第434話 「国と駒」
7月15日。リーヴェルム共和国、首都中央政庁の一室にて、メリルは議会の重鎮たちと対面していた。
議会の決定を以って、軍事行動の発令がなされる国の制度上、彼らのような議会の長たちに、軍属の人間は頭が上がらない。
この場にメリル以外の軍人として、各軍の将軍と高位の武官も控えている。しかし、それは付き添いに近いものであり、メリルにとっては気休めにしかならない。ひりつくような緊張感の中、彼女は毅然とした態度で席に臨んでいる。
まずは軽めの話題ということだろうか。国家元首である議長のローレンス・ハワードは、広い机の向こうで対面するメリルに、静かな口調で問いかけた。
「アイリス嬢は、いかがお過ごしであろうか? 報告を見る限りでは、かなり親しまれているようだが」
「はい。私の目から見ても、各種報告に相違ないものかと」
アイリスの暮らしぶりに関する報告は、主に二つ。軍関係と、編入した学校についてのものだ。いずれについても、それぞれ異なる立場でありながら、周囲の者と良く協調し、場に溶け込めているという報告である。
この生活を続けるだけであれば、なんら心配はないが――こうして招集された意味を考え、メリルは心の中でため息をついた。
アイリスの生活に関しては、双方ともに報告を受けていて、既知の話題であった。そんな当たり障りのない挨拶代わりの問答は言葉少なに終わり、すぐに本題が始まる。議長が重い声音で「次の作戦についてだが」と切り出すと、この場に参席した軍関係者の間に緊張が走った。
「
この発言に、軍部はどよめいた。メリルも一瞬呆然とした表情になり、言葉の意味を必死に
しかし、考え込んだ末に、彼女は結局その理由を問いただすことしかできなかった。
「申し訳ございませんが、そのようなお考えの意図するところは何でしょうか」
問いかけに、議長は渋面で押し黙った。代わりにと発言しようとする文官が「議長」と、やや揚々とした声をかけるも、議長の鋭い一瞥にはわずかにたじろいだ。
だが、議長は最終的に、彼に話を譲ることを決めた。無言でうなずき、発言を許可する。
「では、私の方から申し上げます。まず、他国からお預かりいたしました、大切なお方であられますから、万に一つがあってはなりません。そのため、衛生隊という重要性が高く、かつ直接の戦闘にはさらされない配置が適任であると」
「……他の理由はございませんか?」
次を促すメリルの口調と、彼女が放つ空気には、張り詰めたような威圧感がある。それにいくらか気圧されながらも、文官は続けた。
「報告によれば、かのご令嬢は現場の兵との交流で、相当の信望を得ているとか。そのようなお方が衛生隊にいらっしゃれば、負傷兵に対する大いなる慰労となるのではないかと。また、兵からの敬慕も、より強いものとなりましょう」
彼はそのように、よどみなく述べていった。しかし、軍関係者たちが放つ静かな何かにたじろぎ、やや尻すぼみな声で「以上です」と発言を結んだ。
議会の意向を知り、メリルは大きなため息をつきたくなり……それを真顔でぐっとこらえた。
それから、彼女は同僚たちに顔を向け、問いかける。
「各々方から、何かございますか?」
「誰が答えても、さほど変わらないものと思われるが」
共和国第一軍の将軍が、付き添いの代表として答えた。彼の発言の含むところを思い、メリルはわずかにシニカルな笑みを浮かべ、同僚への答えとした。
そして、議長に向き直り、彼女は声をかける。
「軍の一員として、所見を申し上げても?」
「無論。そのための場だ」
そのためというのが何のためであるのか――暗鬱な思いが持ち上がってくるのをこらえ、メリルは堂々と言葉を放った。
「アイリス嬢を衛生隊に配する件につきまして、私は反対します。まず、直接の戦闘にさらされないからというお考えについて。実際には、衛生隊の中に負傷兵の救助を行う隊がございます。熟練兵にしか務まらない隊ですが、そういった隊の存在を、あのアイリス嬢が知らぬはずもございません。まず間違いなく、そちらへの配属を志願することでしょう」
「しかしそれは、君の権限で押さえつければいいのではないかね?」
年配の文官が言葉をはさみ、メリルはそちらへ顔を向けた。それから、やや間を置き、彼女は発言を続ける。
「……では、そういった前提で話を進めさせていただきます。次に、兵からの信頼を理由とされていましたが、こちらも現場の人間としては疑問があります。前もって互いに信頼関係を結ぶことは、救われる側にとっては確かに良いことでしょうが、救う側の心労を思われたことはございますか? もしかすると、顔を知った人間の最期に、彼女が立ち会わねばならないかもしれないとは? 議会としてこれを是となされるのであれば、国として節義に欠ける態度と考えます」
対する抗弁は、すぐには出なかった。そのことについて、メリルは最低限の安堵を覚えた。この場にいる文官の面々も、良心の呵責というものを感じているように見えたからだ。
しかしながら……彼女が見たところ、この場にいる文官の多くは、軍や戦闘というものに対する理解が比較的深い。彼ら以外の文官が、今の発言をどう捉えるか……そう思うと、彼女は暗い気分になった。
そんな暗雲を脳裏で振り払い、彼女はもう一点告げる。
「最後に申し上げますが、かの国は、アイリス嬢が戦功を重ねられることを、大いに期待していると聞いております。そのことの是非はさておき、議会の意向として彼女を医務に押し込めるのは、国家間の約定に背く行為とは受け取られませんか?」
メリルの指摘に対し、文官の反応は静かなものであった。先刻承知済みの指摘という事であろうか。
軍を代表し、疑義を呈した彼女は黙して反応を待った。すると、議長が顔をわずかに苦々しく歪め、口を開く。
「衛生隊の件は、まさにその先方の議会から提案された話だ」
「……まさか。向こうの国の議会は、国民をだましているのですか?」
「民草は、実際には具体的な戦功など求めておらぬであろう。友好国の戦闘に、自国が誇る貴人が馳せ参じ、その勝利に貢献した。それだけで十分だと」
聞かされていた前提が崩れ、思考がぐらつくの覚えながらも、メリルは耳を傾け続けた。
「そもそもの話ではあるが、アイリス嬢に活躍していただくことの、我が国における利点は何だと考える?」
「……婚姻政策でしょう。国の枠を超え、貴族の家系を結ぼうと。そのためには、彼女の名を売り、国民に受け入れさせる下地が……」
そこまで答えて、メリルはあっけにとられたような表情になり、言葉を続けられなくなった。代わりに議長が、その話を継いでいく。
「衛生隊において、我が国の兵の支えとなっていただければ、国民にとっては同等かそれ以上の効果があるだろう」
依然として、メリルは言葉を発せないでいる。そんな彼女に、悲哀の色を帯びた視線を一瞬投げかけ、議長は話を結んだ。
「先方からの意向があり、当方としても望ましい効果を得られる。よって、議会としてはこの案を支持するものである」
メリルも、その同僚たちも、反論することはできなかった。
制度上の理由も当然あるが、彼女たち軍属の人間は、議会を構成する諸官の思考を理解できないわけではない。無論、議会が代表しているとされる、国民感情についてもだ。
長きに渡る魔人との戦いは、いずれの国でも、未来に対する閉塞感や疲労感を与えている。それを打破せんと願う気持ちは強い。リーヴェルム共和国においても、暫定国境を越えようという国民感情には根強いものがある。
そこで、今回のように他国から年若い貴族を招き、肩を並べてかつての国土を取り戻し、国を超えて血の契りを交わす……そうやって、新たな風を吹かせようと画策しているわけだ。
そうした機運、時代の要請に対し、軍部は無理解なわけではない。ただ、大勢の命を預かる者として、彼らは慎重にならざるを得ないだけだ。
結局のところ、この場は議論の場ではなく、通達と説得のためのものでしかなかった。国の決定を軍の一同は粛々と受け入れていく。
そんな中、メリルは客として招いた少女のことを思った。まさか、軍内での身の置き場についてまで、口出しをされるとは……。しかし、思い返してみれば、それも当然のことなのかもしれない。全ては政治と外交主導で回っていたんだ。あの子の立場も、これからの戦いも。
目を閉じ、心に浮かぶ諸々に思いを巡らせ――彼女は、はたと気づいた。会合が終わりに差し掛かる中、彼女は議長に尋ねる。
「いささか辛辣な表現になりますが、ご容赦を」
「ああ、それだけの権利はある」
同情と、いくらかの自責や自戒のこもった言葉に、メリルは少し苦笑いし、「では申し上げます」と言って言葉を続ける。
「衛生隊は、軍内でも大変な心労を伴う部署です。ご存じかとは思いますが。そのようなところに、他国からの賓客を配属させようというのですね」
「そのような流れだ」
「……そういった状況をあてつけとして、我が国の箱入りな貴族を焚きつけようという目論見もあるのでしょうか」
メリルの発言に、文官たちの多くは目を見開き、互いに顔を見合わせた。それが一種の肯定でもあったが、議長ははっきりと答える。
「家格が高いが、目立った功績のない貴族を……という話は出ている」
「戦場における医療の場に、政治を持ち込まれようと?」
「実務においては、現地の武官に権限を持たせる。あくまで、貴族を配する目的は兵の慰労のためだ。これを取り巻く環境に政治が関わらないとは言わんが、それは他も同様であろう」
「……仰る通りです」
これ以上の問答を差し控え、メリルは口を閉ざした。思わしくない状況の上に、別の問題が降りかかるようで、彼女は頭をうなだれた。
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