第440話 「静かな渦中」

 翌日25日。作戦についての一般向け公示は、式典ではなく公的な声明文の発行という形でなされた。街区ごとに建造物を作るという都市計画上、こういう文章を通達するのは効率的みたいで、朝方のうちに首都中へ配達できるのだとか。

 実際、完全に情報が行き届いたようで、昼前には街の方がかなりにぎやかになった。長く待ち望まれた作戦だというのが、街の様子を見てよくわかる。

 しかし、大作戦を前に揚々とした空気の中、私は昨日の教室のことを思った。私の役回りが“そこまで”危険なものでないと知ってもなお、「それでも」と言ってくれる子は、少なくなかった。あの時、軽々しく聞けるものでもなかったから聞かなかったけど……あの子たちは、“この作戦自体”についてはどう思っているんだろう。

 そんな思いは、やがてあの内戦についてのものへつながった。クリーガで現王室への反意を声高に叫ぶ渦の中、それを否定しようと思う人たちは、どれだけいたのだろう。どんな思いで、あの流れを見ていたのだろう。

 正統な領土を取り戻そうという、他国の民の叫びを前に、自国の内戦を想起するのが相当に非礼だという自覚はある。それでも、私は二つの動きに、何か共通したものを感じずにはいられなかった。



 政庁の窓から、沸き立つ街の様子を見ていてそんなことを思っていたら、「失礼」と声をかけられた。

 そちらへ顔を向けると、私がこちらへ来たばかりの時、パーティーでお会いした方が立っていらっしゃった。確か……。


「アシュフォード侯爵閣下」

「よく覚えておいでだ」


 ニコリともせず、閣下は仰った。

 私に、何か御用がおありなのだろうか。前のパーティーでは、耳に痛い話を持ちかけられただけに、自然と身構えてしまう自分に気がつく。決して、不実で意地悪な方ではないと承知しているけども。

 すると、閣下は「少し空いているだろうか」と尋ねてこられた。


「今すぐに、ということでしょうか」

「ああ。無論、無理にとは言わないが……あなたが希望するのなら、将軍に言伝ことづてを頼もうかとも考えている」


 ちょうど、私は暇を持て余しているところではあった。「外に出ると面倒だから」とメリルさんに言われ、中央政庁の庁舎内に留まるよう勧められているけど、別段の用事があるというわけではない。それに、メリルさんもエメリアさんも、今はそれぞれの会議やお仕事で大変に忙しい。その点に関しては、お二人から本当に申し訳無さそうにされた。

 空いているのは事実だったし、どういうお話があるのか、興味がないというわけじゃない。メリルさんを間に挟んで、変に負担をかけたくないという思いもある。そこで、私は閣下に答えた。


「かしこまりました」

「急な話で済まない。まずは案内しよう」


 そう仰って、閣下は私の前に立って案内を始められる。メリルさんがこちらの閣下を信頼しているのは疑いなく、この後を心配する気持ちはあったけど、本当に些細なものだった。


 案内していただいた先は、広々としたサロンだった。個室ではないけど、それぞれの席の間隔がかなりあって、いくらか立ち入った話をする程度なら困らないと思う。それに、庁舎内のものと考えれば、周囲も皆身内という感じなのだろうし。

 閣下はその中から、ソファーが向かい合う席を選んで腰掛けられた。向かいに私が座ると、さほど間を置かずに給仕の方が、違和感なく滑り込むようにやってくる。

 それから注文を告げ、給仕さんが立ち去ってから少しして、閣下は仰った。


「あなたは、将軍から自身の配属先を聞かされていることと思うが……」

「はい。衛生隊と伺いました」


 すると、閣下は端正なお顔をやや歪められた。私への謝意が現れているようでいて、ご自身への冷笑のようにも見える。そんなお顔のまま、閣下は口を開かれた。


「国に対する発言権のためにと、あなたに手柄を挙げるよう促した記憶がある」

「はい。覚えております」

「あの時は、まさかこのようなことになるとは思っていなかった……大変に見当違いな発言をしたと、恥じ入るばかりだ」

「いえ、そのようなことは……」


 すると、会話が途切れて少ししたタイミングで、給仕の方がお茶を持ってきた。手際よくテーブルに一式を並べ、流れるような所作で一礼してから、給仕さんは立ち去っていく。それを見送って、私は閣下に向き直った。

 自他に厳しいというのがメリルさんの評だけど、実際、ご自身に大変厳しくあらせられるのだと思う。パーティーの一場面でしかない言葉のやり取りまで覚えておいでで、それを後になって顧みられるというのだから。


「……何か?」

「いえ、私とのお話を覚えていただけたことを、少し嬉しく思っておりました。お立場を鑑みれば、造作もないことと存じますが……」

「いや、そうでもない。あの場では、取るに足らない話も多かったのでな。ただ、あなたに対しては、いたわりに欠ける発言をしたと、気に留める部分があっただけだ」


 それを聞いて、細やかなお方だと思った。メリルさんは「立派だとは思うけど、素敵かっていうと……」みたいな事を言っていたけど――いえ、夫にするにはやっぱりお互い気苦労があるかも。

 でも、あの時の発言の始末のためだけに、私を呼び止めたとはさすがに考えにくい。だからって変に先を促すのも礼を欠くと感じた私は、「お気遣い、痛み入ります」と答えた。そして、ティーカップに手を伸ばし、機をうかがう。

 すると、閣下は早々と次の話題を切り出された。ほんの少しだけ口に茶を含んで、私は話に耳を傾ける。


「次の作戦は共和国第三軍が主導する。ただ、それは第三軍が統括するというだけで、他軍が関与しないというわけではない」

「……援軍に来られるということでしょうか?」

「いや、もう少し面倒な話だ」


 閣下は小さくため息をついてから、ティーカップを軽く持ち上げ、スプーンで茶を小さくかき混ぜながら話を続けられる。


「早くも勲功争いの場ができつつある。他軍に籍を置く貴族階級の将官が、今作戦に関わらんとして名乗りを上げていてな」


 閣下は共和国第一軍の将官であらせられると聞いている。もしかすると、ご自身の身の回りでも、そういう動きに直面されているのかもしれない。

 閣下はそれから、茶を一杯口に含まれた。そして、かなり苦々しい顔になっていく。決してお茶が苦かったわけではないのだろうけど――閣下のお顔を見ていると不意に視線が合い、互いに少し苦笑いしてから、閣下は仰った。


「国威や現場の戦意を踏まえれば、こうした名乗りを無下にするわけにもいかないところだ。しかし、指揮系統に乱れが出ては元も子もない。あなたがよく知る将軍も、この件で頭を悩ませている」

「初めて聞きました」

「弱いところを見せられないのだろう。この件について、私が口を滑らせたと言って、その後は彼女をねぎらってほしい。もしかすると、私の旧知が彼女に迷惑を掛けるかもしれんのでな」

「はい、かしこまりました」


 私が応諾すると、閣下は表情を少しだけ柔らかくなされた。

 それにしても、誠実さやお気遣いを感じさせる閣下だけど、メリルさんは煙たがっていたように思う。あまり馬が合わないのか……あるいは、こういうお気遣いを、メリルさんは逆に疎ましく思うのかもしれない。閣下が私に慰労をご依頼されたのも、たぶん、そういうことかも?

 憶測でしかないけど、お二人の間柄というものに思いを馳せ、少し心温まる感じを覚えた。ただ、この場の話題それ自体は重苦しいものに違いなくて、閣下が口を開かれただけで冷たい現実へ引き戻される。


「あなたが配属される予定の衛生隊だが、あなた以外の貴族も配される予定だ」

「はい、承知しております」

「……そこに配属される別の貴族が、私の友人に決まりそうでな。声をかけさせていただいた次第だ」


 そう仰って、閣下はティーカップを傾けられた。落ち着いた所作とお顔をされているけど、渋く険のあるところも感じられる。少なくとも、ご友人が配属されることについて、好意的に思われていないように見える。

「どのようなお方なのでしょうか」と尋ねると、閣下は静かにティーカップを置き、伏し目がちにポツポツと仰った。


「私と同じ侯爵家の長男でな……体がやや弱く、さらに気弱だ。良い奴ではあるのだが……弟妹は文武において活躍している。家族仲が良好なのは救いだが、彼自身へ向けられる目には微妙なものがあってな……今回の”抜擢”も、そういうことだろう」


 しかし、「そういうこと」に含められた意図は、決して一つではない。まっすぐ閣下を見つめていると、閣下は少し大きなため息の後、苦笑いして仰った。


「衛生隊という過酷な部隊において、貴族たるものの責務を果たせれば良し。しかし、惨状に耐えきれず音を上げようものならば……廃嫡の可能性はあるだろう」


 そこまで仰ってから、閣下は渋面を作って瞑目された。

 私の知らないところで、こうまで話が進んでいて、人の人生がかかっている。人の生死を預かる部隊にまで、まつりごとの意図が伸びて侵食している。そのことに、私は嫌悪感のようなものを覚えた。

 事が明るみになる前に伝えてくださった閣下も、同様の思いを抱いておられるように直感した。ここまで話した感じでは、閣下は私と同類であらせられるように思われるから。

 そして、閣下は静かな口調で仰った。


「いきなりこのような話を持ち出して、済まないと思っている」

「いえ……何か、私にできることがあれば、お申し付けいただければと思いますが」

「私の方からは特にない。強いて言えば、あなたには衛生隊の一員として、その任を全うしていただきたい。傷ついた者たちを励まし、支えていただければ、それで十分だと。友人のことは気がかりだが、降って湧いた困難に立ち向かうのは貴族の常だ。自分で乗り切ってもらうしかあるまい。ただ……」


 言葉を切られた閣下は、これまでの会話の中で一番、慈悲を感じさせる微笑みを作って仰った。


「奴は情けないところもあるが、大変に心優しくはある。うまいこと使ってやれば、兵の心労も少しは軽減できるかもしれない。厚かましい限りではあるが、あなた方二人の存在が、兵たちにとっての救いとなれば……そう願ってやまない」

「……はい」


 微笑み返して閣下にお答えすると、閣下はお顔に安堵の色を浮かべられた。色々とお話をして頂けたけど、結局は戦場に向かう者たちのことを真剣に案じられている――そこに集約されると思う。お話をしている間、閣下のお言葉にはシンパシーを感じずにはいられなかった。

 ただ、今回の作戦を取り巻く政治模様は想像以上に複雑で、そのことは気がかりだった。その全てを閣下が把握しておられるというわけではないと思う。メリルさんだって、軍の実務に専心しなければならないから、掴みきれないものはあるはず。

 そして、閣下のご友人についても……ハーマン侯爵家スペンサー卿は、実際にはどのような方であらせられるのだろう。心配がないと言えば嘘になる。閣下のお願いに対し、私は二つ返事で請け負ってしまったけど、そのご友人と一緒にうまくやっていけるだろうか。


 私はティーカップを手に取り、それに目を落とした。お茶の水面は小刻みに揺れていて、見つめていればそれに吸い込まれそうになる。

 それがなんだか気に入らなくて、私は一息にお茶を飲み干した。

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