第445話 「交戦初日」

 9月1日早朝に始まった戦闘は、日が沈むまで続いた。

 その間の推移は、共和国軍が想定していたよりも穏当なものであり、小隊規模の衝突が散発したという程度だ。


 もともと、共和国軍はその用兵のあり方により、兵の損耗が少ない軍として名を成している。射程に優れる銃兵を擁し、さらには長年にわたって築き上げた防衛拠点、そして野戦築城の経験を持つためである。

 そんな彼らにとって、積極的に攻め入る理由はあまりない。拠点から離れすぎないよう、じりじりと前線を押し上げつつ、血気にはやった魔人を釣りだして集中砲火を仕掛けるというのが基本戦術である。

 無論、魔人側もそれは承知している。射程に優れる共和国軍に対応するため、まず扱う魔獣に違いがある。敏捷性に優れたもの、あるいは鈍重だが図抜けて堅牢なものなど、他の戦地では見かけられないものを用いている。

 そのような、お互いに勝手知ったる仲で繰り広がられる戦闘は、時折魔人側が激しい反攻の勢いを見せたものの、大きく状況が動くという事態にまでは至らなかった。


 この戦いにおいて指揮を執り続けたメリルは、敵の動きに違和感を覚えつつも、将としての力を発揮した。

 彼女の将帥としての才覚は、主に戦場の把握と直感力として現れる。各部隊の位置と間合いを視た上で、先んじて隊を動かし、やがて半包囲へ持ち込むことなど造作もないことだ。

 そんな彼女が出す指示は、戦場の部隊へと迅速に伝えられ、前線が一つの生き物のように流動性を持って獲物を捉えんとする。 それほどまでに、彼女の戦術眼と軍全体の規律には並外れたものがある。

 しかし……。



 日没後。指揮を副官に任せたメリルは、軍本営に戻って軍議を開いた。場に人員が揃うなり、さっそく年配の将が口を開く。


「思ったほどには、かかりませなんだな」

「ええ」


 巨大なテーブルに広がる地図と、並べられた駒を見つめながら、メリルは答えた。

 釣り出しに対する反応は見せるものの、致命的なところまで進行する様子はなかった。倒したのは魔獣ばかりである。平素であれば魔獣任せにせず、むしろ魔人から打って出るものだが……。


「完全に魔獣任せということはないのでしょう?」

「はっ! 敵の各部隊の構成は、普段の戦闘とほぼ相違ないものです」



 メリルの問いかけに、若い武官は緊張した面持ちで答えた。


 魔人は転移による機動力に加え、魔獣という容易に使い潰せる兵を手にしている。それだけを考えれば、人間側の軍よりもはるかに柔軟な兵の運用が可能だ。

 しかし……それぞれの魔人は自身のやり方に固執するものだと、広く認識されている。そんな魔人にとって転移や魔獣という要素は、個々が柔軟な対応をするための武器としてはみなされず、逆に個々の個性を際立たせ、確立させるためのものとなっているようだ。

 それぞれの魔人は、そう容易には変われない。共和国軍においても、その認識は確かにある。長年の闘争により、特徴的な戦いをする魔人は名付きネームドとして認識されているが、いずれも戦いぶりには十年一日の如くに変化がない。

 そのような魔人たちが、部隊規模で見れば普段と違う動きを見せている。その事実が示唆するものは……。


「さすがに、こちらから攻め入ったことを警戒しているのでは?」

「いや、連中の上が変わったのかもしれん」

「こちらを困惑させようという策では? こちらの攻めを受け流し、緩急つけて反撃しようと」

「いずれも、結局は同じことを指しているように思われるな」


 将官たちは自由に意見を戦わせた。いずれにしても、何かしらの変化を感じ取ってはいる。しかし、それが何であるか。彼らはつかみかねていた。

 その中、メリルは黙したままであった。そんな彼女に、やがて場の視線が集まっていく。

 すると、かつては彼女の上役であった年配の将が「若殿の見解は?」と、軽い口調で尋ねた。気のおけない仲の老将に対し、メリルはフッと笑って口を開く。


「深入りを避けているようには感じます。しかし一方、反応がやや遅いようにも……」

「私も、そういった感触はあります」


 視線を向けられ、前線指揮官の一人は即答した。他の将官も、おおむね同様の印象を抱いているらしく、特に反論は出てこない。

 そこでメリルは言った。


「時間経過とともに、退く動きに鈍さも見られたように思うけど、どう?」

「それは……確かですね。昼過ぎから、そういった傾向があります」

「印象か?」

「いえ、戦果の推移において、全体にそのような傾向が。昼過ぎからの方が、一回の衝突あたりの交戦時間と、撃退した魔獣の数に伸びが見られます」


 各隊の報告を取りまとめた、速報という名の紙束をめくりながら、若い武官は答えた。

 武官はデータとして把握した傾向であるが、メリルは直感的に感じ取ったのであろう。その鋭敏さに、幾人かの将は感心の唸り声を漏らした。


「連中の動きについては、不承不承という言葉がしっくりくるような印象を受けます。あくまで、印象にすぎませんが」

「私も、似たような感じではありますね。焦れてきた感じも、かすかに」


 メリルの発言に将の一人が応じ、そこへいかめしい顔の将が口を挟む。


「奴らに新しい指揮官がついたと?」

「その命に渋々従っているか……あるいは、自分たちの合議の元、不本意な取り決めに従っているか……といったところだと思います。いずれにせよ、向こうの統制に綻びがあるように感じます」

「もう少しつついてみますか?」


 若い将の問いかけに、メリルはやや考え込んでから、首を横に振った。


「攻勢はこのまま。こちらから深入りはしません。この動きがブラフという可能性もありますし、できれば引き込んで戦いたい。今の憶測が当たっていれば、そのうち辛抱できなくなって、統制も決壊するでしょう」

「夜間対応も、従前どおりで?」


 今度の問いに、メリルは考え込んだ。場に集った将官それぞれに視線を向け、しばし口を閉ざした後、彼女は言った。


「昼までの状況を鑑みるに、抜け駆けに来る奴が想定よりも多くなるのではと感じます。もし向こうに連中を抑え込んでいる司令官がいるのならば、構えられているとわかっても、出たがる者を出す理由はあるでしょう」

「ああ……聞かん坊が死ねば、静かになってそれで良し。何らかの功を収めれば、まぁ、それはそれでと」

「ですから、今夜は当初想定分より、夜間の防備を手厚く配するべきかと」


 これは一つの賭けではある。来るかどうかもわからない敵に備え、夜通し兵を配置につかせる決定が空振れば、その後の戦闘に障るからだ。

 しかし、今日の戦闘は、事前の想定よりもかなり軽微なものであった。体力を温存できている兵も多く、そういった予期せぬ余力を、今夜の防御に充当できれば……。

 メリルの発言からさほど時間をおかず、副官のスタンリーは静かに口を開いた。


「結局動かさなかった兵を、今から早めに休息を取らせれば、夜営にさほど無理なく組み込めるかと」

「諸将、よろしいでしょうか?」


 軍を導く年若い二人に対し、様々な年齢層からなる将官一同は、信頼の視線を向けてうなずいた。



 一方、魔人が駐留するフォルドラ砦、軍議の間では……。

 新たに赴任した総指揮官の指示に従ったことで、魔人たちは当初考えていたよりもずっと戦果に乏しい戦いとなったことへ、不満を隠そうともしなかった。


「今日はご命令通り、なるべく早くに引き下がりましたが……攻め気のない相手にこれでは、あまりに消極的では?」

「軍師様、あんなの戦っているフリですよ。カッコつけて逃げてるだけですって!」

「むしろ、こっちが早めに手仕舞いして、相手も助かってるんじゃ?」


 数十人の配下は判で押したように積極策を推してくるが、この場を預かる軍師にとっても、打って出る必要性は認めるところである。

 敵将の戦術についていえば、今日の一戦だけでその一端を垣間見ることができた。陣の配置と、各部隊の連携を効果的に操る相手に対し、誘い出されるままでは各個撃破ですり潰されていくだけだろう。

 しかしながら、敵の戦術や連携を打ち崩そうにも、それには魔人同士の連携が必要不可欠である。そして、それが可能になるほどの協調性が、者共には見受けられない。そのことに軍師は頭を悩ませた。一番現実味のある連携の形態は――おそらく一斉突撃であろう。

 彼女にとって、それは馬鹿げた選択であった。そして、目の前の連中にとっては、むしろこの上ない命令になるだろう。そのギャップにため息をついた彼女は、少し間を開けて問いかけた。


「私は、あなたたちをよく知りません。今更になって恐縮ですが、忌憚きたんなく答えてください」


 この期に及んで、妙なことを言い出す軍師に、魔人たちは呆気にとられて顔を見合わせた。しかし、結局は彼女にうなずき、先を促す。


「では……みんなで仲良く突撃することと、一人ないし配下含む少人数で勇壮に吶喊とっかんすることと、どちらが好ましく思われますか?」


 この問いかけには、さすがにこの場の魔人たちも違和感を覚えた。前者と後者で、明らかに表現が違う。ただ、そういった差はさておいても、多くは後者を好むことを表明した。

 すると、軍師は言った。


「今夜、こちらから仕掛ける許可を出します。ですが、出せるのは……そうですね、5部隊としましょう。この中で5人、その隊長を選出しなさい。夜明けまで実際の指揮権を委任します。それで、よろしいかしら?」


 つまるところ、彼女が口やかましく言わず、好きにやっていいというお達しである。魔人たちは沸き立った。いずれも、自分がその隊長になれると、信じて疑いもしない風である。

 そうして浮かれている魔人たちに、軍師は冷ややかに言った。


「この場で選出する隊長は5人までです。しかし、隊員はその限りではありません。同輩の下につくことを良しとするのなら、それも認めましょう」


 それだけ言って、彼女は席を立った。


 この者共は、なまじ戦歴が長いだけにたちが悪い。自分のやり方に過剰なまでの自負があって、上役であるという程度の理由では従わせられない。

 ならば、勝手に競わせておけばいい。それで戦果が出るのなら、私の見立てに誤りがあった。戦果乏しく退散するのなら、少しはおとなしくなるでしょう――軍師はそのように考えた。

 もっとも、相手もこういった動きへの備えはあるでしょうけど……。

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