第465話 「追跡者」

 9月24日10時。リッツが世話になっている宿「西風亭」に、二人の客がやってきた。王都ギルドの半公認広報であるメルと、かつての魔法庁長官ウィルだ。

 宿を切り盛りするルディウスとリリノーラは、客の二人に面識はない。そこで、ウィルは宰相府からの命で訪問した旨を伝えた。途端に、宿側の二人の顔が曇る。口を開いたのはルディウスだ。


「もしかして、リッツさんの件で」

「はい」


 ウィルが短く答えると、宿の兄妹は一層強い当惑を示した。


「長期間ここを出るということでしたが、彼の身に何か?」

「それがですね……少し込み入った話なのですが」


 心配そうに問いかけるルディウスに対し、ウィルは少し間を持たせてから問いに答えていく。


「宰相府からギルドへ依頼が出ておりまして、その関係で彼は単独行動をとっています。そちらにつきましてはご心配なく」

「では、ご訪問の目的は?」

「そうですね……お恥ずかしい話ですが、当方管理下にある書類の一部が、所在知れずになっておりまして。もしかしたら、彼に貸し出したまま、居室に置きっぱなしなのではないかと」


 そこまでウィルが話すと、合点がいったルディウスは少しだけ表情を柔らかくした。


「つまり、彼の部屋に立ち入りたいと、そういうことでしょうか」

「はい。家探しになりますから、宿のご主人にご承認をいただきたく」


 さすがに、宰相府からの遣いとなれば、断るのは難しい。とはいえ、書類の扱いのルーズさと、それを回収するための手際はどこか釣り合わないところがある。そこに、ルディウスはやや疑問を抱いたものの、結局は客の要求に従うことにした。

 宿の二人は、客人をリッツの部屋の前まで案内した。いざ、ドアを開けようというタイミングで、これまで静かにしていたメルが話しかける。


「リッツさんが出発してから、ここに入られましたか?」

「いえ……掃除は結構、そのままにしてほしい、とのことでしたから」


 リリノーラの返答に、メルは「わかりました」と落ち着いた口調で返した。

 気を取り直し、ルディウスが合鍵で部屋を開けると、部屋の中はずいぶんときれいに片付いていた。もともと私物を持ち込まないのか、小さな本棚に本がみっちり並んでいる以外は、かなりさっぱりした部屋だ。

 ドアが開いてすぐ、部屋中に視線を走らせたウィルは、宿の二人に申し訳無さそうな表情で話しかける。


「部外者には見せられない書類ですので……万一目に入ると、面倒な手続きが必要になりますし」

「では、私たちはここで外した方が?」

「助かります」


 そう言ってウィルが頭を下げると、宿の二人は顔を見合わせた後、ドアから少し離れた。荒っぽい捜査をすれば、すぐ耳に入る距離だ。彼らの理解に改めて頭を下げてから、ウィルが部屋に入り、それにメルが続く。


 そうして家探しが始まったが、探すものはすぐに見つかったようだ。机の上に閉じてある日記帳に、手袋を装着したウィルが手を伸ばす。

 他人の日記を勝手に覗くというのは、かなりのプライバシー侵害だが、ウィルは日記を逆側からめくり始めた。つまり、最後に何を書いたか、それを探ろうというわけである。

 すると、日記は数ページ分まとめて破られた箇所があった。そこから数枚隔て、普通の日記が書かれている。その普通の記述と、その日付を一瞥いちべつすると、ウィルは哀しそうな表情になった。


 しかし、彼はすぐに気を取り直し、メルに目配せしてうなずいた。その後、彼は日記を閉じてカバンにしまい込み、それを確認してからメルは宿の二人に声をかけた。


「回収終わりました。ご協力ありがとうございます」

「そ、そうですか……早かったですね」

「わかりやすい場所にありましたから」


 そう答えるメルの表情は、微笑んでいるが、普段よりはかなり硬い。それから、客人の二人は再度、協力への感謝を口にし、すぐに宿を退去した。


 宿を出ると、さっそくメルが口を開いた。


「騙したみたいで、申し訳ないですね」

「状況が状況だから、仕方ないさ。一応、そういう命令が出ているのは本当だしね」

「それはそうですけど」


 さっぱりした様子のウィルとは違い、少し煮え切らない感じのメルは、短い会話の後、口を閉ざした。

 そうして二人が向かったのは、王都魔法庁である。二人とも、魔法庁には縁が深い人物であり、敷地内に入ってすれ違うだけで、自然と人の目が集まってくる。それをやや困り気味に受け止めつつ、二人は庁舎内を進んでいく。

 二人は長い廊下を歩き、人が少ない区画に入り、長い階段を下った。下層に下ると、壁の素材は工廠や転移門管理所で用いられるものに近づいていく。白くなめらかで、自然界には存在しないような無機的なものだ。

 明らかに雰囲気が変わったことに、メルは固唾を呑んだ。一方、先導するウィルは、あくまで平然としている。後ろを振り向くことなく、彼は淡々とした調子で前へ進んでいく。


 そして、二人はとある部屋にたどり着いた。魔法庁でもごく一部のものしか知らないその部屋は、隔離室と呼ばれている。魔法を使えないはずの王都内で、唯一魔法を使える部屋だ。

 二人は部屋の中に入った。薄暗い外の廊下同様、部屋の中も無機的な素材で囲まれており、その素材自体が放つ淡い光が照明代わりとなっている。部屋の中は肌寒く、そして神秘的だ。その異様な空気に、メルはわずかに体を震わせる。

 しかし、ウィルは慣れた感じで部屋の中央へ進んでいく。部屋の中央にあるのは、譜面台のようなものだ。本を置いて広げるにはちょうどいいそれに、ウィルは回収した日記を置いて広げた。破られたページ付近が中央になるように。


 本の準備が整うと、ウィルは傍らのメルに話しかけた。


「言うまでもないとは思うけど、ここで見聞きしたことは公言しないように」

「承知しています」

「まぁ、僕は疑ってはいないけどね。一応、こういうお仕事だからさ」


 そう言って苦笑いするウィルに、メルも苦笑いで応じた。しかしすぐ、ウィルは真剣そのものの表情になり、日記に向けて両手を構えた。いよいよだ。彼の魔法を待つメルは、生唾を飲み込んだ。

 すると、ウィルは日記を中心として、藍色のマナで染めた魔法陣を展開した。幾重にも円が重なり、複雑な幾何模様が絡み合うそれは、一通りの記述が完了したところで高速回転を始めた。魔法陣を構成する円が、それぞれ別方向へ回転し、日記を中心とした藍色の球体になっていく。

 反応が始まってほんの数秒で、回転は終了した。藍色の球体の表面は、幾何模様と不可解な文字の羅列並ぶ水面のようになっている。


 球体ができ上がると、ウィルは深く呼吸を始めた。こめかみから汗が一筋流れ落ちる。彼が極めて高位の術者であるということは、メルもすでに把握している。その彼に対し、これほどまでに負荷をかける魔法ということなのだろう。メルは興味よりも緊張を覚え、球体に臨んだ。

 それから、ウィルは両手を球体にかざしたまま、目を閉じた。すると、球体表面に浮かぶ模様と文字が波打ち始め――日記に、失われたページが現れた。

 しかし、メルは目を凝らしてページを確認し、ウィルに言った。


「白紙です」

「あ~、もうちょっと、“こっちへ”進めるね」


 答えてから再び深く呼吸をし、ウィルは球体を操った。日記のページが、ほんのかすかに波打つ。やがて、白紙だったページに文字が現れた。


「文字が出ました!」

「了解。読める?」


 問いかけに、メルは目を細くして文字を追う。


「……なんとか。これ、めくりにいくとマズいですよね?」


 魔法の負荷感と戦い続けるウィルも、メルの物分りの良さには微笑みを浮かべた。


「この魔法について、説明は避けたいんだけど……中の物体には干渉できないって思ってほしいな」

「わかりました。ここから読みます」


 知らない魔法に目がないメルだが、このときばかりは任務を優先した。彼が普段使うよりは大きめのメモを取り出し、鋭い目で日記を見つめては内容を書き写してく。


 やがて、一ページ書き終え、メルは言った。


「できました」

「了解。じゃ、魔法を解くよ」


 そう言うなり、ウィルはフッと体の力が抜けた感じになり、同時に藍色の球体はマナの霞へと変じた。球体の中央にあった日記は、ここに来たとき同様、ページが破られたままである。

 しかし、破られたページの代わりとなるものが、今は手元にある。メルが書き写したメモに、二人は揃って視線を落とした。


「……これは」

「予定表でしょうか?」


 無我夢中で模写したページは、二人の目にはToDoリストのように映った。箇条書きの各事項が、矢印でつながれているためである。

 ただ、その各事項というのが、かなり剣呑だ。魔獣、魔人、人体実験……そういった物々しい単語が、そっけなく使われている。本当に、自分の思考をまとめるための端書きという感じだ。

 しかし、その程度の情報でも、彼の足取りを追うには必要な情報である。メモをひと通り見た後、メルは一度目を閉じて考え込み、口を開いた。


「シュタッドが怪しいですね」

「……君も、そう思う?」

「魔獣や魔人相手の検証も大変でしょうけど、人体実験っていうのが一番のネックでしょうから……足がつかないようにするなら、あの自治領みたいな無法地帯ぐらいしか候補がないと思います」

「それに、近場だしね」

「とりあえず、関所に当たります。素直に通過しているとも思えませんが……」


 そう言ってから、メルは目を閉じて少し渋面になった。ややあって、彼はウィルに向かって問いかける。


「別のページ、どうにか見られませんか?」

「いや、難しいね……初期状態次第なんだけど、こういう日記みたいな形状だと、たぶん結果が収束すると思う」


 ややはぐらかすよう、あえて噛み砕かない専門用語で答えたウィルだが、メルはある程度理解できたようだ。「わかりました」と彼は答えた。


「とりあえず、これで探しに行きます」

「頼むよ。追加情報があれば連絡するから」


 それから、二人は隔離室を後にし、長い階段と廊下を進んだ。その途中、ウィルがぼやくように声を発した。


「これで見つかればいいんだけど」

「どうでしょうね。あまり目立たないように気を配っていそうですけど……」

「それもそうか。敵方にバレたら元も子もないし……面倒だね」

「ですね」


 姿を消した友人の事を思い、二人は困ったような笑みを浮かべた。そして、ウィルが「でも……」と口を開く。


「でも?」

「彼がこんな時におとなしくしてる奴だったら、そもそも僕らが動いてまで探しに行くほどの魔法使いには、きっとならなかったと思う」

「……そうですね。僕も、そう思います」



 その頃、シュタッド自治領内のとある山のふもとにて。大きなくしゃみをしたリッツに、協同生活中のこどもたちは「大丈夫?」と声をかけた。


「……最近、寒くなったからな」

「そうだね」

「体には気をつけろよ。実験台にした俺が言う言葉でもないけど……」


 そう言う彼に対し、少年少女六人は信頼の目を向けた。魔人エリックに襲われ、撃退し、彼を弔ってからというもの、六人はリッツを強く信頼するようになっていた。当初は反発してばかりだったウェイドもだ。彼は心配そうな表情でリッツに問いかける。


「リッツさん、もう行くのか?」

「ああ。やらなきゃいけないことが、いくらでもあるからな」

「そうか」


 仲間たちの手前、露骨に残念がることはしないが、それでも彼はやや名残惜しそうにした。

 今日は別れの日だ。結局、彼の実験台になった魔法使い二人は、疲労感以外の症状を示すことなく試験をやり遂げた。後になって何らかの症状が出る可能性が無いではない、リッツもそれは認めるところではあったが、とりあえずは大丈夫そうである。

 実験が当初心配したほどの深刻なものにならなかったこと、対して金払いは六人にとって相当な金額であったことを踏まえれば、リッツは金払いのいい雇い主であった。加えて、心情面においてはそれ以上のものだったのだろう。ウェイド以外の五人は、口に出さずとも目で慰留を訴えた。

 すると、リッツは目を閉じ、少し考え込んでから硬貨が入った袋を取り出し、ウェイドに差し出した。


「ほれ、隠れ家なくなって入り用だろ。いつまでもテント暮らしってわけにもいかないだろうし」

「いや……だからって、何もしてないのに受け取れるかよ」

「じゃあ、貸してやるから、そのうち返してくれ。そうだな……これが三倍くらいになったら、その時は半分もらってやるよ」


 リッツの申し出に、ウェイドは考え込んだ。六人が静かに見守る中、彼は瞑目し……最終的に、袋を受け取った。


「何か、まっとうな仕事につくために、このお金を使わせてもらうよ」

「わかってるじゃないか」


 それだけ言うと、リッツは六人に手を振り、背を向けて歩き始めた。

 しかし、少ししてから、彼を呼び止めるようにウェイドが話しかける。


「リッツさんは、これから何をするつもりなんだ!?」

「……また会えたら、その時教えてやるよ!」

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