第446話 「交戦2日目」

 一夜明けて二日目が始まった。


 伝え聞いた話によれば、一日目の攻防は想定よりもかなり穏やかな結果に終わったらしい。敵方からの夜襲があったそうだけど、前もって兵を配しておいたおかげで、大事にはいたらなかったみたい。強いて言えば、本陣よりも前方にある即席の壁の一部が損壊した程度だとか。

 思っていたよりも、戦いは穏やかに推移した。しかしそれでも、負傷者は発生する。私たちの受け持ちにも、もちろん。床が足りなくなるほどではないけど、何人も何人も運び込まれた。完治まで相当かかりそうな重症の方も、今後の人生に触るほどの負傷の方も――犠牲になられた方も。


 隊員の多くは、気を強く持って立ち向かい続けていた。でも、全員というわけじゃない。配属されてから日が浅く、これが初めての実戦という隊員も数名いる。

 そんな新人たちも、必死に感情をこらえていたけど……弔いの時には一部の子が泣き出してしまった。それがいたたまれなくて抱きしめると、声を震わせながら何度も何度も謝られた。


 ただ、不幸中の幸いと言うべきか……スペンサー卿は、心を痛めた隊員の慰撫に、大いに貢献してくださった。卿は隊員と向き合うことについて「負傷者から逃げているだけ」と謙遜されていたけど……。

 でも、隊員と向き合うようになられてから、卿は負傷者の方々に対する支えになろうと尽力されているようにも見えた。きっと、ご自身でできる限りのことをしようと、決断なされたのだと思う。

 卿にしてみれば、こうした厳しい現場に不意に連れてこられたようなものだろうけど……ご自身で思われるよりも、ずっと立派なお方だ。

 そんな中、私自身は、少し反省することがあった。



 隊員のみなさんと起床した私は、昨日着ていた服に目をやった。

 国から持ってきたその一張羅は、一晩寝てから改めて見返してみると、見るも無残だった。服の生地が白いだけに、血と砂や泥での汚れがより目立つ。ここぞというときに選んで着る、思い入れのある服だけに、この汚れっぷりでは服に対する申し訳なさすら感じてしまう。

 当初の目論見では、戦場医療の場で汚れたこの服を、議会へ提出しようと考えていたわけだけど……まさか初日で連用に耐えなくなるなんて。

 私自身、衛生隊のことを甘く見ていたようで、深く反省することしきりだった。


 そこで、この一張羅はもう提出資料として扱うことにして、今後は衛生隊の隊服を貸与してもらうことに。恐れ多いとして尻込みする隊員もいたけど……私としては、むしろ望むところ。これで、みなさんの一員に、もっと近づけると思うから。

 そして、そうすることで、みなさんの支えになれるのなら、これこそが私の着るべき服だと思う。


 用意していただいた、薄いベージュの隊服に袖を通すと、それだけで距離感が縮まったような気がする。最初は恐縮していた隊員の多くも、今は感極まったような、そんな目をしている。思うところはあるだろうけど、決して拒む感じはない。

 そこで、ついでに制式装備一式も貸していただくことにした。愛用の剣や諸々の装備を置いて、隊員向けの道具入れや、やや儀礼的意味合いの強い剣を腰に帯びる。

 すると、私はどこからどう見ても、共和国軍の衛生隊員になった。

 あらためて入隊した私に対し、隊長さんは「さすがに部下扱いは難しいですが」と苦笑いで前置きして言った。


「一緒にいていただけることは、大変心強く思います」


 すると隊員の一人が顔を伏せ、体を小刻みに振るわせ始めた。抑え込んでいても、彼女が泣いているのは、誰の目にも明らかだった。

 彼女に対し、叱責の声はない。隊長さんも、かなり物憂げで切ない表情をして、その子をみつめるばかり。

 そこで私は、「さっそくですね」と軽口を飛ばし、その子をそっと抱きしめた。彼女は消えりそうな声で、ごめんなさいと何度も謝ってくる。

 正直なところ、どうして泣いているのか、正確にはわからない。きっと、割り切れない思いがいくつもあって、どうしようもないのだと思う。

 でも、彼女は割とすぐに立ち直った。まだまだ新人の部類に入るそうだけど、立派なものだと思う。やがて彼女が涙を拭って顔を上げると、そのタイミングでスペンサー卿は、やや遠慮がちに問われた。


「あの、予備の隊服って、あるかな?」

「もちろん。卿もいかがですか?」


 隊長さんはすぐに問い返した。

 もちろん、貴人に対して勧めるような服じゃない。それは聞く方聞かれる方いずれも承知済みだったことと思うけど、問いかけに対して卿は腹を立てることなく、ただ少し硬いながらも微笑んで回答となされた。



 戦闘二日目の昼前。初日よりもやや踏み込んだ位置まで前進した一部隊は、迫りくる魔獣の群れに相対した。

 空を徘徊する金属質の物体は、針葉鳥ニードルバードよりもやや大きく、くちばしは一層凶悪である。別種と言うより変種に近いそれらの鳥は、銃士の隊列に狙いを定めると、一斉に急降下を始めた。


 共和国軍銃士隊は、機動力を強みとする部隊ではない。そのため彼らは、迫りくる槍の雨に対し、足ではなく射撃の腕で対応を始めた。前列は膝をつき、後列は立ち、全員が射撃に参加できるよう即席の陣を組み上げ、各部隊長の号令とともに一斉射撃を繰り出した。

 地から放たれたマナの色は、一様に緑である。これは、あえてすべての銃のボルトを緑に染めている。軍全体としての連帯感を得るためというのが通説だが、それはさておいて、緑が低位のマナといっても弾の威力に差し触りはない。

 事実、空からの突撃と地からの迎撃が衝突すると、鳥たちの多くは魔弾の威力で砕け散り、マナの霞と化した。

 しかし、なおも霞の中から現れる鳥もいる。こうなると厄介で、距離が詰まりつつある上、その金属光沢は角度次第で迎撃者の目をくらませる。

 ただ、今回は共和国軍に運が味方したようだ。再びの斉射でさらに鳥たちは空に果て、残るものはいなくなった。敵の密度によっては負傷者が出ることも避けられないが、今回は敵がいささか速まったようだ。中には安堵に胸を撫で下ろす兵もいる。


 しかし、脅威が去ったわけではない。視線を地に落とすと、ややマットな質感の小山が隊伍を組んで進撃している。

 まだまだ十分に距離があるものの、かすかに地を揺らしてくるその怪物は、成人男性ほどの全高を持つ巨大なリクガメだ。砦亀フォータスと呼ばれるその魔獣は、名の通り要塞を思わせるほど重厚な甲羅を背負い、生半可な攻撃は寄せつけもしない。それらが迫りくる様は、遠目に見ても異様な威圧感を放っている。


 徐々に彼我の距離が近づきつつある。しかし、部隊の指揮官は、焦れる隊員を待機させた。なぜならば、現在の魔力の矢投射装置ボルトキャスターの最大射程を、魔人側に把握させないためである。

 空中からの脅威に対する迎撃に対しては、特にこのような制限がない。というのも、飛ぶ魔獣からの負傷率が高いことと、対空砲火では相手に間合いを把握されにくいからである。

 それに対し、陸の戦いにおいては、重厚な魔獣を利用されることが多く、にらみ合いが続きやすい。そういった状況下では、相手に有効射程を測られるリスクが存在する。一方、差し迫った脅威にはなりにくいため、より手前へ引き込むだけの猶予もある。

 そういった事情により、陸戦での射撃は本来可能な射程よりも短い間合いでなされる。これは、練度が高い兵たちにとっては、少し難儀であった。もう少し遠くても、安々と的中させられる、そういう自負心があるからだ。


 ただ、迫りくる砦亀は、ただ的が大きいだけの魔獣ではない。相応に厄介な堅牢さを持つこの大型魔獣は、技術に覚えのある隊員たちにとって、むしろうってつけであった。

 やがて、ちょうどいい射程に入ったところで、指揮官は「構え」と静かに告げ、少し遅れてから一発放った。

 すると、彼が的中させた部位を的として、隊員たちの集中砲火が殺到する。これで砕けるような甲羅ではないが、巨体をかすかに揺るがすだけの威力はあり、亀はたまらず生身を引っ込めた。

 それからも、集中砲火は続いた。銃の性能が許す限りの連射を、居並ぶ兵たちが繰り出し続け、放たれた矢弾は過たず一点だけに注ぎ続ける。


 この戦線において長く使われ続けてきた砦亀は、生半可な攻撃ではろくに通らない装甲が一番の武器である。移動のために生身の部分を有するが、そこを撃っても甲羅にこもって障害物ができるだけである。そして、攻撃が分散してもさほど意味はない。

 ならばと、共和国軍が導き出した回答が、銃士隊によるこの一点集中砲火である。


 最初の一撃から続けること1分ほど、頑強であった要塞に変化が表れ始めた。度重なる射撃にさらされ続けた一点を中心にヒビが入り、それが徐々に広がっていく。

 こうなると、もう後戻りはできない。指揮官が「そこまで」と命ずると、ほんのわずかな隊員が遅れただけで、砲火が止んだ。

 しかし、射撃が止まっても、砦亀の変化は止まらず最期に向かう。亀裂が全身を一周するほどになると、やがて内側から赤紫の鈍い光が見えるようになった。

 そして、金属を無理に引き裂くような、嫌な破断音が周囲に響き渡り、砦亀は内側から爆ぜた。肉片、金属片らしき欠片が辺りに飛散し、それらは赤紫の霞へと変じていく。


 砦亀を一体仕留めたものの、隊は銃を前方に構えたまま静止している。少しして瘴気が晴れ渡り、伏兵がいないことを確認してから、隊長は別の砦亀に照準を構えた。

 砦亀は生前はその巨体により、死後は撒き散らされる瘴気により、後続を隠す盾となっている。油断をすれば、敏捷性に優れた陸の魔獣たちが牙をむき、一気に詰め寄ってくるというわけである。それでも、共和国軍の練度を落ち着いて発揮できれば、安定して対処できる相手ではあるが。


 並んだ砦亀たちも、集中砲火によって次々と霞へ変じていく。やがて最後の一匹を仕留め、その影に隠れていた魔獣たちの掃滅も終わると、残るはそれらを使役していた魔人だけとなった。

 魔人は二体いた。力量のほどは定かではないが、部隊の射程と人数を持ってすれば、対応できないということもないだろう。隊長は次なる事態に備え、息を呑んだ。

 すると、手勢を喪失した魔人たちは、一目散に逃走していった。最後っ屁にと魔法を仕掛ける様子もない。とりあえず、隊員の無事を確保したと言っていいだろう。隊長は胸をなでおろした。しかし……。


「隊長殿ォー! 奴らのケツに、我らが銃火を叩き込んでやりましょうぞ!」


“新入り”の隊員が高らかに声を上げた。

 彼は隊長にとって、悩みの種であった。慣れないはずの銃を操り、それでも一般兵と遜色ない力を発揮している辺りが、なおさらに悩ましい。意気軒昂とするその新兵に、隊長は渋い顔をして告げた。


「しかしながら、不用意な追走は避けよと」

「そうは仰るが、奴らは間合いではなかったのか?」

「いえ、許しがあった距離よりは、やや遠いかと」

「ふむ……」


 新兵と隊長の会話にしては、立場が逆転したような趣があるが、それはさておき……新兵はわずかに考え込んで、何の気なしに言った。


「”観測手”を始末すれば、最大射程を知られても困らんだろうとは思うが……ならんか?」

「なりませんな。奴らには転移による帰還がありますから」

「それもそうだが……ああ、スッキリしないな、まったく」


 新兵は困ったように笑いながら言った。そんな彼に、隊長は少しためらいを見せた後、話しかける。


「全体の統制というものがありますから、何卒」

「ああ、すまない。少しばかり熱くなってしまったみたいだ、ははは」


 今回の戦いにおいて、共和国第三軍以外から名乗りを上げた貴族は、彼のように新兵に偽装して各部隊に紛れ込んでいる。いざというとき――たとえば魔人と本格的に交戦する際――各隊を守るためである。

 しかし、彼らがそのように力を求められる機会は、せいぜい昨夜の戦闘ぐらいしかなかった。日中の戦いは、いまだ小競り合いの散発に過ぎない。それは、多くの将兵にとっては幸いであったが……。

「いかがなされましたか?」と隊長に問われ、新兵は答えた。


「今日の夕刻にでも、我らが総将軍閣下に進言するとしよう。それまでは、あくまでこの隊の新兵だからな、よろしく頼む!」

「は、はぁ……」


 やたらと態度は大きく、明るいようでいて底知れない何かもある。そして、自信の裏打ちとなる実力は、疑いようもない。扱いづらいが頼りにはなる新兵に、隊長は微妙な笑みを返すのであった。

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