第466話 「腕試し」
シュタッド自治領から北へ進んだところにあるスイニーズ山脈は、歴史上いずれの時点でも領地化されなかった秘境である。人を阻むように地形は険しく、山脈の中央部上空では竜が空を徘徊し、侵入者を付け狙っているという。だが、近寄らなければ危害を加えられることはない、とも。
そういった種々の理由から、山脈は人の手がほとんど加えられないまま、今に至る。だが、国家が目を向けずとも、そこに用がある人間というものはある。
山脈のお膝元である広大な高原は、目の前に比較的なだらかだが雄大な山、その奥には刀剣類を思わせるほどに険しい高峰を臨む、まさに玄関口といったロケーションにある。
その高原に、かなり大きなロッジが一件ある。ほぼ手つかずの自然の中に、ぽつんと建っているその建物は、武芸者にとっては一種の聖地である。というのも、より強い敵を求めてたどり着く、一つの終着駅だからだ。
10月のある日。名もなきそのロッジに、一人の新客が訪れた。ここの客には珍しく、年若い。彼は無骨なドアに手をかけ、開けて中へ踏み入った。
すると、中には何人かの男たちが、それぞれ一人でテーブルについていた。新たな客を歓迎しようという気配はない。かといって排斥しようというわけでもなく、わずかに興味を示した後、すぐに彼を気に留めなくなった。
そんな既存の客たちの様子を見てから、彼は横手にあるカウンターに目を向けた。そこにいるのは、飾り気のまるでないロッジに大変似つかわしい、無愛想な中年男性だ。無言で視線をよこしてくる彼に、新客の青年は近づいていく。
「あなたが、こちらの主人ですか?」
「そうだ。お前さんは?」
「こちらで世話になろうかと」
青年が答えると、宿の主人は軽く鼻を鳴らした。
「部屋は空いている。後で案内させるから、好きなのを選べ」
「代金は?」
「滞在中、魔獣を倒して得た硬貨があれば、それを半分もらっている。まぁ、自己申告だがな。それと、客がくたばったら荷物一式もらっている。それが嫌なら帰るんだな」
「わかりました」
部屋を案内してもらう前から、青年は仏頂面の主人に軽く頭を下げた。その態度に、主人はやや面食らったようだ。少しの間、彼は真顔になった。
その後、主人が「フン」と言うと、カウンターに若い女性が近づいてきた。やや殺伐とした感のある、この室内の空気に反し、彼女は物腰柔らかな態度だ。「ご案内します」と彼女が言うと、青年は「はい」と応じた。
短いやり取りの後、言葉は続くことなく、女性は青年を連れて進んだ。エントランスは食堂を兼ねており、他の共用スペースも一階に集中しているようだ。宿泊客の個室は二階にあり、細い廊下にやや小さい個室が並んでいる。
「好きな部屋を選べ」という話ではあったが、青年の目にはいずれの部屋も変わりないように見えた。実際、部屋の作りは同じで、据え付けの家具も同じ。一人用のベッドに引き出しがない机、イスと小さな棚という、かなり質素な部屋だ。
ただ、窓から見る山々は壮麗で、生半可な調度品よりはよほど目を奪う。部屋選びの途中、思わず見とれてしまった青年は、照れ隠し気味にそっけなく「ここにします」と言った。
「かしこまりました。鍵をお渡しします。では」
丁寧ではあるが、かなり淡白な感じで応対し、従業員の女性は立ち去った。
部屋に一人になった後、青年はベッドに寝転んだ。部屋は飾り気がなく最小限のものしかないようだが、寝床は見た目以上に柔らかで、温かい。
ベッドに身を預け、安らぎを覚えた青年だったが、少ししてから彼は跳ね起きた。別に、レジャーのためにここまで来たわけではないのだ。
階下まで降りた彼は、ロッジを出ようとドアに手をかけ――背後から男性に呼び止められた。
「今から出るのか?」
「……ええ、まぁ」
「そうか。ついていこう」
そう言うなり、男性は立ち上がった。年は40前後といったところか。引き締まった体型で長身の彼は、腰と背にそれぞれ剣を携えている。
同行の申し出を受け、青年はとりあえず返事を保留した。まず、静かに周囲の反応をうかがうが、他の客も宿の主人も、特に気に留めた様子はない。
ただ、青年が「お願いします」と答えると、他の面々は少し驚いた。申し出た本人も。
「何か?」
「いや、何でもない」
急に驚かれ、
すでに秋を迎えたこともあり、高原はかなり肌寒い。加えて、今日は晴れ渡っているものの、風が強い。目に見えて雲の流れが速いほどだ。吹き付ける強風に、青年は体を少し震わせた。
一方、同行者の男性は、この程度の気候には慣れてしまっているようだ。寒々しい風を体に受けても、平然と立っている。
そんな頼りになる同行者は、青年に対してあれこれ指図をしようという気配がない。「危なくなったら助言する」とのことだ。そのため、青年が先に歩き、同行者が後に続くという形で、二人は眼前の山を登り始めた。
この山脈に来る、物好きな人間はあまりない。やってきた人間が抱える事情や背景は様々だが、目的はほとんど共通している――竜退治だ。山々の上を徘徊する竜を倒さんがため、彼らはこの地へと足を運んでいる。
それは、青年も例外ではない。彼は晴れ渡った空に目を向けた。高い峰々の上で縄張りを誇示するかのように、巨大な竜が旋回している。
この山についての伝承によれば、山の頂に足を踏み入れると、侵入者を排除せんとして竜が向かってくるのだという。実際、高原にある大きなロッジが無事であることを考えれば、伝承は真実の一片を伝えているのだろう。
二人は無言で山を登った。ロッジに一番近い山は、傾斜が比較的なだらかで、登りやすくはある。高原の高度までしか木は生育できないようで、岩がちな山だ。時折、小石に足を奪われそうになりながらも、青年は山頂へ向かって進んだ。
そして、登り始めて数十分、二人は山頂についた。山頂部は縁が一番高く、内側は少し凹んだお盆のような形になっている。広い円形のお盆は、もしかすると、山の主に捧ぐ皿なのかもしれない。
二人が足を踏み入れると、程なくして山の主が蒼空から飛来してきた――大きい。それに、青年がクリーガで見たことがある翼竜とは違い、それは四肢を有している。つまり、地に降り立てるということだ。
竜の接近を認め、同行者は青年に短く助言を入れた。
「首の動きに注意した方がいい。着地する前に、まずは火を吹いてくる事が多い。また、ブレスは薙ぎ払うように来る。向きをよく見極めるんだ」
「わかりました」
「それと、着地の際は地面が揺れる。足を取られないように注意するんだ」
「はい」
淡々と落ち着いた口調で告げられる助言に、青年も冷静さを保って言葉を返した。
そして、その攻撃がやってきた。竜は長い首を一度持ち上げ、そこから首を振り回すように動かしつつ、燃え盛る火の吐息を放った。地を舐めるような火炎放射が、山頂の盆を両断する。
初撃に対し、二人は機敏に応じて回避した。ブレスに対し、二手に分かれる形で移動、竜を挟み撃ちする格好に。
すると、同行者が竜に向けて魔法を放った。黄色の
その後、竜は地に降り立った。勢いをつけた急降下に、山頂の地面は軽く波打つように隆起し、小石や小岩が地面で踊る。
竜は、この急降下において、やや
三者が同じ土俵に立ってすぐ、同行者は竜の背に魔法を浴びせかけた。動きを注視しつつ、巻き添えを避けるためにやや上方へ
しかし、衝撃に巨体が少し揺れるが、生半可な魔獣ではない。いずれの砲火も致命打には程遠く、時折片手間のように繰り出される竜尾の薙ぎ払いを避けつつ、同行者は小さく舌打ちをした。
一方、竜と対峙する青年は、剣を抜いていた。振りの速度を重視した作りなのか、刃は薄手で、少し頼りない。対する竜の豪腕の前には、折れてしまわないかと不安を覚えるほどだ。
剣を中段に構える青年に対し、竜は左の前腕を振りかぶって叩きつけた。さすがに体が大きいだけあって、さほど敏捷な動きではないが――叩きつけに対し、地面が揺れて足場の安定を奪う。山頂を埋める岩と石は、こうして竜に砕かれ続けてきたのだろう。
左腕による攻撃は避けたものの、すかさず回避方向へと竜は火を吐き出した。長く吐いた火炎放射とは違い、今度のものは弾速がある火球である。
青年は、これも足さばきで回避したが、着弾した火球は地面で炸裂し、周囲の石を弾き飛ばした。石の色は赤く染まり、一部は青年に向かって襲いかかる。フットワークと剣でそれをいなすと、今度はまた竜が腕を振り上げ、叩きつけの体勢に入る。
戦闘が始まって数分が経過した。二人とも、特に負傷はしていない。当事者二人は、お互いに悲鳴を聞いていないから、大丈夫だろうと判断しているにすぎないが。
竜の背を襲い続けた同行者は、青年が囮役になっている状況を考慮し、様子見を継続しつつ攻勢を強めていった。より強い痛手を負わせれば、自身へと注意が向くであろうと考えてのことである。彼は魔法での攻撃から、剣での攻撃に切り替えた。
青年が対峙している竜の表側は、カウンター気味に剣を当てられれば、腕に対して有効打を与えられる。
一方、竜の背の方は動きが大雑把で、しかしより強靭だ。技巧勝負で上手を取れる可能性が高い表側に対し、力比べになりやすい背中側は人間の力では打ち崩すのが厳しい。厚い鱗に阻まれ、急所を狙うのも困難だ――そもそも、急所があるのかどうか、知れたものではないが。さらに、力押しで倒そうと力みすぎれば、時折やってくる竜の尾に蹴散らされかねない。
そんなリスクのある、竜の背への近接攻撃だが、同行者は慣れた動きで間合いを詰めた。腰から剣を抜いた彼は、
さすがにこれは効いたようで、竜は長い首を振り回して、耳をつんざくような怒声を上げた。しかし、長い首を持ってしても、自身の後ろに取り付いた人間を狙うことはできないようだ。当たり散らすように火球を放つも、それはどこか遠くの地面で煙を上げただけだ。
先に突き刺した剣を足がかりに、同行者は次なる一撃を加えんとして、背中の剣を抜き放ち――竜の隙を見て、青年の方をうかがった。
青年の方は、予想通りに無事であった。竜の前腕両方から、かすかにマナが漏れ出ている辺り、攻撃には十分対応できているのだろう。火球と打撃で荒らされたと見える地面は、石が熱を帯びたようにところどころ赤い。それは竜の攻撃の激しさを物語るものではあるが、それでも青年に負傷はないようだ。
相方の無事を確認した同行者は、わずかに笑みを浮かべ、自身の身長ほどもある剣を力任せに振って、竜の翼に叩きつけた。これで倒せるようなものではないが、かなりの一撃ではある。竜の巨体は目に見えてよろめき、傷口からは赤いマナが吹き出る。
しかし、一撃を入れた彼は、手応えに違和感を覚えたのか、やや
彼が打って出てからものの数分もしないうちに、竜は断末魔の絶叫を上げ、その巨体を地に沈めた。巨体を受け止め、地面が揺れる。
それから、竜の体は淡い赤色の霞へと変じていき、それが空気に混ざって消えると、最後には金色の硬貨だけが残った。それを同行者は掴み上げ、青年に軽く投げ渡す。
「君の分だ」
「あ、ありがとうございます」
「……一つ、聞いていいか?」
「何か?」
訪ねた同行者だが、言葉を探しているのか少し間を置き、結局は端的に問いかける。
「何か、特別なことをしたか?」
「というと?」
「いや、普段よりも早く倒せたからな。経験上、もう少しかかるものと思っていたが」
同行者の発言に対し、青年は少し陰のある表情になっていく。
「すみませんが……」
「いや、言えないならいいんだ。”ここ”に居る人間は、訳ありも多いからな」
そうして用は済んだとばかりに、彼は下山しようと足を向ける。すると、彼に向かって青年は頭を下げた。
「ありがとうございました」
「……ここに来るにしては、礼儀正しい奴だな、君は」
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