第429話 「憧れの中の自分②」

 奥様から逃げるように退席した俺は、例のお嬢様とマリーさんの元へ向かった。

 お二人は服の手入れをやっているところだった。森の監視で出入りする兵の方々の制服を繕っている。

 このお手入れは、森の監視体制が確立してからずっと、この家の役目となっていると聞いたことがある。服の持ち主のみなさんは、「お手を煩わせるには」としり込みしたそうだけど、いい手慰みになるってことで請け負ったのだとか。実際、マリーさんは言うに及ばず、奥様もこういう手作業を好まれている。


 そして、例のお嬢様も、この作業にかなり集中しているようだ。熱心に制服と向き合っていて、俺が部屋に入ったことにも気づかないくらいだ。

 一方、マリーさんは俺の入室にすぐ気が付いた。彼女は傍らのお嬢様を一瞥いちべつした後、柔らかな微笑を俺に向け、唇に指をあてた。黙ってろってことだろう。軽くうなずきこの場を彼女に任せると、彼女は言った。


「レティシア様」

「はい、マリーさん。どうかなされましたか?」

「一度、針を置いて休憩しましょう」

「はい」


 そうして二人は針を布球に刺し――お嬢様はその段になって俺に気が付いた。かなり驚き、慌てて背を伸ばすその様子を見て、針を置かせた気遣いに納得した。


「お、お師匠様!」


――このお師匠様って言葉に、耳馴染みがないわけじゃない。というか冒険者の仲間内では度々耳にする。

 というのも、セレナがまさにそのお師匠様だからだ。いつの頃からか、後輩の一部でそういう呼び名が定着し始めたらしい。

 問題はその後で、先輩方もそれに倣って冗談半分で呼び始めたところ、それが妙にしっくりくるものだから、完全に定着してしまった。以来、後輩からは尊敬と羨望たっぷりに「お師匠様」、先輩や同期からは親しみと信頼を込めて「師匠」と呼ばれることが多くなっている。

 そうやって呼ばれる彼女を何度も目にしたけど、流石に照れくさそうにしつつも、嬉しそうではあった。あの子もいい方向に変わったなあと思う。


 それはさておいて、今度は俺がお師匠様と呼ばれるようになったわけだ。しかし、俺の中にあるあの小さなお師匠様と比べると、しっくり来ない呼び方なのは否めない。

 ただ、拒絶感をあらわにすると良くないだろう。少し苦く笑いしつつ、俺はお嬢様に話しかける。


「こうしてお師匠様と呼ばれると、ちょっとだけ落ち着かない感じはありますね。友人にそう呼ばれている子がいて、どうしても比べてしまいますので」

「ご友人にも、そのような方がいらっしゃるのですね」


 俺の発言を悪い方には捉えなかったようで、お嬢様は話に食いついてきた。すると、マリーさんが口を挟んでくる。


「セレナさんのことでしょうか?」

「そうですけど……よくわかりましたね」

「たまに一緒に遊びますから」


 にこやかにそう言うと、マリーさんは隣のお嬢様に向かって、セレナについての紹介を始めた。弓の達人で、勲二等の受賞歴があって、野外調理に定評があって、カワイイ服と読書が好きで……しかし、サニーとの仲については触れられなかった。さすがに、配慮したんだろうと思う。


「近い内にご紹介しますね。その時は一緒に服買ったり狩りに行ったりしましょう。きっと仲良くなれると思いますよ」

「はい!」


 服を買いに行くのと狩猟がセットになってるってのが……セレナらしいといえばそうか。それに、マリーさんも弓を使うし、服飾関係には強い。おそらくは、そこが二人の接点なんだろう。

 それにしても、俺とマリーさん共通の友人の話題から、彼女はさらっと次の遊びの約束につなげていった。こういう流れるような話運びには感心するばかりだ。


 しかし、セレナの話が一段落して、話題は俺の呼び方に戻った。“お師匠様”でいいのかどうかだ。こちらのお嬢様がそういう呼び方を希望しているのはわかる。期待と不安が入り交じる目で、俺を見てきているし。

 すると、マリーさんが若干人の悪い笑みを浮かべて提案を持ちかけてくる。


「他にもいくつか呼び名がありますし、そちらで呼んでいただいては? 確か、画伯、主任、教授、博士、顧問、隊長……でしたか?」

「……よくご存知で」

「情報源がありますから」


 その情報源が何を差すのかはわからない。ただ、彼女はこのお屋敷に留まらない顔の広さを持っている。セレナと遊ぶくらいだし、俺についてのそういう風評なんかも、調べるにはわけないだろう。

 まぁ、アイリスさんと話している間に聞いたってのが、一番有り得そうではあるけど……想像するだけでむず痒くなるから、それはやめておこう。

 しかし、俺の呼び名について、お嬢様は大変興味津々といった様子だ。すると、マリーさんが頼まれるまでもなく、俺の呼び名について、彼女が聞き及んでいる情報を話し始めた。若干うろ覚えでふわふわしている部分があるものの、概ね正確だ。

 そんな、当事者じゃない伝聞の情報でも、聞いているお嬢様は大変楽しそうだ。一方、話し手のマリーさんは、聞き手二人の反応をうかがいながら楽しんでいる感じで……色々と思うところはあったものの、俺は黙っておいた。


「……それで、どうお呼びしましょうか。というより、ご希望は?」


 俺の呼び名の紹介の後、マリーさんが尋ねてきた。

 お師匠様がしっくり来ない感じがあるからと、他の呼び名を持ち出されたわけだけど……こっちもこっちで、しっくり来ない感じはある。

 俺にとっては、それぞれの呼び名にまつわる仕事や経験がある一方、こちらのお嬢様にはそれがない。そういう傍観者の立場から、伝え聞いたばかりでしかない呼び名を使うのは……どうなんだろう。ちょっと寂しい感じとかするんじゃないだろうか。

 そこへ行くと、「お師匠様」ってのは特別だ。マリーさんが提案したそうだけど……あの戦いでの一件があってこその呼び名だろう。俺とこの子の間で共有するものがあって、その上で成り立つ呼び名だ。俺にある他の呼び名とはわけが違う。

 そういう意味では、座りの悪い感じはあるものの、受け入れるべきなんじゃないかと思った。あの時だけじゃなくて、これからもこちらのお嬢様は、大変な人生を歩み続けることになる。その支えになりうるのなら……。


「やっぱり、お師匠様にしましょう……」

「結局?」


 恥ずかしながらも俺が申し出ると、マリーさんは微笑みながら言葉を返し、すぐ隣に向き直って言った。「言ったとおりでしょう?」と。

 見透かされたというような悪い気はしない。それよりは、理解や信頼を寄せられていると、前向きに捉えられた。それに、こちらのお嬢様も嬉しそうだし。

 ただ、こちらのお嬢様はどう呼ぶべきか。マリーさんは「レティシア様」と呼んでいたけど……。やや考えてから、俺は「レティシアさん……で、構いませんか?」と尋ねた。


「は、はい! よろしくおねがいします!」


 驚きつつも、喜ばしくもある、そんな笑みを浮かべているレティシアさんの横で、マリーさんは慈愛のある微笑みになった。それから俺に向けた笑顔にも、言葉には出さずとも感謝の念を感じ取れた。


 しかし、話が終わったとたん、微妙な空気になっていく。縫い物が途中だからだ。この後どうしようか、レティシアさんが困惑しているのが見て取れる。

 そんな彼女の様子を少し楽しんだかのように見えるマリーさんは、俺に向かって言った。


「切りが良いところまで待っていただけますか? その後、庭で魔法の練習でもしましょう」

「そうですね」

「なんでしたら、お裁縫もいかがですか?」

「……いいですよ。着る人たちには内緒で」


 少し驚いているレティシアさんを横目に、俺はほつれた軍服と裁縫道具一式を受け取った。

 とても自慢にならないけど、俺は自分の服を酷使する悪癖があって……レティシアさんの前でもそういうことをやったと思う、確か。

 それで、多少の傷みやほつれは自分で繕うことにしている。服の痛み具合を改めて確認することで、一種の自戒にしようというわけだ――さすがに、着るに耐えない程度まで痛めた服は、専門家の手に託すか弔っているけど。


 俺が縫い物に参加すると、急に静かになった。たまに顔を上げて対面のお二人の様子をうかがうと、レティシアさんとは視線が合うこともあって、互いに少し気恥ずかしい感じになったりもした。

 その一方、マリーさんは俺にほとんど関心を払わない。自分の方を縫い進めつつ、横のレティシアさんに気を配っているようで……ホント、今日何回目になるかわからないけど、彼女には感心させられっぱなしだ。


 縫い物が一区切りしたところで、今度は庭へ向かうことになった。「待ってました」と言わんばかりに、レティシアさんの表情から弾む気持ちが伝わってくる。

 しかし、師匠として何を教えればいいんだろうか。お役目を請け負い、いざ……というところで、急に心配になってきた。かわいいお弟子さんの前では、とても見せられない悩みではあるけど。

 魔法の練習にはマリーさんも着いてきた。監視ってほどのものでもないだろうけど、彼女の表情は穏やかに微笑みながらも、眼差しは真剣味を帯びていて、こちらの気は引き締まる。


 とりあえず、魔法を教える前に現状確認だ。庭のテーブルについて、レティシアさんがどれぐらいできるか確認することに。


「魔導師ランクって、どんなもんですか?」

「Cランクです」


 あ~、教えることないんじゃないか、コレ……というのは言い過ぎにしても、内心だいぶ気まずくはある。来月の試験を捨て受験する身としては、なおさらだ。

 しかし、どうにか師匠らしいところでも見せないと……そう思っていると、マリーさんが話しかけてきた。


「画伯の技を、この場で披露してみせては?」

「それもそうですね」


 俺の地位は、他の人とは少し違う魔法の使い方をするところに支えられている面がかなりあって……視導術キネサイトとマナペンでお絵かきするってのは、その原点に近い。この場で披露にするにはもってこいだろう。

 そこで、俺は自分のマナペンを取り出し、用意のいいマリーさんが紙をくれた。そして、手に持つことなく魔法陣で保持したマナペンが、魔法陣越しに供給されたマナをインクに、紙へ絵を刻んでいく。

 そうして一筆書き終え、俺はレティシアさんにそれを贈呈した。


「とりあえず、記念にどうぞ」

「わぁ……! ありがとうございます!」


 ご本人ほどには美しくない、かなりデフォルメした似顔絵だけど、彼女はものすごく喜んでいる。

 しかし……渡した絵と彼女を見比べていて、一つひらめいたことがあり、俺は試してみることにした。視導術の前に、色選器カラーセレクタを噛ませると、どうなるだろう。リアルタイムで色を変えられたりはしないだろうか。前に、空描きエアペインタープロジェクトでやってみせたみたいに。

 思いついたことを試してみたところ――失敗した。魔法陣を確立したところで色を変えると、魔法陣へのコントロールを喪失して立ち消え、浮かせたマナペンがテーブルに落ちてしまった。

 考えてみれば当たり前かもしれない。これまでの経験から、魔法陣は注がれるマナの色を頼りに術者を認識している。だから、俺が注ぎ込むマナを変えれば、魔法陣が“俺本人”だと思わなくなるのは当然のことだ。瞬間接着剤を触った後、指紋認証が通らなくなるようなものだろう。


 その場の思いつきで始めた実験は、こうして失敗に終わった。

 しかし、失敗に終わったからこそわかること、話せることというのもある。今回の実験に関わる知識や経験を話してみたところ、お弟子さんは目を輝かせながら聞いてくれた。こういう反応は、少しアイリスさんと似ていなくもない。好奇心と探究心が強いと言うか。

 無言で話を聞いていたマリーさんも、俺に対して感心したような表情で軽くうなずいていた。それが、俺としてはなんだか嬉しい。


 ただ、こういう実験ばっかりやるわけにもいかない。こちらで預かっている彼女の立場を踏まえれば、魔法庁に届け出のいる各種実験は無理だろう。魔法庁から信頼されるようになったとはいえ、方方ほうぼうに迷惑がかかる可能性がある。

 今必要なのは、彼女に教えられる実践的な何かだ。それも、俺が得意な奴。何があるかと思い巡らしたところ、すぐに思い当たるものがあった。双盾ダブルシールドだ。

 お二人の前でそれをやってみせた後、念のために「これってできます?」と問いかけたところ、「初めて見ます」とレティシアさんは言った。マリーさんは、小さく横に首を振っている。どこかで見た機会はあるようだ。

 なんであれ、教えるには良い題材のようだ。光盾シールドを二枚重ねたこの技に対し、単純だと早合点するでもなく、レティシアさんは興味を向けてくれている。

 そこで、まずはこの技の意義や概念的なところから講釈しようとしたところ、マリーさんがさりげなくススッと紙やペンを差し出し、レティシアさんは背を伸ばして俺に向き直った。

 実のところ、これはエリーさんの受け売りでしかない。俺はお師匠様というより、良くて師範代ってところだろう。でもまぁ……これが彼女の血肉になれるのなら万々歳だ。自分の立ち位置に対し、微妙にスッキリしないものを覚えながらも、俺は教鞭を執った。



 日が沈むあたりで、双盾の練習をやめることになった。

 練習が終わるや否や、レティシアさんは「お料理のお手伝いに行きます!」と言って、奥様がおられる台所へ走っていった。その背を見送って、「おかげでちょっと楽できそうです」とマリーさんは笑う。


 双盾に関しては、さすがに一日でマスターするようなものでもないだろうと思っていたけど、実際そのとおりだった。落ち着きながらであれば難なく展開できる程度にまで習熟できているけど、実践レベルで瞬時に展開とまではいかない。

 ただ、飲み込みがいいのは確かだ。エリーさんやアイリスさんに預けると、かなり喜ばれそうな才覚を感じる。打てば響くというか。それに、実力もさることながら、由緒正しい家の出でもある――昨今の色々で、微妙な立場に置かれていはいるけど。

 そんな彼女が、俺に師事するっていうのは、どうなんだろうと思わないでもない。俺の戦績の多くが、複製術やら色選器みたいな禁呪に加え、異刻ゼノクロックという魔法庁所轄外の“本物の”禁呪によるものだという自覚があるから、なおさらだ。

 しかし、だからといって、今の状態をただのゴッコ遊びで終わらせたくないという思いもある。実際に彼女と対面し、魔法を教えていて、その思いが強くなっていく感じが確かにあった。慰めのために付き合っているんだと思いたくもないし、そう思わせたくもない。


 つまるところ、俺が師に足る人間かどうか。そういう意欲はあるものの、その資格の有無について、静かに思索していると、マリーさんが話しかけてきた。


「迷ってますね」

「いやぁ、さすがに隠せないですね」


 俺と向き合う彼女は、顔こそ柔らかに微笑んでいるものの、目にはシリアスな感じがある。そんな彼女は、静かに口を開いた。


「世間一般で言うところの、魔法使いとしての力量は、おそらくレティシア様の方が上でしょう」

「でしょうね」

「ですが……死地をくぐり抜けた経験であれば、リッツさんは勝るとも劣らないものがあるでしょう。それを支えてきた才能や資質も、きっと」


 そう言うと、彼女はニコッと笑って言葉を続けた。


「押し付けるような形になって申し訳ないと思っていますが、こうして誰かの師となる経験が、リッツさんのためになるとも考えています。あのレティシア様は、きっと勲章よりも確かな鏡になってくださるでしょうから。今一度、自分を落ち着いて見つめ直す機会を得るのも、良いことではないかと思いますよ」

「そうですね……ありがとう」


 しかし、俺の感謝を微笑んで受け入れた後、彼女はなんだかイタズラっぽい笑みを浮かべていく。


「結構前から、リッツさんのことは『教育に悪そうな先輩』と耳にしていてですね……怖いもの見たさというのもあったのですが」

「いや、今日は普通だったでしょ」

「ええ。やや拍子抜けですね」

「……まったく」


 悪びれるでもなく、あっけらかんと言い放つと、彼女は軽い所作で頭を下げてから身を翻し、台所へ向かっていった。

 一人残る形になった俺は、沈んでいく夕日をじっと見つめた。”遊学”の件が、あの子のためになっていればいいんだけど……。

 そんなことを思っていると、俺を追い払うかのように風が吹き付けてきて、俺はお屋敷の中へ足を向けた。

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