第433話 「背伸びして空へ」

 試験結果を知り、飲み会で厄払いをした翌日。俺はお屋敷へ足を運んだ。結果報告のためだ。

 放っておいても、あの子にはいずれ知られるだろう。俺はもう、お互いのランクとか気にしないことにしたけど、人づてに知られたら彼女には変に気まずい思いをされるかもしれない。それよりは、思い切ってスパッと言った方が、たいして気にしないでいられるんじゃないかと思ったわけだ。

 が、しかし……。


「つい先日、Cランク試験を受けまして、予想通り落ちました」と淡々と告げたところ、レティシアさんの顔が少しずつ曇っていく。

 やはりというべきか……気を遣われているのがわかる。一方で傍らに立つマリーさんは、普段とさほど変わりなく、真顔になっている程度。こういう反応の方が、俺としては気楽だ。

 それからレティシアさんは、ほんの少し目を泳がせた。言葉を探しているように見える。そんな彼女はおずおずと口を開いた。


「あのっ、そのことは残念だと思いますが、お師匠様のことはランクと無関係に尊敬申し上げていますから!」


 なんか、言わなくてもいい試験の話を持ち出して、こういうフォローを言わせてしまった気がしてきた。ここまで言ってもらえること自体は、確かに誇らしく感じないこともない。

 ただ、やっぱりこの子には、笑顔になってほしいと思う。


「そうは言っても、弟子にランク負けしているようじゃ、ちょっとカッコ悪いですしね。ま、来年頑張りますよ」

「はい。私の方にもできることがありましたら、及ばずながらもお手伝いさせていただきますから」


 本当に、いい子だなぁ……侯爵家ご令嬢がここまで言ってくるんだから、それを意識すると現実感が希薄になってくる。彼女の後ろで微妙にニヤニヤしているマリーさんの顔が視界に入ると、浮ついた意識がグイッと現実へ引き戻されるけど。


 ただ、お手伝いしてくれるというお弟子さんの言葉を受け、俺の中で少し良からぬ考えが芽生えた。


「レティシアさん」

「はい

揚術レビテックスって使えます?」

「えっ……は、はい」


 だいぶ戸惑い気味に、彼女は答えた。無理もない反応だ。俺のCランク試験うんぬんかんぬんの後に、Bランクの魔法を使えるか尋ねられたんだから。

 そうして困惑気味の彼女に正直悪いなぁと思いつつ、俺は話を進めた。


「試験の合格も重要なんですけど、今は揚術をマスターしたいと思ってるんですよ、実は。そこで、俺から技を教えるのと交換で、揚術を教えてもらえませんか?」

「そ、それは……恐れ多いというか」


 それは俺の言葉でもあるんだよなぁ……言わずに呑み込んだけど。

 ただ、彼女がこういう反応を示してくれることには、なんだか親近感を覚えた。俺から魔法の運用法を覚えることに対し、かなり積極性を見せてくれるけど、自身のあり方に対してはすごく控えめだ。それは、俺を上に立ててくれているからであり――ご一家と故郷の、あの一件から来ている引け目なのかもしれない。

 俺に対して魔法を教えるということに、彼女はしり込みを見せている。すると、ここまで静かに見守っていたマリーさんが、口を開いた。


「レティシア様」

「は、はい。何でしょう?」

「迷われている原因は何でしょう。よろしければ、お聞かせ願えませんか? 打ち明けられた悩みを共に解決するのも、師や年上の役割ですし。私たちに、いいとこお見せする機会をくださいな」


 優しく語りかけられると、レティシアさんは少し表情を柔らかくして、その助言に従った。


「来年の受験まで余裕があるとは思いますけど……こういう寄り道が、負担になってしまうのではないかと」

「……フッ」


 レティシアさんがこぼすように告げた懸念を、しかしマリーさんは一笑に付した。

 もう完全に彼女のペースだ。予想外であろうマリーさんの反応に対し、やや怪訝けげんにしながらも、レティシアさんはじっと次の言葉を待つ。


「それは、いらぬ心配と言うものですよ」

「そ、そうなのですか?」

「そちらのお師匠様は、むしろ余計な横道でこそ熱意を燃やされますから。それが原動力となって、試験への勉強にも好影響が出ることでしょう」


 マリーさんが自信満々にそう言うと、それでもなお信じきれない様子で、レティシアさんは上目遣いに俺を見てきた。そんな彼女に俺はうなずいてやり、マリーさんは言葉をさらに続ける。


「レティシア様が先ほど仰いましたように、そちらのお師匠様は『ランクに無関係』な方ですし。ちょっとした背伸びが、リッツさんをあなたのお師匠様たらしめているのだと思いますよ?」


 マリーさんの話に、レティシアさんは納得いったようで、俺に向かって真剣な顔でうなずいてきた。

 それにしても……マリーさんは、俺のことをよくわかっている。こうまで言われて気恥ずかしいくらいだ。さすがに、俺を効果的に茶化してくるだけはある。

 思い返せば、彼女とはアイリスさんのためにと手を組んだ。俺にとってはこの世界で初めての友人であり、同志でもある。それに、出会った頃から俺は背伸びしっぱなしだったようにも思う。だからこその、この理解なのかもしれない。彼女の口からこういう評を聞けたことを嬉しく思う――茶化されそうだから、絶対に言わないけど。


 なにはともあれ、マリーさんの助力のおかげで、どうにか揚術を教えてもらうことで話がまとまった。

 ただ、俺が一段飛ばしにこれを習得しようというのは、やはり気になるみたいで、レティシアさんが尋ねてくる。


「何か、お仕事でご入用なのでしょうか」

「いや、単に使えたら便利なんじゃないかと」


 もう少し正確に言うと、使用感を確かめたい。というのも、俺が戦ってきた魔人の中には、揚術をこれ見よがしに扱ってくる格上の奴が、いくらかいたからだ。

 今後も、まず間違いなく、そういう連中に出くわすだろう。連中にホウキのことが知られてないとは考えにくいから、おそらく空中戦への意識もあるだろうし。

 そこで、揚術がどんなもんか、自分の体で確かめてみて、どうせそのうち戦うことになるであろう奴らに備えたい。


……といった旨を素直に言ってみたところ、レティシアさんはいたく感心したようで、「それなら!」と大変前向きな意欲を見せてくれた。

 まずは実演ということで、彼女が実際に揚術をやってみる。ちょうど足元中心に魔法陣を展開する形でマナを刻んでいく。そして全てをあっという間に書き終えると、藍色の魔法陣がその身を起こして彼女を包み込み、体がフワッと宙に浮いた。

 まるで、つないだ糸を切られた風船みたいだ。しかし、魔法で質量を喪失したわけじゃない。風が吹いても飛ばされることはないようだ。


「この揚術は、一般には浮遊するための魔法と認識されています。ですが、その本質は、宙の好きなところへ動き、そして留まるところにあります……意識したところへ、そのまま移動していく感じですね」

「なるほど、なんとなくわかりました」


 つまり、動きとしてはUFOみたいなもんだと認識した方がいいんだろう。


 実演の後、さっそく習得が始まった。ただ、Bランクの魔法に関して、俺はすでに習得した魔法が一つあった。遺跡発掘の折、ティナさんから伝授していただいた、連環球儀法アーミラライザーだ。あのときかなり苦戦したおかげで、今ではBランク魔法を覚えるための下地ができている。

 それに、揚術で用いられる型の方に、目新しいものは特にない。事前にそういう見立てがあったから、今回この話を持ち掛けたわけでもある。習得するだけなら、どうにかなるんじゃないかと。


 問題は、Bランクという格上の魔法陣を、これまた格上の藍色に染めることだ。加えて、これを維持し続け、宙を舞わねば魔法の意味がないわけで……習得までは多少余裕があるとしても、習熟にはかなりかかるだろう。

 とりあえず、型だけでも一通り揃えて器にしようとしてみたところ、慎重に描き上げて完成させることはできた。

 しかし、完成の瞬間までに危うい場面は何度かあった。特に、藍色に染めていく過程は鬼門だった。空歩エアロステップで藍色にはある程度慣れ親しんだという意識はあるけど、さすがに空歩の一段上の魔法というだけはある。


 こうやって器だけでもやっとというのは、師事してくれる子の前では、やっぱりいかがなものかと思う気持ちはある。俺がどうこう思う以前に、この子に気を遣わせてしまうのが、なんだかなぁって感じだ。

 そこで、「私も、これは難しいですよ」とマリーさんがフォローを入れてくれた。ただ、彼女は小さいころにアイリスさんを助けたいという一心で、平民の少女ながら透圏トランスフェアを習得した女傑なわけで……。


 まぁ、実用レベルの記述速度ではないものの、器の完成率は徐々に上がっていった。女の子二人に監視されているという状況が、俺の尻を蹴り上げてプラスに働いたのだと思う。

 そこで今度は、文の習得に移ることになった。レティシアさんが地に刻んだ文を読み上げ、心に焼き付ける。


『皆々の 人恋しきに 地寄すなら 我が身よすがよ なからまし 先往く君に またまみえたし』

“誰もが人恋しく思っているから、私たちはこの地から離れられずにいるのだろうか。だとしたら、私の身寄りなんてなければいいのに。先に逝ってしまったあの人に、また会いたいだけなのだから“


……と言う感じの文だろうけど……年下の子がこんなのを覚えて、それを使い、しかも俺がそれを教わっている。そんな状況を再認識すると、なんだか変な気分になってきた。

 ただ、別段覚えるのに苦労する文ということはない。やはり、格上の魔法陣を染色するのが一番の関門だろう。こんな文を覚えるのがまだマシってのが、またなんとも。


 そうして練習を続けていくと、日が傾いてきた辺りで、文の方もまともに書けるようになってきた。

 そこで、そろそろ頃合いだからと、器と文を合わせて一つの魔法陣を書いてみることに。意識を集中させ、今日覚えた全てを、足元に刻み込んでいく。

 すると、足元から藍色の光が伸び、俺を包み込んだ。同時に襲い掛かる強力な疲労感に何とか抵抗し、意識と魔法を維持し続ける。魔法の方は、きちんと機能しているようで、俺はほんのかすかに波線が上下する球状の繭の中にいる。

 しかし、浮かび上がらない。何か足りないのか? いぶかしむ俺に、レティシアさんが声をかけてくる。


「上に少しずつ上がるイメージを!」

「あ、なるほど」


 そういえば、そうだった。意識したところへ行く魔法って話だ。勝手に浮遊するわけではないんだろう。

 目を閉じ、改めて魔法と体に意識を集中させる。そして、少しずつ浮かび上がるイメージを、心のなかで念じ続ける。

 すると、わずかに浮遊感を得た。足が地を離れた感触もある。うっすら目を開けて確認してみると、確かに俺は少し浮いていた。空歩に比べると、信じられないくらいに非効率的だけど、それでも新しい魔法で宙にいる。

 とりあえずは形になった喜びを覚えた。しかし、それも束の間、集中力が揺らいで魔法が解けた。わずかに段差を踏み外したような、あの嫌な感じが足腰を伝わってくる。この調子だと、モノにするまではだいぶ苦戦しそうだ。戦闘中に解けては……これはイメージしないでおこう。


 ただ、一日で覚えるだけならコンプリートできた。使えるとは断じて言えないけど、これで自由に自習できる。それだけでも、確かな達成感を覚えた。

 教えてくれたレティシアさんはと言うと、一日でここまでできるようになるとは思っていなかったようだ。驚きと興奮が顔に出ている。そして、喜びも。

 そんな彼女を温かな目で見つめるマリーさんも、俺の習得を祝福してくれた。「背伸びして、コケずに済みましたね」と軽口を飛ばしてくるけど、口調は嬉しそうだ。


 今日は教わる立場だったけど……最低限の体面は維持できたかな。

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