第439話 「隠し事」

 7月21日夕方。会議から帰宅したメリルさんは、夕食後に私を家の外へ呼び出し、国境超えの作戦について決定事項を話した。

 作戦の目標は、国家西端の暫定国境を超えて侵攻し、大昔に奪取されたフォルドラ砦を奪還すること。その作戦決行日は……。


「予定としては9月1日。ただ、状況によって前後する可能性がある。国家の威信がかかっている一戦だから、遅らせようものなら懲罰ものだけどね」


 国家の威信という言葉を、やや冷ややかな調子で口にしたメリルさんは、それから真剣な眼差しを向け、言葉を続けた。


「今日、議会の決定がなされ、軍もそれを了解した。一般向け公示は25日の予定。あなたを”客将”として招致した旨は、そのときに公表される。だから……」

「学校のみなさんにも、周知されるということですね」


 メリルさんをまっすぐ見つめながら言うと、彼女は視線を伏せて「ごめん」と言った。私はすでに覚悟していたことだけど、それでもこうして申し訳なく思っていただけることに、ある種の後ろめたさを覚える。何も、メリルさんが悪いというわけではないのに……。

 ややうつむき加減になった彼女は、少ししてから顔を上げて言った。


「公示する日には、あなたに公人として動いてもらわないといけないから、その日は学校に通えない。だから、あなたの口から話すなら、その前日に」

「えっ? 大丈夫ですか?」

「校長には話をつけてあるし……一日だけ生徒に口止めさせるよう、お願いしてあるから。それに、どうせ知られるなら、自分の口から話したいでしょう?」


 メリルさんは、悲しそうな、切なそうな微笑みを浮かべている。

 学校のみんなに話さずに済むなら――これがただの遊学だったのなら――それが一番だけど、そういうわけにはいかない。そう、最初から決まっていたことだ。だったら、せめて、私の口から話さなければ。

「お気遣い、ありがとうございます」と私は言った。でも、言ってすぐに口調が堅すぎると感じた。真面目な話をしているから、それに引きずられたのだと思う。だけど、発した言葉の堅苦しさが、私の胸の中で棘のある音になって反響する。

 それが嫌で、私はわざとらしく咳払いして、言い直した。


「ありがとうございます、メリルさん」

「……こんなことしかできなくて、ごめんね」

「いえ……メリルさんの元じゃなければ、逃げ出していたかもしれません」

「そんなこと言っちゃって……案外、そっちの方が楽だったりね」


 ありえない状況と二人で理解しつつも、冗談を飛ばし合ってから、私たちは家の中へ戻った。



 7月24日終業後。担任のマーカム先生は、事前の手筈通り私を教壇へ呼び出した。この校舎内では教師と生徒という上下関係を貫いているけど、私の素性を知らされている先生にしてみれば、それはかなり忍耐が必要なことみたいで……今でも、とても緊張しているのがわかる。

 むしろ、今が一番緊張しているのかもしれない。私以外の生徒に隠し続けた秘密を告げなければならないから。先生は、「皆に重大な連絡がある」とだけ堅い口調で告げた後、続きを私に委ねた。

 先生にうなずいてから、みんなに顔を向ける。短い間だけど、とても良くしてもらえた。これからも、出立までは通っていいと聞いている。でも、関係は崩れてしまうのかな……弱音を上げそうになる気持ちを押さえつけ、私は意を決して口を開いた。


「みなさんに、今日話さなければならないことが二つあります。まず、私の身分について。外交官の両親に連れ立ってやってきたとお話しましたが、それは表向きのものです。私の本当の身分は、フラウゼ王国にある貴族家の一つ、フォークリッジという伯爵家の娘です」


 話している間にも、みなさんの間に動揺の波が広がっていくのを感じ取れた。だましたことへの非難は、今のところ無い。ただただ驚いているばかりで、ささやかにざわめきが聞こえてくるくらい。

 でも、まだ言わなければならないことがある。私は生唾を飲み込んでから、再度口を開いた。


「次に……明日正式に公示されると伺いましたが、きたる9月1日を予定日として、共和国第三軍が国境越えの作戦を挙行します。その際の手助けとして、私は今回招かれました」


 “手助け”だなんて婉曲的な表現を使ったけど、それが正規軍に混ざって行動を共にすることだと、みなさんはきっと察しが付いたことと思う。仲良くしてくれた子の中には、両手に顔をうずめている子もいて――心が揺さぶられた。少なくとも、私が受け入れられている。その喜びと、今まで隠してきたことへの申し訳無さが一気に去来する。

 私は、そのまままっすぐ見つめられなくなった。一度目を閉じて深呼吸をし、胸元で手をギュッと握った。静かな中に、自分の胸の鼓動と、ほんの小さなどよめきが聞こえる。それらもやがて引き潮みたいに去っていって、私はみんなに再び向き直った。


「今まで黙っていて、本当にごめんなさい。両方の国にとっての大事だから、みんなには言えませんでした。それなのに、私は何食わぬ顔で仲良くしようとして……面の皮が厚い子だったと思います。軍の出立までは、変わらず通学していいと聞いています。こんな私で良ければ、また、仲良くしてくれると嬉しく思います」


 それから、私は先生に向かって「以上です」と告げた。その時、私に向けた先生の視線には、哀しさの中に温かな敬意があった。目下の者に「よくやった」と褒めてやるときみたいな感じの、院長先生があの子たちに向けるようなあの優しさが、確かにある。

 不意に、目に熱いものを感じた。でも、泣いてしまうのをなぜかものすごく情けなく感じて、私はサッと袖で目元を拭い去った。


 話が終わって、私は席についた。これからが放課後になる。どうなるものかと、心が落ち着かないままに身構えた私だけど、余計なことを考える暇はあまりなかった。みんなが、私を放っておかなかったから。


「アイリスさん! いえ、えっと、アイリス様……?」

「呼び方は、今まで通りの方が嬉しいです」


 どうにか笑顔を作って言葉を返すと、私を取り囲む女の子たちと、遠巻きに見守るみんなは少しホッとしたように見えた。だけど、隠しきれない悲壮感みたいなものが、私の胸を刺してくる。


「本当に、戦場へ行っちゃうんですか?」

「はい」

「……いやじゃ、ないんですか?」


 そう尋ねてきた声に、横から男の子の「バカ!」という鋭い叱責が飛ぶ。でも、二人とも私を気遣ってくれていることは、十分伝わってくる。

 私は、二人に「近うよれ」と言って、ついでに手招きした。一瞬あっけにとられた後、二人も見守るみんなも、ちょっと笑った。そして、寄ってきた二人の手をそれぞれとって重ね合わせ、私は自分の手でそれを挟んだ。


「ありがとう」


 それから、私は泣き出した子を優しく抱きとめた。とても温かだった。私のことも、温かく感じていてもらえたらって思う。

 その後、私は顔が少し朱に染まっている男の子に顔を向け――なんだか、マリーとリッツさんのやり取りを思い出し、こんな事を口走った。


「男の子は、我慢してくださいね。さすがに、ちょっと問題あるから……」

「ちょっと?」


 気の利く誰かが合いの手を入れてくれて、一瞬静まり返った後大きな笑いの渦が巻き起こった。胸元でも、小さく震える感じがある。


 その後、私と一緒に通うエメリアさんの正体も暴露した。ただ、私は「外国から来た貴族の子女」という分だけインパクトがあったようで、エメリアさんの方はそこまで驚かれなかった。

 だけど、「二人も戦場へ行ってしまう」と早合点され、また悲しい空気に。そこで、私たちは反省しつつ言葉を付け足した。私の方は負傷者の激励と手当と急場の救援がメインで、実戦担当というわけじゃないし、エメリアさんは軍本部から後方支援の役にあると。

 私たちのために大いに悲しんでくれた子たちも、その説明で事なきを得た。「まだ隠し事あったら、また泣きますから……」って釘を刺されてしまったけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る