第428話 「憧れの中の自分①」

 アイリスさんがリーヴェルム共和国へ行って、一週間が経過した。

 俺があの子をどう思っているかを大体知っているラックスは、この案件で何か情報があれば、いの一番に知らせると請け負ってくれた。本当に、あの子には頭が上がらない。

 それで、今のところ特に何もない。考えてみれば当たり前な話だ。海外へ行って早々に問題が発生すれば、少なくともどちらかの国は、その機能を疑われるからだ。


 一番の懸念は、彼女が関わることになるという、大規模な作戦に関してだ。魔人への意趣返しにと、こちらの国では大層期待を寄せられているけど……両国上層部にしてみれば、彼女を平穏無事に送り返したいという意向は極めて強いだろう。

 ただ、結局のところは国や軍の意向に従わざるを得ない。遠く異国の地でも、あの彼女がそういうままならない渦中にあることを、俺は苛立たしく思った。


 たとえ、この世の中がそういうものなのだとしても……心に思うことは止められない。



 6月10日、朝食を済ませてのんびりしているとお客様がやってきた。ドアのノックと同時に、同居人のみなさんがこちらを見てきて……その後互いに目が合い、みんなで一緒に少し気まずく笑った。

 そんな中、リリノーラさんが応対に向かうと、お客さんはマリーさんだった。彼女がこちらへ来ることは大変珍しく、俺に用があるのはほぼ間違いないとしても、その要件に思い当たるものは何もない。

 少し緊張しながら立ち上がり、入り口の方へ向かうと、マリーさんは普段俺に接するよりも丁寧に話しかけてくる。


「いきなりの来訪で申し訳ございません。本日は空いてますか?」

「空けようと思えばいくらでも空けられますが……何かありました?」


 尋ねてみると、彼女はほんの少しだけ視線を下に落とし、考え事を始めた。それもわずかな間のことで、すぐに顔を上げて話しかけてくる。


「特に思い当たるものは?」

「いえ、まったく」

「では、向こうについてからお話しします」


 つまり、ここでは話せない件ってことだろうか。すると、脳裏にアイリスさんのことが思い浮かんだけど……気にしすぎだろう。目の前にいるマリーさんからは、深刻な空気が漂ってこない。そういう話を抱えて飛んできたのなら、きっと彼女のことだから、切迫した空気を抑え込んでも隠しきれないはずだ。

 そのように考え、最終的には楽観視したものの、最初に懸念を覚えたのは気取られたようだ。マリーさんは申し訳なさそうな微笑を浮かべ、「身構えるほどの話ではありませんから」と言ってきた。

 ただ、わざわざ呼びに来るくらいだから、込み入った話ではあるのかと思う。お食事にも呼ばれそうなので、ちょうどこの場にいるからと、俺はリリノーラさんに昼食と夕食は大丈夫と耳打ちした。


 それから軽く支度を済ませ、マリーさんと一緒にお屋敷へ歩いていく。

 道中は、かなり静かだった。悪い話ではないものの、俺を呼び出すだけの話ではあり、しかしその内容には向こうに着くまで触れない。気になって仕方がないけど、隣を歩くマリーさんは、ただ涼しげな笑みを浮かべているばかりだ。

 ただ、なんとなくではあるけど、マリーさんと奥様が一緒になって俺を担ごうとしている時の、人を食ったようなあのノリをうっすらと感じた。

 たぶん、何か良性のドッキリでも仕込んでるんじゃないか?


 驚かされまいと、内心警戒しながらお屋敷に足を踏み入れる。特に変わった様子はない。

 それから、玄関でマリーさんが「ただいま戻りました」と朗らかに言うと、奥から「はーい」と女性の声。奥様の声だ。ここまでも異常はない。

 しかし、声の後に奥からやって来られたのは、二人の女性だった。奥様が伴われている、年下だろうけど少し大人びた女の子には、確か見覚えがあって……やがて玄関で対面すると、奥様は傍らの子を指して「ご存じ?」と尋ねてこられた。

 必死で記憶を手繰り寄せる俺を、「忘れては悪いですよ?」「そうよ~?」などと言って、マリーさんと奥様が楽しそうにはやし立ててくる。まったく、この二人は……。

 一方、女の子は、わずかに上目遣い気味に俺を見つめてくる。その、少し心配そうな顔を見て、俺はハッと思いだした。


「間違えていたら申し訳ありませんが、ベーゼルフ侯爵家のご令嬢?」

「はい、レティシアと申します!」


 前のクリーガ防衛戦の最後に、ラウルと協力して助けた、あの子だ。

 俺が言い当てたことに対し、彼女は安堵を見せてから、輝かしいばかりの笑みをこちらに向けていらっしゃる。

 しかし、それから何かためらいがちになって視線を少し伏せ……やがて、何か覚悟を決めたような顔つきになり、俺に向かって仰った。


「これから、よろしくお願いします、お師匠様!」



 「はい、どうぞ」と奥様が淹れてくださったお茶に口をつけると、対面に奥様が座られた。お顔はかなりにこやかだ。

 この食卓にいるのは、俺と奥様だけ。とりあえず落ち着いてお話はできる。色々と聞きたいことはあるものの、まずは他愛のないところから攻めることにした。


「お師匠様ってのは……」

「マリーの差し金」

「ああ、そうですか」

「私も承認したけどね」

「ああ、左様ですか」


 やはりというべきか、ドッキリの一つではあったようだ。とはいえ、そんなにイジワルなものじゃなくて、悪気のないお遊びみたいなものだ。

 何より、あのお嬢様のためだろう。玄関でのご挨拶の後、マリーさんと一緒に家事の手伝いに向かわれたようだけど……。


「こちらで世話をなさるんですね?」

「ええ。ご存じだったかしら」

「いえ」


 そういう話は聞いていないけど、なんとなく察しはつく。なにしろ、内戦後も殿下について行動しただけあり、情報は色々と耳に入ってきたからだ。

 そうして得ていた情報に加え、奥様の口から語られた追加の情報で、彼女を取り巻く状況がはっきりしていく。


 あの内戦において、新政府側の中核的存在だったのがベーゼルフ侯だ。特に、実務面なんかでは、向こうの陛下よりもよほど強い実権を掌握いていたという。そんな人物ともなると、戦後の裁きから免れようもない。

 ただ、候爵がいなければどうなっていたかというと、難しいところだ。少なくとも、侯爵は魔人側の干渉について一貫して警戒していたのが、後の調査で明らかになっている。あの防衛戦においても、新政府とは距離を置いていた諸機関の協力を取り付け、“内応”に備えていた。

 侯爵に同情的な見方をする軍関係の方も多い。「敗戦の将を自ら買って出た」との評もあったくらいだ。

 そういった諸々の事情を勘案し、結局侯爵が極刑を受けることはなくなった。陛下がご政務の場にお戻りになられたから、その恩赦という話もある。


 ただ、侯爵のお命は安堵されたものの、処罰はあのご一家にとっては厳しいものになった。

 侯爵ご本人は、侯爵家から追放され、一平民の立場に落とされた。今では西方の最前線に送られ、一介の武官として赴任しているのだとか。

 将軍閣下によれば、最前線でも名の知られた将帥であっただけに、むしろ最前線の方が、クリーガに留まるよりは……ということだった。

 当主が追放されたことで、家督はご夫人が継がれることとなった――いや、夫人というのが正確な表現かどうかわからない。国の手で、ご夫妻の縁を切られたからだ。ともあれ、今はべーゼルフ侯と言うと、あの女性を指すということになる。

 そして、ご令嬢のレティシア嬢だ。彼女は、ともすればご両親以上に微妙な立場に置かれていて……。


「身柄は事実上、国の管理下にあるわ。色々あったと言っても家格としては申し分ないから、貴族同士の婚姻政策に、国の駒として使われるでしょうね」


 そう仰る奥様の口調は冷ややかで、国の上の方々に向けた非難の色を感じ取れた。


「つまり、国から委託があって、こちらでお預かりする形になっていると?」

「公式な契約があるわけではないけど、実態としてはそうね」

「なぜ、こちらなのでしょうか」

「さぁ? 娘を他国に預けているから、ちょうどいいってことじゃない?」


 そのように軽い調子で言われるけど、口調はきっと本心ではないだろう。この決定を下した国が、頭数だけ見てプラマイゼロだなんて、無邪気でバカなことを考えているとも思えない。

 実際、国の思惑について、奥様が今度は真面目に自説を語ってくださった。


「国の管理下に置きたいとはいえ、王都で抱えるのは難しいわ。なにしろ、仕掛けられた側としての住民感情というものがある。心無い目を向ける者はいるでしょうね。だからといって、友好的にふるまうように強制できはしない。となると、王都から目と手が届く範囲内で、理解がある家に委ねる方が無難だわ」

「なるほど。確かに、奥様とマリーさんの元であれば、安心できそうですね」

「皮肉かしら?」

「どうでしょうね」


 ちょっとした当て擦り気味に言ってみたけど、こんなことで気分を害されるようなお方じゃない。むしろ、苦い話題の後に冗談を受けたことを、楽しんでいらっしゃる感じすらある。

 なんにせよ、背後にどのような思惑があるとしても、このお屋敷のお二人があのご令嬢の味方にならんとしているのは間違いないだろう。そう信じられる。

 となると、残る問題は……俺だろう。本当に”お師匠様”になるかどうかはともかくとして、俺があのお嬢様と――いや、自分に向けられた感情と向き合えるかどうか。

 真剣そのものといった感じの眼差しを向けられ、俺は背筋を伸ばして奥様に相対する。すると、奥様は静かに仰った。


「身に覚えがあるでしょうけど、あのお嬢さんからあなたに向いた敬意や憧れは本物よ」

「それは、そうなんだろうと思います」

「ご迷惑かしら?」

「身に余る感じは、正直あります」


 あのお嬢様の中で、俺がどれほどのものになってしまっているのかは、さっぱりわからない。でも、向けられている憧れそのままの自分ではないと思う。

 そうして少し尻込みしてしまう俺に対し、奥様は優しく微笑んで仰った。


「……あなたの代わりはいないわ、あの子にとってはね。でも、それが重荷になりすぎるなら、私には遠慮なく言ってほしいと思っているの」


 これは、気休めのウソなんかじゃない。むしろ、変に無理をすれば、後で呆れながらたしなめられそうな感じがある。

 それでも、即答できずにいると、奥様は依然として柔和な笑みのまま言葉を続けられた。


「難しい立場でしょうね。相手は我が家よりも家格が高い家の子で、さらに普段付き合わないような下の年齢層の子で、しかもその子が慕ってくるというのだから……。あなたの困惑を、想像することはできる。でも、それがどれほどのものなのか、正確にはわからないの。結局のところね。だから、困るのなら正直に言ってほしいの。言われずとも察することができればいいのだけど……ごめんなさいね」


 お気遣いに満ちたお言葉をいただいて、俺はテーブルに視線を伏せた。とはいえ、気持ちはだいたい決まっている。後は、覚悟だけだった。息を吸い込んでから、俺は言った。


「断るのは、忍びないと思ってます。あのお嬢様に対しても、奥様とマリーさんに対しても」

「……まぁ、あなたなら、そう言うでしょうね。それとも、そのように言わせてしまってるかしら?」

「いえ、これが自分の気持ちです」

「そう」


 俺がお役目を請け負うと、奥様は柔らかな笑みを俺に向けてこられた。それから、少し人が悪い笑みになっていく。


「あの子が憧れるのも、よくわかるわ~。こうして見ると、あなたって結構かっこいいじゃない」

「ま~た、そういうことを言うんだから、まったく」

「照れるとカワイイのもいいわね。年上にモテるわよ」


 ホント、この人には勝てる気がしない。

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