第438話 「心の洗濯②」

 どうも、このお遊びは、シエラの方がハマってしまったようだ。俺も何往復もしてもらったけど、彼女はそれ以上に水上スキーの虜になった。俺よりも派手に水しぶきを上げてキャーキャー言っている。

 しかし、遊びといっても、これは中々体力を使う。引っ張られる側は割と全身の筋肉を使うし、引っ張る側もなかなか気を遣うからだ。


 そんなわけで、調子に乗って湖の上を縦横に滑り回っていると、昼頃には結構疲れてしまった。二人で大きな木陰の下に入り、幹に背を預けて座った。

 夏だけにかなり暑いけど、水遊びのようなものをしていたからか、うだるような感じはない。木陰にいるということもあって、この時期にしては快適なぐらいだ。

 さんさんと照り付ける日差しは、湖面で照りかえってキラキラ輝いている。さんざん水しぶきを立てて荒らしまわった水面も、今では静かなものだ。

 そんな湖をぼんやり眺めていると、「あっちは、どんな感じかな」とつぶやく声が聞こえた。


「話を聞く限りだと、仲良くやってるみたいだけど」

「だって、あのアイリスだし」


 シエラは柔らかな笑みを浮かべて答えた。あの子の暮らしぶりについては心配していないようだ。俺もそれは同感だけど、問題は彼女が関わることになるという戦闘に関してだ。

 ただ、これは遊びに来てまで話す内容じゃない。湿っぽくなるのを嫌った俺は、別の話題をと考え、一つ思い出した。


空描きエアペインターだけど、今年もやるだろ?」

「今年もっていうか、今年は混ぜてほしいかな」

「仕事の余裕は?」

「宰相様が、お気遣いしてくださって」


 それは初耳だった。詳しく聞いてみると、宰相様から工廠への働きかけがあって、ホウキの民生利用に関して当面は自由に動けるようになったそうだ。内戦が始まるまでは空輸網整備に尽力し、内戦の最中には軍での空中偵察部隊の訓練のために骨を折った彼女への、その感謝のお気持ちということらしい。

「私がいなくても回るようになったってことかもね」と冗談交じりに苦笑いしたシエラは、しかし、空を見上げてすぐ晴れやかな表情になった。


「だけど、あまり気兼ねせずに動けるのって、やっぱりいいね。じゃなきゃ、こんなことなんてできないし」

「まぁ……これを事業化するとなると、また仕事増えそうだけどさ」

「でもいいよ。きっと楽しいだろうし」


 それはさておき、今考えるべきは空描きの件だ。昨年通りとなると、今から練習を始めて8月末にお披露目という流れになる。練習法は去年である程度開拓できているから、一番の問題は部署間の連携になるかもしれない。

「軍の方ともいっしょにやる約束したけど、覚えてらっしゃるかな?」と尋ねてみると、シエラは「うん」と答えた。


「内戦中に、ホウキの訓練してて、その話が出てね……みなさん、とても楽しみにしてる感じだった」

「あー、じゃあ、早めにお声がけした方がいいな」

「うん。今度ラックスやシルヴィアさんを誘って、正式にお話ししに行こ?」

「ん」


 軍の方々が心待ちにしているってのは嬉しい情報だ。ただ、そんな中でアイリスさんがいないのは、ちょっとなぁって感じがある。シエラは「帰ってきたら、何かしてあげる?」と尋ねてきたけど……。


「帰ってくるの、真冬だからなぁ……さすがに、冬に海上でアレをやるのは危ない」

「ま、そうなるよね。そうなると、アイリスと一緒に飛ぶのは、また来年になっちゃうか……」


 シエラは空を見つめながら、寂しそうに言った。正月に、いっしょにやろうって約束しただけに、残念な気持ちは俺にもやはりある。お国の事情だけに仕方のないことだとは思うけど……帰国時に、俺たちの方から何かできることがあれば、今のうちから考えて企画するのもいいな。

 しかし、今日の水遊びに関しても、色々と考えなきゃいけないことはある。新事業としての検証って名目があって、一応は報告を挙げなければならないからだ。


「魔法使い向けのレジャーとしては、結構いい線行けると思うんだよなぁ……」

「私もそう思う。すごく楽しかったし……」

「これのために魔法を覚えようって人が出てくれば、魔法庁としても喜ばしいことだと思うんだよ、たぶん」

「なるほどね」


 そんな感じで、俺たちはこの新事業について語り合っていった。

 先に実現したホウキの非軍事利用は郵政向けで、かなり公共色の強いものだった。それに比べると、今考えているこれは、紛れもないレジャー用でただのサービス業だ。他の用途と比べると不真面目と捉えかねないかもしれないけど、民間事業としては申し分ないものだと思う。

 お遊びでやってみたコレについて、シエラと話していくうちに、案外モノになるんじゃないかという手応えが増していく。どうせやるなら、もう少し色々な人を巻き込んだ方がいいな。

「工廠のみんなにも、声かけてみたら? ヴァネッサさんは食いつくだろうし、リムさんなんか絶対喜ぶだろ」と、俺が指摘すると、シエラは満面の笑みを浮かべた。


「そうだね。ヴァネッサさんって、案外子供っぽいところあるし、リムさんは砂漠生まれだから、こういう水遊びってきっと新鮮だろうし……」

「今度、工廠の女の子たちで遊んでみなよ。結構反響あると思う」

「そうする」


 そう笑顔で返した彼女だけと、急に微妙な感じの苦笑いを浮かべて言った。


「ここに来た時、完全に遊びのつもりで考えてきたんだけど……」

「俺も」

「気が付くと、本気になって仕事にしようとしてるよね……ビョーキなのかな?」


 まぁ、シエラって絶対にワーカホリックだし……などとは言えなかった。


「普段の仕事とは全然方向性が違うし……面白ければいいんじゃないかな」

「まーね」


 そうやって遊びと仕事の区別がつかなくなった話の後は、お互いの近況について報告し合った。

 といっても、シエラの方は宰相様の取り計らいで自由な裁量権を得たと聞いたばかり。メインで話すのは俺の方だ。そこで俺は、最近できたお弟子さんについてお話しした。


「あのお屋敷が、貴族のご令嬢をお一人お預かりする形になって、俺はちょっとした教育係というか……まぁ、そんな感じになっててさ」

「へえ……どこのお嬢様?」


――あ~、やっぱり聞くよな。言うべきかどうか……口を閉ざして視線を逸らすと、シエラはハッとしたような表情になった。マズイことを聞いたという、反省の色が浮かび上がっている。俺の話運びにも軽率なものがあったから、何もシエラが悪いとは思わないけど。

 ただ、そういう反応を示してくれる彼女だからこそ、伝えるべき情報というのもあるんじゃないかと思った。


「お預かりしているのは、ペーゼルフ侯爵家ご令嬢の、レティシア嬢だよ」

「……そっか」

「メチャクチャいい子、じゃない、いいお方……いや、いい子でいっか、もう」

「どっちなの?」


 笑いながら聞いてくるけど、俺があの子に対してどういう印象を抱いているか、なんとなく察してもらえた空気ではある。興味を持っているのも感じられる。


「今度会ってみたら? 紹介するからさ。それで、マリーさんも一緒にこういうお遊びに連れ出せばいいと思うし」

「うん。そうする」


 それからいくらか間を置いて、シエラははたと気づいたように問いかけてきた。


「奥様は誘わなくても?」

「……こんなやんちゃなお遊びに?」

「絶対、ご希望されると思う」

「かなあ」


 まぁ、興味を示されそうではある。しかし、こんな水遊びをあの奥さんがやってらっしゃる光景っていうのが……しっくりくるんだかそうでないんだか、よくわからない感じだ。

 そんなイメージを思い浮かべようとして、思わず妙な顔になってしまうと、シエラも複雑な笑みを作っていた。それから目が合い、二人で笑う。


 それからも、俺がお師匠様になって、なんやかんや教えている話をした。すると、シエラには大変申し訳無いことに……。


「ゴメン……ちょっと、眠くなってきた」

「えっ? ちょっと、自分から誘っておいて、ひどくない?」


 そりゃ怒るよなぁ……しかし、水辺ではしゃぎまわった後、木陰の下で柔らかい草の上に寝そべっているこの状況は、ヤバいくらいに心地良い。


「ごめん、マジもう無理……」

「……もう、仕方ないんだから。夕食ぐらいおごってよね」

「埋め合わせします……」

「高いところいくからね?」

「……ドレスコードなければ、どこでも……」


 ウトウトしながらも、それだけ答え、やがて意識が真っ暗になって……最後に、彼女のすねたような声が聞こえた。



「……それで?」

「それでって、割といいとこでおごりましたよ」


 俺の隣で食い入るように聞くフィオさんに、俺はややたじろぎながら答えた。


 フィオさんとは、彼女の故郷に訪れてから初めて再会する。さすがに、また外国へ行くのは難しいから、こちらへお越しいただいている形だ。周囲に話が漏れる心配はない。今は夜だし、見晴らしが効く小山の山頂だ。誰かが近寄れば、すぐ退散できる。

 この時期に彼女を呼んだ理由に、深いものはない。ただ、ある程度身の回りが落ち着いてきたから、ちょうどいいかなと思ったぐらいだ。あんまりタイミングを選ぼうとしていると、逆に機会を失いそうだし。

 最後に会ってから一年以上経過しているせいか、話題は山ほどあった。自慢話みたいなのが多くなりそうで、最初はしり込みしなかったわけでもない。

 しかし、俺の活躍を彼女はきっと喜ぶだろうと思って話したところ、予想以上だった。我がことのように喜んでもらえて、これはこれで恥ずかしくはある。

 ただ……俺の武勇伝よりも関心を示したのが、ホウキで夜空を彩ったり、水上スキーもどきをやったりという、魔法に対する俺のエンジョイぶりについてだ。


 シエラと遊んだ日について、その後の顛末をせがまれ、俺は少し照れ臭く思いながらも打ち明けた。


「割と高い店だったんですけど……料理を待っている間、仕事っていうか、魔法の話になってですね……」


 すると、フィオさんはやや呆れた笑みを浮かべ……少ししてから真顔で、″そっち″の話に食いついてきた。


「具体的に、どんな話?」

「そうですね……リムさんの話ってしましたよね?」

「アル・シャーディーン生まれの操兵術師ゴーレマンサーでしょう? 今は王都の工廠にいるっていう」

「そうです。そのリムさんと協力して、ゴーレムを操る技術をホウキに組み込めないかって」

「その目的や用途は? 色々あるでしょうけど」


 実際、それが実現できれば本当に色々できる。結局これは、自律飛行をできる魔道具を作ろうという試みに他ならず、うまくできれば軍民両方に恩恵があるだろう。

 ただ、どんな用途にしても、すぐに実現するのは難しいと考えている。そんな中で、実現性が高そうなアイデアが一つある。


「遠隔操作できるホウキ同士で、競争できれば面白いと思うんですよ。そうすれば、操縦者とホウキ作り両方の技術を磨く機会になると思いますし、公開競技として見学料を取れば研究費に充当できそうですし」

「……楽しそうで何よりだわ」


 にこやかに微笑みながら、フィオさんは言った。公営ギャンブル化も考えはしたんだけど、それは言わなくて良かった。

 それにしても……シエラとの夕食で魔法の話になったと話した時、フィオさんは「ヤレヤレ」といった感じの笑みを浮かべていた。それが、結局は彼女もそっちの魔法の話に食いついたんだから、俺たちみんなご同輩ってところだろう。

 考えてみれば、一番最初に食いついて釣られたのは俺の方なんだけど。


 俺とフィオさんの立場上、まるで当然のように、今夜は俺の方からかなりしゃべりづめになった。やたら話すことがあったけど、言いたいことは一通り話すことができたと思う。

 そして、そろそろお別れという頃合いになって、今夜会ったばかりの時よりも気配が薄くなったフィオさんは、静かな声で言った。


「来年は、あの子も一緒に呼んでね」

「アイリスさん、ですね?」

「ええ。去年、また会いましょうって約束したものだから。あの子が覚えていてくれたら嬉しいけど」

「そういう約束を忘れるような子じゃないですよ」

「……そうね」


 それから少しして、フィオさんは「また会いましょう」と言い、柔らかな夜風に飲まれるようにして消え去った。しかし、別れ際の微笑に寂しそうなところはなかった。俺の話で、楽しんでもらえたのだと思う。


 来年、また会ったら……あの子の口から、きっと外国暮らしを語ってもらうことになるだろう。今回の滞在が、フィオさんに話せるぐらいのものとして終わってくれればいいけど……。

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