 さすがに、このようなところにまで来るだけあり、敵の動きに対する見切りや身のこなしには優れたものがある。竜相手に物怖じしないだけの度胸も。

 だが、歴戦の猛者たちの目に、彼の剣はやや頼りなく映った。相応の死地を潜り抜けてきたようには見えるが、剣技は他の才に追い付いていないようだ、と。

 剣を補うために魔法を用いるかと思いきや、そのようなこともない。彼らが見たところ、青年は剣一本で竜と戦い続けた。


 なおさら奇妙だったのは、攻め手に欠くと思われる青年と同行すると、異様なほどに早く竜が倒れるということだ。

 あまり会話をしない猛者たちも、さすがにこれは疑問に思い、言葉少なながらに意見を交換し合った。

 そこで出た結論は、竜を挟み撃ちにしている際、見えないところで何かをしているだろうというものだ。だが、火砲カノン騎槍の矢ボルトランスのように、炸裂時に強い反応がある魔法を使っている様子はない。

 では、一体何を?


 新たにやってきた、礼儀正しいが奇妙な青年の来訪は、先住者たちにささやかな娯楽を提供することになった――彼が一体どうやって、竜を倒しているのかということだ。

 山の戦士たちは、口数は少ないものの、全く話さないというほどではない。互いの技や知識への興味と敬意もある。

 物静かな彼らも、夜に酒が入ると少しだけ口数が増える。そのしめやかな晩酌の席で、青年の手口についての考察が話題に上るようになった。本人には直接聞かず、あくまで自分たちで考えて論を戦わせる辺り、一種の推理ゲームのように楽しんでいるようだ。

 そんな中、彼らがたどり着いた結論の一つは、心徹の矢ハートブレイカーを使っているのではないかというものだ。心徹の矢は目立ちにくく、狙いが正確であれば、巨獣を弱らせるほどの力もある。

 実のところ、竜ほどの巨体の核を射貫くのは正気の沙汰ではない。だが、攻撃に対する見切りを見る限り、青年の目は良さそうである。


 ある夜、そのような結論に到達した戦士の一人が、やや酒気が入った赤い顔で「どうだ」と問いかけた。しかし、水を飲んでいた青年は少し考え込んだ後、「秘密です」と返した。



 青年が竜退治の日々に慣れてきたある日、彼は居室の窓から奇妙なものを見た。かなり歩いたところにある大きな山の頂から、赤いマナらしき粒子が立ち上っている。噴火ではなさそうだが……。

 青年は階下に降りた。彼が先ほど見た光景は、一回の窓からでも視認できるが、他の居住者たちが慌てふためく様子はない。先人たちの態度を見るに、取り立てて騒ぐほどのことでもないようではあるが、それでも青年には気になる事象だ。彼はカウンターにいる宿の主に話しかけた。


「あれは一体?」

「あれか?」


 グラスを拭く手を休めず、主人はあごをしゃくるように動かし、外の光景を指した。


「はい」

「あれは……詳しくは知らん。ただ、あそこに山神様が御座おわす」

「山神様?」

「……気になるなら、行ってみたらどうだ?」


 主人は少しつっけんどんな感じで言った。その提案を受け、青年はロッジの外へ出た。ついていこうという者はいないが、止められもしない。青年は、すでに単独で竜退治に成功しているからだろう。


 彼は一人で、赤いマナが噴き出す山へと足を向けた。

 ロッジがある高原は、まだかろうじて緑があるが、そこから高度を上げると荒涼とした世界になる。目を楽しませる要素といえば、せいぜい岩や小石の色形が様々ということぐらいか。山々よりも上に目を向けると、吸い込まれるような蒼穹が広がっている。

 視界内に竜の姿がないのは、青年にとっては幸いであった。山脈の巨大さを思えば、目が届かない遠方、あるいは雲に紛れて姿を消しているのかもしれないが、近辺の安全は問題なさそうである。


 黙々と山に挑んで数時間。彼は赤いマナの源へとたどり着いた。

 その山頂は、火口ではない。すり鉢状にくぼんだ山の頂は、底に揺らめくような色彩を湛えている。山の内部で溶融した各種の物質が、長い年月をかけて上まで登ってきたのだろうか。赤を中心に、黄色や橙色が混ざり合う、玄妙なカルデラ湖が広がっている。

 赤いマナの粒子は、どうやらその湖が発生源のようだ。湖全体から粒子が舞い上がっている。

 また、赤い湖の中心には小さな島があった。そこへ続くように、湖面から浮かび上がったかのような小道も続いている。


 そして、その中央の島に何者かが――二人いた。まさか山神とやらが二人とは思わず、青年は面食らった。先客というのも考えにくい。

 その二人は、見た目がまるで違っていた。一人は島に禅を組むようにして座っており、白い髪は無造作に伸びている。仙人のようではあるが、神だと言われれば受け入れられないこともない。

 片割れはと言うと、仙人然とした相方には似つかわしくない様相である。やや赤みがかった茶髪は燃えるように鮮やかであり、着ている服も華美である。貴人のようではあるが、この山にはあまり似つかわしくない。

 その二人の取り合わせに、青年は身構えた。


 向こうも、青年が来たことには気付いたようだ。しかし、身構える青年とは対照的に、″貴人″は彼を手招きした。

 誘いに対し、青年は少し考え込んでから、それに乗ることにした。神か、そのご友人かは定かではないが、不興を買っても……と考えてのことである。

 島へと足を向ける青年だが、足取りは慎重だ。あの赤い湖の正体がわからない以上、不用意に近づくのは危険だからだ。


 しかし、彼の警戒とはよそに、なんら問題もなく彼は島へ続く小道へとたどりついた。島と小道だけが隆起しており、湖はCの字のようになっているのだろう。慎重に小道へ足を置いた青年だが、足に伝わる感覚は確かなもので、安心できる地続き感があった。

 足場の安定感を確かめたところで、彼は小道を進んだ。湖から立ち上る赤い粒子は、小道の両側でも立ち上っている。さながら、カーテンのようだ。道の横へ目を向けると、すり鉢状の斜面も上の空も、みな朱色に染まっている。


 程なくして、彼は島の中央に着いた。地面に座った方は目を閉じているが、彼の来訪には気付いていることだろう。遠くから見れば仙人のようであったが、顔は若々しい。

 一方、貴人は見るからに興味ありげな視線を青年に向けている。こちらも見かけは若々しく、青年と同程度に見える。

 彼らに対し、青年が先手を取って問いかけた。


「山神様は、どちらで?」

「私じゃない」


 答えたのは貴人だ。では、座っている仙人が、山神なのだろう。では、片割れは何者であるか?

「あなたは?」と青年が尋ねると、貴人は少し考えた後、答えた。


「あなたが名乗ったら、私も答えるとしよう」


 この提案に、青年も少し考えた後、口を開いた。


「名前はともかく、私は人間の平民ですが、あなたは?」


 すると、貴人は一瞬だけ虚をつかれたような表情になった後、「参った」とばかりに笑みを浮かべた。そこへ、山神が割り込み、口を挟む。


「知ってどうする?」

「まあ、そう言うな。中々の機転ではないか。こうなったのも何かの縁だ、答えてやるのもいいだろう」


 山神に貴人がそう言うと、山神は口を閉ざした。そして、貴人が改めて口を開く。


「名前は言わんが、私は魔人で……そうだな、魔人の中でも上の方の奴だ」


 自己紹介に、青年は半歩後ずさり、剣の柄に手を駆けようとした。が、思い直したのか構えを解いて貴人に正対する。


「どうかしたのか?」

「……魔人にしては、敵意や害意が感じられない。だから、こちらから戦意を見せない方が良いと思った」

「賢明な判断だ。もっとも、私はここでやりあおうとは思わないが」


 互いに戦う気はないとしつつも、青年は緊張感を漂わせた。しばし沈黙が続いた後、やや硬い口調で青年が問いかける。


「ここで何を?」

「そちらから……と言いたいところだが、力試しだろうな、そちらは。私は、旧友と談笑に来たところだ」


 その返答に、青年はいぶかる目を向けたが、貴人はそれを意に介さず平然としている。

 そうしてまた少し静かになった後、目を閉じて黙考していた青年は、意を決した表情になって問いかけた。


「一つ、伺いたい」

「何か?」

「他人を操る魔法について、何かご存じか?」


 すると、貴人はわずかに目を見開いた。だが、言葉には答えず口を閉ざしている。ややあって、彼は言った。


「私は使えない。使える者は知っているが……君は、フラウゼの者か?」

「……そうだ」


 やや間を開けて、青年が認めると、貴人は同情を示すかのような沈痛な面持ちになっていく。


「我々も一枚岩ではない。ああいうやり口を好ましく思わないところではあるが……協力は難しいな」

「……そうか。気遣いだけでも、ありがたく思う」

「……君は、”彼女”を取り返すために、ここまで来て、何かしているというのか?」

「ああ」

「見上げた奴だ」


 そう言って、貴人は心底感服したような表情になった。それから、青年に向かって話しかける。


「彼女に逃げられては困るだろう。できる限りあの場に留まれるよう、それとなく手を回してやろう」

「いいのか?」

「私としても、思うところはあるのでな。だが、私にできる手助けはその程度だ」


 それだけ言い残すと、貴人は赤いマナで魔法陣を刻み――それを赤紫に染め上げていく。そうして、いずこかへ通じる門ができ上がると、貴人は青年に顔を向け、言った。


「息災でな。いずれ会うこともあるだろう」


 それだけ言い残し、貴人は門をくぐって姿を消した。


 そうして二人だけになった。青年にしてみれば、本来の目的としていた相手である。しかし、思わぬ出会いに戸惑ったのか、彼は少し考え込んだ。いくらか間が開いてから、青年は山神に話しかけた。


「一つ、お尋ねしたい」

「何だ」

「あなたも魔人なのか?」

「どうしてそう思う?」

「あの魔人の旧友という話だから、そう思った」


 すると、山神はやや間を置いて問いかけた。


「人と魔人の間に、友好はありえないと?」

「……そうは言っていない」


 少なくとも、青年の知る限りでは、一人だけ人間と友好的に振る舞える魔人がいる。その彼と言葉を交わした時のことを思い、青年は少し表情を曇らせた。

 言葉が切れ、また静かになってから少して、青年は尋ねた。


「山神様は、こちらで何を?」

「……竜を作ってやっている」


 そう答えた山神は、懐から金色に光る硬貨を取り出した。その硬貨を中心に赤いマナが回り、いくつかの円になっていく。

 そして、山神は硬貨を指で強く弾いた。宙へ舞い上がった硬貨は高速で回転し、湖から湧き出る赤い粒子が、硬貨の方へと引き寄せられていく。

 周囲のマナが集まる一方、最初に硬貨を取り囲んでいた赤いマナは、外側へ急速に広がった。それらは竜をかたどる輪郭線になり、集合するマナは中身の肉へと変じていく。


 見る見るうちにマナが形を成していき、やがて竜が一体完成した。それは静かに着地すると、まるで山神にお辞儀をするように頭を下げ、大空へと飛翔していく。

 この一連の流れを、声もなく見ていた青年は、竜を見送ってから山神に問いかけた。


「何のために、竜を?」

「倒したがる連中のためだ」


 それはつまり、あのロッジにいる人間のためということだ。意外な返答に、やや呆然とした青年に対し、山神は言葉を続けていく。


「誰のためでもなく、何に役立てるでもなく、ただ力を求める者がいる。そういった者たちのために、私は竜を用意してやっている」

「何のために?」

「……さてな。人の身でどこまでやれるのか、見届けたいだけなのかもしれん。あるいは、彼ら求道者の無垢さ、ひたむきさに惹かれているのか……お前は、違うようだが」


 最後に付け足された言葉に冷たさを感じた青年だが、言葉を返すことはなかった。少し間を置き、山神は言った。


「お前の目的が何であれ、山はお前を拒みはしない。ただ、お前を試すだけだ」

「……わかりました」


 そう言って頭を下げ、青年はその場を立ち去った。

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