第463話 「対アイリス・フォークリッジ戦線③」

 天地を揺るがす大歓声とともに、両軍が一騎討ちの場に迫る。そんな中、侯爵は抑え込みを継続しながらも、迫る敵軍に目を向けた。

 魔人側の構成は、気がはやったであろう魔人が主体だ。加えて、彼らに追随できるスピードを持つ魔獣も。来ている魔人も、全体の一部といったところだ。大衝突になるようなものではない。

 しかし……極小数であっても、この一騎討ちに介入されれば、対応は至難だ。たった一人絞め落とすにも手を焼くほどなのだから。侯爵は少女の首に回した腕に力を込め続けたが、少女はそれに抵抗し、なかなか無力化できずにいる。


 そうして拘束状態が続く中、侯爵は迫りくる怒声に紛れ、「余計なことを」というつぶやきを聞いた。苦しみながらも吐き出されたその声は、紛れもなく少女のものである。

 だが、その意図を考慮する暇はない。組み敷かれたままの少女は、比較的フリーに動かせる左手で、魔法陣を描き始めた。その紫の輝きを視界の端に認め、侯爵は拘束状態を維持しつつも橙色の泡膜バブルコートを記述して応じる。

 その後、小さな舌打ちとともに、紫の光線が放たれた。満足に視界を確保できないながらも、少女はそれを精密にコントロールし、一度上方へ向かった追光線チェイスレイが急降下。侯爵に迫ったそれは、あらかじめ展開しておいた泡膜で相殺されたものの、少女は色を変えて再攻撃を試みる。


 少女の抵抗に応じるその間も、敵はこちらに迫ってくる。少女が記述する魔法陣の色を確認しつつ、侯爵は魔人側の動きに視線を向けた。間合いに入ったのか、それともブラフのつもりか、幾人かの魔人がこれ見よがしに魔法陣をちらつかせている。

 すると、最前列にいた魔人が急に姿勢を崩して前のめりになり、後続の魔人や魔獣に踏み潰された。これは狙撃だろう――侯爵はそう考えた。草地に伏せて偽装した射手が、地面ギリギリのラインで敵を射抜いたのだと。実際、メリルの采配で、夜毎にこうした最精鋭射手が配置されている。


 しかし、そうした射手の活躍を持ってしても、敵方の動きを押し止めることは叶わない。銃士隊が間合いに入り、銃撃による牽制を行うことで、ようやく敵の進行が鈍り始める。

 だが、中には果敢にも進み続けるものもいる。銃撃を回避しながら一騎討ちの二名に近づいた少数の魔人は、赤紫の追光線を空に放ち、くだんの二人にほど近い場所へ落としてみせた。

 それからも降り注ぐ余計な手助けは、少しだけ狙いが二人に近づいていく。そして、最初の一発が侯爵の泡膜を破壊した。そこで、間髪入れず、侯爵は泡膜を再展開した。その反応の甲斐あり、少女が放った光線までには防御が間に合い、相殺されたマナが飛び散る。

 しかし、増援の光線は徐々にペースアップしていった。少女からの光線も依然として襲いかかる中、侯爵は双方の対応に追われ……ついに一撃をその身に受けた。侯爵の、くぐもったうめき声に、魔人たちの喝采が続く。だが――


「邪魔しないでよ!」


 一騎討ち当初の、余裕と挑発に満ちていた態度から一変し、少女は腹の底から叫んだ。誰に向けた言葉なのかはわからない。が、少なくとも魔人たちは身を引いた。

 一方、侯爵はこの程度でたじろぎはしない。背に一撃受けたことに比べれば、なんのことはない。しかし、少女がまとう空気が変わったことには、強い警戒心を覚えた。異様なほどの気迫を見せる彼女は、諦めることなく追光線を放ち続ける。

 攻撃に対し、全て的確にしのぎ続けた侯爵だったが、一方で彼は違和感を覚えた。撃ってから着弾まで、妙にバラつきがある。遅いものもあれば、早いものも。これが、感触を確かめるための試行だとしたら……。


 嫌な予感に身構える侯爵だったが、それは的中した。少女は追光線の魔法陣を記述した。一発目は紫、二発目は赤紫――三発目に橙色。光線の操作による同時着弾を狙っているのだろうと、侯爵は当たりをつけていたが、少女はその読みを一発分上回った。

 果たして、三色の光線が上空で絡み合い、侯爵の背に迫る。この窮地に覚悟を決めた侯爵は、橙の泡膜を維持したまま目を閉じ、精神を統一した。

 そして、光線が着弾した。一つ目の膜が破れて爆ぜたその瞬間、侯爵は再展開を試み――背に大きな衝撃を受けた。しかし、三発目には間に合ったようで、膜に用いた藍色のマナが辺りに四散する。


 魔法が一撃クリーンヒットした、この好機を、少女は見逃しはしなかった。後背への痛撃で拘束が弱まったその瞬間、彼女は頭を勢いよくのけぞらせた。ゴスッという鈍い音が響き、侯爵の腕からさらに力が抜ける。

 すると、少女は渾身の力で侯爵の腕を引き剥がした。次いで、草地の上を回り転げながら距離を取り、その間に魔力の矢マナボルトを連発。

 一方、侯爵はよろめきながらも立ち上がった。血で濡れた顔の右側を左手で抑え、空いた右手で防御を構える。

 しかし、これまでにないほどの怒涛の攻撃に、侯爵は押されつつあった。背と顔面の痛みをこらえつつ応じる侯爵だが、明らかに劣勢だ。

 そして、連射が効く矢に混ぜ、少女は魔力の火砲マナカノンを放った。足元へ迫る砲弾に対し、マナの防御が間に合わないと瞬時に判断した侯爵は、気力を振り絞って飛び退くことを選択した。

 彼が後ろへ退いてからわずかに遅れ、砲弾は地面に着弾、草土と紫のマナを辺りに巻き上げた。爆風にあおられ倒れた侯爵は、それでも追撃をさばき続けるが、急所以外はかばいきれない。防御をくぐり抜けた矢が、侯爵の体を激しく打つ。

 すると、少女は地面に落ちていた自身の剣を手にとった。そして、剣を構えて侯爵へ近づく。


 そんな中、二人のもとへ駆け出す一人の青年の姿があった。懇願するような制止も聞かず、侯爵のもとへ走るのは、スペンサー卿その人だった。

 彼の姿を認め、侯爵は息も絶え絶えに口を動かすが、言葉にならない。代わりに声をかけたのは、相手の少女だ。


「何? 今度はあなたがお相手?」

「い、いや……」

「だったら何?」


 問いかけに、卿は顔を歪めた。恐怖が色濃く浮かび上がる青白い顔だが、やがて彼は敢然とした態度で二人の間に割って入り、立ちふさがった。


「もう、やめてくれ。その子の体で、これ以上……人を傷つけないでくれ、お願いだから」


 悲痛な叫びを以って請い願う彼は、まさにその身を以って少女に話しかけている。しかし、彼女はそれを一笑に付した。


「アハハ、バッカみたい! スペンサーさん、でしたかしら? そこの侯爵さんの前に、まずはあなたから殺ってあげよっか? 結局、見守る勇気がないから出てきただけでしょ? 自己犠牲が何かになるって思ってる、どうしようもないヘタレだわ」


 聞き慣れた声による罵倒を受け、卿は悔しそうに目を閉じ、一筋の涙を流した。しかし、その場を退くことはせず、彼は手を広げて侯爵の前で仁王立ちを続ける。

 そんな彼に、少女は「きっしょ」と言い、剣を中段に構えた。


「どうして無抵抗なの? それとも、そういうポーズ? これがブラフって言うなら素敵ね、抱いてあげる」


 言葉とは裏腹に、少女は何の感情も込めずに声を放った。そして、剣を構えたそのままの姿勢で――倒れている侯爵へ向けて矢を放つ。それは侯爵の右手に着弾する直前で、彼の光盾シールドに阻まれた。しかし、限界が近いのだろう。彼の右目は虚ろになっている。


「そっちの侯爵さんの方は、気が抜けなくて素敵ね。殺すのが楽しみだわ。強姦魔みたいなことされたしね、ヘンタイ」


 もう満足に身動きできずにいる侯爵に、少女は冷徹な視線を向けて言った。

 それから、彼女は辺りを見回した。邪魔が入る様子はない。魔人はもとより、共和国軍も、この戦いを静観している。それでも、一人手にかければ動き出しそうなほど、殺意のこもった空気を漂わせているが……。

 状況確認を済ませた少女は、剣を上段に構えた。そして……「じゃあね」という一言とともに、卿へ剣を振り下ろし、袈裟斬りにした。


 斬られた卿の胸元が、鮮血で染まる。彼は前のめりになってその場に倒れ――彼を斬った少女は、全身をわななかせた。両手は大きく震え、剣を取り落し、しかし顔は笑っている。


「ふふふ、くっ、あはははは! ここまでやってあげて、やっと抵抗するだなんて! お寝坊さんでカワイイんだから、もう~!」


 少女は空を見上げながら高笑いを始め、震える右手で髪を軽くかきむしった。

 その後、彼女は腰を落とし、落ちた剣に手を伸ばした。しかし、手も腕も震えに震え、とても剣をつかめはしない。やがて、彼女は剣を諦めて魔法での追撃を試みたが、震える指は魔法陣の記述も拒む。

 すると、彼女は攻撃を断念し、別の魔法の記述に入った。何度か失敗したものの、どうにか書き上げることに成功したそれは、彼女が精神操作以外で得手とする転移魔法である。波打つ赤紫の膜に半身を預けた彼女は、その場から立ち去る前に、倒れ伏す二人に声をかけた。


「じゃあね。まぁまぁ楽しかったよ。愛してる!」

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