第452話 「歴史の節目」

 作戦の成功から急転直下、立て続けに起きた予想外の事態に、共和国軍は大きく動揺した。

 しかし、それも長くは続かない。将官の多くは非常な精神力を発揮し、この場を収めることに専心した。この機に敵側からの反攻があるかもしれないからだ。

 幸いにして、騒ぎの場にいた人員は、共和国軍全体からすればごく一部である。鎮めるのはたやすく、将兵一堂に箝口令を敷くことで、事態は一応の収束を見せた。次いで、前線の防備を固めつつ、主だった将官たちは今後の対応を練るため、軍議に入る。


 天幕の中に集った面々は、いずれも才覚や覚悟のある勇士だ。しかしながら、突如として発生したこの事態に、戸惑いを隠せないでいる。命令に従いさえすれば、とりあえずそれに集中できる兵卒と違い、彼らには現実と未来を見据える義務がある。

 緊迫感に満ちる軍議の場には、軍師の姿もあった。突き刺さった剣を抜かれ、最低限の処置を施された彼女は、やはり後ろ手の拘束はそのままにイスに座らされている。

 しかし、その身を捧げてメリルを守ったあの行動、そして似通った二人の面立ちは、軍師へ向けられる敵意をかなり低減した。直に戦った貴族たちから伝えられた彼女の名も、一種の信用につながったのだろう。

 そして何より、今や囚われの身となったアイリスを奪還するために、軍師は重要な情報源である。メリルは声をやや震わせながら、彼女に問いかけた。


「あの時、彼女は操られているように見えた。そして、あなたはその操っている張本人に気づいていたようだけど、何か心当たりが?」

「……ええ。カナリアという、精神操作に長けた魔人の仕業よ」


 意外にもあっさりと情報を漏らした軍師の口ぶりに、将官たちはやや呆気にとられ、小さくざわついた。すると、軍師は彼らを牽制するように言い放つ。


「最初に言っておきます。私は助命を望みません。あなた方の基準で、随意に裁くと良いでしょう。あなた方の国に利するよう、情報を漏らすつもりもありません。ただ、人心をなぶる下劣が許せないから、この件だけはあなた方に協力します」


 永らえることを望まないというのは口先ではなく、彼女は堂々とした態度で言い切った。しかし、それから申し訳無さそうな表情を浮かべ、言葉を付け足す。「大したことは知りませんが」


「いえ……ご協力感謝します。ですが、あまり知らないというのは?」

「あれが使う魔法は、私が知る限り、あれにしか使えない秘伝です。魔人の内で広く知られれば、おそらく自壊するからでしょう。歴史的にも、一つの時代に使い手は二人といませんでした」

「……対処法は?」


 緊張した面持ちのメリルが尋ねると、軍師は少し沈黙してから言った。


「数十年前、あれの前任に当たる者が死んだ時、操られていた人物は我を取り戻したと聞きました」

「……操っている張本人を殺す以外に、何か方法は?」

「……少なくとも、双方が存命の間に、術が破られた前例はありません」


 情報源を得たものの、聞けたのは酷薄な現実であった。天幕の中に暗雲立ち込め、軍師はさらに言葉を付け足し、追い打ちをかける。


「あなた方もご覧になった通り、あれは転移の術においても卓絶したものがあります。おそらく、当代一でしょう。操った先の身体能力もあるでしょうが……他人の体であそこまで自在に転移できるのですから」

「すると、その転移の力を用いて、安全確実に人の体を奪っていると?」


 メリルに代わり、副官のスタンリーが問いかけると、彼には別の武官が答えた。


「しかし、直前まで行動をともにした部隊の報告では、それらしい魔人の姿はなかったと」

「おそらく、負傷者を使ったのね」


 口を挟んだ軍師に視線が向くと、彼女はわずかに嫌悪感をのぞかせ、言葉を続ける。


「あれは一度操った人間を飛び石に、別の人間を操ることができると聞きました。ただ、精度が高い操作は、同時に一人までと聞いたことがあります」

「……一度操られた人間が、解放されたと見せかけて、後でまた操られるということは?」

「そういった事例は聞いたことがありません。ですが、本体から離れての操作は難しいと聞きました。例の負傷兵は、様子を見つつ遠くへ離すと良いでしょう。彼の容態が落ち着けば、追加の情報を得られるかもしれません」


 そして、話はそこまでだった。具体策が何一つ出てこない。操っている張本人を殺そうにも、転移に熟達しているとなれば難しいだろう。そもそも、駒を操ればいいだけの相手に、近づけるかどうか。

 しかし、それでも行動指針を示さなければならない。そんな中、メリルは珍しく、憔悴した表情を見せた。テーブルに両肘を付けた彼女は、顔を手で覆う。

 無理もないことだった。他国からの賓客であり、自身にとっては友人でもあった人物が、今や魔人の術中となって囚われている。その上、代わりに捕らえたこの敵将が、自身の家系に連なる人物だったのだから。その処遇を、国に委ねるべきかどうか、自身の感情の落とし所は――


 すると、彼女の傍らに侍るスタンリーが、「メリル」と静かに話しかけた。


「こういう時は、一つずつ解決すればいい。面倒事は保留しろ。後で議会の連中も一緒に悩ませればいい」

「……ありがとう。少し楽になったよ」

「いや、さっさとこの件を首都に持ち帰らなければ。だから、あまり迷ってる暇もないんだ。軍として、最初の行動指針を示してくれ。後はうまく丸め込んでやる」


 すると、メリルは少しの間目を閉じ、考え込んだ。それから、彼女は自身の考えを口にする。


「戦闘は継続する。軍は引かせない」

「……念のため、お考えをお聞かせ願えますか?」


 やや年配の武官が口を開くと、メリルは毅然とした態度で言った。


「ここで引けば、おそらく、彼女は私たちの手が届かないところへ持っていかれるでしょう。相手もそれは重々承知でしょうが、私たちが打開策に至るリスクはほとんど考慮せず、私たちを翻弄するために留まるものと思います」

「そうなれば、我々を経由して議会も、もしかすると他国すらも翻弄されるかもしれません。逆に言えば、そうされることを覚悟の上、陣を敷き続けるのですな?」

「はい。ここで退く官軍があってはならないと思います。退けば、国威は失墜するでしょう。フラウゼとの関係とか、この戦いに求めていた物以上に、貴族が操られたという事態は重い物と見るべきです」


 彼女の言葉に、居並ぶ将官はみな合点がいき、緊張感のある顔でうなずいた。そして、彼女の言葉を受け、スタンリーが話しかける。


「では、その旨を議会に伝えに行く」

「諸国にも、間を置かず伝えるようにと」

「当然だ。とりあえず、将帥の権限で今から議会を開くように連絡してくれ。俺は転移門まで馬を飛ばす」

「ええ」


 当座の動きが決まったところで、スタンリーはその場の諸将諸官に一礼し、天幕の外へ向かった。しかし、出口で一度立ち止まり、彼はメリルに向かって声を放つ。


「捕虜の件は伝えるが、こちらでは結論を出さずに棚上げしておこう。今はそんな場合じゃない」

「ええ」

「それと、今日はもう寝るんだ。異常はじきに兵にも知れる。そうなったとき、戦線を支えるのはお前の将器だ。余計なことに気を回さず、そのことに集中しろ。議会の連中は、俺がうまくあやしてやる」

「……うん」

「良くわかってるじゃないか。そうやってしおらしくしてれば、周りのオッサンたちも、普段よりは優しくするだろうよ」


 そうして軽口を残し、スタンリーは首都に向けて駆け出した。



 前線の陣地から後方の転移門まで馬を飛ばし、そこから首都の議会に参上する。軍議が夕刻のものであったことを踏まえれば、最速での議会招集は夜半になる。

 実際、スタンリーが軍服のまま議会に参上したのは、同日の深夜であった。そのような時間にも関わらず、首都と近郊に居を構える文武諸官は、議場に顔を並べて彼の到着を待っていた。それだけ、この緊急招集を重く見ていたためである。

 そして、緊迫感で静まり返る中、共和国議長ローレンス・ハワードは、議場中央で相対するスタンリーに静かな口調で尋ねた。


「この度の招集の理由は?」


 スタンリーは問いかけを受けてふと思った。あのご令嬢をお迎えする前にも、こんな感じで向かい合い、色々と言い合ったものだ。しかし、今置かれた事態に比べれば、ほんの些細な出来事だ。

 議会に出席する者としてはかなり若年ながら、スタンリーは老獪な論客もかくやという豪胆さを持っている。そんな彼も、さすがに抱えた案件の重さに堅い表情で、しかし包み隠さず打ち明けた。

 現在の戦線の概況から始まり、捕らえた敵将とその素性、そして国賓が魔法によって操られ、敵の手に落ちたこと――全てを話し終え、彼が口を閉ざすと、ほどなくして議場は騒然となった。

 そして、当然のことながら、誰彼ともなく立ち上がってスタンリーに詰問を浴びせ始める。


「国賓が囚われたなどと、軍は何をやっていたのだ!」

「お言葉ですが、あの方が配属された衛生隊は、窮地にある兵を助けに行くのも仕事のうちでございます。それを承知の上で、ご承認なされたのでは?」

「それは建前というものだろう!」

「失礼。いささか表現が甘かったようです。傷ついた我が方の兵卒を、危険も顧みずに他国の貴族が救いに向かう――そういった聴こえの良いストーリーを、双国は夢想していたのではないですか?」


 心底を見透かすような冷徹な口調に、糾弾者は一瞬たじろいだ。即応できなければ、すなわち負けである。歯に衣着せぬスタンリーに、敵愾心に近いものを持って応じようという者は、まだまだ引きも切らずにいるのだから。


「護衛の一人や二人、つけようという考えはなかったのか?」

「あなた方が送り込んだ貴族の子女が、揃いも揃って前線へ駆け出しましたがゆえに」

「では、なぜ引き止めなかったのだ?」

「それは軍にも負うべきものがございます。あのお方の扱いに対し、意思統一ができておりませんでした。国賓相手にも、毅然と諫言を呈するよう、対応を徹底すべきでした。しかし、あなた方議会も、この点は同罪ではないのですか?」

「何だと?」

「今回の招致は、最初から政治案件でした。それに絡めて軍事行動があったに過ぎません。であれば、他国からの増援に対し、政策側で指揮命令系統を明確にしなかった責を負うべきでは? そうでなければ、外交の有り様に軍権が先立つことになります」

「事が終わってから、そのような……」

「急かしたのは議会でしょう? 軍の上層部といたしましては、最初から最後まで一貫して、今回の出兵には消極的でした」


 二人目も言葉が続かなくなると、彼に続く論客はいなくなった。威勢よく立ち上がったのはいいものの、座るにも座れず、幾人もの議員がただ立ち尽くす。

 それから、議会全体に鋭い視線を向けたスタンリーは、列席する議員の多くに狼狽と戸惑いを認め、よく通る声で問いかけた。


「第三軍以外の将兵からも、同様の指摘があったのではないですか?」

「そ、それは」

「君!」


 言い淀んだ議員にどこからか鋭い声が飛ぶも、時既に遅しである。スタンリーは察した――これまでの対応に、他軍から疑義を呈されて置きながら、それを握りつぶして前線には届けなかったのだろう。

 ただ、彼は議会と戦いに来たわけではない。責任の所在も、実際には考慮にない。ここまでの論戦は、今後のために自身の話を通しやすくするためのものだ。

 その目論見は見事に通り、軍を責めようという者は押し黙り、もともと静かにしていた者たちは一層神妙な顔つきで彼に耳を傾けている。

 そして、最初から続けていかめしい顔を続けている議長は、重々しい口調で彼に問いかけた。


「軍としての、今後の考えは」

「では、申し上げます。捕虜の処遇はそのままに、何かしら新情報があればこちらにもお伝えします。前線も継続する所存です」

「逃げられては困るからか」


 言葉を重ねる必要がない議長に、スタンリーは安堵のようなものを覚えた。とはいえ、他の議員たちにも理解できるよう、言葉を尽くす必要がある。議長の相槌を一種の後押しと捉え、スタンリーは言葉を続ける。


「仰るとおり、ここで軍を退けば、アイリス嬢が手の届かないところへ持っていかれる公算が大きいと判断いたしました。未だ打開策は見いだせぬ状況ですが、その時に備えるべく軍を維持すべきと」

「しかし、軍があるからといって、その場に留まってくれるという保証はあるまい」


 さきほど論戦をふっかけてきた議員と違い、冷静な口調で問いただす年配の文官に、スタンリーは敬意を示してうなずきつつ、軍議での考察を述べていく。


「奪われたお方の立場を考えれば、我が国にこそ最も有効な人質でございましょう。そこにある我が軍を差し置いて、他の戦場に出る可能性も、無いとは断言いたしませんが……傍目に見れば紫のマナを使う魔人にしか見えない駒を、因縁もないところに寄越すとは考えにくいかと」

「なるほど、一理あるが……」


 軍のスタンスは理解できても、具体的に解決するためのビジョンは見えてこない。それは、戦場に身を置く者たちにとっても、より広い視点を持っているはずの議会にとっても、同じことだった。

 議場がにわかに静かになる。しかし、これはある意味好都合ではあった。場のペースを掌握したスタンリーは、なおも冷静な態度で話を切り出した。「議会に対し、進言が」と言う彼に、議長がうなずいて先を促す。


「では。アイリス嬢の案件について、他国にも早急に通達すべきかと」


 すると、急に議場はざわめき立った。これはスタンリーにとって予想通りの事態であったが、それでも未だ冷静さを保つ議長は、口を開かず黙考している。そのことに、スタンリーは静かな信頼感を覚えた。

 ややあって、議長は場を鎮めてから、目の前の青年に問いかけた。


「他国というのは、フラウゼだけではないのだな?」

「国交が開かれている、全ての国家に通達すべきかと」


 彼の進言は、場の大勢にとっては血迷った放言のように聞こえたのだろう。口々に怒声のようなものが飛び交う。

 しかし一方、彼の真意を読み取ったのか、落ち着き払っている者や渋面を作る者も少なくない。中には、青白い顔で震える者も。

 そして、議長は理解がある部類の人間だった。再び場を鎮めた彼は、重い口調で話し始める。


「提言について、私は支持する。しかし、先に意図を述べるべきではあったな。言葉が少ないばかりに、いらぬ混乱を招く」

「失礼いたしました。では、やや辛辣な物言いになりますが、ご容赦ください」


 そう前置きしたスタンリーは、一度深く息を吸い込んでから、その場の全員に向かって言葉を放った。


「この件はフラウゼとの間に亀裂を入れる程度のもので終わる――その程度の理解に留まる議員がいれば、私は猛省を促します。これから申し上げる言葉を、各々方おのおのがたは心中で反芻していただきたい。『貴族が、魔人に操られた』のです」


 すると、一瞬大きくどよめいた後、冷たい静寂が場を満たした。胃が痛くなるような空気の中、スタンリーは果敢にも、過酷な現実について告げていく。


「事は我ら二カ国程度に留まるものではないのです。この件は、政治的にも軍事的にも、貴族というものが欠くべからざる柱となる、全ての国家に関わるものであり……つまるところ、貴族という仕組みに立脚する、人間社会全体への危機なのです」


 ここまで言って反論するものはいない。少しの間静まり返り、それから議長が声を発した。


「我々が知らせずとも、魔人側には情報を広める準備があろう。であれば、なおさら先んじる必要がある」

「仰せのとおりです。民草の間に“流言”が広まることのないよう、早急に対応すべきかと」


 そこで、各国の中枢に対しては、この件を即座に通達するということで全会一致した。しかし……。


「我々に関係のない国は、民草に知らせないで済ませることもできよう。しかし、我が国とフラウゼは、そういくまい」

「はい。いつまでもアイリス嬢が“戦場”にいては、民草も不審に思いましょう」


 この質問自体は、かねてより想定済みだったのだろう。スタンリーは落ち着き払って答弁した。そして、彼は言葉を続ける。


「当初予定のご滞在期間中は、さほど問題なく隠し通せるかと。当作戦自体も、長期戦を想定したものではありますから」

「問題は、それを超えた時だが……」


 アイリスの滞在は、6月頭から始まって半年間。今はその半ばまで過ぎたところだ。後3ヶ月で事態が解決すれば良いが、そうでない場合……。

 沈鬱な空気が漂い始める中、スタンリーは言った。


「一国で決めることではありません。重ねて申し上げますが、これは他国にも関わる問題です」

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