第459話 「棄てられし者たちの森③」

 七人の奇妙な共同生活が始まって三日目となった。

 被験者となっている魔法使い二名は、今のところ深刻な症状を示したことはない。相変わらず、撃たれる魔法は得体が知れたものではないが、現れる影響は放置しておくとマナが切れるという程度。加えて、若干の倦怠感を覚えるということ、それに撃たれた瞬間チクリと刺すような痛みを覚えるというぐらいだ。

 この程度で済まされるのなら、むしろ大変な高賃金であると、二人は実験体でいることを受け入れている。


 一方、ウェイドにはそれが面白くなかった。今まで自分が矢面に立って守ってきた仲間が、わけもわからない青年のいいようにされている。その稼ぎで自分が養われている。その事実が、彼の自尊心を傷つけた。

 これで金をもらえるのなら……そういう現実的な考えがないでもない。しかし、受け入れやすい話から先に通しておいて後から要求がエスカレートするのではないか。彼はそういう懸念も同時に抱いている。そんな手口は、生まれ育った街でいくらでも見聞きしてきたからだ。

 年上の人間は信用できない。それが、彼の処世訓だった。決して信用せず、可能な限り接触を避ける。そう意識して生きていたはずなのに……。



 日が昇って少し経った頃、青年は被験者たちに言った。


「今日は、可能な限り魔法を持続させる」


 その宣言に、二人のみならず少年少女たちは不安の色を示した。

 これまでは、魔法陣の記述がおぼつかなくなると、魔法を解除されていた。そこから徐々にマナが回復し、やがて元通りになる。そこから時間を空けてまた例の魔法を使われ……という繰り返しで実験を重ねてきた。

 しかし、今回はマナが切れた時間を継続させるという。マナが切れ、魔法を使えないままの時間を過ごすというのは、魔法使いにとっては本能的な恐怖を呼び起こすことだ。被験者二人が心配に思うのも無理はないことである。

 すると、魔法使いの少女はためらいがちに口を開いた。


「あの……今まで、腕に魔法を撃たれるたび、ボーナスをもらってましたけど……」

「言いたいことはわかった。まあ、そうだな……全員の日当二倍でどうだ」


 したたかさを見せる少女に、青年はすぐさま応じた。この提案を被験者の二人は受諾。残る四人も、当人たちが応諾するのであれば、心配ではあるが飲まざるを得ない。

 四人は仲間をおもんぱることはできるが、この実験の被験者であることの不安がいかほどのものか、実感することは決してできない。そんな傍観者の立場にある仲間たちにとって、できることといったら見守ることぐらいである。



 マナ切れ状態を継続する試験は、大方の心配をよそに、大過なく進行した。被験者二人はちょっとした倦怠感を訴えはしたものの、慣れもあるのか時間経過とともに余裕を見せていった。

 そして、二人が日中に眠りこけるということもなく平穏な時間が過ぎ、夕方となった。空を覆う雲は厚く、周囲はほとんど夜に近い暗さだ。

 そんな中、小屋からそう遠くない辺りで犬の遠吠えが聞こえた。何やら不穏な雰囲気に、少年少女たちは身構える。


「野犬かな?」

「かもな」

「……夜、こっちに来たら、どうしよう」


 彼らは顔を突き合わせ、相談を始めた。野犬がどれほどいるかはわからない。このまま放置すれば不安が募るばかりだ。せめて、どれぐらいの群れか、確認だけでも……そうして、偵察に出る方向で話がまとまった。

 しかし、誰が行くかは問題である。被験者二人は試験の途中であり、魔法を解いたとしてもすぐ戦力になりはしないだろう。とても連れて行ける感じではない。

 また、実験の都合上、青年も彼らについて待機することを主張した。「何かあれば、俺がどうにかしてやるから」と青年が言うも、ウェイドは鼻を鳴らして顔を背けた。

 しかし、青年に返り討ちにされた事実と、あからさまな暴力を振るわれてはいないということ。そして実験台は大事にするだろうという直感から、ウェイドは青年が残ることに異存を挟まなかった。


 だが、自分もこの場に残るべきかどうか、それは彼を大いに悩ませた。青年を監視したいという思いはある。しかし……彼をこの場に残して豹変するという、明確なビジョンはない。これまでも、街への買い出し等で別れることはあっても、何も起きはしなかったからだ。そういう点においては妙な信用がある。

 それに、実験台になる二人が、今もこうして稼いでくれている間、自分が安穏と待つわけにも……そんな責任感が強く働いた。

 そうして彼は、森へ入って様子を見ることに決めた。「後は……」と、リーダー格の彼が人選を決めていく。青年の見張りには一人残し、様子見への同行は弓使い二人を。その決定に、仲間たちは無言で付き従う。青年が主導権を握ってはいるものの、依然として少年少女たちのリーダーはウェイドである。

 そのことを再確認したウェイドは、表情を引き締めて「行ってくる」と言った。それから、青年へ向き直って一言。


「……変なことするなよ」

「やらん」


 青年への牽制は軽く受け流され、ウェイドは鼻を軽く鳴らして木々の間へ入って行く。


 残った四人の間で、特に会話はない。被験者のほかに残ったのは小柄な少年で、彼は心配そうな表情で、仲間たちの無事を祈るばかりだ。

 それから十数分ほど経っただろうか。小屋からさほど遠くない場所で、多くの鳥が羽ばたくような音がした。それにほんの少し遅れ、少年たちのものらしき叫び声が。

 それを耳にするや否や、青年は音の方へ鋭い視線を向け、他の三人に問いかける。


「歩けるか? ここに留まると危険かもしれない」

「は、はい!」


 仲間の身に何か危険が迫ったのかもしれない。そう思うと、居ても立っても居られないのだろう。疲労感を訴えたはずの被験者二人も、すっくと立ちあがった。そして、四人は森へ入った三人を追いかける。



 ここシュタッド自治領において、瘴気の存在はあまり認識されていない。

 なぜならば、それをお目に掛けたのなら、まず間違いなく犠性者となるからだ。ただ、運のいい生き残りが、訳もわからないまま「赤紫の霞には近づくな」と周囲に忠告するという程度である。


 ウェイドたちは、今まさにその赤紫の霞に直面している。

 遠吠えを上げたと思われる犬は、目が六つある異形の存在であった。それはどうにか三人で始末したものの……犬に次いで現れた者は、三人でかなう相手ではない。赤紫の霞を操るその存在は、三人にとっては空想上の存在――魔人である。

 この自治領はまともな軍隊を持たず、魔人との大規模な交戦は起きていない。人知れず誰かが犠牲になる程度で、魔人に対する認識は他国と大きく異なる。この自治領の民にとって、魔人とは現実に存在するかどうか怪しい、都市伝説のようなものだ。


 今、それが目の前にいる。赤紫の霞を操り、人をさらって神隠しをするという、伝説の化生が。年恰好はウェイドとそう変わらない程度に見えたが、その若い魔人に射すくめられ、彼は身を震わせた。

 傍には仲間が倒れている。最初に赤紫のボルトを受け、それから瘴気に呑まれて動けなくなった仲間が。ウェイドは震えつつも、渾身の勇気を振り絞って立ちふさがった。

 逃げて状況を知らせようという考えは、彼の頭にない。それをむざむざ許す敵には思えなかったし、犠牲者が増えるだけだという予感もあったからだ。

 しかし、ウェイドの勇敢さも、魔人にしてみれば無抵抗に等しい。彼は悲哀と冷笑が入り混じる表情で、哀れな少年に手をかざした。


 だが、次の瞬間、魔人の傍にある木が爆ぜ、青緑の爆風が立ち昇った。えぐられた幹が音を立てて折れ曲がり、地に倒れ伏す。

 新手の襲来であろう。魔人はわずかに悩んだ後、ウェイド目掛けて矢を放とうと構える。しかし、まさに矢が放たれるというタイミングで、魔人へと青緑の矢が飛来する。

 そこで魔人は、攻撃よりも防備を優先した。矢が飛んで来た方向へ構えていた矢を撃ち返し、後ろに下がって光盾シールドを構える。ウェイドのことは、もはや眼中にない。最初に木を撃った魔力の火砲マナカノンのことを考えれば、新手は少年三人よりもよほどの使い手であるからだ。


 ただ、魔人はまだ見ぬ新手を、そこまでの脅威には感じなかったようだ。挑戦的な笑みを浮かべ、新手が姿を現すのをじっと待つ。

 助けに来たというのであれば、新手の方が不利な立場にある。助けるべき少年二人が、すでに瘴気に呑まれているのだから。

 すると、その新手がやってきた。振り向くウェイドに、青年が話しかける。


「二人は、そこの霞の中か?」

「あ、ああ……」

「敵は一体か?」

「たぶん、そうだと思う」

「わかった」


 これまで青年に反発し続けてきたウェイドだったが、今は青年に対して強い信頼感を抱いた。彼にとっては伝承上の化物でしかなかった魔人に対し、青年は淡々とした様子で向き合っている。そこに恐怖と慢心は感じられない。

 ウェイドは青年の振る舞いを、狩りに臨むときの自分たちと重ね合わせた。今や狩られる側となった自分たちとは違う。この人は、魔人と対等にやりあえる存在なのではないかと。

 急に沸き上がった馴染みのない感情に戸惑うウェイドだったが、青年の言葉で我に返る。


「仲間を連れて俺の後ろへ。前は守ってやる。ただ、奴に仲間がいるとまずい。仲間と一緒に周囲の警戒を」

「霞の中に、まだ二人」

「何とかしてやる」


そう言って青年は、ウェイドたちの前に立ち、魔人と対峙した。

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