第462話 「対アイリス・フォークリッジ戦線②」

 共和国軍本陣にアシュフォード侯爵が到着して二日後の朝。本陣へ駆けこんだ伝令が急報を伝えた。「標的を確認!」との報に、本陣詰めの将官のみならず、兵の多くもざわめき立つ。

 彼によれば、敵の戦列中央に一人浮く形で標的が出ており、他の魔人や魔獣は遠巻きに並んでいるのだという。アイリス――もとい、カナリア――は単騎で来るという軍中枢の見立ては、今のところ当たっているようだ。

 その見立ての正確さを、大勢の兵が称えた。推測が当たった程度で事態が解決するわけではないが、こうして士気を維持することは重要である。


 そうしてにわかに陣中が沸き立つのを、侯爵は本陣中央の幕舎で聞いていた。

 じきに出番が来る――いかなる時も冷静さを崩さない彼も、自身が帯びた使命を思い、硬い表情で拳を握る。そして「では、出撃する」と彼が言うと、陣中に残る将官たちは立礼をして彼を見送った。


 前線へ向かって陣中を駆けながら、彼は今後の動きについて思いを巡らせた。

 将軍であるメリルは、すでに前線のすぐ後方まで出ている。彼女の指揮の元、各銃士隊が連動し、敵戦列を構成する魔人と魔獣を相手取るというのがこの戦闘の基本だ。

 そして、侯爵は大勢が――おそらく、魔人たちでさえも――見守る中、一騎打ちに臨む。

 この一騎打ちに際し、魔人側の加勢はないだろうというのが、大方の見解である。

 というのも、一騎打ちに応じる相手を討たんがためにアイリスまで誤射したのでは、あまりにももったいないからだ。魔人側からしてみれば、せっかく奪った貴族がたった一人の貴族と道連れというのでは、全く割に合わないだろう。貴族が操られた事実が、人間社会全体に及ぼし得る影響を加味すれば、なおさらである。

 おそらく、魔人側は一騎打ちに介入しない。一方、共和国軍も手出しはできない。精密射撃を武器とする銃士隊も、さすがに一騎打ちの場に介入するのは、不可能と言っていい。まかり間違ってアイリスを射殺しでもすれば……というわけだ。

 そんな中で、初めて一騎打ちに応じる侯爵の役目は、打開につながる何かを掴むことである。決着をつける必要はないが、殺さず手合わせしつつ敵について把握するというのは、言うほどに容易なことではない。


 果たしてどうなるものか……黙して考えを巡らせていると、彼を呼び止める声が。「ケヴィン」と、彼の名を呼ぶ者は、陣の外においてもそうはいない。ましてや、この陣中であれば、相手は自明であった。

 声の方に振り向くと、侯爵の予想通り、スペンサー卿が立っていた。「何か用か?」と尋ねる侯爵に、卿は少しためらってから答える。


「僕も、前線に行くよ」

「まさかとは思うが、加勢しようというのか?」

「いや、足手まといになるから、そんなことはできないけど……でも、見届けるぐらいは」


 友人の言葉に、侯爵は黙考した。気弱で穏やかな友人が、今はためらいながらも明確に意思表示している。それを認めた侯爵は、友人に問いかける。


「隊長の許可は得たのか?」

「もちろん」

「そうか。いいだろう、一緒に行こうか」


 同行を認めた侯爵に、スペンサー卿はうなずき、二人は前線へ駆け出した。


 二人が前線近くにまでつくと、辺りはいきり立つような怒気に包まれていた。しかし、交戦状態にあるわけではない。左右に広がったいずれの戦列も、当初の配置についたままだ。この雰囲気の意味を、侯爵は即座に悟った。


「挑発だな」

「挑発?」

「こちらが出るに出られないのを把握した上で、彼女の声で口汚く煽ってきているのだろう」


 辺りを包む熱気とは裏腹に、侯爵は冷淡な口調で言った。


 実際、両軍最前線の中央は、彼が言った通りの状況となっていた。かなりの距離を開けてにらみ合う両軍の戦列の中間あたりに、一人突出した少女が、聞き覚えのある声で挑発を繰り返している。


「ねえ、どうして攻めてこないの? 私のことが怖いの? あなたたち、お股のタマタマ、ママのおなかの中に忘れてきちゃったの?」


 挑発に続き、後方に控える魔人たちが、品のない笑い声を上げて喝采する。それでもなお、戦列を乱さずに耐え忍ぶ銃士隊に、侯爵はねぎらいの声をかけた。


「よく耐えたな、諸君」

「アシュフォード侯!」

「……先に言っておくが、この一戦だけでけりがつくとは思わぬように。耐え続けるのが諸君らの任務だ」

「はっ!」


 場を預かる部隊長に話しかけた後、侯爵は友人をその場において一騎打ちの場へ歩き出した。


 草を踏みしめながら、侯爵は進んだ。いつしか挑発もバカ騒ぎも静まり返り、風が草を揺らす音が寂しげに響く。その異様な静けさに、侯爵はやや現実味が薄れるような感覚を覚えた。

 そもそも、魔人たちがおとなしく観戦するつもりでいるように見えるというのが、異常である。間違いなく、人の世のあり方に関わり得る戦いでありながら、戦うのは主に二人だけ。それを再認識しつつも、侯爵は立ち止まることなく敢然と進む。


 やがて、侯爵が果たし合いの場に立つと、少女は口を開いた。


「見て見て! この子、とてもダサい服着てたから、とっておきをあつらえてあげたの! 似合うでしょ~?」


 そう言って彼女は、その場でくるりと回って見せた。貴族が戦闘に用いる装束に、ナイトドレスを組み合わせたような黒い服は、多用したレースから素肌がのぞき、見目麗しくも悩ましい。

 しかし、侯爵は大して感銘を受けた様子も見せず、淡々とした口調で言った。


「中身が変わるだけで、こうも印象が変わるとはな……」

「えっ、何? 口説いてるの?」


 口が減らない少女に対し、侯爵は深いため息をつき……紫のボルトを放った。少女の頬の横ギリギリを飛んだそれは、彼女の後方の地面をえぐった。

「えっ、何? もうヤっちゃうの?」と人を喰ったような笑みを浮かべる少女に対し、侯爵は意に介することなく矢を撃ち続ける。矢はいずれも牽制だ。体をかすめていく程度の狙いである。


 こうして侯爵が口火を切り、戦闘が静かに始まった。彼の連射に対し、少女は防御用の魔法を一切使わない。光盾シールドも、泡膜バブルコートも、だ。わざと外れるように撃っていると気づいているのだろう。

 そして彼女は、やや狙いが外れた矢にわざと近づき、すんでのところでかわしてみせた。「ねぇ、ねぇ、ビックリした?」と、人懐っこい笑みを浮かべている。

 すると、侯爵はニコリともせず、矢を放った――少女の体の正中へ。急にまともな攻撃が来たことで、少女は泡を食って大きく飛び退く。

 しかし、その後退に合わせ、今度は逆さ傘インレインが飛ぶ。やや姿勢を崩しかけたところに飛散する矢の雨はかわしきれるものではなく、少女は赤紫の光盾を張って難を逃れた。

 それからも、侯爵は表情を変えずに攻勢を続けた。魔力の矢マナボルト紫電の矢ライトニングボルト、逆さ傘に追光線チェイスレイ――紫のマナが乱舞する攻撃に、いつしか少女は笑みを失ってまともに応戦を始めた。


 侯爵は最初から、過度に手加減する気はなかった。“アイリス”の体を激しく損壊させる気は毛頭ないが、骨の数本程度であれば許容範囲だろうという考えである。それを表明するようなことはなかったが……。

 このような状況において、取り返しに来た側の対応が腰の引けたものになるであろうということは、魔人側にとっては容易に想像がつくだろう。実際その通りに振る舞い、追い詰められてから反撃に転ずるのでは、相手の思うツボである。そこで侯爵は、心理的なイニシアチブをいくらかでも取り返すため、攻撃を断行した。

 それに、この戦いでは彼女がどれだけ戦闘できるのか、見極める必要がある。貴族の体を操ることで、本来の力をどこまで引き出せるのか? 操れるマナの色は? 何か行動に制約などは?

 そういった諸々の事項を確かめるには、相手をいくらかその気にさせる必要がある。その目論見通りに事が運び、一騎打ちはマナによる射撃戦となった。


 当初は防戦一方であった少女が、攻撃に転じ始めたのは、侯爵にとっては幸いであった。攻防両面において、その力を図らねばならないからだ。

 少女は矢を牽制に用いつつ、魔力の火砲マナカノンを多めに用いた。操っているカナリアにしてみれば、侯爵相手に手加減する必要などないからだろう。その魔法の選択自体は正当である。

 問題は……操った体でも、きちんと魔法陣を書けているということだ。これは、アイリスの体の中に彼女の意志がほとんど残っていないか、無力化されているか、あるいは別の理由があって、カナリアの意志による魔法の記述が妨害されていないことを示唆している。そうでなければ、人に向けて火砲カノンを放つことなどできないだろう。

 攻撃されているという事実を認め、侯爵は歯噛みした。たとえ体を取り返したとしても――不穏な予感に、彼は顔を歪める。


 しかし、まずはこの一戦をどうにかしなければならない。高位のマナが惜しげもなく舞い散る戦闘の中で、少女は剣を抜いた。

 それを合図に侯爵も剣を抜くが、好ましい展開ではない。斬られるわけにも、斬るわけにもいかないからだ。いかなる形であれ、事故は全て敵に利する。

 そういった侯爵の考えを、カナリアは当然理解しているのだろう。彼女は矢を何発か放って牽制とした後、剣を中段に構えて猛進した。

 突撃に対し、侯爵は大きく横へ身を動かしながら、剣の構えを崩さずに散弾で応戦した。赤紫の防御膜が切れて守りを失うも、少女はすかさず再展開し、侯爵の動きに追随するように動く。

 そして、剣の間合いに入った。魔法の打ち合いが一瞬だけ沈静化し、代わりに鋭い剣の一撃が繰り出される。体のしなやかさを活かした突きを、侯爵は見事に打ち払い、再び間合いを取った。


 だが、一度食いついた少女は、なかなか侯爵を解放してはくれない。敏捷な動きから繰り出される突きの連撃を、侯爵は剣でさばき続ける。しかし、全てを剣で受けきれるわけでもなく、ごくごく浅いながらも彼は傷を負い始めた。

 そんな中、侯爵は冷静に敵の動きを観察した。使っている剣は金属製で、身が薄く細長い。軽量ながら粘りのある素材を使っているのか、かなりしなりがある刃だ。そのしなりと、使い手の体の性質がマッチしているのだろう。見極めが難しい突きが連続で襲いかかってくる。

 ここで気になるのは、その剣技が誰のものかということだ。この剣術自体は眼を見張るものがあるが、話に聞くアイリスその人の剣技には感じられない。それに、剣を振りながら魔法を撃つこともしない。

 そこで、侯爵は考えた。おそらくこの剣技は、過去に体を操った者から、何らかの方法で盗み取ったものなのだろう。それがたまたま、アイリスの身体能力に適合していたにすぎない、と。

 そして、彼女の体に染み付いた技を、カナリアはまだ十全に操ることはできないのだろう。それができるのであれば、突きの連撃に合わせて魔法で攻撃できるはずだ。

 当然、こういった考察が見当違いの可能性はある。人を操るほどの術者だ、ブラフということもありえるだろう。しかし、侯爵にとっては次につながる重要な見解だ。


 攻撃を受け続けたことで、少しずつ情報を集めていった侯爵は、観察に集中するのをやめ、次の行動に移った。突きを剣で受けつつ、矢を放って反撃を開始した。本当に、剣と魔法を同時に使えないか、試すためである。

 最初の矢は、少女を包む赤紫の泡膜に阻まれ、マナに還っていく。しかし、突きから泡膜の再展開への動きが、侯爵の基準では随分と遅く見えた。

 再び張られた泡膜に合わせて矢を放ちつつ、侯爵は魔人側の戦列にさりげなく視線を向ける。動き出す気配はなく、距離も十分にある――。


 そこで、侯爵は賭けに出た。剣を構えるとワンテンポ遅くなる、少女の防御魔法を矢で打ち崩し、彼は突きを剣で打ち払って自身も前に飛び出した。

 二人の間合いが急に縮まる。少女は近づけまいと突きを放ちつつ後退するが、侯爵は致命傷にならない程度に跳ね除け、負傷しつつも最小限の動きで猛進した。

 そして……彼は少女に組み付き、上から覆いかぶさるようにして地面に倒れ込んだ。剣を握った少女の腕は、自身の体側で抑えて封じつつ、細い首に腕を回して絞め落としにかかる。

「やめてよね、この、サド侯爵……」と、少女は息も絶え絶えに言った。それを意味不明な世迷い言と捉え、侯爵は抑え込みを継続する。


 そうして状況が動くと、一騎打ちを見守っていた両軍から、大きな声が上がった。

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