第418話 「深奥④」

 天文院の存在意義について教えていただいた後、ウィルさんのことについても話していただけた。彼は実地で動く、一種の工作員として行動しているとのことだ。「不干渉を貫くあまり、世の中においてかれては、話にならないからね」と閣下は仰る。

 ただ、ウィルさんが王都魔法庁の長官になったのは、天文院の意向というわけじゃなくて色々な政治的思惑が働いた結果らしい。ご本人は、その辺の話についてかなり渋い苦笑いをしていたから、あまり突っ込まないようにした。


 天文院という組織について、そしてウィルさんの素性についてはだいぶわかってきた。まだ隠されている情報も、ままあるだろうけど。

 現状で一番わからないのは、なぜ俺がこの場に呼ばれて、こんな大事な話をされているのかだ。それも、可能な限り存在を隠匿したいはずの天文院から。

 その点について試しに尋ねてみると、「いや~、話すと長くなるかもね?」と閣下は前置きされてから、仰った。


「君、もとは異界の存在だろう? それで……この前の内戦では、魔力の矢マナボルトと第三種禁呪の組み合わせで砦を消滅させてみせた。一なる嵐ストーム・ワンって命名だったよね?」

「……はい」

「先にこれだけはハッキリさせておくけど、あの魔法については僕らも評価しているんだ。殺し合いになる前に戦意を喪失させ、そこから王太子の威光で叛徒をうまく取り込めた。あれがなければ、クリーガが魔人の手に落ちた可能性はある。だからって、僕らには実地における動員力がないからね。せいぜい、領民ごと灰に変えるぐらいしか手立てがない。そうせずに済んだのは、君の手柄だよ。ありがとう」

「あ、ありがとうございます」

「ただ、君が常人を少し逸脱しているように思われるのも事実でね。平民、貴族、王族、魔人……君は、そういうのとはまた別の括りにあるって、僕は思ってる。それで、また何かやらかす前に、前もって声だけかけたってわけさ」


 何も言い返せなくなった。魔法庁よりも上の存在に、目をつけられている。それをどう判断していいのかわからない。ただ、緊張して身がすくみ、少しうなだれてしまう俺に、閣下はちょっと笑ってから声をかけられた。


「別に、君に首輪つけようってわけじゃないんだ。ウィルからも、好きにさせた方がいいとは聞いてるしね。ま、なんだろ。君に魔が差した時、止めに入る組織が実在するとでも思ってくれればいいよ。あと、発明は決して魔人に知られないように。今日話しておきたかったのは、こんなところだね」

「そ、そうですか……」


 妙な気を起こすなと釘を刺された一方、少し背を押されたような感じもある。少なくとも、俺の自主性に任せていただけるようではある。

 それで、用件はだいたい済んだようだ。閣下は「何か聞きたいことはあるかな」と尋ねられた。


「では……私みたいに、異界からこちらの世界へ来るものは、他にいたのでしょうか」

「あ~、気になるよね、ウンウン。出入りは可能な限り監視しているけど、百年に二人ってぐらいかな。大半は、魔人側に持っていかれてるけどね」

「そうやって調達されているのでしょうか」

「頻度が少ないし、単に戦力増のためって感じじゃないな~。ちなみに、君の前には十数年前に一人来たよ」

「……その人は、魔人ですか?」

「状況から推測するとね」


 ただ、把握できているのはそこまでのようだ。世界への転入出までは捕捉できるものの、そこからの追跡が至難らしい。できなくはないけど、結局はこちらから人を遣わして張り付かせる感じになるそうだ。存在や所在を隠匿したい天文院としては、あまり好ましい手段ではない。


「他には、何かあるかな?」

「昨今は色々ありましたが、この先どうなるでしょうか」

「いい質問だね! いやしかし、傍観者気取りの僕が外すと、さすがにこっぱずかしいな~」


 などと仰るものの、球体の内面に浮かぶ光は落ち着いたものだ。これから話される内容に、相応の自信をお持ちなのだろう。姿勢を正して返答を待つと、閣下は仰った。


「これまで大きな動きがあったのは、フラウゼだけだね。他国は静観していた。そして、君たちが困難を跳ねのけた今、他国が黙っているとは考えにくいかな」

「他の国が、魔人側を叩こうと?」

「十分あり得る話じゃないかな? 君たちとしては、むしろ事が起こっている最中にこそ、別方面から魔人を叩いてほしかっただろうけどね」


 まぁ、俺たちが大変な目に遭っている間「他国は何をやってんだ……?」という気持ちは、少しぐらいあった。

 とはいえ、他の国としては隙をさらしたくなかったのだろうとは思う。なにしろ、一国が内戦下にまで追い込まれるような策謀が巡らされていたんだから。飛び火を嫌って傍観していたのは、当然と言えば当然だ。

……で、俺たちが勝ったら勝ったで、他国が待ちかねたかのように動き出すというのが閣下の見立てだ。それはそれで、なんだか気に入らないな。


「フラウゼに対する、何らかのアプローチもあり得るね。内戦が終わって国交が回復しただろう? 水面下ではすでに始まってるだろうけど、本番はこれからだと思うよ」

「以前にも、このようなことが?」

「大なり小なりね。だけど、ここ数年にかけてのフラウゼに対する一連の調略は、これまでの歴史を紐解いても、中々際立ったものだと思う。歴史を知る者なら、多くがこういった印象を抱いているんじゃないかな。そして、そういう認識が、知らず知らずのうちに寄り集まって一つの潮流を形作る。おそらく、僕らは今まさに、歴史が起こる局面に立ち会っているのだと思うよ」


 背筋を何かが走り、体を震わせるような感覚があった。この場で歴史を見守ってきた存在が、こうまで仰っている。俺たちの営為も、きっと、その歴史の一部なのだろう。そう思うと強い高揚感と達成感を覚えたし、これからを思い、改めて気が引き締まる強烈な緊張感もあった。

 まぁ、閣下はそうやって言うだけ言った後、「何事もない方が好みだけどね~」と仰ったけど。


 俺からの質問が済み、これでもう退出かと思っていると、「ちょっといいかな」と言われて、俺は顔を上げた。


「こっちから戦力を遣わして介入することは、不可能じゃないけど難しいんだ。本当に信頼できる強者なんて、そうそういるものでもないからね。情報面では強いけど、実戦力においては不安があるというのが、偽らざる実情なんだ。だから、心を痛めるような出来事が起きても、多くの場合はただ傍観することしかできない」


 その声音には物寂しい響きがあって、声を放つ球体が抱く光は、どこか弱弱しい。姿形はあんな感じであらせられるけど、きっと切ない思いをされているのだろうということが、ありありと伝わってきた。


「……だからね、現場で動く人々に対して、僕は敬意を禁じ得ない。そこのウィルに対してもそうだし、君に対してもね。色々大変なことはあっただろうし、これからもあると思うけど、どうか頑張ってほしい」

「はい」

「……それにしても、君ってまだ魔導士ランクDなんだって? いやぁ、僕はこの体になってからずいぶん経つけど、Dランクでここまで来たのは君が初めてだね。本当にビックリだよ」


 おそらくお褒めのお言葉なのだろうけど、再来月にどうせ受からないであろうCランク試験を待つ身としては、突き刺さるものがある。「うッ」と言い出しそうになるのをこらえ、やや渋面になると、何やら察したウィルさんが少し弱弱しい笑みを向けた。


 それから、もうおいとまするばかりという雰囲気になると、閣下はウィルさんに向かって問われた。


「どこに飛ばそう?」

「王都近隣、ですね。あまり離れてなければ、別にどこでも……」


 そう答えてから、ウィルさんは俺に顔を向け、申し訳なさそうな表情になった。なんかあるんだろうか。少し嫌な予感がする。

 すると、足元に広がる灰色の円盤に、藍色のマナが刻み込まれていく。これから飛ばされるんだろう。

 そして、いよいよお別れの時が近づく。


「君には、また来てもらう日が来るかもね。まあ、平和な用件であればと切に願うよ」

「そうですね……気の迷いが起きたとか、そういう事にはならないようにします」

「ははっ、そうだね!」

「……ところで、最後に一つ、構いませんか?」

「何かな?」

「どうして”天文院”なんです?」


 俺が尋ねると、ウィルさんも「そういや、私も知らないな~」と同調してくる。そんな彼に、閣下はやや慌てた感じの声で「え~、言ってなかったつけ?」とこぼされた。


「ま、いっか。僕らの主たる仕事って、世間的には黒い月の到来日予報だろ~?」

「そうですね」

「だからさ。もちろんそれは重要事ではあるんだけど、夜空を眺めている"だけ"の連中だと思い込んでもらえれば、本質を隠しやすい。そのための、天文院なのさ」

「なるほど」


 NASAやJAXAのイメージで、天文関係はインテリのエリートばっかりって印象がある。そういう箔付け的な意味合いで付けたのかな~と思っていたけど、それはカムフラージュだったわけだ。


 そうして最後の質問も終わり、いよいよ……という段になると、依然としてバツの悪そうなウィルさんが、俺に話しかけてきた。


「帰りの転移は、水中に飛ばされるんだ。本当に申し訳ないけど、そのつもりでいてほしい」

「……あ~、王都の近くの海で、できれば浜に近いところってことですね」

「そういうこと。転移先の水深は、そんなに深くないけど……本当に申し訳ないね。ホント、今日一日でどれだけ謝っただろ?」

「なんだよ~、水中に飛ばすのが一番安全なんだよ」


 まぁ、空中にいきなり湧いて出るよりは、水中の方が安全なのはわかる。きっと、魚ぐらいしか見ていないだろうし。

 ただ、あまり濡れたくはないのは確かだ。そこで俺たちは堅気球タイトバルーン――マナの球体で覆って気密を維持するDランク魔法――を展開した。全身を覆うように作ってやれば、体が濡れることはないし、水上まで勝手に浮上させてくれる。

 水中へ突っ込む支度と心構えができると、地面の地面に刻まれた藍色の光が宙へと延び、俺たち二人を包み込む球になった。

 そして、「またね」という声が遠くから響いたかと思うと、俺たちは柔らかな光に包まれた。


 光が去ってすぐ、視界が深い青に染まる。全身にはかすかに伝わってくる冷たさと浮遊感があって――紛れもなく水中にいる。

 突然の来客に、目の前からは小さな魚の群れが逃散するところだった。そりゃ、ビックリするよなぁ。

 急な転移ではあったものの、事前の準備のおかげで水に直接触れることはなかった。そして、体を覆う空気の球が水上まで勝手に体を運んでくれている。


 やがて、水上にまで到達すると、辺り一面に海が広がっていた。遠くに浜辺が見えるから、とんでもなく沖合の方に飛ばされたってことはなさそうだ。

 周囲に船の姿は見当たらない。どうとでも言い訳はできるだろうけど、少なくとも面倒は避けられそうで一安心ではある。


 状況確認を手早く済ませ、俺たちは空歩エアロステップを使って、水上から少し距離をとって歩き始めた。浜辺に比べれば波が強く、たまに足に波のしぶきがかかりそうになる。

 そうして浜の方へ歩いていくと、ウィルさんが話しかけてきた。


「今日のことは、内密にね。言っても誰も信じはしないだろうけど」

「はは、そうですね」


 さすがに、他の誰に対しても、今日の話をしようって気はしない。突拍子もなさすぎて、お呼ばれいただいたという自慢話にもなりやしないだろう。ホラ吹きと思われそうだ。

 というか、自分自身、未だに少し夢うつつな心地はある。念のためと思って頬を軽くつねってみると、とりあえず痛覚はあった。


 浜辺に到着すると、ウィルさんは「ここで別れようか」と声をかけてきた。実際、この二人で動いているところを見られたら、面倒ではある。提案を受け入れると、彼は手を差し出してきた。


「じゃ、また今度……いつになるかわからないけどね」

「そうですね。なんでもない時にどうでもいい話でもできればいいんですけど」

「いやぁ、中々そうもいかなくってね。仕事があるだけ、まだマシだと思ってるけども」


 天文院以外でも、何らかの要職にあることは間違いない。今日の一件で多少は素性がわかったものの、依然として謎が多い彼は、挨拶を済ませると、そそくさと立ち去っていった。


 そうして一人になってから、俺はぼんやり沖の方を眺めた。大昔に色々あっても、この海は変わらずこんな感じだったんだろうか?

 途方も無いことに思いを馳せ、少し立ち尽くしてから、俺は王都の方へ歩き出した。

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