第430話 「北国の閲兵①」
私が国を離れた一件は、私の国の王都では広く知られている一方、この国では国の上層部や軍にしか認識されていない。つまり、関係者各位の間で留まる情報であって、おそらくは私の周囲が騒がしくならないようにという配慮なのかと思う。
民間における私の身分は、外交官の両親に連れ立ってやってきたお嬢さんということになっている。そのための身分証まで用意していただけた。
私がリーヴェルム共和国へ遊学するという表向きの口実は、実際は「表向きの口実」だなんて斜に構えるのが失礼に思われるくらい、しっかりとしたものだった。「公教育の実態調査のため」として私は首都にある学校へ編入することになった。両親の仕事の都合で、毎日通えるわけではないという言い訳付きで。
エメリアさんは、そんな私の世話係として、一緒に学校へ通うことになった。博覧強記な彼女のことだから、今更こんな勉強をしても退屈じゃないのかな……と思ったけど、「なんだかんだで楽しいです」とのことだった。
本当に学ぶ側の私としては、通学はとても楽しくて、興味深いものだった。王都にもこういう学校があるけど、私はお母様――と、たまにマリーとお父様――が先生だったから、みんなでこうして一つのことを勉強する経験に縁がなかった。強いて言えば、孤児院で教鞭を執ったぐらいだけど、それも教える側だったし……。
公教育のあり方それ自体も、かなり興味をそそられるものだった。共和制を敷いているのと無関係でもなさそうだけど、他の国よりも公教育制度が進んでいるみたいで……学内で唯一、私の素性を知っておられる学長閣下は、お国の美点を誇らしげに語って下さった。
元はと言うと、この国の公教育は、冬場にこどもの面倒をみるところから端を発したそう。というのも、この国の厳冬期はあまりにも寒く、降雪で身動きも取れないようになる事が多い。そんな中、街区ごとの家族同士の集まりだけでは、こどもたちが閉ざされた人間関係しか経験できなくなるという懸念があった。
そこで、地下通路を使ってこどもたちを一箇所に集め、そこで色々と勉強させてはどうだろうかという話が持ち上がった。もともと、雪の影響を受けずに行き来するため、かなり昔から首都には地下通路網が発達していたみたいで……それを更に拡張し、全家庭にあまねく教育の手を広げよう。そういう志があって、今の公教育制度があるのだとか。
お国の違いや、教わる勉強内容は、私の好奇心を刺激した。そればかりでなく、学校に通う子たちとの共同生活も、私にとってはすごく新鮮だった。
“子たち”というのは、学校に通う一番の年長者クラスに比しても、私がほんの少し年上だから。そんな中に混ざって一緒に勉強を受けるというのは、やや恥ずかしいところもあるにはあるけど……みなさん、私のことを快く受け入れてくれて、それは嬉しかった。
偽装した身分においても、私はいいところのお嬢さんということになっている。それでも、結構グイグイ来る子というのはいるもので……でも、それが煩わしいなんてことは全然なかった。あの社交の場に比べれば、こちらはずっと自然な関わり合いだから。
それでも、こうして良くしてくれるみんなの前で、本当のことを告げざるを得なくなる日が来る。その日が来るのが、少し怖い。
☆
6月20日。今日は軍の練兵場で、閲兵を行う。
と言っても、私に帯同するのはエメリアさんだけ。諸将諸官を伴わない、私のための見学みたいなものだと思う。
メリルさんは、この閲兵に一緒に来るかどうかを大変迷ったようだけど、結局は断念した。「一緒に動かないことで見えるものがあるかも」とのこと。
実際、メリルさんが傍にいることで、場の空気や私への目は確実に変わると思う。そんな変化を経る前の、素に近い兵の状態を見ることに、意義はあると思う。
今回向かったのは、首都から少し離れたところにある練兵場で、国全体から見るとやや小さめのものになる。私にとっては、この国の軍を見るのは初めてだから、様子見というご配慮があるのだと思う。
小規模といっても、作りはとてもしっかりしている。主たる官舎は石造りの立派なもので、それを囲うように石壁が巡らされている。それに、野外演習場も併設されていて、「小規模」というが嘘に聞こえるくらい、広大な敷地がそのためにあてがわれている。国土からすると、これでも小さめってことなのだと思う。
見学の始め、まずはこちらの練兵場を監督しておられる武官の方に面会した。肩幅が広く、それでいて引き締まった体の方だ。彼は低い声で「サム・キングスレー」と名乗った。
「こちらの連中は単に『教官長』と呼んできますが。特に抵抗がなければ、あなたもそう呼ばれるといいでしょう」
「はい。私はアイリス・フォークリッジです」
「無論、存じ上げておりますとも」
無骨な顔ながら、親しみを示すように教官長さんが言った。今回の面会のため、事前に知らされたとかそういうのじゃなくて、それよりも前よりも聞き及んでいたような感じで、それが少し恥ずかしい。
彼はエメリアさんとはすでに面識がある――というか、彼女をかなり頼りにしているみたい。「後で校閲してほしい書類が」と言われ、エメリアさんは私に顔を向けた。
「閲兵の合間に、取り掛かってはいかがですか?」
「わかりました。では、そのように」
「申し訳ありませんな……」
そう言って教官長さんは頭を下げてきた。だけど、私にだってこういう悩みは理解できる。「どこの国でも、書類仕事の面倒さは変わりませんね」と苦笑いしながら言うと、彼も渋い笑みを返してくれた。
それから、私たちは実際に練兵を行っている場へ案内された。中にいて話をしている間にも、外で剣を打ち合う音と掛け声は聞こえていたけど、実際にその場に立ち会うと熱気が伝わってくる。
しかし、私たちが姿を表すと、急に練兵が中断した。そして、私たちの方へ――というより、私の方へ視線が向けられる。その後、特に号令が出ることもなく、キビキビとした動作でみなさんが整列を始め、終わったところで教官長さんが大きな声で言った。
「諸君も知っての通り、こちらのフォークリッジ伯爵家ご令嬢アイリス様が、フラウゼ王国からお越しになられた。我々諸官よりも厳しい目が見つめていると思い、各自精励するように!」
「はい!」
訓示に対し、みなさんは声を合わせ、一糸乱れぬ動きで敬礼した。
しかし、それからすぐに、一人の兵の方が手を挙げた。野心家というか、気が強そうな感じのある青年だ。彼は教官長さんから発言を促されて、高らかに言った。
「はっ! 勇名で鳴る伯爵家ご令嬢をこの場にお迎えすることができ、大変光栄に存じます! しかし、僭越ながら申し上げますれば、その武勇が如何程のものか、直に拝見できぬものかと」
「つまり、手合わせ願いたいと」
私にもそう聞こえた。この場を取り仕切っていた教官の方は、意欲的な青年を非難がましくにらみつけたけど、教官長さんはあくまで落ち着いている。その様子を見て、青年は我が意を得たりと、笑みを浮かべている。
そして、教官長さんは私に尋ねてきた。
「いかがなされますか? 正直に申し上げるのならば、私にもそういった興味はあります。しかし、人に向けるような剣腕でもございますまい」
「それは、そうですが……」
昔は人に剣を向けたことなんて、お父様相手の訓練ぐらいしか経験がなかったけど……冒険者になってからは、友だちの訓練に付き合う事が多くなった。闘技場が普及してからは、本当にしょっちゅう剣を交えている。
だから、今では人に剣を向ける事に対し、そこまでの抵抗感はない――実戦さながらというわけにはいかないけど。
「十分に注意するつもりではありますが、いずれかに負傷でもあれば大事です。そうならないよう、訓練用の武具の用意があるのでしたら、この申し出をお受けします」
私がそう宣言すると、静かに抑えていた兵のみなさんが色めき立った。でも、気持ちはわからないこともないかな……。私の国でも、こういう事態になったら、きっとこういう反応をすると思う。
私の宣言に対して教官長さんは、深く頭を下げてきた。それに続く、「勉強させていただきます」という言葉に、私を一介の武人としてみてくれているのだと感じた。
一方、教官長さんの心情を知ってか知らずか、手合わせの相手となる青年は、余裕のある笑みを浮かべている。でも、これぐらいの不敵さは、一集団を代表するものとしては好ましくもあると思う。少なくとも、無礼だとは思わなかった――彼の上役にとっては、たまったものではないと思うけど。
それからすぐ、今回のための武具がやってきた。兜、胴、小手に具足……これを打突するための剣は、中身が空洞で、打ち込んだ衝撃を逃しやすくなっているそう。戦いのルールとしては、防具で守られた部分に対する打突のみを有効だとして認める。それと、この訓練はあくまで剣技を磨くためのものだから、魔法は使用禁止。
これらの装具に触れたことは、それ自体で収穫かもしれない。闘技場の興行とか、訓練に活かせるかも。後でエメリアさんに、技術の持ち出しを許してもらえるか相談しよう……手合わせの前に、私はそんなのん気なことを考えた。
そして、武具一式をその場で装着していくと、装着を手助けしてくれているエメリアさんに「リーフエッジですね」と声をかけられた。私がいつも帯剣しているものだ。
「はい。小さい頃から訓練で愛用していて……実戦でも、こればっかり使ってます」
「しかし、この剣はとても実戦向けじゃないと聞いてますが……」
「それでも、妙に馴染んでしまって。他の剣が少し重いくらいです」
正直に言うと、剣士としては邪道もいいところだと思う。私がそんな感じになってしまったことを、お父様に謝られたことだってある。だけど、命を預けられる「私の剣」に、こんな若くから巡り会えたのは、幸せなんじゃないかって思っていたりもして……。
ともあれ、一人の剣士として変な癖を抱えているのは間違いなくて、今回の剣も少しも重い。中身は空洞だそうだけど、重量を実物に近づけようと、柄から先端まで補強も兼ねた芯材が通っているそう。これがなければ、私向けなんだけど……なんて。
私がリーフエッジ愛用者ということで、こちらの兵の方々には驚かれた。でも、初めて会う軍属の方にはよくあることだった。正規兵ではありえない兵装だから。
ただ、多くが驚きを示す中で、手合わせする彼だけは落ち着いていた。そのさまが、私にはすごく自然に感じられる。私がリーフエッジを使っているからと言うだけでビックリするようでは、きっとこんな申し出をしないだろうから。
やがて、着替えが済んで、私はその場で素振りをしてみた。正式な剣よりは軽い上、剣の重量がやや柄に寄っているせいか、振り回したときに体を引っ張られる感じは少ない。そのぶん、重さが乗らずに振りは軽くなる。思いっきり振って叩きつけるよりは、小刻みに力を出し入れする、技巧派寄りの剣かもしれない。
そうして具合を確かめた後、私は彼と向き合い、試合開始の合図を待った。すると、教官長さんの「はじめ」という声が飛んだ。
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