第435話 「ウィンストン男爵家①」
私がリーヴェルムへやってきて、大体一ヶ月経った。
滞在中、私は学校に通う生徒の一人であり、そうでないときは軍の練兵場へ見学や調練に参加している。この二重生活は、学校のみんなには知られていない。知られないようにと、私だけでなく、今回の件に関わる方々も注意を払ってくださっているから、問題はないと思うけど……。
知り合った兵の方には、きょうだいが私と同じ学校へ通っているという方もいて、その話を聞いたときにはひっくり返りそうになってしまった。その後、ご自宅で私についてどのように話されていたか、彼が嬉々として口を開こうとしたところで、私は恥ずかしくなって耳に指を突っ込んだ。
お遊びのために滞在しているというわけじゃないけど、私にとって学校へ通うのは遊びに近い感覚だった。別に、不真面目な生徒だってわけじゃなくて……生徒のみんなよりも先に、冒険者という職についてしまったから、そう感じるだけだと思う。
だけど、学校に通うのも立派なお勤めということで、きちんと正式な休暇もいただいている。その辺の管理はエメリアさんがやってくれていて、私の世話役という都合上、彼女と休暇を楽しむことが多い。「私ばかりとでは、何かと問題がありますから……」と言って、職場の同僚の方々と一緒に遊ぶことも。
それと、エメリアさんは職場外でもメリルさんと仲がいいみたい。そもそも、メリルさんが今の地位に昇進する前から、ずっと友人関係を続けてきたみたいで、休日にメリルさんの家でのんびりすることもしばしば。
メリルさんのお母さん、つまり男爵夫人のカレナさんとも、割と親しくなれてきた。やっぱり遠慮みたいなものは見て取れるけど、私の立場を考えれば無理もないと思う、きっと、上から言い含められていることだってあるだろうから。
それでも、私のことを「アイリスさん」と呼んでもらえるようになった。これはメリルさんの協力あってのことだと思う。三人で夕食をとっている時、メリルさんはややわざとらしく強調して、私の名前を呼んでくれるから。そんな努力を続けてきて、カレナさんもそれに合わせるようになったというわけ。
後は、エメリアさんにも呼んでもらえれば……なんて。だいぶ難しそうだけど。
☆
「はい、カレナさん」と、私は小皿に取ったスープを手渡した。それに口をつけると、カレナさんは顔をほころばせて「あら、いい味ですね」と一言。私も笑みを返してから、担当の鍋に向き直る。
来たばかりの頃は、こうして料理の手伝いをするなんて考えられなかった。私が台所へ入ろうとすると、カレナさんが形相を変えて「お客様にそのようなことは」って感じだったから。
でも、私は結構料理をするのが好きで――というより、誰かと料理をするのが大好きで、この国の料理を覚えてみたくもあった。帰って、みんなに味わってもらえたらって思う。
そのお勉強のためにと、私の方からお願いしてみると、カレナさんは「お勉強のためなら」と折れてくれて、今みたいに肩を並べる形になっている。
こうして二人で料理していると、家のことを思い出す。だけど違うところもいっぱいあって、まず、調理用具や食器の配置には違和感がある。他の家の台所だから、仕方のないことだけど。
他の大きな違いは、カレナさんがあまり話しかけてこないところ。お母様もマリーも、料理中は――いえ、料理中に限らず――良くしゃべる人だから、ちょっと変な感じがある。
ただ、あんまり静かになって、食材を刻んだり鍋を煮る音だけになると少し寂しい。だから、沈黙が気になった時、私はその日あったことをお話しすることに決めている。
これは造作もないことだった。学校に通わせていただいているおかげで、学んだことだとかあちらでのお友達とか、話したいことには事欠かない。日記には話題のストックだってある。
そうして話していくと、私から一方的に話す感じになることが多くなって……おしゃべりな子だと思われるかもって、心配する気持ちは、ちょっとある。でも、私の話を聞いているカレナさんは、ただ温かな微笑みで耳を傾けてくれているから、これでいいかなとも思う。
今日もそうやってお話をしているうちに、気がつけば料理ができ上がっていた。作ったのは四人分――こちらの男爵閣下の分もある。
閣下への配膳はカレナさんが担当していて、私はいまだにお目通りが叶っていない。でも、カレナさん伝いに私の料理の感想は聞かせてもらえている。ご好評いただけているようで、それは何よりなんだけど……いつか、直にお話しできればって思う。
今日もカレナさんが、上にお料理を運んでいく。それを見送ってから、私は食卓へ。
私が配膳することについては、もう誰にも気にされなくなっている。ふとした拍子に、カレナさんから感謝されるぐらいかな。
食卓へ料理を運んでいくと、メリルさんが静かに座っていた。いつもよりも、空気が少し重い感じがある。気になるのは山々だけど、不用意に触れるべきでもない気がする。必要があれば、きっと私に話してくれるだろうから。
そんなことを考えていると目が合い、メリルさんはちょっと困ったようにはにかみながら言った。
「ごめんね、ぼんやりしてて。今日もお疲れ様」
「メリルさんも、お疲れ様です」
「いや、私なんて今日は座ってるだけだったよ」
今ではこうして、ものすごく砕けた話し方をしてもらえるようになったけど、それでもアンニュイな空気が漂っているのが、やっぱり気になる。
すると、「今も座ってばっかでしょ」と、カレナさんの鋭い声が。私に対しては遠慮がちだけど、娘さんには中々容赦がない。メリルさんって、国でも有数の要職にあらせられるんですけど……。
私が来てから、微妙に当たりがキツくなったと、メリルさんが笑って話してくれたこともある。でも、素の家族関係だろうし、これはこれでいいのかな?
それで、カレナさんの指摘に、メリルさんはちょっと口を尖らせた。
「そう言うけどさぁ、私が台所に行くと邪魔そうにするじゃん」
「だって、あんた料理できないんだもの……そうだ、今度アイリスさんに教えていただいたら?」
「いいですね、そうしましょう!」
私が提案に乗っかると、メリルさんは「ええ~」と、ちょっとげんなりした笑みを浮かべた。
「じゃあ、今度休暇もらったらね……」
「その時は、私の国の料理をお教えしますね!」
「お手柔らかに……」
あまり気乗りしていないけど、本気で嫌という感じでもなく、何だか微妙な笑みを浮かべてメリルさんは応諾した。
☆
就寝前、窓際の机で日記をつけていると、少し強めの風が吹き込んできた。
今は、この国の季節としては夏で、私の感覚では春か秋ってくらい。夜風は涼しくて心地よいけど、開けっぱなしだと体に障りそう。
そう思って窓を閉めようと立ち上がると、家の庭に誰かが見えた。たぶん、メリルさんだと思う。他よりは少し大きな木の下で、じっとかがんでいる。
何をしているんだろう。気になってそのまま見ていても、一向に動く気配がない。何か、観察しているとか、そういうのならいいんだけど……もしかしたら、具合が悪くなってうずくまっているのかもしれない。夕食の前も、ちょっと元気がない雰囲気があった。
急に不安に駆られた私は、はしたないのも承知の上で、二階の窓から
「大丈夫ですか?」
声をかけると、なんだか形容しがたい声を上げて驚かれてしまった。無事ではあるみたいで、そこは一安心だけど……。
「すみません。ずっと動かないから、具合でも悪くなったのかと」
「あ~、ごめんね。大丈夫だから、うん」
とはいっても、声には張りがなくて、少し塞いだ感じがある。それを私が指摘するまでもなく、メリルさんは自身の発言を嘘だと認めるように、寂しそうに笑った。
「まぁ、悩みごとがあってね。ちょっと考え込んでた」
「体、冷えちゃいますよ?」
「いや、私は現地人だからね?」
そう言って笑うメリルさんだけど、やっぱりどこか切なそうな感じがあって……メリルさんは木の方に、顔を向けた。何か、ここは特別な場所みたい。
「悩みごとがある時、ここで考え込んでるんだ」
「そうだったんですね……何か、この木に思い出が?」
「う~ん、思い出っていうか、この木はお墓なんだ……誰も埋まってないけどね」
つまり、慰霊碑みたいなものなのかな。少し黙って考える私に、メリルさんは「こんなんじゃ、よくわからないよね、ごめんね」と笑った。
「良ければ、聞かせてもらえませんか?」
「どうしようかな」
「……立ち入りすぎているでしょうか」
「そうじゃなくて、聞いてもつまんないかなって」
「それは……聞いてみないとわかりませんね」
私の言葉に、メリルさんは「それもそっか」と、力なく微笑んでから、話を切り出した。
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