第457話 「捨てられし者たちの森①」
フラウゼ王国の北東にあるシュタッド自治領は、中央集権的な政府を持たず、国際的には非国家の領域として認識されている。しかし、自治領という呼び方は、その実情に照らせばかなり皮肉めいたものかもしれない。
かつて、この一帯を治めていた王国は、魔人と婚姻関係を結ぶ形で自国を保全しようと画策していた。
だが、政略婚は花嫁として差し出した王女の死亡という悲劇に終わり、それに前後する政変によって王家は滅亡。クーデターにより樹立した政権も長くは保たず、結果として国も王家と運命を同じくした。
魔人と手を結ぼうと姫君を差し出し、それが裏目となって国が滅んだ――この事実は人類史における最大級の汚点とされ、詳細は知られざる歴史として封印されている。ただ、後世の権力者と史家にのみ、自戒のためにと伝わる程度の歴史だ。
☆
9月のある日、一人の青年が自治領内の森に足を踏み入れた。
ここは自治領内最大の都市ルーベスにほど近い森だ。ルーベスは大きな都市と言っても、かつての王国の遺産をどうにか運用し、維持できている程度の都市である。まともな警察機構は存在せず、極めて利己的な人種が互いににらみ合ってどうにか均衡を保つという、危ういバランスの上に街が成立している。
そのため、大勢の目の届くところで罪を犯せば、即座に私刑で処断される。だが、目に届かないところでの犯罪は、罪とみなされないのが通例だ。
都市内にはスラムも多く、ボロボロになった都市防壁の外に出れば、そこはほとんど無法地帯と言っても差し支えない――無論、都市近くの森も同様に。
森の中には人が通れるぐらいの道は整備されている。かなり広大なこの森は動植物の宝庫であり、採取や狩猟のためにと多くが立ち入るからである。
ただ、それは良く晴れた日中、大勢で大挙して訪れてこそである。森は広いがゆえに、中に何が住んでいるかもわからず、ともすれば自分たちが獲物になりかねない。ここに訪れては日々の糧を得る者にとって、森での活動は危険と隣り合わせの行為だ。
さて、今日は朝から重くどんよりした雲が空を覆っている。森の中を割くように走る道は、普段よりもずっと暗い。少しでも横に踏み入れば、明かりなしでは心もとないほどだ。
そんな中、青年は一人森の中を歩いた。
これは、はっきり言って自殺行為である。自治領の情勢に明るいものであれば、身ぐるみはがされても文句は言えないと口を揃えるであろう。
事実、何も知らないかのように無防備に見える青年を、一つの集団がつけ狙っていた。彼につかず離れず、木々をうまく利用して追随するその一団は――いずれもティーンエイジャーである。
六人いるその小さなならず者たちは、一人で歩くその青年を獲物と見定め、虎視眈々と好機をうかがっている。
――いや、彼らの中にもかなりの温度差はあるようだ。長身で気弱そうな少年が、眼光鋭い少年に話しかける。
「な、なぁ、ウェイド」
「もっと声を落とせよ……で、何だ?」
「本当にやるの?」
問いかけに、彼らは歩を止めた。ウェイドと呼ばれたリーダー格の少年は、依然としてはっきりと戦意を保っているが、他の面々は及び腰である。
「本当にヤっちゃったら、もう後戻りできないって思うんだけど……」
「だったら、どうするってんだよ。言ってみろよ」
苛立ちもあらわにウェイドが問い返すが、仲間たちはただうなだれるばかりで、代案を返すことができない。
「今まで通り稼げないんじゃ、どうしようもねーだろ。安く買い叩かれて、食い詰めて、連中の兵隊にされて仕舞いだろうが」
「それは、そうかもだけど……」
「食うために獣を狩ってたのが、人間を狩るようになるだけじゃねーか。違いなんてねえよ、バカ」
苦々しくウェイドが吐き捨てると、残る五人も渋々ながら覚悟を決め、彼に付き従った。
それから追跡を続けること数十分。機をうかがい続けた六人だったが、青年はそれらしい隙をさらさなかった。時折立ち止まるタイミングは絶妙で、囲みに走る出鼻をくじかれ続ける。
しかし……「偶然だろ」とウェイドは言った。
「本当に用心深けりゃ、一人で来ねえよ、こんなとこ」
「まあ、そうだね……」
六人は、青年が一人で森に入っている理由を測りかねた。ただ、それは別にどうでもいいことではあった。これから身ぐるみをはごうという人間が、もしかすると殺してしまう相手のことなど、気に掛けるだけ重荷になるだけなのだから。
中々隙をさらさない青年ではあったが、ついにその時がやってきた。彼は大ぶりな木の幹に背を預け、座って昼食をとり始める。大きめのパンにかぶりつくその様は、これまでと比較するとあまりに無警戒だ。彼をにらみつけながら、ウェイドは言った。
「俺から出る。ちゃんと後に続けよ」
「う、うん」
「わかった」
不安を隠しきれない五人も、最終的にはウェイドの指示を受け入れ、うなずいた。
そして……パンを食べ終えた青年は、傍らに置いたカバンに体を向け、中を漁り始めた。二つ目、だろうか。
これを好機と定めたウェイドは、行動に移った。茂みに隠れたまま音もなくナイフを抜き放ち、青年めがけて投擲。間髪入れず、自身も駆け出した。
若年ながら、仲間五人率いて襲撃を企てるだけあり、投げナイフの腕は見事なものである。駆け出す際の不安定な姿勢から放たれたそれは、寸分
ウェイドの胸中に、暗雲が立ち込める。まぐれじゃない。明らかに格上だ。もしかしたら、こうされるのを待っていたのかもしれない。しかし、だからって、食い詰めたガキ相手に何しようってんだ?
いくつも湧き上がる疑問を抱えながらも、駆け出した勢いそのままに、彼は青年へと突撃を敢行する。ーか八かだ。いや、自分の攻撃が届かなくても、仲間は五人いる。何人か正確に把握されなければ、チャンスはある。
後に続くはずの仲間に望みを託し、ウェイドは大ぶりなナイフに手をかけた。しかし、その瞬間、彼は全身を激しく揺らす大音響に包まれるような感覚に襲われた。大きくふらつき、ついには地に膝をついて動けなくなる。
そんな彼を援護しようと、座ったままの青年の元へ、今度は二本の矢が迫る。その狙いは正確だ。一本は体の正中をめがけて飛来し、残るは回避を封じようと左を攻める。
その軌跡を見切ったのか、青年は矢が来ない側へ身を動かした。そこへ、木々の中に身を潜ませていた小柄な少年が迫る。
すると、青年は一瞬のうちに橙色の魔法陣を書き上げた。最初、青年を射貫こうと狙い定めていたはずの矢は、突然現れた魔法陣の外縁に沿うように軌道を曲げる。その矢が次に向かう先は、木々から躍り出た少年である。突然の事態に彼は目を閉じた。
しかし、矢は空中で何かに弾かれた。手口はともかく、青年が救ったことに疑いはない。死んでいたはずの自分が無事であることに気づくと、小柄な少年はその場に力なく座り込んだ。
投げナイフから始まる一連の攻撃が終わると、森の中はすぐさま静まり返った。すると、青年は鋭い視線を辺りに巡らせた。それから、最初に襲い掛かったものの大音響にさらされて倒れた少年を拾い、羽交い絞めにする。そして、青年は声を上げた。
「隠れている奴、出て来るんだ」
「……こんな奴のいう事、聞くんじゃねえ。お前らだけでも逃げろ」
「お前らの方が、よっぽどじゃないか。こっちは穏便に済ませてやったのにな」
気丈にも反抗の意志を見せる少年に、青年は冷ややかな口調で返した。殺すつもりで仕掛け、結局は双方傷一つなく返り討ちに遭っている。その事実は確かで、ウェイドは悔しさに歯を食いしばった。
青年の呼びかけから程なくして、森の中に潜んでいた少年少女が、不安な表情で歩み出てきた。総勢四名。うち二人は弓矢を持っており、残りは徒手である。
「この六人で全員か?」
「知るか」
羽交い絞めされたままのウェイドは、なおも強気に言葉を返す。すると、青年は言った。
「武器なしの二人は、魔法使いか?」
「……うるせえな、知るかよ」
「先にナイフを止められたから、
ウェイドを無視するように青年は話を続け、魔法使いの少年少女は驚きつつも正直にうなずいた。それを見て、ウェイドは軽く舌打ちする。
それから彼は後ろの青年に向かって声をかけた。
「これからどうするってんだ? どうせ、奴隷商かなんかの手先だろ、くそったれめ」
「どうしてそう思うんだ」
「ケガさせずに捕らえた方が高く売れるからだよ。何が『穏便に済ませてやった』だ。恩着せがましいこと言いやがって」
ウェイドの指摘に、他五人の顔が青ざめていく。
ルーベスの町中で堂々と開かれる奴隷市場は、彼らにとってもはや日常の光景であった。いつ、あそこに並んでもおかしくはないと思いつつも、彼らはどこか他人事のようにも捉えていた。そんな曖昧な半現実が、急に襲い掛かるようで、五人は恐怖に体を震わせる。
すると、青年はウェイドを捕らえたままの姿勢で腰のポケットを漁り、取り出した何かを無造作に放った。耳に心地よい音を立てて落ちたそれは、魔獣が最後に残す金色の硬貨である。
「とりあえず、努力賞だ。それで今日はいいものでも食うんだな」
「……何のつもりだ?」
ウェイドが
「魔法を使える二人に用がある。俺の実験に付き合ってくれたら、六人分の日当を出してやる。どうだ?」
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