第423話 「リーヴェルム共和国①」

 壮行会の翌日。転移門管理所の前では、多くの方が私の見送りに来てくださった。壮行会には参加したけど、今はいないという方もいて、ラナレナさんは「きっと二日酔いなのよ」と言った。ご自分も、少し辛そうにされている。朝に弱いから、かも。

 お見送りに来ている方は、親しい方ばかりじゃなくて、国の要職につかれている方も何人かいらっしゃる。その中でも一番位が高い宰相閣下は、「陛下と殿下に代わって」と仰ってから、私にお言葉をくださった。


「国の代表と気構えておいでのことと思いますが……気負わずとも普段どおりになさってください。それで先方にも十分伝わることでしょう」

「ありがとうございます」


 こうして励ましつつもお褒めいただけて、とても嬉しく思う。

 その一方で、少し複雑な思いもある。この件について、宰相閣下は慎重論を唱えられていたと聞いた。時流を考慮すれば、貴族の子女ではなく平民を数人出す方が、互いの国の行く末にとっては好ましいとも。

 ただ、国として対応が決まった以上、このような場で異論を唱えられるような方ではない。送り出す方々の代表として、閣下がお言葉をくださったのは皮肉に思われてならないけど、前向きなお言葉で送り出されたのなら、私はそれにお応えしなければならないと思う。


 幸いというべきなのか、親しい方ばかりじゃなくて、国政に携わる方々がおられるおかげで、しばしの別れに湿っぽくならずには済んだ。でも、この場にいない孤児院の子たちや、最近親しくなった後輩のみんな……それと、今まで良くしてくれたみなさんのことを思うと、後ろ髪を引かれる感じはある。

 それでも、私は意を決してみなさんに顔を向け、できる限りの毅然さを保って「行ってまいります」と告げた。声は、きっと震えていなかったと思う。一方で、私に帰ってくる「いってらっしゃい」の声は、震えているのも混ざっていて……それが、私の心まで震わせそうになった。

 想ってくださっていることへの、せめてもの礼にと、私はみなさんに頭を深く下げた。そして、振り向かないように心を決め、管理所の中へ足を踏み入れる。


 管理所を使うのは、これで二回目になる。中の雰囲気は静かで神秘的で……後ろとは大違い。そんなよそよそしさの中に身を投じて進んでいくと、どんどん気が引き締まっていく。

 そして、転移門が安置されている部屋についた。すると、私に向かって管理者の方が深々と一礼をされた。


「この度は、フラウゼを代表としてリーヴェルムへ向かわれると聞き及んでおります」

「は、はいっ」


 まさか転移門を預かる方にまで、こんなに恭しく礼をされるとは思わなくて、私は少したじろいでしまった。それから、身を起こした管理者の方は、金の輪を操作しながら私に話しかけてくる。


「行き先は、リーヴェルム共和国、首都クリオグラス……で宜しいでしょうか?」

「……そうでしたっけ?」


 行く先なんて、聞くまでもなく決まっている。若干微笑みながら聞いてきたこの質問をジョークと思い、私も微笑んではぐらかした。それに対し、管理者さんは「ふふっ」と笑っている。

 それから、私は表情を引き締め「お願いします」と告げた。すると、管理者さんは真面目な顔になって「かしこまりました」と返し、流れるような所作で作業を進めていく。


 そして、こちらと向こうがつながった。波打つマナの膜を通して、向こうの管理所の壁が見える。

 もう、異国が間近にある。そう思うと、急に名残惜しさが心に押し寄せてきた。それに……向こうは、きっと寒いんだろうな……。気温の差が思考の端に登り、気がつけば私は深呼吸をしていた。

 そうやって、すがりつくように今を五体で感じ取ってから――私は門へ近づいた。


「どうか、頑張ってください」

「はいっ。行ってきます」


 管理者さんの、思いがけず柔らかな口調の後押しに、私は精一杯の笑顔で答えた。

 そして、門を超えて異国へ一歩、足を踏み入れる。すると、境界を超えた瞬間から涼しさを感じた。ああ、本当に遠い国につながったんだ……そう感じた。

 全身が向こうに――いえ、今や故国が“向こう”にあるけど――入り込む。密かに案じていたほど、寒くはない。それでも、これから夏を迎えようとする国から、急に秋真っ只中の国に入り込んだようで、違和感はとてもある。

 すると、こちらの管理者の方に「寒くありませんか?」と尋ねられた。


「いえ、これならまだ涼しいぐらいです」

「でしたら、良かったです。暑い国の方ですと、今の時候でも相当寒そうにされることもありますので……。これから暖かくなっていきますから、ご安心ください」


 お仕事だからかもしれないけど、説明の口調は穏やかで丁寧で……それだけでも少し安心してしまう。親切にしていただいた礼にと頭を下げると、管理者さんも頭を下げ返してくる。

 そうして互いにお辞儀し合ったところで、部屋のドアがノックされた。管理者さんが「どうぞ」と返すと、官吏らしき制服を着た方が入ってきた。動きと顔は、少し固い。私と同世代か、ちょっと上ぐらいかもしれないけど、明らかに緊張している。


「ようこそおいでくださいました! かのフォークリッジ家より、ご令嬢のアイリス様をお招きすることができ、大変光栄に存じます!」

「あ、ありがとうございます」


 少しぎこちないながらも、本当に言葉通り、晴れやかな表情で迎えられて……逆に少し気圧されてしまったり。

 でも、最初にこういう方を遣わすのも外交なのかもしれない。裏のなさそうな眼の前の彼女に対し、素知らぬ顔でそんな事を考えている自分が、少し嫌だった。


「どうかなさいましたか?」

「いえ、なんでもありません」


 腹の中に秘めた思いは呑み込んで、私は言葉を返した。それから、管理者さんに改めて礼を告げる。

 すると、お迎えの方も管理者の方にお礼を言って、これにも正直驚いた。教育が行き届いている部署の方なのか、あるいは一個人としてそういう方なのかもしれない。


 それから、私はお迎えの方の案内で、転移門の部屋を出た。

 王都の管理所と違うのは、部屋のすぐ先に階段があることだ。上り階段になっていて、この階には窓が見当たらないことから、ここはおそらく地下だと思う。灯りはあるけど、少し頼りなさがあって、歩くのに不自由しない程度というところ。王都の方だって、居心地の良さを感じさせるような空間じゃなかったけれど、外が見えないだけでもまた違うものだと思わされる。

 部屋を出て、階段を登ろうというその直前に、案内係の方はハッとして私に顔を向けた。


「も、申し遅れました! 私はご案内の役目を仰せつかりました、リーヴェルム共和国第三軍事務官エメリア・ロンズデールと申します!」

「エメリアさんですね」


 笑顔でエメリアさんに右手を差し出すと、彼女は左右に顔を向けた。私たち以外に誰もいないんだけど……きっと、そういう癖でやってしまったのだと思う。真顔になってハッとした彼女は、それからかなり恥ずかしそうに顔を伏せた。

 それで、ちょっと気落ちしてしまっているような感じもあって、手を伸ばして応じようとはしない。そんな彼女の右手に両手を伸ばして包むと……驚かれはしたものの、はにかみながらも「ありがとうございます」と言ってもらえた。

 それから、彼女は少し不甲斐なさそうになって話し始める。


「至らぬところが多く、申し訳ございません。予行練習を重ねたつもりではありますが、ご本人を目の前にするとなると、どうにも舞い上がってしまいまして」

「いえ、いいんです。ここまで有難がられるとは思いませんでしたけど……」

「いえ、お父上のご名声は言うまでもなく、アイリス様ご自身のご盛名につきましても、我が国に伝わっております!」


 さすがに、お父様と同列に扱われているということはないと思うけど……それでも、一緒に言及してもらえたのは、なんだか嬉しかった。

 ただ、放っておくと、そのご盛名の中身について触れられてしまいそう。それは少し恥ずかしいから、私は別の話題を投げかけた。


「こちらの施設は地下にあるのですね。故郷のものは地上にあって、少し予想外でした。何か理由はあるのでしょうか?」

「雪を嫌ったのだと思います。こうしてお招きする国賓の方に、雪空の下を歩かせるのは無礼に当たると」


 確かに、外交上それはありえそうな話だと思った。ただ、そんなことで機嫌を損ねる方が、こちらで生活を営まれている多くの方に対して礼を失しているとは思うけど……。


 それから階段を上がり、上がった先のドアを開けると、これまでとは違って木材に包まれた空間が広がっていた――広がっていたといっても、そこは通路なんだけど、今度は窓がある。それに、木材の色は柔らかな明るみがあって、実際の幅よりも広く感じさせてくれた。

 ただ、通路は少し長い。ここが”離れ”のようになっていて、それを別の施設に通路で無理やりつないでいるみたい。それもきっと、雪よけのためなのだろうと思う。

 窓の外を見てみても、建物同士をつなぐための通路の存在を見て取れた。他国からの国賓ばかりでなくこちらの方々も、たぶん雪が嫌いなんじゃないかな……。


 そうして屋内の通路をずっと歩いていって、軍の庁舎に入った。すれ違う方々の驚きや戸惑いに満ちた顔に、その都度会釈で返していって……たどり着いたのは、共和国第三軍将軍閣下の執務室だ。

 こちらに、私がお世話になる方がいらっしゃる――そう思うと、とてもドキドキする。私があまり不自由しないようにと人選した結果、”たまたま”こちらの将軍がその任に就くことになったそうだけど……。

 実際のところ、どのような思惑があって、私とその方が選ばれたのだろう? 期待と不安が入り混じる中、冷涼な空気を吸い込んで気持ちを落ち着けると、エメリアさんがドアをノックした。

 すると、間をおかず、「どうぞ」と女性の声が帰ってくる。その声音には張りがあって、どことなく歓迎するような響きがあった。これまでの緊張から少し安堵の表情を漏らす私に一度視線を向けた後、エメリアさんは「失礼します」と言って静かにドアを開けた。

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