第441話 「孤独の軍師」
前回に引き続き、今回も五星会議は大師殿の招集で開かれた。
フラウゼ王国に対する一連の策略は、一定の成果を収めた。その一方、期待したほどでもないというのが大方の感覚である。が、彼がそれに堪えているようには見えない。今回の進行役として立つ彼は、平素と同様に冷然とした構えでいる。
その彼が話す内容とは、何だろうか。先の計略に関連する物か、はたまた別の策か……。イスに背を預け、彼の言葉を待っていると、彼は静かに口を開いた。
「リーヴェルム共和国にて、挙兵の動きがございます」
「ほう」
私は相槌を打ったが、他の面々の反応は静かなものだった。聖女殿はまぁ、さておくとしても……軍師殿からは張り詰めたような緊張感が漂う。そんな彼女に豪商殿は、やや気づかわしげな顔を向けている。
やはり、軍師殿としては思うところがあるのだろう。彼女に向けた視線を大師殿に戻し、私は言った。
「立った兵というのは、どこへ向かう兵だ?」
「国境へ向かう兵との報です」
「ああ、そうか……大師殿の言うことなのでな、またも内向きに蜂起した兵かと思ったが」
私の軽口に、大師殿はかすかに口角を上げたが、他は大して反応しない。軍師殿が、若干冷ややかな目を向けてきた程度か。配下相手であれば、今ので場が沸き立つんだが……どうにも、やりづらいな。
ただ、大師殿の思惑は、なんとなくだがわかる。この挙兵とやらを機に、何か申し出ようというのだろう。
すると、彼はほんの少し含羞に顔を歪め、口を開いた。
「知っての通り、私はあの共和国方面の防衛を司令しておりますが……近頃、現場の者どもから軽んじられるようになったと、そのような報がございます」
「ほう?」
他に誰も相槌を打たないので、いちいち反応してやって先を促す。平素であれば、軍師殿が口を挟んでくれるのだが……この件では、少し難しいようだ。大師殿も、私と同じように軍師殿を
「先の計略において、配下でない幹部に動かれた一件を、者どもは私の統率力の陰りとみなしているようです」
「統率というより、信用の無さではないか? そなたは下々に対し、あまりにも隠し事が多すぎるであろう?」
「理由の如何はともかくとして、そういった状況にあることは事実でございます」
彼がここまで言うほどだ。おそらく、事実なのだろう。直に聞き出しに行っても、そういう事実を告げられるに違いない。
そして、私には彼の言わんとするところが読めてきた。当然、軍師殿も他の面々も読めているであろうが……もはや、私と大師殿がやり取りする場になりつつある。それに辟易するものを覚えつつ、私は長く息を吐いて彼に言った。
「次なる戦いの司令権限を、譲渡しようというのだな?」
「左様でございます。いかがでしょうか、軍師殿」
私の言葉を肯定した彼は、間を置かずに軍師殿へ水を向けた。一瞬にして座が静まり返り、少ししてから彼女が口を開く。
「私にも、兵からの信に差し障る要因があります。それを知らぬとは思いませんが」
「あの国が、あなたの生国ということでしょうか?」
「……はい」
何でもないことのように返した大師殿に対し、軍師殿はわずかに表情を歪め、言葉を返した。
リーヴェルム共和国――いや、当時は王国だったか――は、軍師殿の故国だ。魔人へと変わるほどだから、彼女も故国に対して深い恨みつらみはあるのだろうが……上に立つ者として、感情という不安要素は避けたい。多方面にわたる国境防備の統括を担う彼女が、故国の担当からは外されているのは、そういった理由だ。
それを、今になって委任しようという。沈黙がやや長く続いた後、軍師殿は静かに言った。
「太師殿に反抗しようという者どもが、私の元に収まるとも考えにくいですが……」
「私などより、防衛面での実績はおありでしょう」
そこで私は、二人の会話に割り込み、軍師殿の手助けをしてやることにした。いや、手助けというより、大師殿があまり気に入らんだけだが……。
「軍師殿の戦闘教義は、下々には紳士的か、悪くすれば儀礼的と見られているようでな。それでも、安全圏から魔獣を遣わしていたぶりたいという連中には好まれているが……太師殿の手腕を疑うほどの跳ねっ返りが、それを受け入れるとは思えんな」
私の発言に対し、軍師殿は自身への評を無言で肯定した。
一方、大師殿は目立った反応を示さない。彼も、この程度のことは承知済みだったのだろう。それでもなお、軍師殿に権限を任せたいようであり、納得させるだけの何かを持っているようにも思われた。
すると、彼は静かに告げた。
「例の共和国において、過去の偉人を祭り上げようという動きが見られます。ルーシア・ウィンストンなる優れた将が、歴史に埋没していたのだとか」
彼の言葉に、部屋の空気が割けた。真顔を保つ軍師殿から、ただならぬ気配が漂う。
それを感じ取っているはずの大師殿は、あくまで平然と言い放った。
「捨て置けぬのではありませんか?」
☆
会議後、城の外で練兵に付き合った帰り、廊下で豪商殿に出くわした。恰幅が良く、普段はにこやかな彼ではあるが、今の顔色に冴えはない。おそらく、先の会議の件だろう。そのように直感した私に、彼は話しかけてきた。
「軍師様の件につきまして、懸念が……」
「あの場では言えぬ話か?」
私の問いに、彼は
「次なる戦いにおいて、軍師様は兵権を受け入れられましたが……それが、身の破滅を招くのではないかと」
「ほう……すでに仕込みがあると?」
大師殿が、彼女を煙たがって排斥しようとでもいうのだろうか。だとすれば、次は私だろう。
それはそれで面白いなと思ったが、豪商殿は慌てて首を横に振った。
「そのような大それたことは申しません! ですが、過去にも似たような事例が……」
「ふむ。そなたは我らよりも古株であったな。よろしければ、その件について、教えてもらえまいか?」
「はい」
すると、彼は過去の事例について、かなり言葉を選びながらも話してくれた。
魔人の国において頂点に立つ六星は、過去も何度も入れ替わりがあった。しかし、その半分の座はほぼ固定であったという。すなわち、聖女殿と太師殿、それに遅れて豪商殿。彼ら三星が、国の柱石であり続けた。
これは当たり前の話ではある。聖女殿は人を魔人に変える力を持っているし、大師殿は策謀において欠くべからざる存在、豪商殿は魔獣の精製を一手に担っている。
それに比べると、他の三星は使い捨てに近い。実戦の場に立つこともままあり、そこで果てることもあるからだ。とはいえ、今の代はかなり長く持ったようだが……。
「昔は、兵権を握られた方の入れ替わりが激しく……特に、故国と相対した際、そこで果てられるというある種の……」
「ある種の?」
「ジンクスとでも申しましょうか。そのようなものがございます」
腑に落ちる話ではある。故国方面の担当を外されるのも、それが原因の一つなのだろう。
そして、それを承知しておきながら、大師殿は今回の話を持ち出し……豪商殿は、私に教えてくれたわけだ。
「しかしな、思いとどまらせようというのか?」
「いえ、そのようなことは……軍のありように口を挟むほどの者ではございませんゆえ。ですが、どうにも不安なものですから、なんとか良い方向へ転じられればと」
「つまり、そなたは……単に軍師殿の身を案じておるのだな?」
「はい。永く私を遣っていただきました、大切なお客様でございますから。それは皇子様も同様でございます」
これは本心だろう。私としても、腹芸の必要がない彼の相手は非常に楽で、こういう気遣いも好ましく映る。
ただ、懸念を伝えて結局は私任せというのは、少しいただけないものがあるな……。
☆
軍師殿の行動は早く、会議の翌日には現地へ発つこととなった。その迅速さは、謀略を言い訳に現地を顧みなかったであろう、大師殿への当てつけのように見える。
そんな、少し気が立っている彼女を呼び止め、私は言った。
「もう行くのか?」
「こちらにとどまっても仕方がないでしょう? 向こうの状況を早くに押さえたいのです」
そう言う彼女の口調は、冷ややかで棘がある。私を煩わしく思っていることを隠そうともしない。
ああ、こんなやりとりも、これで最後になるかもしれない。そう思うと、
「いや、そなたとこうして語らうのも、これが最後になるかもしれんと思ってな」
「お気遣いありがたく存じますが、それほど私のことが心配なのですか?」
「ああ。勝とうが負けようが、今のままではいられまい」
すると、彼女は押し黙った。私から目をそらす彼女の顔に、悲哀の色が差す。
今、彼女が試されているのは、将帥としての才覚ではない。魔人全般に対する忠誠のようなものだ。しかし、必要以上に人を殺さないよう部下を留め置く彼女のやり方は、求められる忠誠に適うものなのだろうか。
そう思うと、この兵権移譲は、彼女を試しているように思えてならない。
しかし、彼女は内心を晒すことなく、あっさりと言い放った。
「単に、清算に向かうだけのことです」
「そうか……では、悔いのないようにな」
「ええ」
それから彼女は、珍しく寂しそうに微笑んだ。
「向こうにも、こうして話せる相手が、いればよいのですが」
「私は行かんからな」
「ええ、お呼びではありませんよ」
言葉とは裏腹に親愛な笑みを浮かべ、彼女は立ち去った。
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