第461話 「対アイリス・フォークリッジ戦線①」

 アイリスが囚われの身となってから2週間。共和国の戦線に大きな動きは、今のところ生じていない。

 戦闘自体の頻度は継続して高いものの、いずれも小規模な小競り合いだ。魔人が出張って来るということもない。ただ、魔獣ばかりが射殺されるだけの戦いだ。共和国側の被害は少なく済んでおり、それは何よりではある。

 しかし、積極性を見せない敵の攻め手が不穏でもある。情報工作の懸念から、首都とも緊密に連携を取り、防諜体制を敷いているが、そちらの網にかかったということもない。

 多くの兵は戦意を高く保ちつつも、何ら動きを見せずにいる魔人たちの動向に気を揉むばかりであった。


 そうして膠着が続き、9月20日。共和国軍本陣に一人の貴族がやってきた。共和国第一軍に籍を置く、アシュフォード侯爵である。

 本陣の中央にある幕舎へ彼が入り込むと、そこには軍の将官が一堂に会していた。そして、彼を待っていたメリルが先に声を発する。


「ご足労いただく形になり、誠に申し訳ありません」

「いや、貴女が謝ることでもあるまい。この事態については、もっと多くが恥じ入るべきだろうからな」


 侯爵に対し、やや苦手意識がないでもないメリルではあったが、彼が見せた気遣いには少し表情を柔らかくした。

 しかし、彼は決して談笑のために訪れたわけではない。地図が置かれたテーブルに彼がつくと、それだけで場の空気がさらに引き締まる。

 厳粛な空気の中、最初にメリルが状況の説明を始める。侯爵にとっては既知の情報であるが、一応の確認だ。頻発する小競り合いが続くばかりで、大きな動きはない。″アイリス″が姿を現したこともない――そういった状況を難しい顔で聞いていた侯爵は、話が切れるとメリルに尋ねた。


「将軍殿の所見は?」

「ここまでの動きは、兵を疲弊させるための牽制のように思われます。しかし、敵方には転移による機動力がありますから、向こうの緩手に合わせて守りを手薄にすれば、一気に戦線を崩される懸念があります」

「いかに小規模な仕掛けでも、捨て置けんと」

「はい」


 休みなく仕掛けられるというのは、将兵に対する心労を踏まえれば、目に見える戦果以上に問題である。ただでさえ、この戦場には重いものがかかっているのだから。

「兵は、すでに知っているということだが」と、侯爵は尋ねた。アイリスの件についてだ。問いにメリルはうなずき、口を開く。


「双方の動きが不自然なものになれば、早晩露見することは避けられないと判断しましたので。事態発生の翌日には、前線指揮官クラスから通達いたしましたが……」

「それにしては、大きな動揺を見せず、軍としてまとまっている。大したものだ」

「……それだけ、慕われる方でしたから」


 かすかに感傷的な響きを乗せてメリルが言い、侯爵は「そうだな」と答えた。


 王制をやめた影響か、他国と比べて共和国の貴族は気位が高いとされている。一つの王家というわかりやすい支柱を欠くがために、各々が柱石たらんとする心構えをもっているためであろう。

 しかし、そういった自負心は、しばしば民衆に対する圧や溝という形で表出する。”立派だけど、近づきづらい方々“というのが、共和国民が抱く貴族の印象だ。

 そのような中、アイリスは″普通″の貴族とは全く異なる振る舞いをしていた。それらしい気品はある一方、民衆を遠ざけようという圧も溝も彼女は感じさせなかった。それどころか、親しみのある態度で誰とも分け隔てなく接し、実に楽しそうに会話する。

 軍中においても、彼女の親しみやすさは健在であったし、衛生隊での献身ぶりも兵から兵へとすぐ知れ渡っていた。

 それゆえに、彼女を奪還するまで軍を引くまいと、将帥の覚悟に兵も呼応しているというわけだ。この調子であれば、少なくとも早期に士気が崩壊するということはないだろう。


 問題は、敵方からの仕掛けである。「例の術者が出てこない理由は?」と侯爵は尋ねた。その問いかけに、メリルは間を置かず応じる。


「憶測でよろしければ」

「無論」

「では。考えられるのは二つ。精神操作で新しい体に慣れさせるためか、日ごとのコンディションを考慮するなどして、万全の日を選んでいるというもの。もう一つは、焦らして精神的に疲弊させようというものです」

「いずれにせよ、いつかはこちらに仕掛けるという予想が、前提としてあるわけだな」

「はい。奪った身柄を最大限に活用するのであれば、彼女を救い出そうという我々の努力のことごとくを打ち崩すのが一番ですから。そして、それを狙うだけの自信と実力は、おそらくあるものと思われます」

「そして……軍としてはそうして打ち崩されながらも、次につなげ続けようと、そう考えているわけだな?」

「はい」


 奪われたアイリスを即座に取り戻せるわけはない。それは居並ぶ将官の総意であった。

 一方、何度となく犠牲を払おうとも、精神操作への打開策を見つけ出す価値はある。それは、将官のみならず、議会も大いに認めるところであった。他国の中枢も、それを望んでいることだろう。貴族まで操れるという魔人を、決して野放しにはできない。事態の解決までいたぶられることは疑いないが、それでも退くわけにはいかない戦いである。

 この場の軍議に初めて顔を出した侯爵だが、意思統一できている将官一同を見て、やや安堵した表情を見せた。それから、侯爵は今後の動きについて尋ねていく。


「例の術者が出るとして、相手はどのように用いるだろうか?」

「一騎打ちに使うかと。他の兵に混ぜ、巻き込まないようこちらの火勢を和らげるという用法もありえるとは思いますが……」

「そうはしないと?」

「あえて埋没させるようなことはないかと。我々には殺せない駒ですから、多勢でかかるわけにもいきません。そういった我々の心理を把握した上で、単騎で向かってくる可能性が高いかと。そうすれば、たった一騎を相手に、思うように手出しできずにいる構図になりますから……士気にも政治にも大打撃でしょう」


 そこまで言い終えてから、メリルは対面に座る侯爵に頭を下げた。


「大変なお役目をお任せする形になり、申し訳ありません」

「貴女が頭を下げることでもあるまい」


 陳謝するメリルに、侯爵は普段よりも柔らかな口調で応じた。

 彼が呼ばれたのは、"アイリス"が出撃した際、それを迎え撃つためである。半端な戦力を差し向けても犠牲になる可能性が高く、かといって大勢で立ち向かえば、救い出す前に大きく傷つけかねない。

 そこで、犠牲者を出すリスクを抑えつつ、相手の出方をうかがい、あわよくば生け捕りにする――そういった目論見があって、国でも最高レベルの勇士を出そうという決定が下り、侯爵はそのために参上した。彼の双肩に乗ったのは大変な重責であるが、彼は落ち着き払った態度を崩しはしない。


「アイリス嬢は私にとっても知らぬ仲ではない。貴軍の承認を受け、この役目をいただいたことは大変光栄に思う。粉骨砕身の気概で取り組ませていただく所存だ」

「よろしくお願いします」


 そうして顔合わせも兼ねた軍議が終わると、侯爵はすっくと立ちあがった。「では、失礼する。こちらにいるという友人が、少し心配なのでな」と言い残し、彼は衛生隊のテントへ向かった。


 彼がテントへ近づくと、正規隊員の中に溶け込んで活動しているスペンサー卿の姿があった。

 顔を出せば、かえって邪魔になるか――侯爵がそう思ったのも束の間、間が悪いことに士官の一人が彼を見つけ、声をかける。


「侯爵閣下、お会いできて光栄です!」

「……そうか、それはなによりだ」


 静かに立ち去ろうと侯爵は一瞬考えた、それは無理そうである。共和国第一軍の将である彼は、この第三軍において、顔はさほどでもないが、名前は完全に知られている。士官の一言で侯爵の来訪が明るみになり、場がワッと沸き立った。

 そんな中、侯爵はテントの中を素早く確認した。直近の戦闘から時間が経過しているせいか、落ち着いた様子ではある。この程度の賑わいであれば、許容範囲であろう。

 侯爵は内心ホッと安堵し、それから自身を取り囲む兵たちに告げた。


「済まないが、そちらの衛生隊に用がある」

「も、申し訳ございません! そこまで気が付かず!」

「いや、気にすることはない。楽にするといい」

「はっ、はい!」


 楽にせよと言われてもなおガチカチに硬いままの士官に、侯爵はフッと表情を和らげた。

 その後、侯爵がテントに入ると、さすがに外の騒ぎは聞こえたのだろう。処置や作業等がひと段落したらしい隊員が、彼の訪問を整列して迎えた。

 その中には、隊服姿のスペンサー卿も混じっている。候爵は隊の全体に向け「精勤ご苦労である」と言った後、友人に向かって微笑を浮かべ、話しかける。


「君のことは心配していたが、中々似合っているじゃないか」

「まさか……僕なんかが、そんな」

「……認識が甘いな君は。君にはこの衛生隊が、本当の役立たずを置いておけるほど、安易な部隊に思えるのか?」


 すると、スペンサー卿は顔を地に向け、体をわななかせた。


「だけど、僕は……彼女のために、何もできなくて」

「今はここにいない彼女の分まで、君が勤め上げているのだろう?」

「仰るとおりです」


 侯爵の指摘に衛生隊長が神妙な顔つきで同意した。それから、スペンサー卿は声を抑えて涙を流し始め、彼につられて隊員の何人かもすすり泣き始める。

 涙を流す友人に対し、侯爵はそれを咎めはしなかった。代わりに「また会おう」と声をかけ、彼は立ち去った。




 そして、侯爵の到着から二日後、戦況は大きく動き出す。

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