第451話 「激動」
救援要請があったというのは、右翼陣地から見てさらに右手前方。ちょっとした木立になっているところの近くだ。幸い、さほど離れてはいなかったみたいで、少し走っただけで前方にそれらしいのが見えてくる。
一目散に駆けている――いえ、負傷のためか満足に走れないでいる部隊と、それを追う魔人と魔獣の一団。逃げるスピードに合わせて手加減しているようで、追手は遊んでいるように見えた。
私とともに向かうみなさんも、それには気付いたみたいで、追手の連中に勝てるかの心配よりも先に怒りの声が沸き上がる。
私も、剣の柄にかけた手が震えている。冷静にならなければならいない状況だとわかっていても――これまで見てきた、血が、傷が、骸が、私の中で叫んでいる。
許せない。
やがて、互いの表情が見える距離に入った。追われる彼らの顔に、申し訳無さが浮かび上がる。安堵はない。ただ、この先のことを案じている恐怖と絶望の色が見え隠れする。
私たち救援部隊の姿を認めたのか、追手の魔人たちに変化が見えた。すんでのところで彼らを始末しようというのだろう。こちらへ駆けてくる彼らの背に、赤紫のきらめきが見えた。
そして、その害意が形になる前に、私の
次いで私は
しかし、私の姿を認めるなり、撃たれなかった方は退却を始めた。そちらは深入りをしないつもりらしい。つまり、結局は己の感興のために負傷者を追い回していただけなのだろう。心をざわつかせるような憤りを覚えた。
一方、私に撃たれた方は、逃げる相方の言葉も聞かずこちらに向かってきた。そして、奴は負傷者の方に向け、魔法陣の記述に入る。
幸いだったのは、奴が経験不足だということだ。きっと
そうしてできた隙に、私は負傷兵の方々と魔人の間に割り込むことに成功した。私にやや遅れて、他の救援部隊の方々も駆けつけてくる音が聞こえる。すると、私に強い敵意を見せていた魔人も、さすがにまずは守りから固め始めた。
でも、それは遅きに失した。救援部隊からの射撃で
やがて完全に手詰まりになった魔人は、おそらく最後の悪あがきで、前のめりにこちらへ向かってきた。それを連射が迎え撃ち、着弾の衝撃にこらえきれず、奴はクルクル回りながら地面に伏した。
この程度の兵では、きっと大した情報は持っていない。ただ、最後の抵抗にだけ気を付けつつ、私は奴 に近づいてその首をはねた。幸い、それで奴は果て、切断面からマナが漏れ出て白い砂の塊になっていく。
それから私は周囲に視線を向けた。逃げ出した片割れは、すでに魔法も届かない距離にいる。たぶん、 これ以上の攻撃はない。
ようやく負傷者への対応に移れるようになり、私たち救援は彼らの傍に駆け寄った。逃げていた部隊は六人。いずれも大なり小なりの負傷をしている。
その中でも一番ひどい方は、両腕に多くの創傷がある。一つ一つの傷はそこまで深くはないけど、服の袖は元の色が見えないほど血で赤黒く染め上がっている。両脇下の止血だけはしてあるようだけど、それでも不完全なのか、袖口から血が時折したたり落ちている。相当、血を流してきたのだと思う。顔は青白く、生気がない。
まずは彼を寝かせ、この場で処置することになった。脇下の止血を改めて施し、服の両袖を切り取って患部を清潔にし、膏薬を塗って包帯を巻く。
流れるような手つきで処置が進む中、私は負傷者の方に寄り添い、手を握った。そして、届いているかどうかも定かじゃないけれど、それでも届くようにと祈って、声をかけ続ける。
すると、私の声に気が付いたのか、焦点の合わない目が私を捉えた。彼は口を小さく、パクパク動かし始める。何か、言いたいことがあるのかもしれない。私は身を乗り出し、顔を近づけた。
しかし、声は聞こえない。「無理なさらないで」と声をかけると、彼は痺れに
そして、目が合った。光のない、深い青色の目。その奥にちらつく、赤紫の――
全身が縮み上がるような警戒心が生じ、私はとっさに身を引いて目を閉じた。
でも、遅かったのかもしれない。何かされたのかもしれない。 閉じた
それは、知らない魔法陣だった。それが放つ
せめて、この方々にだけは伝えないと――そう思って口を開こうとしても、「早く逃げて」程度のことすら言えなくなっている。
やがて、知らない少女の声が私の中で反響し始めた。最初に見た赤紫の魔法陣は、今や私の中にくまなく行き渡って、私の意識を取り囲んでいる。それらの魔法陣は、目のようでもあり、口のようでもあった。私に対し、しきりに何か話しかけているようだけど、それが何なのかはわからない。知っているはずの言葉で、嘲り笑われていることだけはわかる。ただ、頭が働かない。
そして、私の意識に反して視界が開けた。「大丈夫ですか?」と気遣う声が、ぼんやりと輪郭のない声となって、どうにか私の元にまで届いた。
でも、私の五感から“私”がどんどん切り離されていく。最後に「大丈夫です」と、心にもない言葉を私の口が発したのを聞き届け――この意識は暗闇に溶けていった。
☆
戦場が夕日で染まる頃、今日の殊勲者である貴族の一部隊が帰還を果たした。
五人のうち、目立った負傷があるのは一人だけである。うち一人も、彼曰く「利き腕を折られた程度」とのことで、今日一日の戦果に照らせば、名誉の負傷というものであった。
彼らの帰還に、軍本陣は大いに沸き立った。砦を預かる敵将と思しき魔人を、果たし合いの末に捕縛したと、先立つ報があったためである。
その将というのは、マナを使えないようにと後ろに手を回された上で、魔道具による拘束を受けていた。暴れだす心配はないだろう。
ただ、本陣で待つ将兵にとって不可解であったのは、その将の頭に大きい布が被せてあることだ。これでは、その顔を確認することができない。そのことを以って五人の手柄を疑う向きはいないが、それでも待っていた者たちにとって、敵将の顔を見せないようにしているのは妙である。
まるで、捕らえた魔人の体面を気遣っているような……。
彼らの到着から少しして、総将軍であるメリルが現れた。吉報を耳にしたはずではあるが、その表情は硬く、殊勲者を迎える笑みも、どこかぎこちない。
彼女の表情を見て、将官の一部は苦笑いをした。若く恐れ知らずな貴族五人を出撃させるにあたり、懸念がまったくなかったというわけではなく、気を揉ませたのには違いないからである。
ただ、メリルが現れるなり、勝った五人も神妙な顔になっていく。この場に集う一堂にとって、それは妙であった。歓喜の渦も尻すぼみになり、徐々に静かになっていく。
すると、静寂を破るように、凛とした少女の声が響いた。
「メリルさん!」
呼びかけたのはアイリスである。今日の戦いの成果をともに喜び、
メリルもまた、強張った顔の表情を緩め――しかし、急にまた、緊張感を帯びた顔になっていく。
アイリスに違和感がある。いくら戦いがうまくいったからと言って、こうも無邪気に笑う子ではない。今日一日で、どれだけの負傷兵と向き合ったことか――メリルはアイリスに目を向けつつ、不穏な何かを感じて身構えた。
それとほぼ同時に、囚われの将が不意に顔を上げ、長い布が地に落ちた。程近くにあるメリルの顔と彼女の顔を見比べ、多くの将兵がハッと息を呑む。顔の面影、雰囲気がよく似ているからだ。
アイリスの登場で雰囲気が緩んだのも束の間、不思議と緊張感が漂い始める。それでも笑顔を崩さず駆け寄る彼女は、メリルに十分に近づいたところで――剣を抜き放った。
突然の凶行に、その場の大勢は反応できずにいた。例外は二名。メリルは素早く後ずさり、そして彼女をかばうように軍師が飛び出し、凶刃の前にその身を晒す。
これこそ、まさに予想外の行動だったのだろう。アイリスはキョトンとした表情になり、意図せぬ相手に深々と剣を突き刺す格好となった。
刺された軍師は、さすがに最高位の魔人である。その一撃で果てることはなく、苦しみに顔を歪めながらもアイリスを睨みつけ、静寂を破るような怒声を放った。
「貴様、まさか最初からこのつもりで!」
「あなたたちが扱いやすいのがイケないの。まったく、この子の体よりもよっぽど動かしやすいんだから!」
すると、アイリスは小さく舌を出してウィンクし、その場に魔法陣を刻んだ――赤紫の魔法陣だ。
「捕らえて!」と、メリルが鋭く指揮するも、手は及ばなかった。瞬時にして書き上がった複雑怪奇な魔法陣に身を委ねると、アイリスの体は魔法陣もろとも瞬時に消失した。ただ、その場に残るマナの
「リーヴェルム王国のみなさ~ん! この子の体は~、私が借り受けまっす! 大切なお体、又貸しになって心配だろうけど、安心してね! 私はあなたたちよりもずっと、この子のこと、しっかり面倒見てあげるから~。こんないい子がいなくなって寂しいとは思うけど、また遭えたら、そのときは一緒に遊んであげて?」
耳障りの良い声音で、聞くに耐えざる口調のその声は、最後に声の主が決して上げないような、品のない笑い声を残した。
やがて、その声も途絶えて静かになると、メリルはその場に膝から崩れ落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます