第449話 「死んでも何も変わらない」

 共和国軍に釣り出される形となった第一波は、手際の良い連携でしのがれた。しかし、それに続いて起きた衝突は、息もつかせぬうちに伝播していき、今では開戦以来最大規模の交戦状態となっている。

 戦場の各所から、砦に控える軍師の耳に報告が届く。しかし、伝える者たちには、待ち望んだ大戦に身を委ねるような歓喜はない。予想以上に苦戦を強いられているという焦りが、声にも顔にもにじみ出ていた。

 飛び交う情報には要領を得ないものもある。そんな喧騒の中、軍師は地図をにらみ、自身の脳裏に戦場を描き始めた。


 戦闘の中心となっているのは、共和国軍の戦列中央にある、貴族部隊だ。彼らを先陣として、左右と後方に射撃による支援部隊が配置されている。

 その連携によって第一陣は壊滅したのだが、さすがに同じ愚を繰り返すわけはなく、今は左右両翼に対しても魔人の部隊が応戦している。

 ただ、その両翼の状態が芳しくない。共和国軍はその長射程を武器として、部隊間で連携できている。間合いにさえ入れば一部隊当たりの能力は魔人側に利があるが、より広い視野で物を見れば、部隊間で協力し合える共和国軍が優位に立っている。

 要領を得ない報告には、「いつのまにかやられていた」などという、報告の体を成さないものも何度かあった。それも、長射程による予期せぬ横槍を示唆していると、軍師は推察した。


 こうなると、一度引き戻すべきだ。共和国軍の攻め手は、あくまで戦力を削ることを意識している。撤退したからといって、その機に攻め入ることはないだろう。軍師はそのように考えた。

 問題は、帰れと言って聞く連中かどうかだ。これまでの反抗的な態度や、軽微ではあるが度重なる命令違反を思い出し、軍師の胸中は暗くなる。

 しかし、そんな連中でも、彼女にとっては守るべき配下であった。その者どもが今なお窮地にあるのなら、それが彼らの望んだ末路だとしても、救い出さねばならない。

 意を決した軍師は、慌てふためく伝令たちと、砦に控える戦闘要員に向かって静かに告げた。


「今から私が前線に立ちます」

「と、言いますと……総攻撃なさるので?」


 全く逆の事を言いだす配下に、頭を抱えたくなるのをどうにかこらえ、軍師は言葉を続ける。


「一度引き戻します。これで軍としての実力はわかったでしょう。こちらも相応に連携を取らねば、すりつぶされるだけです」

「では、軍師様が出られる理由は?」

「伝令の言う事では聞かないでしょう。私も彼らも、今のままでは相互に信用がありませんから。私が前に出て、撤退を支援します。そうすれば、事の深刻さを認識できるでしょう」


 しかし、言っている間に、軍師の脳裏に不穏な予感が立ち込める。これでも、聞かない連中であったら……この場の総司令を担わせた大師の意図を、彼女はまだ掴みかねている。この御しにくい者どもに手を焼いたという意味もあるだろうが、それ以上の何かもきっとある。

 彼女は、この場で前に出ることのリスクを思った。謀殺するなら、まさにうってつけである。留まるなら、今考え直すしかない。

 だが、彼女はここに来るまでのことを思い出した。「勝とうが負けようが、今のままではいられまい」という、皇子の言葉を。

 ああ――普段はちゃらんぽらんだけど、彼は人を良く見てはいる。今度会えたら、見直したとでも言おう。そう心に決め、軍師は静かに席を立った。


 彼女が向かった先は、軍議の間にほど近い、広々とした一室だ。

 そこにある赤紫の門は、出撃に用いる場合は一方通行である。砦からマナの及ぶ範囲であれば任意の地点に送り込むことができ、この範囲が実質的な魔人側の勢力圏と言える。

 一方の帰り道は、門をくぐろうとする魔人の合図で開くものとなっている。その利用に際しては、事前に門の契約者として簡易な儀式を行う必要がある。この砦の主だった魔人は、皆その儀式が済んでいるはずであったが、しかし帰還者の姿は見当たらない。

 軍師が門の管理者に尋ねると、その魔人はやや卑屈に笑いながら答えた。


「ど、どちらさんも、まだ帰ってきませんで、へへ」

「そう。いつ帰っても構わないよう、門の用意を」


 そう言って、軍師は出撃用の門の前に歩を進める。すると「行き先は?」と管理者が尋ね、軍師は「左翼後方へ」と告げた。

 報告からすれば、左翼で交戦中の敵部隊の陣容が厚い。そこが壊乱すれば、中央も危うくなるだろう。そうなる前に左翼を取りまとめて後退させ、中央、次いで右翼の撤退につなげようというのが、彼女の目論見である。

 行き先を告げ、後はくぐるばかりとなって、軍師は目を閉じ深く息を吸い込んだ。


――帰って来れないかもしれない。いや、そもそも、帰る場所なんてあるのかどうか。あるとすれば、それはもしかすると戦場の土なのかもしれない。

 そう思うと、軍師の心はフッと軽くなった。彼女は険の取れた顔になり、戦場への一歩を踏み出した。


 赤紫の門から躍り出ると、戦場の緊張感が全身の肌を刺し、彼女の顔が一気に引き締まる。

 転移先は注文通りの場所であった。やや前方で、激しいボルトの応酬が見える。魔獣を盾に応戦しているようだが、長くはもたないだろう。

 軍師は駆けだした。幸い、合流するのにはさほどかからず、押されつつあった部隊が壊滅する前に、彼女は配下のもとにたどり着いた。

 総司令が突如として姿を現したことで、魔人たちは大いに驚いた。しかし、その意図を読み違えた者どもが、彼女の加勢に沸き立つ。「ここで押し返しましょう!」と言い出す配下に、軍師は淡々と言葉を返す。


「このままでは全軍が徐々に削られるだけです。撤退しなさい」

「いえ、しかし……大幹部が来られた今なら!」

「私一人加勢した程度で、揺らぐような敵ではないわ」


 軍師が冷ややかに言葉を返すと、苛立ちを隠そうともせずに配下の一人が言い放つ。


「欲目でもあるのですか?」


 なかなかの反骨を見せる放言である。そんな当て擦りを半ば無視して、彼女は応じる。


「挑発に応じて釣り出され、相手にペースを握られたまま散るのが、あなたたちの望む戦闘ですか?」

「そ、それは……」

「背中は私が守ります。早く中央の部隊の加勢に。崩れる前に、共に退きなさい」


 有無を言わせぬ口調と静かな威圧感を以って指示を出すと、さすがの配下たちも反抗すること叶わず、彼女の指示通りに動き始めた。盾になる魔獣はそのままに、中央の戦場へ向かって走り始める。


 そうして周囲に魔人がいなくなったところで、軍師は共和国軍の部隊と相対した。

 彼女にとって、かつての故国と矛を交えるのは、これが初めてである。あまりに長くこの地を離れていただけに、勝手知ったる軍とは言い難い。その力の程を身をもって把握しようというのも、今回の出撃の理由の一つであった。

 射撃によって徐々に崩されてゆく砦亀フォータスたちの戦列を眺め、ある程度の射程を確認した彼女は、その甲羅の上に立った。


 すると、すかさず銃の射線が集中し、彼女に矢弾が襲い掛かる。亀から下りてそれを回避するも、着地の隙を狙うように第二波、身を翻したところに第三波。

 息つく暇もない連射にさらされながらも、軍師はそれを全てかわし続け、銃士たちの出方に注視し続ける。

 そうやって回避を続けると、射撃の方法に早くも変化が現れた。断続的な一斉射撃が少しずつ細分化されていく。おそらく、第三波までのローテーションだったものが、第四波、五波と増えていき、より一層滑らかで間断のない連撃へと変化していく。

 この柔軟な規律のありように対し、軍師は舌を巻き――そして、心底羨ましく思った。

 しかし、そこに懐かしさは一切感じない。長く離れた間に、ここまでの軍になったのだろう。そこには不思議な物寂しさと感慨があった。

 とはいえ、浸っているわけにもいかない。疎まれ軽んじられている自覚はあっても、軍師はあの砦を預かる将帥であった。この軍の次へとつなぐため、彼女は襲い掛かる矢の雨に対し、ひたすら観察に徹した。


 そして、いつまでも続くように思われるその猛襲の中、彼女は一つ気が付いた。矢が迫る角度が、予想以上に広い。というよりも、目に見える兵の配置以上に、広い範囲から矢が迫るように彼女は感じた。実際に脅威を肌で感じ、緊迫感の只中に身を置いたことで、そう錯覚しているだけかもしれない。

 しかし……見えないところに兵が配されている可能性を、彼女は勘案せずにはいられなかった。

 見れば、足元の草はかなり背丈がある。夏が終わったばかりのこの時候は、一年でももっとも丈が長くなる頃合いだ。その草に忍ばせるよう、伏兵が配されているのなら……知らぬ間に撃たれたという配下の報告も、腑に落ちる。

 なおも続く射撃に対し、彼女は兵がいるようには見えない一角へ視線を向け始めた。見えている兵と、”もしかしたら”というところへ交互に目を向け、注意を払う。

すると、わずかにではあるものの、不可解な角度からの攻撃が減り始めた。見られている状況では、伏兵は手を控えるのだろうか。未だ憶測の連なりにすぎないものではあるが、打開策を少し掴んだような手ごたえを覚え、軍師は表情をやや緩めた。


 それから、やや後退し、彼女は後方を振り向いた。中央の交戦はとうの昔に止んだようで、配下はすでに帰投したように見える。より奥の右翼側も、戦火がやや収まりつつあるように感じられた。

 ならば、ここも潮時だろう。戦線を支えていた亀や他の魔獣たちも、今や多くが流れ弾で霞と化している。

 軍師は自らの帰還のため、赤紫の魔法陣を描いた。地面に垂直に立てたその大型の魔法陣は、砦側とつないで帰還するためのものだ。

 描いた魔法陣が赤紫の波打つ膜に変じたのを確認した軍師は、それまで対峙していた部隊に目を向けた。そして、何かあっても即応できるよう、彼らから目を外すことなく門に体を近づけていく。


 その、“警戒すべき何か”というのは、門の側にあった。鋭い痛みを覚えた軍師が門の側に振り向くと、開けたはずの門が急速に収縮し、最初に門を越えようとしていた左手に食いついている。

 やがて、彼女の意志に反して門が閉じると、わずかなマナの残滓だけが宙に漂った。左手首から先はなく、切断面から紫のマナが静かに漏れ出る。


 軍師は、ため息をついた。このような事態になる可能性は、前々から頭にあった。しかし、謀殺するにしても雑すぎる。この扱いに、軍師はどうしようもない思いに囚われ、ただ冷笑的な表情が自然と浮かび上がる。

 左手の再生は遅い。冷徹で皮肉な思いが胸を占める中、再生を拒むような左手の反応は、彼女にとって本心を示しているように思われた。

 念のため、彼女は無事な右手で再度の開門を試みた。しかし、魔法陣を描いても反応がなく、帰投側とつながる気配はない。

 近くでは魔獣が死んでいく。自身は転移での帰還を拒絶された。できることと言えば、この戦場で生き延びる努力をするか、それとも死に場を探すかだ。彼女は後者を選んだ。


 彼女はまず、前方の部隊に目を向けた。貴族として生まれ、魔人へと変じた彼女ではあるが、直接戦闘においての武勇にさほどの自負はない。それでも、平民など及びもつかない存在ではあるが……連携の取れた銃士隊相手では、一方的に射殺されるだろう。

 彼女は振り向き、貴族たちに視線を向けた。誰に殺されたかも定かではない集中砲火にさらされて果てるよりは、1対5で死ぬ方が、まだマシに思われた。

 それに……どういった考えがあったのかは知る由もないが、少なくとも今日の戦端を開いたのはあの五人だ。そのうちの誰かに討たれて果て、彼らの手柄になるのなら、それは意味のある死だろう。


 彼女は、もはや配下が逃散した後の草原を一人歩いた。幸い、後ろから撃たれることはなかった。未だに残り続けた亀たちが、背を守ってくれているのかも知れない。心無いはずの魔獣たちの献身に、彼女は感謝した。

 一人で歩く草原は広く、貴族たちの元までは遠い。歩を進めて思い出すのは、人としての最後の日であった。結局、どちらへ行っても、何も変わりはなかった。自分を貫き通したと言えば聞こえはいい。しかし、魔人であれば誰もが自分を貫き、固執している。


――であれば、つまるところ、自分はどちらからも望まれる存在ではなかったというだけのことだ。


 静かに歩いていく彼女に、例の五人はかなり距離を開けても気づいたようだった。しかし、距離が近づいても応戦する気配を見せない。その意図はわからないが、最後にいくらか話ぐらいはできそうである。耳に耐えざる挑発を繰り返した割に、おとなしく待っていてくれる彼らに、軍師は静かに感謝した。

 やがて、矢が届く間合いに到達し――それでも互いに反応せず、彼女はさらに歩を進めた。


 そして、叫ばずとも声が届く程度の間合いに入ってようやく、貴族たちの一人が言葉を発した。


「……魔人側の将官か?」

「なぜ、そのように?」

「魔人にしては気品がある」


 すると、軍師は思わず吹き出してしまった。生まれたときから強いられてきた振る舞いは、今を生きる彼らのお眼鏡に適ったようだ。


「何か?」

「いえ、お褒めいただき光栄に思うわ」


 そうして互いに言葉を重ねると、貴族たちはみるみるうちに怪訝けげんな顔になっていく。これから殺し合うにしては、やや落ち着いた会話だからだろうか。しかし、どうせ果てるなら、静かに話してからの方がずっと好ましい――そう軍師が思ったところ、貴族の一人がためらいがちに声を上げた。


「お名前をうかがっても?」

「その必要を感じないわ」

「……あなたは知り合いに、大変そっくりでして」

「口説いているのかしら?」

「それもありますが……何者か知らねばならないという気持ちは大真面目です」


 口説きを否定しない心胆に、軍師は思わず笑みを浮かべてしまった。なるほど、私の配下はこういう者たちに負けたのだろう。そんな彼らに敬服した彼女は、望みを聞き入れることにした。


「向こうでは軍師と呼ばれているわ……いえ、呼ばれていた、かしら」

「軍師……魔人六星の一角か」

「ええ。もう、私の席は無いでしょうけど。それで、生前の名は……」


 そこまで言って、彼女は急に口ごもった。愛着があったはずの自分の名は、故国に汚され捨てた名は、口にするにはあまりに重かった。それでも彼女はかすかに声が震えるのを自覚しつつ、名乗りを上げる。


「ルーシア・ウィンストンよ」

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