第419話 「北の国から」

 フラウゼ王国から北へ北へと果てしなく進んで行った先、酷寒の地にリーヴェルム共和国がある。かの王国とは良い交易相手として、長年にわたり友好関係を築いてきた間柄だ。


 5月14日14時。共和国首都クリオグラス。大講堂内を円形に並ぶ席は、首都近辺に在する貴族や高官で埋め尽くされている。講堂は外縁から中心へ進むほどに低い席となり、中心は底となる。

 その、一番注目を集める席に座っているのは、一人の青年だ。白地の生地に赤い線と刺繍、金糸の装飾が施された、軍の正装らしき物に身を包んでいる。まだ30にもなっていない程度の年齢だろうか。居並ぶ面々に対し風格では見劣りするが、しかしそのたたずまいは凛々しく、堂々としたものである。

 彼の前で対面するのは、いかめしい表情をした初老の男性だ。この場を仕切る議長の彼は、青年に尋ねた。


「書類には、目を通したか?」

「一通り、ではありますが」


 あまり気のない返答に対し、議長は鋭い視線を向けた。その目から逃れるようにして、青年は持参した書類へと目を落とす。


 書類に記された議題は二つだ。

 一つ目は、フラウゼ王国に対する、貴族子女のリーヴェルム国内遊学の提案。名目としては、先の内戦において近隣諸国から白眼視されかねない立場にある先方に対し、先んじて友好の手を差し伸べることで、諸国に範を示すというものだ。

 今一度改めて読みなおし、青年はごくごく近い場所の人間にしか伝わらない程度に、鼻で笑った。議長は、反応を示さない。


 続いて、青年は二つ目の議題に目を移した。こちらは軍事行動に関するものだ。長年の膠着状態による暫定的国境を越え、その先にあるフォルドラ砦を奪還する――これはかねてより国民が悲願としてきたものであり、議題に上がることもしばしばであった。

 これは、慎重派が大多数を占める軍部と、議会がかみ合わないことで常に保留とされてきた案件でもある。

 しかし、この時期に浮上した意味合いを考え、青年は小さくため息をついた。すると、議長が彼に対して問いかける。


「各案件に対し、貴兄の意見を伺いたい。まずは、遊学の受け入れからだ」

「こちらの件については……我が国からは、交換として特に出されないのですか?」


 彼の問いに対し、この件についての担当らしき高官が立ち上がった。彼は議長に代わって返答を始める。


「政情は落ち着いたようですが、依然として不安が残る部分もあります。我が方から送り込み、かの国で面倒を見ていただくことが向こうの負担になる可能性はございましょう。それに、社会基盤が揺らいだ間隙に、我が方の家系をねじ込もうと勘ぐられても困ります」

「それを言うのであれば、安定させたい時期だからこそ、かの国は社会の支柱たりえる貴人を、手放そうとはなさらないのでは?」

「すべての貴族が、不可欠と見られているわけではございますまい。それに、これはあくまで提案でございますから、先方からのお返事がなければ取り下げるものです」


 よく言うよ。青年は腹の中で笑い――それが顔に出てしまった。呆れと軽蔑を感じさせかねない冷笑に、高官は気色ばむ。「何か、おかしいのですかな?」

 こう問われると、言い逃れは難しい。いっそ「思いだし笑いです」と答え、議会侮蔑のよしで議長から追い出されるのがいいか……そんなことを青年は思った。

 しかし、生来の負けん気が、そのような逃げを許さなかった。加え、皮肉屋な部分が顔を出し、口をついて言葉が出る。


「この申し出ですが……かの国では人質と呼ぶのではありませんか。あるいは左遷、流罪かもしれませんね」

「君、失礼だぞ!」

「私を叱責する前に、先方に対する礼を考慮なさいますよう。友好とうそぶきながら、一方的に若き血を差し出させる行いは、向こうを一段低く見ているからこそ……ではありませんか?」


 高官は、言い淀んだ。こうして返答に窮してしまえば、議論としては負けたも同然である。彼に代わって取り巻きらしき者たちが非難の声を上げるが、それは高官の顔に泥を塗るばかりであった。彼はただ、苦々しく顔を歪め、恨みがましい視線を向けた。論敵と、彼におもねろうという追従者ついしょうしゃたちに。

 それから、議長は彼に着席を促し、場を鎮めた。


「国として、対等に見る必要はあるのか? それに、建前上は同格としても、自国の便益を優先するのは、国として当然であろう」


 美辞麗句を取り払った議長の発言に、場内は大きくどよめいた。

 しかし、正対する青年はひるまない。彼は右手を軽く上げ、書類を小さくたなびかせながら言った。


「でしたら、この書類は不適当ですね。それとも、こうして招集をかけておきながら、私はあくまで部外者にすぎないと?」


 言葉ばかりでなく、口調にも挑発的な響きを乗せて、青年は問いかけた。

 居並ぶ”上の席”の面々には、この発言に憤りを見せる者もいるが、一方で彼の言は正当な訴えでもあった。国としてのスタンスを覆い隠した書面は、少なくとも、意見を仰ごうという身内に対して出すべき物ではない。その非礼を認め、議長は言った。


「用意した書類については、我々に非がある。しかし、今から作り直すというわけにもいかぬ」

「そこまでは求めません……それで、この案件も、議会としての腹は決まっているのでしょう?」


 全てを見透かしたように、冷ややかな目線で青年が問いかけると、議長は渋面で押し黙ってから「その通りだ」と認めた。

 つまるところ、国としての決断はすでになされている。そして、公示する前に″一応″、軍部の人間にも声をかけたという程度のものだ。

 これこそ、おためごかしである。


「先方からのお返事も、すでにいただいているのですね?」

「候補を検討中とのことだ」

「それで、決まり次第、軍部に任せようというおつもりなのですね?」


 青年の問いかけに、議長は答えなかった。しかし、彼の代わりに場内はざわめきに包まれ、押し寄せる音の波に議長は顔をしかめた。

 そんな彼に、青年は同情と諦念が入り混じるような苦笑いを向けた。


「そのように考える理由は?」

「一枚の書類に記載されておりますから、あるいはと」


 青年は控えめな口調で即答したが、議長はそれをはぐらかしだと看破したようだ。返答を受けても依然として鋭い眼光を投げ続けると、青年が折れて考えを口にする。


「国境越えの大作戦に、お越しいただいたお客様を帯同させようというのでしょう? フラウゼにしてみれば、これで軍功を得るようなことがあれば失地回復の好機ですし、民草の後押しも得やすいかもしれませんね。一方、我々の兵は……いい所を見せてやろうという奴は、出てくるかもしれませんね」


 それだけ言うと、青年は周囲を見渡し、群臣からの反応をうかがった。それが彼の言を肯定すると見るや、彼は「預かりは第三軍ですか?」と尋ねた。

 その言葉に、議場のどよめきはより一層強いものとなる。一方で、中央で重く構える議長は、「そうだ」と短く認めた。


「何も、このような席を設けずとも、内示として出されれば良かったでしょうに」

「体面というものはあるだろう。少なくとも、君の後にも軍三将と、同様の場を設ける考えだ」


 同様の場――その言葉に、青年は苦笑いした。結局、自分が先に呼ばれても、すでに定まった結論が揺らぐことはなかったわけだ。続く三人の将軍も、同様の話を聞かされて終わりだろう。まぁ、自分ほど抗弁はしないだろうが……。

 青年は少し頭を下げ、やや自嘲気味に笑った。すると、議長が彼に問いかける。


「懸念があれば、聞かせてもらいたい」

「国境越えに関しては……国の気運から、軍としてはもはや賛同せざるを得ないでしょう。ですが、実地担当になるであろう立場としては、賛同いたしかねます」


 すると、議席中央に近い高官が立ち上がり、彼に異を唱えた。


「貴殿も目を通していようが、フラウゼの都市防衛戦において、魔人の手先は練度が低い者が大多数だったと言うではないか。その程度の手勢しか機動的に展開できぬのならば、今こそが打って出る好機ではないのか?」

「私の意見は逆です。その程度の連中しか残っていなかったのではなく、その程度の連中であれば機動的に調達できるのではないかと。跳ね返りが落ちこぼれを焚きつけただけ、という見立てもあります」

「そのように敵を過大に見積もっていては、いつまでも攻めに転じられぬではないか」

「目に見えただけの敵勢を、出撃の根拠とすべきではないと申したまでです」


 そうして議論が過熱しかけたところ、議長が軽く手を挙げて論の流れを制した。


「本案件は、軍事的に不可能か?」

「労多くして益少しと考えます」

「その益を膨らませるのが、我々議会の働きだ」

「その労をいとい、兵から遠ざけようというのが、我々軍部の考えです」


 このような場でも当意即妙に言葉を返す、その能弁ぶりと心胆に、議長は青年に向かって苦笑いを向けた。その笑みに様々な感情を見てとり、青年は口を閉ざした。

 そうして論も尽きたところで、議長は青年に向かって話しかける。


「当案件について、ほぼ確定事項と考えてもらいたい。追って内示を出す。以上だ」

「かしこまりました」


 先ほどまで舌戦を繰り広げた人物とは思えないほど、青年は静かな口調で答えた。それから、形式的に議会への立礼を行い、議場を去っていく。

 その背を見送って、議長は誰にも聞かれない程度に、小さくため息をついた。

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