第455話 「星の行方」

 軍師殿がいなくなり、魔人頂点の集いは四星となった。死んだというわけではないが……帰ってくることはないだろう。

 空いた席の補充は、いずれある。そこに押し上げるのは、もしかすると大師の息がかかったものかもしれない。

 何を考えているのかわからない彼ではあるが、権力欲のような何かを志向している節は、これまでの動きからも見て取れた。フラウゼに対する調略、内応によって国を揺るがし、あわよくば傀儡化という一連の流れも、そういう意図があってのことだと思われる。

 ただ、補充が来るのは、案外早いかもしれない。一人減って広くなった卓に、さっそくかしましいのが来たからだ。その小娘は、借り物の体で意気揚々とこれまでの推移を語ってみせた。


「……ということで、この体を奪取するに至りました! 現在は戦線が膠着し、双方ともに様子見ってところです!」


――それにしても、体の本来の主には悪いと思うが、声を聴いているだけでイライラしてくる。中身が気に入らんからというのもあるが……。

 軍師と別段仲が良かったというわけではなかったが、彼女は至極まっとうな将帥であった。彼女がいなくなり、代わりにこれがやってきて、ますます私には居心地の悪いものになっていく。

 いや、そもそも……。

 腕を組んで考え込んでいると、私に小娘が話しかけてくる。


「いかがなされました、皇子様?」

「いや、軍師殿がいなくなって、次は余かと思ったのでな」

「まっさか~」

「では聞くが、見殺しにするに足る理由はあったのか?」


 私が問いかけると、小娘は言い淀んだ。目に見えてたじろぐようなことはなく、その辺りは大師の配下だと思わされる。ただ、それでも圧は感じているようだ。

 すると、大師が口を挟んできた。


「私から申し上げます」

「いいだろう」

「では……あえて敵方に彼女を差し出すことにより、政治的動揺を誘えるものと判断しました。加えて、他国からの国賓をさらったことで、国として大きく揺さぶられたことでしょう」

「……軍師殿を謀殺するまでは想定通りだったのだろうが、そこにいるその体の件は、どこまで予想していたのだ?」

「と、言いますと?」

「あの砦の連中に、複雑な策を与えられるとは思えん。まあ、軍師殿を見殺しにする程度のことはできるだろうが……貴族をさらうというのは、カナリアの判断で機会主義的に実行したのではないか?」


 私の問いに、小娘も大師も押し黙った。

 今回の戦いについて、軍師殿を排除しようという意思があるのは感じていた。あの小娘が配されたのは、砦の下々を手なずけて、確実に謀殺するためだろう。

 しかし、貴族をさらってくるというのは、大師の意向を超えた動きのように感じる。彼がそれを望むのなら、もう少し入念に仕込みを入れるはずだからだ。他国から招いた国賓をさらったというのも、現場の判断による偶然の産物のように思われる。

 私の指摘に対し、まともな返答がない辺り、おそらく当たっているのだろう。小娘の腹立たしい笑みも、今は収まってわずかに微笑んでいる程度だ。

 おそらく、大師は軍師殿を排除しようと考え、あの砦に赴任させた。そして、この小娘は現地の下々を操り、戦線をかき乱して貴族を操る機会を得た。そうした現場の判断による成果を、大師は軍師殿を犠牲にしたことの理由に付け足した……ということなのだろう。

 面の皮の厚いことだ。


 室内には緊張感が張り詰める。私の考え通りであれば、この師弟間で意見の相違が多少なりともあるだろう。確か、この会議が始まってからというもの、この二人は一度も顔を合わせていない。

 少しの間沈黙が続き、やがて大師が私に向かって口をきいた。


「『次は余か」と仰いましたが、その意図するところは?」

「軍師殿はあの共和国にとって重荷になるからと先ほど申しておったが、単にそなたから見て邪魔になったのではと思ってな」

「そういった面もございます」


 あっさり認めた彼の言葉に、豪商殿は驚き、複雑な表情になっていく。それでも、彼は口を挟むことをせず、大師は言葉を続けていく。


「各地の前線には、すでに軍師殿の教えが行き届いており、彼女を失うことでの被害は軽微でしょう。一方、彼女は魔人としては潔癖過ぎる。これでは、人間側の時流に対応する上で障りになると考えました」

「それは認めないこともないが」


 実際、戦線がより加熱すれば、時に儀礼的とさえ揶揄される軍師殿の軍略がこちらに不利に働く可能性は十分にある。それよりは、もう少し悪辣な者を上に据えた方が好ましいのかもしれない。


 それで……問題は、私は彼らにどう思われているか、だ。「次の標的はいるのか?」と尋ねると、大師は珍しく笑みを浮かべた。作り物みたいな微笑だ。


「これは異なことを」

「あまりはぐらかすものではないぞ。軍師殿のように、雑に始末されてはかなわんからな。むしろ、この場で先手を打つべきかもしれんと思っているところだ」


 大師は少しの間口を閉ざした。脅しが利く相手とも思えないが、少しは真に受けているように見える。そして、彼は言った。


「ご冗談を。殺気がいささかも感じられませんが」

「あまり初心うぶなことを言うものではないぞ。素知らぬ顔で誰かを殺めるなど、そなたらのお家芸であろう」


 大師は、言葉を返さなくなった。代わりに、あの小娘が口を開く。


「もしかして、軍師様がいなくなって、怒ってらっしゃいます?」

「代わりに来たのがお前ではな……まさか、後釜になどと考えているわけではあるまい?」

「でも、この体で五星の座に就くのって、面白くありません? 絶対、人間へのいい挑発になると思うんですけど~?」

「……だそうだが」


 相手にすることへの疲れと、この師弟間の仲を確認するべく私は大師に話を振ってやった。すると、彼は鼻で笑い、特に言葉は返さない。どうとでも取れる、無難な回答ではある。

 さて、どうしたものか。ここでもう少しつついてやって反感を買えば、本当に始末されかねんが……まぁ、実際お互いに一物抱えるものはあるのだろう。そこで私は、少し冒険することにした。


「仮に、お前をこの座の一角に押し上げるとして、お前はそれを望むのか?」

「え~、その方が、面白いかなって」

「人間を狼狽させるだけならば、実際に就かずとも喧伝けんでんするだけでよかろうが」

「つまり、私がここに同席することを、皇子様はお望みでないと?」


――なんだろうな、こいつは。権勢欲というか、成り上がり根性のようなものがうっすらと見えるが、私を少数派に仕立てようと言質を引き出そうとしている感じもある。

 人間だったときにも、こういう奴は大勢いたな。そのいずれよりも、こいつは圧倒的に邪悪だが……。


「お前がこの座に就くべきかどうか、余の一存では決められん」

「私は、皇子様がどうお考えなのか、お伺いしたいんですけど~?」

「そうだな。かなりどうでもいいが、有りではないかとは思っている」


 すると、小娘は虚をつかれたような表情になった。そういうポーズ……という感じはしない。

 一方、話を聞いていた豪商殿もやや驚いている。聖女と大師は相変わらず、落ち着き払って何も言ってこない。

 ああ……なんだか、この集まりを解散してしまってもいいんじゃないかという気さえしてくるぞ。見殺しにされた軍師殿を羨ましく思いながら、私は言葉を続けた。


「この円卓に着くということは、我々と同等の存在になるということだ。つまり……お前は大師殿の配下ではなくなるわけだ。傀儡かいらいを置いて二つの席を有するなど、認められんからな」


 私の言葉に、小娘の表情から笑みが引いていく。めずらしく、真剣さと、わずかな戸惑いのある神妙な表情になっていく――といっても、借り物の顔だが。そんな小娘に、私は告げた。


「つまりだな、余はお前が大師殿の手駒から独立したいのか、それを問うている。その気があるなら、私の方から推挙してやらんでもないぞ。その方が面白いからな」


 すると、小娘は一瞬だけ大師に視線を向けた。それから表情を変えず、ただ長い時間を開けて答えた。


「まだ、そういう考えは、ちょっとないかなって」


 しかし、言葉選び、間のとり方に、私は未練のようなものを感じた。

 なおも静かにしている大師に視線を向けると、彼は瞑目して静かに口を閉ざしている。

 おそらく、あの小娘は大師に制されたのではないかと思う。そういう演技という可能性はあるが……であれば、私などよりもずっと二人が上手だったということだろう。


 小娘の去就について話が止まると、場は完全に静かになった――ああ、困った。まとめ役がいない。ほとんど何も言わない者と、言いたいことだけ言って投げっぱなしの者しかいないではないか。

 会議の進展を誰の手に委ねるか、かなり微妙な空気になった。もとは戦況報告という形で小娘が口火を切ったが……話の流れは完全にそれてしまった。

 微妙な空気が流れて少しすると、これまで静かにしていた大師が話しかけてくる。


「皇子殿は、何を目指されているので?」

「というと?」

「目的が同じか、互いに許容できるものであれば、共存できましょう」

「なるほど。では、大師殿が答えたら、余も答えるとしよう」


 そう言って先に振ってやったものの、困っている様子はない。想定済みだったのだろう。本当に困ったとしても、表に出すような可愛げなどあるまいが……彼は淡々とした様子で答えた。


「私は、力を求めております」

「ほう?」

「魔人は人間よりもよほど強い。しかし、一人では持てる力に限度がある。ならば、求めるべき力は外にある、そう考えております」

「敵国を操ろうというのも、結局はそういうことだと?」

「はい」


 嘘のようには感じない。これまでの所業からも、それは納得できる。軍権の多くを掌握する軍師殿を排したのも、結局はそういうところからなのだろうか?

 腑に落ちる部分はあるが、これが全てという感じもない。ただ、彼が答えた以上、私も答えざるを得ない。発言の意図を考えるのを止め、私は答えた。


「余の目的は、簡単なことだ。戦に勝つ、それだけだ」

「それだけ、ですかな?」

「逆に問うが、軍勢率いて他にやることがあるとでも?」


 大師に答えてから、私は面々を見渡した。相変わらず聖女は何を考えているかわからんが、他はだいたいが納得いったようだ。

 これでいい。最後に私は言葉を付け足した。


「余の戦いに水を差されては適わんのでな。そなたらに邪魔されなければ、こちらからもとやかくは言うまいよ」



 共和国軍の捕虜となった軍師は、幕舎の一つに囚われていた。

 彼女の立ち位置は、かなり微妙なものである。もともと魔人の大幹部ではあったが、共和国軍との戦線を担当しておらず、直接的な戦闘はこれが初めてだ。

 とはいえ、他国とは長年に渡って戦ってきた敵将ではあるのだが……その他国から得られた情報によれば、彼女が率いる軍勢は、さほど攻め気を見せることがなく、黒い月の夜の交戦も防衛戦の維持に徹することが多いという。

 つまり、魔人の頂点の一角ではあるのだが、将帥としてはまっとうな堅将といったところである。加えて、彼女に施した、王政時代の国の仕打ちが、問題をさらにややこしくした。もっと言えば、囚われたアイリス奪還のために、何かしらの情報を……という淡い希望もある。

 もちろん、敵将を捕らえたとして即座に首をはねれば、兵の士気は高まるであろう。

 しかし……メリルは、そうはしなかった。決断しきれない自身の甘さを彼女は恥じたものの、保留という彼女の選択を、他の将官たちも支持した。


 アイリス奪還に関し、未だ有効な打開策は見つかっていない。首都では魔法庁と関連機関総動員で情報を漁っているところだが、吉報が来る兆しすらない。

 そんな中、少しでも情報を得ようと、メリルは定期的に軍師のもとへと足を運んだ。

 捕虜となっている軍師には、魔法を使えないよう魔道具による拘束が続いている。監視の目もある。しかし、尋問・拷問などは受けていない。あくまで、面と向かい合って話を聞く程度に留まっている。


 今日もまた、メリルは軍師の前に座って会話に入った。


「度々、申し訳ありません」

「いえ……」


 どちらも、相手には敬語を使っている。お互い、相手に対して思うところがあるからだろう。奇妙な巡り合わせで顔を合わせる形になった二人だが、この微妙な距離感を自然と受け入れている。

 何かあれば……そう思って訪ねたメリルだが、口を開く前に軍師は申し訳無さそうに視線を伏せた。言えないのではなく、言うことがないのだろう。

 気まずい沈黙が流れる。しかし、ややあって、何か思い出したような顔になったメリルは口を開いた。


「一つ、お伺いしたいことが」

「……私で答えられることであれば」

「あなたが担当された戦線は、とても魔人のものとは思えないほど紳士的で、儀礼的という評も聞きました。それは……なぜでしょう?」

「おかしいですか?」


 問いかけたメリルに、軍師は問い返した。失礼なことを聞いたかも知れないと身を少し縮めるメリルに、軍師は苦笑いして、言葉を続ける。


「……私は、国や王家の都合で殺されたことが納得いかなくて、魔人へと生まれ変わりました。しかし……人間全般が憎かったわけではないのです。いえ、もう少し正確に言うと、前線へ駆り出される兵への憐憫れんびんと……きっと愛情も、こんな体になっても持ち合わせていました。だから、殺したくはなかった」

「それで……守勢を重視する戦いを?」

「ええ。それに……あなたは信じないかも知れませんが、私は魔人へと変じた者たちも、守ってあげたかった。苦しみを背負って身を変じた、私の同類だと思ったから。だから、双方があまり死なないで済む戦いを志向しました」


 それから、軍師は視線を伏せて少し口を閉ざした後、メリルをまっすぐ見据えて言った。


「私は、永遠に終わらない戦を目指していました」

「それは、一体?」

「私は、人間も魔人も、世を統べるに足る存在だとは思いません。相手に対して感じる醜さは、いずれもその身に宿している。いずれかが相手をこの世から掃滅したとして、次は同族同士で殺し合うことになる……私はそう思っています」


 メリルに返す言葉はなかった。軍師の言葉を肯定しようという気はないが、決して全否定できない何かもある。そんな彼女に、軍師は話を続けた。


「私は、互いに『やっているフリ』で済まされる戦いを、永遠に続けられればと思った。どちらが勝つこともなく、負けることもなく、ただ無数の魔獣が犠牲になるだけの戦いを。その過程で、いくばくかの人間、魔人が死ぬことになろうとも。そうして勝敗が決まらない無限の戦が、私には一番建設的に思えた」


 軍師の話を、メリルは一切反論せず、ただ神妙に耳を傾けた。すると、軍師は少しだけ表情を柔らかくして、彼女に話しかける。


「負け続けた女の言うことよ。真に受けないで」

「……理解できる部分はあります。それでも、私は人の世のために戦って、勝ってみせます」

「ええ……頑張って」

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