第460話 「棄てられし者たちの森④」
魔人の前に立った青年は、攻撃に移るでもなく、瘴気の中に何かを投げ入れた。次いで、瘴気の上に藍色の魔法陣を刻む。
すると、距離を取って様子を見ていた魔人は、その妙な動きに対して攻撃に移った。普通の魔法使いではないと判断したのだろう。
しかし、彼が立て続けに放った
魔人は間髪入れず、次の行動に移る。彼は瘴気の方に注意を傾けつつ、
しかし、彼が放った火砲が、狙った場所にまで届くことはなかった。間合い中ほどで矢に迎撃された砲弾が爆ぜ、赤紫の霞が立ち込める。
その霞におびえ、こども達が悲鳴を上げた。互いの視界を塞ぐ霞の出現に、ウェイドは顔をしかめる――この人は、俺たちを守らなきゃいけない。自由に動けるわけじゃない。でも、敵は違う。だとしたら、一方的に狙われ、撃たれ続けるだけなんじゃないか、と。もしかすると、魔人側もそういった認識をしていたかもしれない。
しかし……立ち込める霞の中に、青年は魔法陣を三つ刻んだ。瞬時にして現れたそれは、でき上がるや否や高速回転を始め、無数の同心円が重なる円盤になった。
すると、赤紫の霞は円盤の回転に巻き込まれるように飲まれ、円盤の中心から青緑の散弾が幾度も放たれる。そして、霞が消えてなくなる頃には、円盤からの乱射も撃ち止めになった。わずか数秒の出来事である。
その間、矢弾の嵐にさらされた木々は、いくつもの穴を穿たれていた。細身の木などは、互いにもたれかかるようにしながら崩れていく。
とっさの猛襲に対し、魔人は素早く後退して木を盾にしていたようだ。太い幹に身を潜ませた彼は、光盾と
しかし、青年は
一度戦闘が
ウェイドが矢印の方へ顔を向けると、仲間二人を包んでいた赤紫の霞が、いつの間にか晴れ渡っているではないか。この合図の意図を察した彼は、不意に熱くなった目元を拭ってから、声も出さずに二人の元へ這い寄っていく。
瘴気に包まれていた二人は、どうやら無事のようだ。二人とも息は荒いものの、ぎこちなく笑顔を作って見せる程度の余裕がある。
ウェイドは心の底から安堵した。彼の後ろに別の仲間もついてきて、六人がひとところに集まる形になると、彼ら全員をカバーするように青年は動いた。魔人はなおも、木の幹に体を隠したままである。
次に青年は、腰の後ろに隠した左手で、少年少女にジェスチャーをしてみせた。中指と親指で円を作ってみせるそれは、一般的には貨幣を意味している。
しかし、魔法使いの少女はそのジェスチャーの意図に気づいた。青年が、霞の中に何かを投げ入れていた。もしかするとそれかもしれない。
彼女が地面に目を落とすと、それはあっさり見つかった。柔らかな、枝葉のなれの果ての上に、赤紫の光を放つ指輪が落ちている。
少女は固唾を飲んだ。本能的に禍々しさを覚える赤紫の輝きに、身を強張らせる。
しかし、やがて意を決した表情になり、彼女は指輪に手を伸ばした。それから、素早い動きで青年の左手に指輪を渡す。これが必要だろうという考えもあったのだろうし、早く手放したかったという思いもあったのかもしれない。
ひと仕事終えた少女に対し、青年は腰背部に置いたままの左手で、またジェスチャーをした。引き寄せるような指の動きの後、下向きに指をさして見せるそれを、少女は「そこに座れ」と受け取った。
果たしてその通りにすると、青年は後ろに座った少女の頭を軽く撫でた。
依然として魔人は健在である。ペースは青年の手にあると思われるが、六人分のお荷物がある。にも関わらずの、この余裕のあるユーモアに、六人は不思議と顔を綻ばせた。
それから青年は、右手に手袋をはめながら、後ろの六人に声をかけた。
「そろそろ仕掛ける。その場で待機するように」
「わ、わかった」
状況が動くことに、いくばくかの不安を覚えながらも、ウェイドは声を返した。
不安を覚えたのは魔人側も同様であろう。聞こえるように放たれた青年の声に、魔人は息を呑む。
そして、彼は近くの木に青緑の矢が着弾するのを見た。一発、二発……定期的に矢が放たれては、幹に当たって乾いた音が響く。一定間隔で放たれるように思われるこの矢は、誘いのようでもあり、挑発のようでもある。機をうかがおうと、魔人は目を閉じ、息を潜めて集中した。
そして、矢が着弾するリズムに意識を向け――矢が一発着弾した瞬間、彼は幹の影から、矢が飛んで来なかった側へ飛び出した。
しかし、そちら側にはすでに青年が待ち構えていた。手をかざして構える彼は、わずかに宙に浮いている。その青年の横には、青緑の魔法陣が配してある。回転していて読めない魔法陣だが、いずれにせよハメられたのだろう。瞬間的に状況をある程度把握し、魔人は顔を歪めた。
次の瞬間、彼は胸元に鋭い痛みを覚え、膝から崩れ落ちそうになった。そこで、あえてこらえることなく転がり、茂みの中へ身を潜ませる。
瞬時の機転で追撃を防いだものの、彼の顔には驚愕の色が浮かび上がる。赤紫の盾と膜で防御していたというのに、何か攻撃を受けた。彼は痛みがあった胸元を手で探る。出血はない。暗器の
ただ、青年の方は、考える時間を与えてはくれないようだ。茂みの辺りへ、燻り出すように火砲が飛ぶ。本気で森ごと破壊しようという勢いではないが、殺意のこもった煽りのようではある。
魔人は瞑目した。やがて腹を括ると、彼は敏捷な動きで躍り出て戦闘に入った。
待ち構えていた青年は、極めて正確な狙いで守りを崩しに来る。しかし、木々や茂みという遮蔽を用いれば、防御の張り直しは容易であった。また、青年は防衛対象が六人もいるせいか、そちらに意識を割かねばならないようだ。先ほど見せた不可解な散弾の嵐も、今は使ってこない。
思っていたよりはマシな相手だと判断したのだろう。隠れ潜んでいたときよりはずっと落ち着いた様子を取り戻し、魔人は青年と魔法の応酬を繰り広げた。木々の間を縫って側背をうかがおうとし、そこを青年の牽制で阻まれ、こどもを巻き込もうという火砲は手元で迎撃され……魔人は攻めに積極性を見せ、青年はそれを的確にさばいていく。
そして、変化が現れた。幾度目になるかわからない攻防が続いた後、魔人は少しずつ息を荒げていった。
魔法の記述速度も遅くなっている――いや、書けなくなった魔法も、ある。火砲を書こうと試みたとき、それが書きかけで止まってマナに帰り、彼は愕然とした。恐怖が張り付いた顔で何度記述を試みても、結果は同じだ。
そこへ、青年の矢が襲いかかる。矢はあらかじめ張っておいたマナの防御膜に阻まれたが――魔人の顔が青ざめる。彼は失った泡膜を再展開しようと試み……それは失敗した。我を見失い、木の陰に隠れ、何度も何度も記述を試みる。しかし、結果は同じだった。
火砲と泡膜という、攻防の要を失い、魔人は強く取り乱した。一つ考えられるのは、急速にマナを失ったということぐらいだ。だが、今になってなぜ?
彼は困惑した。しかし、悩む時間すら過ぎた贅沢のようだ。足元に青緑の閃光が走った直後、彼は脚に強い激痛を覚えた。そちらを見ると、両脚の膝下が隠れ潜んだ木の幹ごと撃ち抜かれている。
彼は重力に引かれるまま倒れ、地に伏した。少し遅れて木が倒れ、青年と魔人、お互いの姿が見えるようになる。
騎槍の矢を使ったにしては、青年は間合いを取っている。それに、近づいて来ればわかるはずだ。何から何まで理不尽な相手に、彼は怯えつつも悔しそうに歯ぎしりをした。
だが――本当の恐怖は、これからだった。逃げようにも、足を奪われている。再生も間に合わないだろう。せめて一矢報いようと、魔人は倒れた身を揺り動かし、右手を構えて記述に入る。
しかし、その一矢が出てこない。初歩中の初歩たる
一方、青年は追撃するでもなく、冷淡な目で魔人を見つめていた。その視線に身を震わせながらも、魔人は身をよじって体を曲げ、脚の様子に目を向ける。
マナによる極太の槍撃を受けて喪失したその脚は、再生が間に合わないどころの話ではなかった。断面からはごく小さい赤紫の泡が湧いては弾け、白い砂がかすかに崩れ落ちている。
事態を把握しきれず、恐怖に顔を歪める彼に、青年は一見無造作に近づいた。そして、魔人の首根っこを掴んで体の表を地面に向け、押し付ける。それに対し、魔人は一切抵抗できなかった。
それから、青年は静かに問いかけた。
「何が目的だったんだ?」
問いに、魔人は答えない。もはや生存は望むべくもない。ならば、最後の抵抗にと意地を張っているのだろう。彼は先程の恐怖を振り切り、やや捨て鉢な笑みを浮かべた。
そんな彼に、青年はなおも問い続ける。
「一人で動いているのか?」
「……お前らは、こうやって“仕入れ“ているんだな?」
「ここのこどもは、居なくなっても気にかけられないから、ちょうど良かったんだろ?」
「お前も、ここの生まれだったりするのか?」
「そうまでして、かわいそうなおともだちが欲しかったのか?」
「黙れよ」
立て続けに浴びせられた質問に、魔人はやっと答えた。笑みはどこかへ消え、もはや何も抵抗できない身でありながら、顔は怒りに震えている。
「黙れよ! お前に、お前なんかに、何がわかるってんだ!」
「じゃあ、お前は何から何までわかった上で、そういうことをやってたっていうんだな? 自分と同じようなこどもをさらい続け、瘴気で魔人にしてもらってたわけだ」
「黙れよ……」
魔人は声を震わせながら言った。依然として青年を睨みつけながらも、目を潤ませている。再び力なく「黙れよ」と言った彼に、青年は口を開く。
「これからいくつか質問する。きちんと答えたら、殺してから埋めて弔ってやる。答えなかったら、このまま埋める。わかったか?」
有無を言わせぬ口調の青年は、全体として冷厳な威圧感を放っている。しかし、魔人を見つめる目には、怒りばかりではなく、慈悲のようなものも入り混じっている。そんな彼に、小さな魔人は反抗できなかった。
「お前、一人で動いていたのか?」
「ああ」
「嘘じゃないな?」
「ああ」
「お前を魔人に変えたのは?」
「聖女様っていう」
「様なんてつけるな」
「……聖女っていう魔人だよ。人間だった最後の日、瘴気に飲まれて気を失って、気がつけば真っ白なお城に居たんだ。それで、そいつに儀式で赤紫のマナを植え付けられて……」
「そうか……この自治領以外の”仕入先”は?」
「僕は、知らない。人さらいは、土地勘がある場所で……故郷で、働かされるものだから」
「そうか、わかった」
そこで、質問が途切れた。いよいよ最期かと、魔人は硬い表情で身構え、目を閉じた。すると……。
「最後の質問だ」
「ああ」
「名前は?」
「へぁ?」
「いや……忘れてるなら謝るけど、あるのか? 一応言っておくけど、人だった頃の名前だぞ」
その問いに、魔人はやや逡巡した後、小さな声で「エリック」と答えた。
「エリックか」
「……うん」
自分の名前を呼ばれた彼は、それだけでかすかに身を震わせ、素直な声で返事をした。それから、目に涙をため、嗚咽を漏らした。彼が落ち着くのを待ってから、青年がまた話しかける。
「……これから死んで、もしも誰かに出会ったら、そのときは素直に一生分謝るんだ。いいな?」
「うん」
意味不明な助言ではあるが、エリックは素直に受け入れた。
その後、青年は立ち上がり、青緑のマナで魔法陣の記述に入る。
「苦しまないよう、一発で終わらせてやる」
「……うん」
しかし、答えた直後、エリックは再び泣き出した。
「……最初に、僕が最初に死んだとき、お兄さんが来てくれたら良かったのに……!」
「……なぁ。聖女とかいう奴、いつか殺せるように頑張ってやるから、それで満足してくれ」
「や、約束だよ!」
「まぁ、善処する……」
そして、魔法陣のほぼ全てができ上がり、最期を待つエリックを撃つばかりになって、青年は口を開いた。
「最後に、何かあるか?」
「……お兄さんの名前は?」
「リッツ・アンダーソンだ」
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