第421話 「若き貴族たちの悩み②」

 みんなと別れた後、閣下のご案内で通されたのは、王都北区にあるレストランで……ぶっちゃけると、闘技場の後にお邪魔するのが気が引けるレベルの高級店だ。落ち着いてしっとりした雰囲気の店は、店員さんも一味違っている。ド丁寧で腰が低いけど、それが卑屈ってわけじゃない。何か、お仕えする喜びや自負心に満ち、とても堂々としている。

 エントランスで応対を受けると、急にドレスコードが気になった。完全に普段着だからだ。しかし、閣下も店員の方も、俺の服装について気に留める様子はない。俺だけが、変にオタオタしているだけみたいだ。

 それから個室に通され、よくわからないままにオーダーが通り、すぐに前菜らしきサラダがやってきて……閣下が話を切り出された。


「君は、リーヴェルム共和国を知っているか? この国からはるか北方にある国だ」

「名前ぐらいでしたら」


 確か……去年の今頃だったと思うけど、フィオさんの故郷へ行こうという話になった時、地図を見ていて目に入って覚えた記憶がある。王国じゃなくて、共和国――つまり、君主がいない国ってことだ。目立った国では他にそういう国がなかったからか、妙に印象的だった。


「実は、先方から我が国に対し、貴族子女の遊学について提案がなされた」

「フラウゼから、あちらへ?」

「そうだ」


 なるほど、アイリスさんも同様の話を振られていたんだろう。

 よくわからないのは、これがいいことなのかどうかだ。というより、立場と見方によって、その意味はいくらでも変わり得るだろう。仮にアイリスさんがこの件で考え込まれているとして、閣下のご様子も踏まえれば、悩ましい話題には違いないだろうけど。


 ただ、これだけの話では判断に困るのは確かだ。できれば、もう少し情報をとお頼みしたところ、閣下は快く追加の情報をくださった。

 まずは名目というか、建前から。これは、時代を担う人材の見聞を広め、また国の枠組みを超えた協調体制を確立する、その先駆けにということだ。

 それで、具体的には貴族の子女を一人、向こうに留学させる。期間は半年程度の予定。また、先方からの希望では、できれば実戦経験が豊富な方が好ましいようだ。というのも――俺が聞いてよかったのか疑問ではあるけど――向こうの国では大規模な作戦行動の予定があるそうで、その際に戦力としてカウントする可能性もあるからだ。


「しかし……こちらから送り出して、もしものことがあれば」

「君の懸念はもっともだが、それは国の上同士でも先刻承知だろう。いざ実戦となっても、危険度の高い役回りは回ってこないだろう。基本は本陣に詰め、掃討戦になった際にお呼びがかかるぐらいだと思うが」

「……つまり、勝ち戦に便乗する形になると、少なくとも一方の国は考えているのでしょうか?」

「そうだな。次なる戦いに関して、楽観視しているからこその、この申し出なのだろう」


 ただ、送り出した者が他国で功績を上げれば、国威掲揚にはまたとない好機だ。外交的にも内政的にもこれは大きく、何よりこの時期に手を差し伸べてもらった案件というわけもあって、フラウゼとして申し出を蹴るのは心情的に難しい。

 そこで、誰か一人選出して送り出そうという話で進んでいる。


「国としては、王都近辺にいる者を対象に考えている。陛下がお力を取り戻された今、民心のためにと、あえて貴族に頼ることもなくなったという判断があるからだ」

「……王都近辺におられる方となると」

「君の想像のとおりだ」


 王都近辺にいて、実戦経験があるとなると――アイリスさんか、目の前のお方ということになるだろう。

 すると、閣下は少し苦い表情で仰った。


「私の方から立候補したが……選ばれるのは難しいだろう」


 このお言葉にいくつか疑問符が湧いて出て、一瞬だけ頭が真っ白になった。それからすぐに思考を落ち着け、疑問を一つずつ片付ける。


「閣下が選ばれにくいというのは、なぜでしょうか?」

「先方からは、『できれば女子の方が良い』と言われているそうだ。なんでも、実際に世話することになるであろう向こうの将軍が女性で……万一にも間違いを起こさないため、と」

「ああ、なるほど……」

「貴族の子女という条件で私が出るのは、拡大解釈に当たるという懸念もある。これでも、現当主だからな」


 他の子女の方々と変わらない年齢であらせられる中、閣下はすでに家名を背負われている。そんなご自身のあり方に対し、やや自嘲気味に笑われてから、閣下は言葉を続けられた。


「それに……私の家柄と立場では、分不相応かもしれない」


 そう仰って、閣下は項垂うなだれられた。

 確か、閣下はご生誕の折にご母堂が亡くなられ、先代も閣下が幼い頃に戦傷が理由で病没されたと聞いている。それで、幼い時分に家督を自動的に継がれたものの、領地は国の統治下となり、閣下ご自身は宮中警護役という名誉職に就くことで、家名を安堵する形になったとか……。

 かける言葉に迷った。こういうことは、きっとご本人にしかわからない苦悩なのだろう。この方に剣を教わらなければ、いつ死んでいたかおかしくない身だけに、多大な恩義はある。それでも、俺には手が届かない悩みを抱えられているようで、それがどうしようもなく歯がゆい。


 それからしばし静かになると、個室のドアが遠慮がちにノックされた。すぐ、閣下が「どうぞ」と声をかけ、パンやら魚のソテーやらが配膳されていく。

 やがて配膳が済むと、給仕の方は恭しく頭を下げて退出した。それを見送ってから、閣下は静かに仰った。


「済まない。こんな話をして迷惑だっただろう」

「いえ、そのようなことは……」

「……君、隠し事はするようだが、人に嘘をつくことは?」

「おそらく、あまり無いと思います……はい」

「ふっ……わかった、信じよう」


 軽く笑われてから、閣下はやや表情を崩されて仰った。それから、話を続けられる。


「この案件に、私から名乗り出た理由は……どうしようか」

「せっかくですし、お聞かせ願えますか?」

「そうか。ただ、だいたい察していると思うが……武功を上げるためだ。異国の地を踏んでみたいという思いもある。それに……」


 閣下はそこで言い淀まれた。先を促してもいいものなのだろうか? ただただ押し黙って先を待つと、閣下はかなり寂しそうに仰った。


「王都にいる民から、私とアイリス嬢と、どちらの方がより必要とされていると思う?」


 返答はできなかった。その答えはわかるけど、口にして認めるのが無礼に思えてならなかった。

 しかし、俺の沈黙を、閣下は肯定と取られたようだ。実際、嘘をつくわけにもいかない。さっき、そう自己申告したばかりだし……なんだか率直に応じなければならない気がしてきた。


「比べるなら、そうなりましょう。しかし、それでも閣下を必要とする方は大勢います。今日一緒に汗を流した連中もそうですし……殿下にとってもそうでしょう」

「ああ、そうだな。あまり卑下するのは、殿下に対しても非礼だとは思っているが……これは、私の悪い癖だな」

「そう思われます」


 真正面から、思ったことをそのまま言い放つと、閣下はいくらか固まってから表情を大きく崩された。それから、「冷めない内に食べよう」と仰った。

 二人で、手つかずだった料理を食べ始める。すると、閣下はあまり影を感じさせない口調で仰った。


「おそらく、この件はアイリス嬢が向こうへ送られることで決まるだろう」

「そうですか……」

「私は、進んで立候補した。しかしそれは……言うなれば、次善策のようなものだ。あちらへ行くことに、もちろん大きな意義はあるだろうが、語られない思惑というのも多くあるだろう。この話が流れてしまえば良いとさえ思っている……謀略に苦しんだ国の一員として」

「……つまり、彼女を行かせたくないと?」

「そういうことだ。しかし、彼女本人の考えは、きっと違うだろう。国として双方の思惑がどうあれ、国のためになる案件にはなるはずだ。そうしてお声がけを賜ったのなら、彼女がそれを拒むとは考えにくい」


 実際、彼女に話が行っていることはほぼ間違いなくて、彼女は話を受けるかどうかで、おそらく迷っている。

 問題は……この話を蹴れば、きっとあの家の立場がマズくなるんじゃないかってことだ。少なくとも、彼女はそう考えるんじゃないかと思う。

 この話が、単なる留学だとかホームステイで終わるわけがないってのは、ド平民の俺でもなんとなくわかる。内戦が終わったばっかりで、外交的には立場が弱い国に、大きな作戦を前にした国からお呼びがかかる。それで国家間に溝を掘るような企てなんかはないだろうけど……何か謀略めいたものを感じずにはいられない。

 客観的に見れば、こういう考えは、被害妄想なのかもしれない。この国が、魔人の策略で内戦状態にまで追い込まれたばかりだから、そういう見えない何かに怯えてしまっているだけなのかもしれない。

 あるいは――こっちの方が有り得そうな話だけど――単に、俺があの子を好いているから、こんなことを考えているんだろう。王都から離れて、他国の戦いなんかに関わってほしくないわけだ。たとえ格別の配慮がなされるとしても、戦いに絶対なんて無いんだから。

 しかし、あの子のことを想って自分で内戦に馳せ参じて、あの子には待つ苦しみを味わわせただろう。俺だけじゃなく、みんなを見送って、王都で待って……きっと辛かっただろうと思う。

 今度はあの子が、王都を離れるかもしれない――いや、おそらくそうなるだろう。では、もし仮にあの子が自分でそうすることを決断したのなら、俺に何ができるだろうか? いや、仮に何か強い権限があったとしても……彼女を引き止めてしまうのは、独善が過ぎるんじゃないか?


 そんなこんなで頭を悩ませていると、「リッツ」と声をかけられ、俺はハッとしてそちらを見遣った。


「今、彼女が何を考えているのか、私にはわからない。面と向かい合っても、きっとお互いに理解することは難しいだろう。同じ貴族でも……それぞれの貴族は、互いに違いすぎる。ただ、おもんぱかることしかできない」


 そのお言葉や閣下の表情は、諦めを一周して悟りのような感じすらあった。真剣な眼差しを俺に向け、閣下は仰る。


「彼女が自分で決めたことであれば、君はそれを応援してやってほしい」

「はい」


 自分でもビックリするほど、自然と言葉が出てくると、閣下は穏やかな笑みを浮かべられた。


「しかし……閣下からは、特に応援などはなさらないので?」

「私に、この件で話しかけに来るか、怪しいものだと思う。席の取り合いで負けた相手に、わざわざあの彼女が、声をかけに来ると?」

「ああ、なるほど……閣下が手を挙げられていたと知れば、微妙ですね。『代わりにその分がんばります』っていうのも、無神経に感じそうですし……」

「そうだろう?」


 どこか楽しそうに閣下は同調された。しかし、それからすぐ声のトーンを少し落とし、こぼすように仰った。


「そんな子だからこそ、みんなのそばにあってほしいんだ」

「それは同意しますが、だからって閣下が代わりに行くのもナシですよ」


「……君は、いい奴だな」

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