第422話 「若き貴族たちの悩み③」

5月26日。今日は朝から闘技場で後輩に魔法を教えていた。

 同期の連中も何人か一緒だ。奴らは俺が後輩に魔法を教えることについて、「教育に悪そう」などと言って笑っていた。こういう噂が、俺に対する“謎多き先輩“といった印象を助長しているんじゃないかと思う……根も葉もあるにはあるけども。

 来月上旬にはEランク魔導師試験がある。そのための追い込みということで、朝から熱心に取り組んでいたわけだけど、俺たち先輩グループにも、再来月にCランク試験が待ち受けている。

 しかし、俺たちの方からそれに言及する奴はいなかった。ダメ元でやる試験だし……まぁ、あきらめムードが漂っているのは否定できない。だから、せめて後輩だけでも……みたいな心理が、俺以外にも働いているのだろうと思う。


 お昼時が近づき、とりあえず午前の練習を切り上げる。それで、みんなと昼食へ向かおうとしたところ、アイリスさんに呼び止められた。


「少し、相談したいことが……」

「構いませんけど」


 なんとなくだけど、外国へ行く件についての話だろうと察した。

 しかし、そういう事情を知らない同期の連中は、何やら興味ありげというか……茶化したり冷やかしたり、微妙にそんな感じの視線を向けてきている。

 そんな連中も、アイリスさんが「もっと堅い話ですよ?」と言って釘を刺すと、心底を見透かされたことを恥じらうように、バツの悪そうな笑みを浮かべた。


 同期だけじゃなく、後輩のみんなも、アイリスさんの相談事には興味があるようだ。何しろ、彼女は後輩から慕われているし、憧れの存在だ。

 一方の俺は、後輩目線では未だによくわからないことがいくらでもあって……同期が笑いながら教えてくれたところによれば、ミステリアスなところがあると思われているらしい。それを聞いたときは、俺も吹き出してしまった。

 まぁ、そんな二人が話をしようというのだから、気になるのは仕方ないと思う。

 すると、同期の連中が後輩を追いやるように動かして、人払いしてくれた。結構軽いところがある奴も多いけど、こういうところの察しの良さとか気配りなんかは、面と向かって褒めようとは思わないものの、みんなの美点だと思っている。まぁ、本当にイイ奴らだ。


 そうしてご配慮いただけたおかげで、二人きりになった俺たちは、とりあえず適当にパンでも買って、昼食を取りながら話をしようということになった。

 闘技場を出て、近くの屋台みたいなところで惣菜みたいなクレープを包んでもらい、それから王都近くの小高い丘へ向かう。先客がいれば引き返すところだけど、今日は運良く空いていた。

 そこに二人で並んで腰掛けると、さっそくアイリスさんが用件を切り出してきた。「実は……」と言って彼女が話したのは、前にハルトルージュ伯からお聞かせいただいたのと同じ話だ。唯一違った点といえば、“確定”したってところだ。

 つまり、あの話が両国間で公式に承認され――彼女が向こうへ行くってことだ。


 一通り話し終わると、辺りを一人の風が駆け抜けた。清々しく、柔らかな香りを乗せた、春の風だ。


「あちらの国は……こうして風が一吹きしただけでも、すんごくしんどいんですかね」

「えっ? ええ、たぶん……フラウゼと比較すると、季節が一つか二つ、寒い方にずれているという話です」

「体冷やさないように気をつけてくださいね。風邪なんかひくと、恥ずかしいですよ」

「ふふ……何回聞いたかわからない忠告ですね」


 そう言って彼女は微笑んだ。これまでにも何人か、同じ話をしてきたんだろう。

 では、俺より先に話を聞いたのは誰なんだろう。そんな事が気になり始めると、彼女はかなり嬉しそうに、小さな肩掛けカバンの中をあさり始めた。

 そして、笑顔の彼女が取り出したのは、細い鎖で一つにつながれた、いくつもの水たまリングポンドリングだった。それぞれに違ったマナが込められていて……今の彼女の様子から、これまで何があったのかすぐわかった。


「それって、お守りですよね?」

「ええ、みんな私のためにって、一つずつ入れてくれて」


 しかし、見たところリングの数は20を下らない。相当大量にある。これが彼女の所持品なのか、それとも今回のために調達したのか……思わず目を細くして考え込んでしまう。

 すると、俺の考えを読み取ったかのように、彼女は言った。


「これは、私の持ち物じゃなくて、借り物ですよ? 戻ったら返すということで、みなさん個人のリングを預けてもらってます」

「ああ、なるほど……」


 さすがに、個人でこれだけ所有するわけはなかった。それなりに使い倒している俺だって、こんなにも持ち歩かない。

 試しに道具入れの中を見てみると、今あるのは五つだった。宿の自分の部屋には、もしかすると一つか二つ転がっているかもしれない。

 そこで……俺は空のリングを一つ取り出し、それにマナを詰め込んで、彼女に手渡した。すると、彼女は胸の前で愛おしそうにそれを握りしめ……俺の顔は熱くなった。

 さすがに、このままじゃマズい。なにか別のことを考えようとしたところ、ちょうどいい話題を思いついて、彼女に尋ねた。


「俺よりも先に、女の子の友達に一通り話しかけたって感じですよね」

「……よくわかりましたね」

「いや、そんぐらいわかりますよ」


 それで、たぶん俺の後に、男友達が続くんだろう。「リッツさんにもお願いしたんですよ」とか言って、俺の青緑のリングを見せていくわけだ……たぶん。


「……それにしても、みんなこのリングを複数持ち歩いてるんですね」

「ええ。女の子は結構持ってますよ? お互いにマナ入れあって交換して、お守りにしたりアクセにしたり……割と日常的に、そういうことをしてますし」

「へぇ~……そういう文化って、工廠が広めたとか、そういうことは?」

「そこまでは思い至りませんでしたけど……でも、工廠のみんなからも指輪をいただけましたし、あそこにも根付いている習慣だとは思います」


 工廠のみんなからってことは、シエラは言うまでもないとして、雑事部の女性陣もみんなってことだろう。


 しかし……お別れ前だっていうのに、我ながらすごく当たり障りのない話をしている気がする。だからって、湿っぽい話をしようって気にはならないけど……。

 少し話題が途切れたところで、俺は昼食を包み紙から取り出し、頬張った。それに合わせて彼女も口をつけようとし、直前でとどまって「こちらの料理も、当分お預けになっちゃいますね」とつぶやいた。

 口調や表情に暗い感じはない。きっと、自分で悩み抜いて、もう答えを出したんだろう。だったら、彼女が気持ちよく出発できるよう、前向きに送り出す以外にできることなんてあるだろうか?


 とは言っても……正月から五ヶ月ほど王都から離れた俺が、戻ってきてそう経たないうちに、今度は彼女が王都を半年ほど離れてしまう。それが寂しくないと言えば嘘になる。それでも、織姫と彦星よりはマシか……。

 それに、やはり心配事もある。彼女が関わるであろう、先方での戦いのことや、建前以外にある両国の思惑とかだ。願わくば、何事もないことを祈るばかりだ。


 その後、二人で普通に昼食をとった。彼女からの用件は、例の件について話すのと、俺のリングについてで終わりのようだ。だいぶ名残惜しそうに昼食を食べ終えた彼女は、話題を切り替えてCランク試験について触れてきたけど、俺はただ引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。



 俺が当人から話を受けて二日後に、国から正式な公示があった。

 ただ、事前に聞かされていた話とは、微妙に異なる部分もある。元は見聞を広めるためということだったけど、公示においては「リーヴェルム共和国からの参戦要請」となっていた。こうやって軍事情報がだだ漏れになるのはどうなんだと思うけど……それ双方を考慮した上での変更なのだろう。

 もしかすると、この「参戦要請」の方が、民草には受け入れられやすいかもしれない。実際、向こうで勉学も戦闘もどっちもやるという話だから、いずれにせよ嘘はついていないし……魔人の謀略で内戦をやらかした国からすれば、向こうの戦に参戦して功を挙げるってのは、良い雪辱の機会なんだろう。

 それに、向こうへ行くのは、あのアイリスさんだ。以前の黒い月の夜、王都近傍の目の森で、そこを守護する魔人を撃退した彼女のネームバリューは絶大だ。「今回の“遠征“でも必ずや」と、王都の方々の多くは――彼女と、個人的に親しいわけではない人たちは―――大いに盛り上がっていた。


 送り出す側として、彼女の前では悲観的な態度をおくびにも出さなかったけど、それでも仲間内では思うところが多いようだった。一国が負った屈辱を少しでも晴らすため、貴族の子女を出稼ぎに行かせるなんて、それこそ恥の上塗りなんじゃないか。そんな声もあった。

 それに、孤児院の子たちは大変だった。これは他人事でもなんでもなくて、俺のときもそうだったわけで……本当に、この子たちには辛い思いをさせてしまっていると思う。院長先生も、あの時よりは今の方が複雑な心情を抱えていたように見受けられた。俺が、そのように思いたいだけなのかもしれないけど。



 6月1日夜。明日出立するアイリスさんのため、今夜は壮行会を行う。

 ただ……一般公開すれば大変なことになりかねない。そこで、身内だけでという話になった。ギルドのお姉さん方が非常に手際よく動いて場をセッティングし、でかい居酒屋一つを貸し切って壮行会を挙行する運びとなって、今に至る。


 この場には奥様とマリーさんもいらっしゃる。「お屋敷でなさらないのですか」という声に対して、お二人は「こんなに大勢の分は……」と笑った。それと、「他人が作る料理が一番」とかなんとか。

 他には身内ということで、大半はギルドの冒険者、後は工廠雑事部、魔法庁からはエリーさんやブライダル事業の面々が来ている。孤児院の子たちは、さすがに居酒屋へ入れるわけにもいかず……収集がつかなくなることも考慮し、今回は遠慮してもらっている。その代わりに、夕方までたっぷり遊んでおいたから、それで納得してもらうしかない。

 あと、身内というか来賓というか……殿下とハルトルージュ伯がお越しだ。お二方は「無礼講で」と仰せだったけど、さすがにそういうわけにもいかない。俺たちにある種の免疫ができて、こちらのお二人にもいくらか気負いなく接することができるようになった今だからこそ、ややもすると粗相をしかねない。

 そういうわけで、こういう場だというのにかえって身構える感じになったのが、皮肉というかなんというか……。それでもお二方は、「普段の宴席と全く違う」と、かなり楽しそうにされている。


 しかし、なんというか、こう……彼女の身内を集めようという話になって、ギルドが誇る受付・裏方部隊が切り詰めるのに苦労するほど、大勢の人間が集まった。これはかなり感慨深いものがある。

 彼女と出会ったばかりの頃は、人間関係でかなり悩んでいる感じだった。それの手助けをちょっとばかしやったという自負はあるけど……ここまで多くが慕うのは、彼女がそういう子だからだろう。俺がいなくても、いずれはこうなっていたと思う。

 そうやって自分のために余った面々に対し、彼女は最初のうちはすごく嬉しそうだったけど、段々と目に涙が浮かんでいき、やがて両手で顔を覆った。


 すると、彼女がいるテーブルの方に、仕事仲間の悪友が一人向かって行った。その手は何か書面を持っていて――なんとなく、ロクでもないものだと直観した。

 そして、ヤツは彼女の方にそれを差し出した。


「アイリスさんに、俺たちから、コレを……」

「何~? 寄せ書き? カワイイところあるじゃないの~」


 嬉しそうに微笑みながらラナレナさんが受け取るも、それに視線を落とすと表情がみるみる渋くなる。後ろから覗き込むように見ているリムさんも苦笑いだ。


「いや、土産の希望リストなんスけど……」

「バッカじゃないの!?」


 事態を静観していた女の子たちから、呆れたような、それでいて割とマジっぽいような非難が飛ぶ。すると、ラナレナさんは落ち着いた口調で言った。


「バカね~、一人でこんなに買えないでしょ~?」

「そっちかよ!」


 誰かが笑いながらツッコむと、それを追って笑い声が店内を満たす。今まで泣いていた彼女も、みんなと一緒になって笑った。

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