第427話 「血の迷宮」

 リーヴェルムへ来て二日目の今日は、関係各所への挨拶回りに伺った。

 関係各所と言っても、軍関係の方が多い。軍以外では、共和国の国家元首であらせられる主席議長ローレンス・ハワード閣下と、側近の方にお目通りして、後は議場を紹介された程度。今回の私の来訪が、政治要素を多分に含んでいるのは承知しているけど、今のところは軍政的な要素が強い感じがする。


 今日の挨拶回りで、エメリアさんはさすがに同行できなかった。国のトップに私をお連れいただくとなると、どうしてもそれだけの格を求められるわけで……。

 その点はもちろん、エメリアさんも重々承知している。だから今日は、今後仕事がたまらないように、あらかじめ段取りをつけておくとのこと。精力的なところを見せるエメリアさんに、メリルさんもかなり満足そうだった。


 肝心の、ご挨拶回りにおける感触は、とりあえず好ましいものだったように思う。

 メリルさんと肩書上は同格であらせられる、第一軍・二軍の将軍閣下は、ご両人とも40代と思われる男性だった。

 将軍間での仲は、今のところの印象では悪くない。部屋に入った時、競争する者同士が隠しきれずににじみ出るような、妙な緊張感が走ることはなかった。むしろ、両将軍とも、メリルさんには一目置いているのが感じられた。

 私のことについては、過去の武功を評価しつつも、今の立場をおもんぱかってくださっているみたい。「大変だとは思うが」といったお言葉を賜って、私に関わる諸案件に対し、複雑な思いを抱かれているようにも感じた。



 ご挨拶回りに関しては、特に問題もなく平穏無事に終わった。

 でも、今日はここからが本題みたいなもので……私の手を引き「さあ、行きましょうか」と言うメリルさんも、どこか気が進まない感じ。

 目の前には、元王宮の庁舎内でも、一際きらびやかな大広間がある。その中には、ホールの雰囲気に負けないくらい、着飾った方々が大勢いて……ここで立食パーティーが行われている。


 この場に来るまでに、これは私のために開かれた催しではないと、メリルさんから教えてもらえた。こういう催しは定例的に開かれていて、どちらかというと、これに合わせるために私のスケジュールを調整したみたい。

 ただ、私のため″だけ″に開かれたものではないとしても、私を歓待する意味合いはとても強いみたいで……私の姿を認めた方々から、にこやかな笑みを向けられている。


 私が渦中の人物だというのは、皆様方にはすぐわかってしまうみたいだけど、それは無理もない話だった。

 メリルさんは軍服とは似ても似つかないナイトドレスを着ているけど、この場におられる方々がその程度で見間違えるはずもなく……そんなメリルさんの傍に、見慣れない子がいるとなれば、この場に集まるほどの方々にとって、その正体は自明だった。

 私は何も、こういう場に来るのは初めてじゃない。それなりに経験はある。だけど、ひっきりなしに声をかけてこられる方々の、顔と名前を一致させるのは大変だった。

 そこで、メリルさんが助け舟を出してくれた。「いきなり大勢来られると戸惑うから」と言って、私を連れ、ちょっと空いたスペースへ。

 こうして助けていただけるのは心強いけど、ご自身でパーティーを楽しみたいのでは……とも思う。その点を尋ねてみたところ、「冗談でしょう?」と言わんばかりに目を見開かれてしまった。


「こういう席は、私も苦手で……こう言っては失礼かもしれないけど、あなたの世話役という口実で、少し助かってる部分もあるかな……」

「ふふ、気が合いますね」


 私が微笑を向けると、メリルさんも同じように返してくれた。やっぱり、社交界の人じゃなくて、現場の人なのだと思う。


 ただ、こうして距離をとっても、こちらへ来られる方はいらっしゃる。囲まれない分、対応が断続的になって、さっきよりもやりやすくあるのは確かだけど……。

 声をかけてこられる方は、予想通りと言うべきか、若い殿方が多い。それも、やや馴れ馴れしいような……距離感を維持しつつも、どこまで踏み込めるか油断なく探られているようで、ある意味では戦場に似た緊迫感を覚えた。

 中にはひざまずいて、私の手の甲に口づけする方まで。そんな方も、メリルさんが冷ややかな視線を向けると、張り付いたような笑みを浮かべて退散していったけど……。

 こういう、年頃の方の軽薄な態度は、別に社交界ではよくあることだった。取り立てて気にすることでもない。私は自分にそう言い聞かせ――それでも、心の中で疑問が頭をもたげてくる。


 国賓として招かれたはずの貴族の娘に、こうも浮ついた態度で接してくるものなの?


 少しずつ、胸の鼓動が高まっていって、じんわりと汗ばむような感じも覚えた。ホール内は少し涼しいぐらいだというのに。


「……大丈夫? 少し外で休みましょうか?」

「私が外してしまっても……」

「それぐらい構わないから。料理でも食べさせておけばいいって」


 辺りをはばかるような小声で、メリルさんが話しかけてくれる。それは、この場にはとても似つかわしくない口調で、だけど心強く覚えた。

 それでも、うぬぼれじみた責任感が、私をこの場に留めようとしたけど……結局は提案に乗って、私たちは外へ出ようとした。


 だけど、テラスへ歩いていくと、メリルさんが急に緊張感をみなぎらせた。

 それは新手がやってこられたからだけど、今までの方々みたいな軽さは微塵もない。メリルさんよりも少し年上ぐらいの、精悍な顔つきの男性は、少なくとも私を口説きに来たのではないようで、メリルさんに声をかけられた。


「少し話したいことがある」

「何用でしょうか?」


 すると、相手の方は辺りを素早く一瞥してから、静かに答えられた。


「次の戦についてだ。そちらのご令嬢にも、ご一緒願う」

「かしこまりました」


 相当に場の注意を集めるほどのお方らしく、周囲には聞き耳を立てるように静かにしていた方も多かったけど、ホールからテラスへ向かう私たちを追う方はまではいなかった。

 そうして私たちは、月明かりで浮かび上がる白いテラスに足を踏み入れた。他には誰もいない。とても雰囲気のあるところだけど、メリルさんの様子から見るに、浮かれた話をする空気じゃない。

 すると、私に向かって手袋をしたままの右手が突き出された。


「申し遅れてすまない。私はアシュフォード候ケヴィンだ」

「アイリス・フォークリッジです」


 私が握手に応じると、メリルさんが口を挟んでくる。


「戦の話と言うのは?」

「あれは方便だ。とはいえ、無関係でもないが」


 私たちを連れ出すため、あの場であのように仰ったわけだけど、私たちに向けられた視線は真剣なものがある。一方で、メリルさんには少し戸惑いのようなものがある。そんな中、閣下が話を切り出された。


「この度の招致について、建前は君も当然知っていようが、まさか”それだけ”のものと考えているわけではあるまい」

「はい」


 私の短い返答の後、続く言葉は何もなく、ただホールの向こうの喧騒が他人ごとみたいに聞こえてくる―――いえ、決して他人ごとでは済まされないのかもしれない。

 なおも沈黙を続ける閣下は、私に言葉の先を促しているようで……逃げたくなる気持ちを自覚しながらも、私は自分の考えを告げた。


「縁組の前段という意味合いも、あると考えています」

「……聡明で何よりだ」


 閣下は、やや含みのある冷笑的な態度で答えられた。それから、今回の政略についてお考えを述べられる。


「今回の滞在だけで話がまとまることはなかろうが、君の存在を受け入れやすくする下地までは用意するだろう。我が国の戦で、君に勲功を重ねさせるというのが、まさにそれであろうな」

「閣下。軍としては、どのように動いていただくか確定しておりませんが……」

「軍部としてはそうであろうが、議会としてはそういう意図があろうという話だ。貴女も勘付いていないわけではあるまい」


 言い返され、メリルさんは悔しさのにじむ表情でうつむいた。


「……あなた方にも思うところはあろうが、一つの国の中で王侯貴族の血を回し続ける、その限界は見え始めている。それは貴国においても同様だと思うが」

「……はい」


 少し暗く沈む声で、私は答えた。

 貴族同士で子を成すにあたり、家格を揃えようとすると、似たような血脈が重なりかねない。すると、子が生まれる際に母子ともども強い負担がかかるというのは、貴族社会においては常識のように知られている。

 このリーヴェルムが王制をやめた一因も、その血の重なりにあると言われている。

 私の国だって、この問題と無関係というわけじゃない。殿下ご生誕の折には、お妃さまがお隠れになられてしまった。


 それに、私のお母様も、もしかしたら……。


 不意に「大丈夫!?」と声を掛けられた。気が付けば、メリルさんがひざまずき、私の顔を覗き込むようにしている。侯爵閣下が見られている前で、ご自身のお立場にも関わらず。

 そんな対応を取らせてしまったことが申し訳なくなって、私は「大丈夫です」と答えた。でも、そんなのは言葉だけだった。動悸が激しく、地面が揺らぐ感じすらある。

 すると、閣下は「すまなかった」と頭を下げ、陳謝なされた。


「話題に対し、配慮が欠けていたようだ」

「いえ、大丈夫です」


 どうにか平静を保って答える私に、閣下は一瞬だけ陰のある表情をお見せになった。それからすぐ、謹厳な表情になって、閣下は仰る。


「次なる戦いで勲功を積めば、君の発言権は大きくなるだろう。いずれこの国の者と結ばれざるを得ないとしても、何某かの次男坊を故国へ連れて帰る程度の自由は認められるかもしれん」


 最後にそれだけ言い残し、閣下は立ち去られた。遠くに見える会食の中へ混ざっていく、そのお背中を見送りながら、つぶやくように私は尋ねる。


「あの方は、どのようなお方なんですか?」

「共和国第一軍の将官の一人で、知勇兼備の名将です。自他に厳しいことで有名で……見ての通り、立派な方です」


 その後、メリルさんは少し冗談めかして「素敵とは思わないけど」と付け足した。

 それに対し、私は微笑を返したけど……今日の会食で出会った方々の、どんな甘い言葉よりも、閣下のお言葉が一番心に刺さったと思う。そして、沸き上がる感情や思いを少しでも落ちつけたくて、私はメリルさんに「少し、考え事をさせてください」と言った。

 答えは、なかった。ただ、哀しげな表情の、無言の肯定を得て、私は淀みのような思いの中へと身を投じていく。


 私が、好きな人と結ばれえない運命にあることは、ずっと昔から知っていた。誰に聞くでもなく察してしまって、逆に聞き出せなくなってしまっていた――うっすらした確信を、事実と認めてしまいたくなくて。

 私のお父様とお母様も、きっとそうだったのだと思う。結ばれる相手を、自分で選ぶような自由は、きっとなかったと思う。

 でも、思い悩んでいるのは、それだけじゃない。私は自分の家族について、ずっと昔から一人疑問に思っていたことがある。


 それは――私が、あのお母様から生まれたのかということ。


 若作りだとしても、いくらなんでも若く見えすぎる。でも、私の口からはそんなこと言えなかった。何か、触れてはいけないものに触れてしまいそうだと、幼心にも感じてしまっていたから。

 でも、心の奥底に秘めておいた疑問が、今日のあの話で湧き出してきた。もう、向き合わなければならない時期に来ているのかもしれない。

 きっと、私が生まれた時、何かあったのだと思う。そして……私が子を授かった時、私の身にも何かが起こりえるかもしれない。それが、怖い。

 だから、他国の貴族の血を取り入れようというこの試みは、賛成して然るべきだと思う。少なくとも、私の理性はそう言っている。人の世に連綿と続き、社会を支えてきた数多あまたの家系を絶やさないために。国と国の隔たりを超えて、手と手を結んで血でつながり合えるのなら、私がその先駆けになれるのなら、それはとても意義のあることだと、私は思う。

 だけど……。


 思案に暮れていると、私の国で言う秋風みたいなものが吹き付けてきた。でも、私の体を本当に震わせたのは、芯から来るような冷たさだった。逃げ場のない冷たさが、私を責めさいなんでいる。

 すると、今まで静かに見守ってくれていたメリルさんが、静かに口を開いた。


「ごめんなさい」

「えっ、謝られることなんて、何も」

「いえ……あなたを招いたことについて、両国の思惑は薄々勘付いていたけど、言い出せなかった。戦いの前に、思い煩わせたくなかったから、そう思っていたけど……私が、単に逃げていただけかもしれない」


 そこまで言って、メリルさんはうなだれた。だけど、そういうメリルさんだって……幸せな恋路は、きっとないのだと思う。


 しばしの間、また静かになった。それから、私は夜の空気を目いっぱい吸い込んで、メリルさんに話しかける。


「そろそろ、戻りましょうか」

「あまり、無理しなくても」

「いえ……主賓ですもの。あまりお預けしては、物欲しそうにしてる子たちが可愛そうでしょう?」


 ちょっと冗談めかして強がってみると、メリルさんは私の背を優しく何回か叩いた。


「それじゃ、行きましょうか、お嬢様」

「ええ」

「ま、今日話しかけてくるような連中は……アシュフォード候以外は雑兵だと思ってもらっていいから」

「それも可愛そうですよ」

「そうやって甘くすると、つけあがってくるの、連中」


 そんな話をしながら、私はきらびやかな――私のもう一つの戦場へ、足を運んでいく。


 お父様とお母様の間に、きっと何かあったのだと思う。きっと、順風満帆な人生ではなかったと思う。血がつながっているかどうかの確信なんてなくても、その確信だけは不思議とある。家族だから、なんとなくわかる。

 それに、私がこんな目に遭っているんだから。だから、あの二人も色々あって、それを乗り越えて……私を育んでくれたのだと思う。

 だから……だから私は、貴族の在りようから逃げてはならないと思う。そんなの、あまりにも恥ずかしくて、情けないと思うから。


 でも……。


 ホールに入ろうと、最後の一歩を踏み入れる直前で、私の後ろ髪を撫でるように風が走った。振り向くと、夜空に無尽の星が瞬いている。

 王都にいるみんなも、同じ夜空を眺めているのかな。私を、あの森から解き放ってくれた、あのひとも……。

 華やかな檻を背に、私はそんなことを思わずにはいられなかった。


 運命を受け入れるだけの強さは、私にはある。そう育んでもらえたと思う。

 でも、想いを捨てられる力は、揺らがずに粛然とするだけの力は……きっと持ち得ないと思う。

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