第443話 「集う役者」

 今回の作戦を受け持つ共和国第三軍は、すでに大多数が現地に入って野戦築城などの準備を進めている。それから遅れて、議会とのやり取りがある将官や、首都駐留の部隊が現地へ向かう。私が所属する衛生隊も、実際にはより大きな軍事医療部隊の一部隊にすぎないそう。

 そのため、現地に入ってからも、私は各部隊への挨拶回りに追われることになる。

 ちなみに私の参戦については、すでに現地にも通達されていて、幸いにもかなり好意的に受け止められているとのこと。



 8月20日。首都を発つ前日の夕方。学校のみなさんによる壮行会の後、私はエメリアさんと一緒にメリルさんの家へ向かった。

 夏の盛りだけど、故郷のような暑苦しさはなく、夕方ともなると涼しさすらある。それは爽やかで何よりだけど、沈みゆく夕日を眺めていると妙に物寂しい。

 家までの道中、エメリアさんは静かだった。今夜はお泊りするということで、「寝かせませんよ」と笑って意気込んでいたものだけど……カラ元気だったのかもしれない。

 私が配属される舞台は、比較的安全な立場にはある。だからこそ、私が配属されたわけでもあるけど、戦いに絶対なんてない。救援に向かう必要が生じれば、私が出る可能性だってある。そういった万が一に、聡明なエメリアさんが思い至らないわけもなく、そういうことで思い悩んでいるのかもしれない。


 ただただ静かに二人で歩いていくと、エメリアさんがポツリと「明日ですね」と言った。


「はい。できれば、もう少しのんびりしたかったですけど」

「そう、ですよね。本当に、そう思います」


 気持ち明るめの口調で返したけど、それでもやっぱりエメリアさんの顔は塞いだ感じで、それがいたたまれない。見送る側としての苦悩は、前の内戦で散々味わった。それ以前にも、お父様が最前線へ発たれるとき、何度も何度も。

 そんな苦しみを和らげたくて……私は、あることを思いついた。愛用の肩掛けカバンから、ずっと携帯している大切な品を取り出してみせる。

 すると、エメリアさんの表情が一変し、私の宝物に興味を示してくれた。


「これは……マナリングですか?」

「この国ではそう呼ぶんですね……故郷では水たまリングポンドリングって呼んでましたけど……」


 よく考えれば、それはあの工廠が名付けた商品名でしかないのかもしれない。魔道具にしては、愛嬌のある名前だとは思っていたけど……。

 それはともかく、エメリアさんは預かりものの指輪たちに視線を注いでいる。


「エメリアさんも、こういう指輪をお持ちですか?」


 さらっと尋ねてみると、エメリアさんは目をぱちくりさせて「ええ」と答えた。


「でも……故郷の方々の、ですよね? 私なんかが混ざってしまっても……」

「構いませんよ、私は気にしませんし……みんな、友だちですから」


 微笑みかけてそう言うと、エメリアさんは少しだけ切なそうに笑って、うなずいてくれた。そして、手持ちの指輪を取り出し、自分の明るい青色に染め上げ――手を震わせた。


「きちんと、返してくださいね」

「ええ、もちろん……指輪って、もう一つ余っていたりしませんか?」


 もののついでに尋ねてみると、少しキョトンとした顔つきのエメリアさんは、とりあえず空の指輪を差し出してくれた。私がそれを手に取ると、ハッとしたような表情になって……私は、自分のマナを込めた指輪を返した。


「はい、どうぞ」

「……大切に、しますっ」

「大袈裟ですよ、もう」


 お互いに自分のマナを送りあって、エメリアさんは――また静かになってしまった。悪くは思われていないだろうけど。

 でも、メリルさんのお家までは、まだまだ距離があって……変に話しかけるのもはばかられた私は、結局夕日を眺めるしかなかった。



 翌日の朝。早い時間にも関わらず、首都で壮大なお見送りをしていただいた後、戦場へ向かう私たちの一団は、首都近郊のある場所へ向かった。

 首都から2時間ほど歩いたところにあるその場所は、一見するとただの草地にしか見えない。一つ特徴的なところを挙げるとすれば、近隣一帯に物見や関門などが存在していて、かなりの警戒態勢を敷かれていること。


 その草地には、実は大規模な転移門がある。

 私の国も他国と比べると広大な領土を持っているけど、このリーヴェルム共和国はそれ以上に広大な版図を誇っている。その国土防衛のために大規模な人員輸送が求められることがままあって、こうして屋外に専用の転移門があるとのこと。

 屋内にある、あの金のリングを用いる形式と違い、屋外式のものは決まった地点を結びつけることしかできない。ここの門だと、例の交戦予定地近くの門にしか飛べないというように。

 そういった制約があっても、国防上、非常に重要な場所には違いない。そして、逆用されると国家の危険にもなりかねない。草地にあるのはその偽装のためで、一見すると過剰なほどに広範囲にわたる警戒態勢も、その用心のためだとか。

 加えて、門を使用すること自体が第1種禁呪相当の行為とみなされ、一回の使用ごとに議会と魔法庁双方の承認が必要になる。


 それだけのセキュリティーに守られたこの転移門は、大勢を運ぶためのものといっても、対象は相当厳選される。言ってしまえば、国が認めた精兵向けの設備のようなもので、ここを通ることがひとつのステータスになるのだとか。

 そういった認識は、この衛生隊でも共通のものみたい。さすがに浮足立つほどの興奮はないけど、みなさんの顔には緊張感とともに高揚感が見え隠れしている。


 こういう設備の位置づけを利用して、効果的に士気を高揚させようという狙いもあるのかな……なんてことも思った。

 しかし、他人の晴れがましい顔を見ていて、そういう考えに至る自分に気づき、私は頭を小さく横に振った。このところ、なんだか物事に対して斜に構え、裏ばかり気にする嫌な子になっている気がする。

 だからといって、聞き分けのいい良い子であろうとも思わないけど……私を利用しようという、両国の流れに嫌悪を感じておきながら、私もそういう色に染まりつつあるのを感じ、ちょっとげんなりした。

 すると、傍らに立つスペンサー興が、私に気づかわしげな目を向けてくださった。


「大丈夫かい? 少し顔色が冴えないようだけど」

「いえ、緊張をしているだけです。こういった形式の転移門は初めてなものですから……お気遣いありがとうございます」

「だったらいいんだけど」


 そう仰って、卿は少し弱々しく微笑まれた。卿もやはり緊張しておられるように思う。


 それから少しして、その時がやってきた。足元を深い藍色のマナの光が走っていく。偽装のためにと、手入れされることなく自由に繁茂する草の間から、光が漏れ出て私たちを包み込む。

 そして、その規模にも関わらず、魔法陣の起動は意外なほどに早く終了した。魔法陣の外縁部からせりあがる光の壁が、やがて中心部に向かって曲がり始めたかと思うと、視界が明るい藍色に染まった。同時に体の重みが消えるような、不思議な浮遊感を覚え……。



 次なる戦の標的となるフォルドラ砦の物見台から、軍師は人間側の陣容に目を走らせた。この地を巡って永く争い続けただけに、一目見てそれとわかるほど、布陣のありようは堅固で見事なものだ。

 そして、その陣地と砦の間に横たわる干上がった川を見て、軍師は一瞬だけ郷愁の念に囚われた。


 かつて、遥か上流で地形が変わるほどの激戦があり、その影響で水流が途絶えて久しい。今となっては、流す物のないその川が、暫定国境として機能している。

 しかし、軍師の記憶にあったその川は、干上がった直後は大地の傷跡のように見えたものだった。それが今や、河床にまで草花が生い茂っている。次なる戦でそれらは踏みにじられようが、それでもなお、自然を根絶するには至らないであろう。

 自然のありようと、ここを巡って争う二つの種族に思いを馳せ、軍師は言い知れぬ虚無感を味わうばかりだった。

 とはいえ、今は自分にできることをしなければ。


 気を取り直し、砦の中を歩いて配下に目を配る軍師であったが、その胸中は未だ暗い。

 フラウゼ王国の内戦に関し、想定通りとは言い難い成果に終わったことで、配下が大師を軽く見るようになったのは事実であった。

 というよりも、大師は相当な放任主義を貫いていたらしく、この砦一帯に詰める魔人は相当好き勝手に動いていたようだ。

 そのためか、押さえが利いた他の戦線に比べ、ここは激戦となることも多く……見かけだけは勇壮な戦果を、当地の魔人たちはおごっている。そういった砦の″守備隊″の気質と、自身の教義がかけ離れていることに、軍師は頭を悩ませるばかりであった。


――今更、この者たちを矯正しようというわけでもないでしょうに。であれば……一人思考を沈ませた軍師は、自身の故国のことを思った。

 彼女が、故国で名誉回復の対象となっていることは、密偵の報から裏が取れた。その件に関し、彼女は憤りを覚えないでもない。

 そして、自身が置かれた状況を冷静に見つめなおすと、一つの解が思い浮かんだ。


 つまるところ、幼稚な暴力性に身を任せるばかりの、ここの者たちのやり方に染まれと?


 一人黙して通路を歩き、戦のこの先、自身と故国について思いめぐらせていると、軍師は一人の少女に出くわした。カナリアだ。

 大師直属の大幹部である彼女が、ここにいる理由というのは、実はある。その卓絶した精神操作の術により、当地の諜報面において支援を行うためだ。例の名誉回復運動も、彼女の手助けがあって判明した事実である。

 しかしながら、互いに抱いた苦手意識、もっと言えば嫌悪感は隠しきれるものではない。二人が顔を合わせただけで、空間に亀裂が入るような緊迫感が走る。通りがかった魔人たちは、恥を忍んでこの場を避けるか、ただ遠巻きに見守るばかりであった。

 そんな一触即発の空気の中、先に軍師が口を開く。


「何か、目新しい情報は?」

「とくにありませんけど~」


 目上に対する口の利き方ではない。しかし、軍師に対するこういった態度を、砦の者どもは内心では支持していた。よそ者の上司に対する、反抗心の先鋒と見ているわけである。

 そして、そうした下々の心情を察し、彼女は自身の地位を確立しているわけでもある。魔法に頼らずとも、こうして相手の心を撫で操るこの少女は、軍師にとって不愉快な存在であった。たとえ、その技量に優れたものがあり、魔人にとって有用な存在だとしても。

 しかし、今回ばかりは同じ地を守る同胞だ。軍師は小さく鼻を鳴らしてから、少女に向かって言った。


「相手方の動きは、おそらく時流に任せたものと見ていますが、仕掛けるに足る秘策があるのかもしれません。引き続き、情報収集をお願いします」

「へえ~……もちろん、お任せください!」


 やや下手に出た軍師に対し、カナリアは満面の笑みで媚びるような声を出したが、相対する軍師は真顔でそれを受け流す。

 そんな鉄面皮の彼女に、カナリアは言った。


「生まれた国と戦う気分って、どうですか? ちょっと、わかんなくって~」

「思ったほどには心が弾まないわ。きっと、煩わしい邪魔が多すぎるのね。まとめて消えてなくなれば、さっぱりするのでしょうけど」

「あはは!」


 皮肉が通じるような少女ではない。言葉のナイフも、投げつけた先が底なし沼では何ともならない。

 そして、朗らかな笑顔を続けたまま、カナリアは問いかけた。


「軍師様って、マナの色は紫ですよね?」

「それが何か?」

「軍師様って、戦い方は人間みたいですよね? 話し方も性格も、何もかも人間みたい」

「それで?」

「本当に、魔人なんですか?」


 軍師は、声に出して答えなかった。何をバカなことをと、ただ呆れたように微笑んで、鼻で笑う。

 しかし、カナリアは追撃した。


「人間だったころのご自分に、しがみついてません?」

「自分を貫いているだけよ」

「だとしても、あなたがどちらの側の存在なのか、みんな疑っているんじゃないかな~って」

「そのように操ったのかしら?」

「まさか! そんな必要、ありませんよ?」


 とびっきりの笑顔を作って言った後、カナリアは最後に付け足した。


「"名誉回復"の、いい機会ですよ~? これを機に、本当に私たちの仲間になってくださいね~!」


 そう言い残し、立ち去ろうとする彼女の背に、軍師は問いかける。


「今の話の中で、一瞬でも私の中を覗いたかしら?」

「そんな! 恐れ多くって」

「今度からは遠慮なくやりなさい。手間は省きたいわ」

「あらら、私との会話はお気に召しませんか?」

「お前に微笑むのは鏡だけよ」

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