第442話 「衛生隊へ」
作戦の公示から日が経つにつれ、私は公の場に出て衆目にさらされることが徐々に増えていった。こうやって人前に出ることで、民意を盛り立てようという意図があるのは間違いなかった。
それでも、今回の動きを勢いに駆られた拙攻に終わると見る声もあるようだけど……私の存在を示すことで、国家間での綿密な準備を匂わせ、反論を抑えようという意図もあるのかなと思う。
もっとも、この作戦それ自体が最終目的なのではなくて、これも後の遠大な流れの布石にすぎないのだろうけど……。
私がフラウゼ王国の民だということは、当然大勢に知られた。しかし、内戦を起こした国だということで、何か懸念するような声が上がるようなことはなく、それには安心した。
どうやら、国の下の方にまでは話が伝わっていないみたい。それに、そういった情報を知りえる層であれば、この機に内戦の一件を持ち出すような不始末をするはずもなく。こうして、自国の暗部に触れられずに済んだ私は、安堵の裏で後ろめたさも感じた。
それにしても……私の存在を良い口実にして、何も知らない方々が勇壮な叫び声を上げている。そのことに、私は言い知れない、何だか暗い感情を覚えた。
☆
8月14日。首都の近くの練兵場にて。
今日は衛生隊の方々との顔合わせがある。こうして場を設けて会うのは初めてで、やや落ち着かない感じがある。
この隊に、私以外の貴族が配されることは、先日正式に決定したみたい。その人物と言うのは、前にアシュフォード侯から教えていただいた通り、閣下のご友人であらせられるスペンサー卿だ。
閣下のお言葉によれば「柔弱なところはあるが、良い奴」とのことだけど……社交の場ならいざ知らず、衛生隊でうまくやっていけるのかどうか……お会いする前から心配でならない。
メリルさんにお話をうかがったところ、私の他にお一人つけるというのは決定事項だったそう。
というのも、他国から来た貴族の子女に負傷兵の面倒を見させ、自国の貴族は目もくれないというのでは、あまりにも具合が悪いということだった。
しかし、そうは言っても貴族は、戦闘要員として配したいのも山々で……。となると、家格が高く、しかし戦いは不得手と言う人物が好ましい――というのが議会の総意とのこと。
そうやって振り回されるスペンサー卿に、メリルさんは同情の念を示していた。それと、私にも。
練兵場の広場に衛生隊員が集まって少ししてから、その卿がおいでになられた。線が細く長身な男性で、顔つきは柔らかく優しげな感じ。だけど、自信のなさというか、不安さが少しにじみ出ている。
そんな卿を、横についた隊員の方が導いていき、私の横で立たれて隊員と向かい合う形になった。そばにいらして、卿が身にまとわれている張り詰めた緊張感が、より一層強く伝わってくる。
やっぱり、似つかわしくない場へ連れてこられたと、思っておいでなのかも……。
私たちに課せられた責任というのは、実はほとんどない。ただ、衛生隊と行動を共にして、精神面での支えになってほしいとだけ、依頼されている。
たったそれだけ。それでも、精神的支柱たらんとすることが、戦場においてどれだけの努力を要することか。ましてや、スペンサー卿のように実戦経験のない方に、それだけのことが、どれほどの心労となることか……。
勝てる大戦というムードの盛り上がりに、議会も考えなしに酔わされているように思えてならない。そんな流れの中、巻き込まれる形となったスペンサー卿の心中を思って、私は胸が苦しくなってしまう。
人員が揃ったところで、私は気持ちを切り替えた。すると、衛生隊隊長の男性は「傾注!」と、良く通る声で言った。
「事前の通達通り、
お言葉を受けた隊のみなさんの顔を見回してみると、少し晴れがましくはあるけど、私たちが加わったことで舞い上がるような感じはほとんど感じられない。とても抑えがきいていて、統制が取れた部隊のように思われる。
その後、私とスペンサー卿について隊長さんから簡単にご紹介いただいた。それから、隊の簡単な組織構造と、それぞれの部隊機能における中核的な隊員の方々のご紹介を受け、顔合わせは終了。
正式な会としてはそこで終わり、隊長さんは「次の行動までの時間は、各自自由に」と言って去っていった。
実質的に、私たちと自由に話すよう促しているのだと思う。事前に、そういうお願いを受けていたし。
実際、上役がいなくなったことで、みなさんが話しかけてくれるように。緊張も少しほぐれたみたいだけど、それでもかなり節度がある。軍属の方としては当然のことだから、気にはならないけど。それより、むしろ……。
「どうかされましたか?」と尋ねられ、私は苦笑いしながら答えた。
「いえ、社交パーティーの席よりもずっと、上品に対応していただけていると思いまして……」
すると、みなさん思い思いの方法で笑って――その後ハッとして表情を引き締めた。上の立場の人々を笑ってはマズいと思ったのかもしれない。そんなみなさんを見て、逆に私は少し含み笑いを漏らした。
しかし、そんな中でも、スペンサー卿はちょっと力なく微笑んでおられるだけだった。
話をしているうちに、あっという間に時間が過ぎ、みなさんの自由時間が終わった。これから、応急処置術の演習を行うそう。「見学なされますか」と問われたけど、私としては実際に参加するべきかと思った。
「教官の方次第ですが、私もご一緒させていただければと思います」
「いえ、しかし……」
「いざとなれば、私の手を使っていただくかもしれませんから」
すると、私の申し出にみなさん顔を向け合い、それから「お願いします」と言ってもらえた。さすがに、命を預かる最後の部隊だけあって、非常時に私の立場なんて拘泥しないのだと思う。この衛生隊がそういう方々の集まりだと感じられて幸いだった。
そして私は、ややしり込みしているスペンサー卿に話しかける。
「卿も、ご一緒なさいませんか?」
「ぼ、僕なんかが……? 邪魔にならないかい?」
「大丈夫ですよ」
そう言って卿に微笑を向けると、少し硬いながらも笑顔を返していただけた。
その後、教官の方のご理解を得て、私たちも演習に混ぜていただけた。
扱ったのは人形で、肌として用いられている素材は柔らかでいて弾力のある。それに全体としてかなりの重みがあって、相当な再現度だった。体の向きを変えるだけでも、想像以上の力を求められる。自ら動きを取ることができなくなった負傷者も、だいたいそんな感じだから。
そんな人形の頭は、かわいらしい顔が刺繍してあって、きちんと髪も縫い付けられていた――というか、女性の負傷者という設定なのだそうで、人形の中には髪の編み込みまでしてあるものも。「女性にしては、重くありませんか?」と隊の方に話しかけると、「デリカシーがありませんよ!」とにこやかに叱られてしまった。
人形の顔や髪は、きっとお遊びには違いないだろうけど、お許しが出ているあたり隊の福利厚生として認められているのだと思う。
こういう、和める顔がついているのは、訓練での救いになってくれた。動かなくなった人型の物体を扱っていると、どうしても昔のことを思い出してしまうから。
気がつけば、今よりも幼かった頃のことを思い出し、冷や汗が出そうになる。それを振り切るように、私は一心不乱に訓練に取り組んだ。
私の手当ての腕に関していえば、教官の方や隊のみなさんから、複雑な表情で褒めていただけた。その表情の理由を聞くようなことはしなかったけど……私の手が血に染まることを望んでいないのは、明らかに思われた。
それで、私がお誘いしたスペンサー卿はというと、手際こそ初心者のそれであらせられたけど、すごく熱心に取り組んでおられた。
ただ、物憂げな表情をなされた後、汗をかいてフラつかれたという一幕が。卿のお言葉を借りれば「想像してしまった」そう。そのことを、卿ご自身は情けなく感じておられたけど、逆に私は好ましく思った。
それはみなさんも同様だったみたいで、器用とは言い難い卿を、邪魔者扱いする人は誰もいなかった。訓練前よりも、卿に話しかける人が増えたくらい。
訓練が終わって、私たち貴族二名はその場を辞去した。そして、首都へ向かう道すがら、卿が若干沈んだ口調で話してこられる。
「みんな、僕に気を遣ってくれたんだろうね」
「それは、違うと思います。失礼ながら、卿が負傷者に手出しされることを、望んではいないのは事実だと思います。ですが、同じ場にいてほしいとは、多くが思っているのではないでしょうか」
「……だと、いいけど」
率直な意見を申し上げたけど、それでも卿の気が晴れることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます