第424話 「リーヴェルム共和国②」
将軍閣下の執務室に入ると、閣下は席を立って私を待っていらっしゃった。側近と思われる若い男性も、威儀を正して私に正対なされている。
それで少し緊張してしまったけれど、閣下はあくまでも柔和な顔立ちを向けてくださっている。そのお気遣いのおかげで、身が強張る感じは少しずつ溶けていった。
閣下は、おそらく私よりも多少年上ぐらいの方だと思う。威厳や風格ももちろんあるけど、それよりも若々しさの方が印象強い。背は、私よりも高い。私も、同世代の子の中では結構高い方ではあるけど……閣下がこれだけの長身であらせられるなら、軍の殿方に混ざっても埋没されることはないと思う。
入室して閣下の方へ歩み寄っていくと、閣下は右手を差し出しながら話しかけてこられた。
「ようこそ、リーヴェルム共和国へ。第3軍筆頭将軍、メリルディア・ウィンストンです」
「アイリス・フォークリッジです」
差し出された手に握手で応じると、温かな手に包まれた。それから、閣下は側近の方のご紹介に移られる。
「この者は、スタンリー・オルドレアです。もしかしたら、家名はご存じかもしれませんが……」
「! はい、わが国にもそのご高名は轟いております」
オルドレア家といえば、リーヴェルムが王政を廃して共和国となった際、初代国家元首を輩出した名門だ。貴族の血こそ流れていないけど――いや、むしろそれゆえに――その家名は他国にまで知られて久しい。ラックスさんのお家に近いといえば近いかも。
でも、スタンリー氏はそんな家柄を笠に着るでもなく、腰が低い態度で私に応対してくださる。
「ようこそお越しくださいました。何かお気づきの件がありましたら、なんなりとお申し付けください」
「そんな……あまり、お気遣いなさらずに」
「いえ、今後の勉強のためにと考えてのことです。温厚なお方から先んじてお叱りを受ける方が、まだマシであると」
ああ、なるほど……。私に続いて、別の誰かもこの国に来るかもしれない。多分に冗談を含んだお言葉でもあるのだろうけど、こう言われると、気兼ねするのが逆に失礼という気がしてくる。「では、何かありましたら遠慮なく」と応じると、スタンリー氏はにっこり笑みを向けてこられた。
そうしてとりあえずのご挨拶が済むと、スタンリー氏の口から今日明日の予定が語られる。
「ご挨拶回りは明日の予定となっております。今日のところは一日、特に予定が入っていませんので、首都見学をなされるのがよろしいかと」
「はい。そうさせていただきます」
「案内は、そちらの将軍に一任しております」
それには驚いて、私は少し目を見開いてしまった。
「よろしいのですか? 本案件を抱えられて、ご多忙であらせられるのではないかと……」
「いえ、実務面で忙しいのは私ぐらいですから」
スタンリー氏が何の臆面もなく直言されると、閣下はやや苦々しそうな顔になられた。
「そこの彼の言う通り……部下の尽力でありがたく休暇を賜ったもので、私に関しては心配なさらないように」
それでも恐れ多い感じはあるけど……これからお世話になる方がご一緒というのは、確かに心強い。案内していただきながら、色々なお話をしていただけるかもしれないし……。
ありがたくご厚意に甘えることにすると、閣下はここまで案内してくださったエメリアさんに声を掛けられた。
「……エメリア、あなたにも用事があるから、同行するように」
「かしこまりました!」
それから、この場に残って執務されるスタンリー氏に挨拶して、私たち三人は執務室を後にした。
次に向かったのは、軍庁舎内の備品科倉庫の一つ。倉庫といっても巨大なクローゼットみたいなところで、寒さと戦ってきた国だけはある。上着やコート、防寒具などが整然と並んでいて、かなり壮観な眺めだった。
そうして少し圧倒されている私に、エメリアさんが「失礼します!」と言って採寸を始める。少し手の震えは見て取れたけど、それでも手つきの良さは慣れたものがあって、私の寸法をあっという間に測り終えてしまった。
それからすぐ、彼女は服の林へと消えていった。それを見送っていると、閣下が何かに気づいたかのようにハッとして、私に話しかけてこられる。
「今の装いでは、少し目立って居心地が悪いかと思い、我が軍の制服を取りに走らせています」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
「これは何も、我が軍に編入するための既成事実を作ろうとしているとか、そのような政治的な含みはありませんので、その点はご心配なく」
そこまでは考えが思い至らなかった。そもそも、こちらの軍に組み込まれはするものの、フラウゼからの援軍という立場が崩されるものではないから、戦闘においては私の一張羅で参陣することを前提に考えていた。
だからむしろ、他国の人間に軍服を貸与する方が、色々と大変なのではないかと思うけど……そこは権限でどうにかしているのだと思う。
ただ、いずれにしても……本来縁のなかった服に袖を通すのは、少し楽しみ。そんなお気楽な考えを表には出さず、私はどうにか澄ました顔を維持していた。
しかし、エメリアさんが持ってきてくださった服を着てみると、勝手に頬が緩んでしまう。服を変えただけなのに、鏡の向こうには知らない自分が立っていて……それだけで、少し楽しい。
私の服を選んできてくれたエメリアさんは、「ピッタリで良かったです! よくお似合いですよ!」と言って喜んでくれた――この発言が、軍事面や外交面で問題視されないか、少し心配になってしまったけど。
すると、閣下は「服屋じゃないんだから」と呆れたように笑っていらっしゃった。
それから、私の一張羅を用意していただいたカバンに畳んで詰め、これまた用意していただいた帽子をかぶってみる。
「こうしてみると、エメリアさんの同僚みたいですね」
「そ、そんな……恐れ多いです」
実際、二人で並ぶと服だけはそんな感じで、彼女はもじもじしながらも喜んでいる。そんな彼女に、閣下は声を掛けられた。
「エメリア、この後も一緒に来る?」
「えっ、私がですか?」
「今日は特に急ぎの仕事はなかったはずだから……どう?」
閣下のご提案に、エメリアさんは大いに戸惑い、それから私にチラリと視線を向けてきた。
「私としても、ご一緒していただけた方が嬉しいです」
「ほ、本当ですか?」
「もちろんですよ!」
すると、彼女は心底嬉しそうな顔になってから私に、そして閣下に頭を下げた。
そうして私のなりすましが完了すると、庁舎内を歩いても私に目を向けられることはなくなった。すれちがう方々は、まず閣下に視線を向け、その場で一礼する。そうなると、私なんて視界に入らなくなって、素通りできるというわけ。
ただ、さすがに庁舎から出る受付のところでは、私の身分を隠して通行することはできなかった。閣下の口からご説明いただき、念のため私のフラウゼ国民としての身分証と、今回の訪問に関する書状を提示する。
すると、受付の方からエメリアさんと会った時のように、羨望に満ちた目を向けられてしまった。
自分の国でも、ここまでの扱いを受けることは、そんなにない。たぶん、私の名前が先に独り歩きしてしまっているのだと思う。そう意識すると、気が引き締まる。
庁舎から出ると、閣下は先頭になって足早に進まれた。どこか、行かなければならない場所があるのだと思う。ゆっくり左右に視線を振る間もなく、私たちは街を進んで行く。
そうして慌ただしくついたのは、大きな服屋だった。店内に入ると、柔らかな照明に照らされた中に、色鮮やかな服や装飾品がにぎやかに並んでいる。
思わず目移りしてしまいそうになるけど、単に買い物を楽しもうというわけではなさそう。閣下はツカツカとカウンターに進んで行かれ、定員の方に何やら耳打ちをされた。
少し意外なのは、軍服の三人が入店してきたというのに、店員の方もお客さんたちも、さして反応を示さないところ。強いて言うならば、親し気に微笑まれているだけ。王都でも、衛兵の方々に対しては、町の皆さんがそういう風に接することが多いから、似たようなものなのかな……。
そんなことを考えていると、閣下についてくるよう声を掛けられ、私たちは店の奥へと足を踏み入れた。
向かった先は、応接間と試着室がくっついたような広い部屋で、質が良さそうな服が並んでいる。お得意様と歓談しつつ、特に上等な服をお召しになっていただくための部屋を作ったら、きっとこうなると思う。
そんなお部屋に通され、店員の方に勧められるままに、私たちは柔らかなソファーについた。すると、店員の方が閣下に向かって尋ねる。
「ねえ、大将。服のご要望は?」
「……その、大将というのは、ちょっと……」
「なーに言ってんの。こうして安全圏まで逃げ込んできたっていうのにさ~」
店員さんはそれだけ言うと、上機嫌に鼻歌を歌いながら、服が所狭しとかけられた一角へと向かって行った。
それから、やや気疲れ気味な微笑になって、閣下は私に向いて口を開かれる。
「まず、一つ確認したいことが……ただ、なんと言えばいいのか」
「あまり、口に出しづらいことでしょうか?」
「……互いの力関係と言いましょうか。私は当国で、三つある軍の一つを統括しております。一方で私は貴族の子でもあり、とある男爵家の一員でもあります。家の格から言えば、アイリス嬢が確実に上でしょう。一個人としての武勇や名声も、国賓として招くに値する方だと存じております。ですが……」
そこで閣下は言葉を切られ……大変悩ましそうにため息をつかれた。私もそういう界隈の人間だけに、思い悩まれていることは察しがつく。
「当国ご滞在の間、我々が世話をするようにと、議会より命を受けております。また、今後何かしらの戦闘が発生した折には、私が指揮する軍の中で動いていただくことになります。ですが、国としてお迎えしております客将に対し、私の指揮権がどこまで及ぶものかは甚だ疑問があり……」
そして……行き詰まられたかのように見える閣下は、大きなため息の後、敗北感のようなものをにじませながら仰った。
「……つまるところ、あなたに対してどのように接するのが正当なのか、思い悩んでいるということです。恥ずかしながら、当案件を決定した議会は、その点に関して『一任する』と通告しただけで……」
すると、服の森林に埋もれているはずの店員さんが明るい口調で口を挟んでくる。
「メリル~、かたっ苦しいのやめたら? どうせ、部外者は聞いてないんだしさ~」
「……まあね。強いて言うなら、アンタが部外者さんだけど」
「ひっど~い」
そんなやり取りの後、閣下はどこか気恥ずかしそうにしながら私に顔を向けてこられた。やはり迷われているようだけど、状況が許すのなら、あれぐらいの気安さで接して頂ける方が、私としては嬉しい。
「話しやすいように話していただければと思います」
「それは助かりますが、言葉遣いだけじゃなくて、上下関係というかなんというか……」
「では、年長者を立てましょう。それなら、わかりやすくて公正でしょう?」
私の申し出に、閣下――いえ、メリルさんって呼ぶべきかも――は、真顔で少し固まった後、ちょっと不甲斐なさに顔をしかめるような苦笑いになっていく。
「どうも、こういうお付き合いは慣れていないもので……ゴメンなさいね? なんだか、すでにペース握られている感じもあるけど……こんな年長者で良ければ、仲良くしてね」
「はい、喜んで」
「それと、公の場でなければ……」
「メリルさん、ですね」
私が先を越してお名前を呼ばせてもらうと、メリルさんは少し頬を掻きながら、照れくさそうになった。そして、改めて握手するように、右手を差し出してくる。
「よろしくね、アイリスさん」
「私は、単にアイリスで構いませんけど……」
「いえ、お客様には違いないし……サシでやり合ったら、きっと私が負けると思うし」
メリルさんは、今は将軍としてではなく、まるで私人みたいに接してくださっているけど……根っこの部分はしっかり武人みたい。滞在中に手合わせすることがあるのかな……なんて、自然に思ってしまったけど、周囲の服が視界に入ってハッとした。
私も私で、大概だと思う。
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