第450話 「分かれ目」

 軍師の名乗りに、恐れを知らない若い貴族たちも、さすがに硬直せずにはいられなかった。

 ルーシア・ウインストンといえば、今まさに国の方で再評価されている、歴史上の存在だ。すぐに落ち着きを取り戻した五人のうち、軍師の言葉に疑いの目を向ける者もいる。

 だが、雰囲気や顔立ちは、彼らの知る共和国軍将軍にどことなく似ていた。それに、彼女が嘘を言っているようには、五人とも感じなかったようで、強い嫌疑をあらわにすることはない。


 ただし、かの人物についての理解は、五人の中でもやや開きがあった。兵の窮地を救い続け、最後は自軍を逃がそうと囮になった功将という、世間一般の認識に留まるものもいれば……より真相に近いものを知るものもいる。

 隊の代表である青年が、まさにその知識を持つ一人だ。とはいえ、彼が知るのは、細々と伝えられた口伝でしかない。何かの拍子に耳にし、うっすら記憶にとどめた程度の話だ。それが、目の前の人物の存在により、急速に現実味を帯びていく。

 その、国の汚点を知る彼は、震えそうになる声を落ち着けながら尋ねた。


「あなたは……国の策謀によって、敵陣で孤立して果てたと聞いたが」

「……おおむね、その通りよ」


 答えようかどうか、悩むそぶりを見せた軍師は、結局落ち着いた口調で答えた。

 この返答に、今度は貴族たちがややうろたえた。国が主張しているストーリーとは筋立てが違う。これを明るみにしようものならば、国にとっては一大事だろう。しかし……。

「少し話し合いたい」と貴族の一人が申し出ると、軍師は呆気にとられた。少なくとも、問答無用で誅殺しようという気はないのだろう。そして、大手柄を得る機会を前に殺意を見せない彼らに、軍師は興味を持ったようだ。申し出に対し、彼女は「どうぞ」と少し優しげな声で答えた。


 応諾を受け、五人は軍師からやや離れて顔を突き合わせた。無論、光盾シールドなり泡膜バブルコートなりでの防御を怠りはしないが、彼らは軍師を話せる相手と感じ取ったようだ。彼女本人に対しては過度な警戒をせず、話し合いを始める。


「あの人の話、本当だと思うか?」

「人っていうか……まぁ、人か。話せるもんな」

「罠の可能性は、あると思う。国での政治的な運動を知っていれば、ご本人を名乗る誰かを引き取らせ、政治的に混乱させる策はあり得るだろう」

「そうなるよね、普通に考えれば」


 戦意高揚のため、歴史の淀みから引きずり出した人物が、実は魔人側に堕ちていた。それも大軍を率いる大幹部だったとしたら――とんだ茶番である。国を揺るがす事態になりかねないし、他国から孤立する恐れすらあるだろう。

 安全を考えるのであれば、この件は彼ら五人の胸にとどめ、この場で始末するべきだ。たとえ、彼女が何者であろうと。

 しかし……それでも、決断をためらわせるものがあった。


「捕虜、人質としての価値は? もし捕らえられるとして、身分を明かすことなく隠し通せれば、我らの利になるかもしれん」

「僕は、ちょっどどうかと思うね。例の逸話と、彼女の言うことが本当だとしたら、色々知った上でさらに利用しようだなんて、下劣に過ぎるだろ?」

「本当だとしたら、でしょ?」

「どうも、それっぽい感じではあるが」

「……ま、それは同感」


 彼らは揃って軍師の方へ視線を向けた。話し合いをしている間、それなりに隙があったはずだが、軍師は逃げも不意打ちもせず、ただ静かに佇んでいた。その毅然と構える様子は、潔さすらある――あるいは、捨て鉢のようにも見えるが。

 五人は再び顔を突き合わせた。


「たぶん、本当なんじゃないかと思う」

「確証が欲しいな。ウィンストン家に確認するための何かがあればと思うが……」

「本気? さすがに、血も涙もなさすぎじゃない?」

「いずれにせよ、ここで決めてしまっていい話ではないと思う。それに、結局はこの場で勝ってから、だろ?」

「それはそうだ」


 それから五人の間で話がまとまると、彼らはまた軍師の方に振り向き、代表が口を開く。


「とりあえず、あなたをこの場で拘束することに決まった。抵抗するか?」

「……さすがにね。動ける内から捕まってやる義理はないわ」


 とはいえ、答える軍師の様相は静かなものだ。とても抵抗しようなどという、敵意と戦意がない。ただ形式的に、彼女は右手で細身の剣を抜き放ち、五人に向けて構えた。

 すると、代表の青年は片手を前に構え、「しばし待て」と言った。それをいぶかしむ軍師に、彼は言葉を続ける。


「さすがに五人同時にかかるわけにもいかないからな。順番を決めさせてもらう」

「そ、そう……」


 調子を崩されたのか、やや気の抜けた返事をすると――五人はコイントスを始めた。しかし、一人が「表」と言うと、続く四人も「表」を宣言する。


「少しはズラそうと思わないのか?」

「いや、当たる方を言うものだろ、これって」

「先に言った奴とズラさなきゃいけないなら、先手後手で不公平じゃない」

「なんなら、その順番決めにコイントスやるか?」

「キリがないね」


――などと言いつつ、緊張感の欠片も見せない五人は、順番ぎめに時間を費やしていく。

 これから果し合いをするには、あまりに雰囲気というものがない。しかし……そんな五人を見て、軍師は一人静かに微笑んだ。

 そして、失ったはずの彼女の左手は、いつのまにか元通りになっていた。それに気づいた彼女は、少し驚き、目を閉じて感慨深そうに握りしめた。



 貴族部隊を先鋒とした今日の戦いは、これまでで一番大きな物になった。こちらから仕掛けて主導権を握っていること、部隊間の連携と陣形構築の巧みさによって、戦闘規模ほどの被害は出ていない。

 それでも、衛生隊へ担ぎ込まれてくる人数は、過去にないほどになった。

 ただ、私が配属された本陣付きの部隊は、全体としてはそこまで苦しい状況にはなかった。敵主力が集中したとはいえ、前衛の貴族がうまく抑え込んだことと、彼らを守るために手厚い支援があるからだと思う。

 問題は左右両翼で、いずれも魔人をよく撃退できているようだけど、相応の被害が生じているらしい。特に、右翼の方は衛生隊もかなり厳しい状況にあるとのことだった。

 伝令の方からは、そういった報告と支援要請を受けた。彼から見ても、私たちの隊はまだ余裕があるように見えたそうで……私の実感としてはそうでもないけど、それだけ右は大変なことになっているのだと思う。「人手はともかく、どうにか心の支えが……」とのことだった。

 つまり、激務に苦しむ向こうの隊のために、貴族による慰労を求めているのだと思う。右を押されて中央が挟撃を受ければ、軍全体が押されかねない。そのため右側の守備に回っていた貴族も、多くは前線に混ざって進撃している。

 すると、私の部隊の隊長さんは、かなり苦々しい渋面で考え込んだ後、私に声をかけてきた。


「頼めますか」

「はい、大丈夫です」

「申し訳ありません」


 隊長さんは私に頭を下げ、それからスペンサー卿にも謝罪して頭を垂れた。私が右へ移れば、こちらのお二人の負担は確実に増える。

 しかし、隊長さんは言うに及ばず、卿も私の異動を応諾してくださった。「ここは、僕に任せて」と仰る卿のお言葉に感じ入るものを覚えながら、私は伝令の方とともに右側の陣地へ駆け出した。


 脇目も振らずに駆け抜け、着いた右側の陣地は、伝令の方が言う通りの様相を呈していた。軽傷であればテントの外に追いやられているようだけど、どの方も包帯の下からにじむ血の色が痛ましく、とても軽いだなんて思えない。

 そしてテントの中は、より一層凄惨だった。敵が用いる魔獣の関係からか、激しく体が損壊することはないようだけど、それでも深刻な負傷を受けている方で床が埋まっている。

 それでも、人手はギリギリで足りていて、対応が間に合っていないということはない。ただ、切羽詰まった大声が飛び交い、それが現場の限界を如実に表しているように感じる。そうした指示の声に隠れ、うめき声やすすり泣く声が間断なく聞こえ、胸が苦しくなる。


 すると、テントの入り口に立つ私に一人気づき、「アイリス様!」と声をかけてきた。それでみなさんが私に気づき、場の視線が集中する。

 それから傍にやってきたのは、この場を切り盛りする女性の隊長さんだった。彼女はこの状況にあっても気丈な態度を崩さず、私の両手を取って話しかけてくる。


「ご支援ありがとうございます。お恥ずかしい限りですが、隊員に動けなくなった者がおりまして……」

「わかりました」


 もう言われるまでもなかった。これ以上動けそうにない隊員さんが、さっきから何人も視界に入っていたから。

 その子たちを慰め、励まし、時には叱咤して――再び、この現実に向き合わせる。それは残酷なことかもしれないけど、きっと必要なことだと思う。この道を志した、その気持ちを折らせないためにも。


 私は隊長さんにうなずいてから、離脱している隊員さんの方へ向かった。大半は現場から離れられず、「テントの近くでメソメソしている」のだとか。

 そのように知らされてから一度外に出ると、なるほど。すぐにわかった。それらしい衛生隊員が、彼女を慰めようと声をかけている負傷兵の方々に囲まれている。

 この様を見て、隊長さんは「お恥ずかしい」と称したのかもしれない。でも、それよりは負傷兵のみなさんが立派な気丈夫なのだと思う。そこに割り込むことにかすかな抵抗を覚えつつも、私は泣いている子のそばに寄った。

 幸い、私のことはだいぶ名前と顔が売れているようで、顔を上げた彼女に名乗る必要はまったくなかった。声にならない声で私を呼びかけ、彼女が抱きついてくる。その手には血の色が染みついていて、これまでの激務を物語っていた。

 私は、何も声を掛けられなかった。ただ静かに、全身全霊でもって、優しく抱き留めるしかできない。


 少しすると、彼女は落ち着いてくれた。こういう部隊に配属されるくらいだから、芯は強いのだと思う。どうにか軽く会話できる程度にまで立ち直ってくれたけど……他にも、立ち直らせなければならない子がいる。

 後ろ髪を引かれる思いを覚えつつ、「他の子もいるから」と言うと、彼女は納得してくれた。その強さに感謝しつつ、私は次へ向かう。


 それからも私は、傷ついた隊員のもとへ駆け、寄り添っていった。その中で、すすり泣く声に混じって聞こえてくる遠くの歓声が、どうにも胸に苦しい。

 戦況としては、共和国軍が有利にある。それ自体はとても好ましいし、それを喜ぶ気持ちは否定できない。傷ついた方々も、現在の戦況について誇らしく思っている。それは当然のことだと思う。

 でも、素直に喜べない人もいる。抱きしめた腕の内で震える、そう年が変わらない子の心情を想って、私の心も震えてしまった。


 そんな矢先、急報が飛び込んできた。「右翼近くの偵察隊が、敵魔人と遭遇し負傷した!」とのこと。最初に接敵した分は撃退したものの、後続がやってきて、逃げ切れるかどうか……というところらしい。

 こういう時の救援も、衛生隊の仕事だ。増援として加勢し、必要があればその場で処置する。

 しかし、今回の相手は魔人だ。救援用の隊員は精兵が多いといっても、事の次第では二次被害が発生するかもしれない。

 そこで、私に視線が集まった。「どうにか、ご助力願えませんか」と尋ねる、右翼陣地の指揮官の方に、私はうなずいた。

 でも、そこで衛生隊長さんが待ったをかける。


「魔人相手でも、ある程度応戦ができるよう、訓練を積んでいます。ご足労いただくほどでは」

「しかし、間に合わなくなっては、元も子も……」


 私がこの場で出ることに、もちろん懸念材料はある。私の身に何かがあれば、きっと色々な方が責任を問われてしまう。

 しかし、私が出ず、追われているという偵察隊が壊滅した場合……留まるように決断を下したことが、問題視されないという保証はない。出ていれば私の身だって危なかったという反論も成り立つだろうけど、こういう事態での救援も込みで、私は貴族として配属されている。

 結局、緊急時ということで、その場の流れに押し切られる形で私への支援要請が通り、私はそれを受け入れた。それでも、何か言いたそうだった衛生隊長さんは、言葉をぐっとこらえていた。そんな彼女の手を、私は軽く握る。私よりも少し大きくて、とても温かな手だった。


「行ってきます」

「……ご武運を」


 それから、勇壮な雄叫びを背に、私たちは救援に駆け出した。

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