第417話 「深奥③」

 ここが天文院だ――そう告げられて、得心する気持ちと、「マジか」という驚きが同じくらい沸き起こった。

 この世の大勢にとって、存在は知られつつも、その実態まではほとんど把握されていない天文院。その神秘的なありようは、今こうしている空間に相応しいように感じられる。

 一方、魔法庁にとって事実上の上位組織という話を聞いていたから、ほぼ非公開だとしても普通の公官庁みたいなのをイメージしていた。どこかに立派な庁舎があって、エリートが大勢が働いているんだろうと。

 そんなイメージと、この異空間はまったく異なる。ここは本当に、理解が及ばない場所だ。

 ともあれ、いかに現実味がなかろうと、ここが天文院だってのは間違いないのだろう。どこか、地に足がつかない感覚を味わいながらも、俺は次の言葉を待つ。

 すると、球体は言った。


「まずは、自己紹介からだね。私は天文院創設者の中で唯一の『生き残り』にして、天文院永代総帥だ。ま、ここの職員は単にマスターと呼ぶけどね」

「……私からは、どう呼べば?」

「そうだね~、部外者にどう読んでもらおうかってのは、考えたことがないな~。君の主ってわけじゃないし……まぁ、総帥でいいんじゃないかなァ?」


 なんとなくわかったのは、この声の主が史学クラスの存在であって、おそらくは何らかの偉人であらせられるってことだ。自己紹介を信じるなら、この世界におけるAlとか、そういう感じではない。

 しかし……自己紹介を受けて推測してみても、謎は深まるばかりだ。そんな俺の心情に先回りするかのように、総帥閣下は話を続けられる。


「わからないことばかりだろうから、順を追って説明しよう! まずは、天文院設立の経緯からだね」


 こんな奇妙で神秘的な空間に似つかわしくないくらい、閣下はフレンドリーに話しかけてこられる。

 しかし、いざ本題というタイミングで、一度押し黙られ――言葉を探し始めたように見えた。言葉が出てこない中、紫の球体の内側で光がいくつも、当てもなくさまよっている。

 ややあって、閣下は俺に尋ねてこられた。


「この世の、″先史時代"については知っているかな?」


 先史ってことは、公式な歴史として認知されていない辺りの話で……つまり、アーチェさんが生まれ育った辺りのことだろう。

 しかし、「知っています」と言いかけて、俺は踏みとどまった。念のために聞いておいた方がいいだろう。仮にアーチェさんの話と、今からの話で食い違うようだと、どう判断していいのかわからなくなるだろうけど……。

 そんな不安を抱きつつも、閣下に先史時代についてご教授願った。すると、話された内容は、アーチェさんの話と同じだった。食い違いがないことには安心した。とはいえ、話自体は決して愉快なものではないけども。

 気が滅入るような、大昔の惨状について語るとなると、さすがに閣下の口調も重苦しい。

 そして、話はアーチェさんが眠りについてからの頃に差し掛かった。つまり、彼女が知らない、俺にとっても初耳の話だ。


「魔人の一大勢力と、人間側の連合軍が衝突した大戦があってね。僕はその頃まだ幼かったから、直接は見ていないんだけど……話に伝え聞く限りでは、凄まじい激戦だったよ。戦火が広がれば、星の全土が焦土になりかねないくらいにね」


 しかし、そうはならなかった……のだろうと思う。さすがに、星が一度でも丸ごと焼け野原になったってことは……。それでも、陰鬱なイメージを思い描いてしまう俺に対し、閣下は言葉を続けられる。


「その頃、個体としての力は魔人に分があった。しかし、魔法についての知識は、人間側の方がより広範で深淵だった。”本物”の禁呪で自らの生存領域を壊滅させかけたのは、実は人間側だったのさ。ま、魔人を作り出したのも、もとはと言うと人間だから、根源的な罪は全て人間にあるけどね」


 閣下が一度言葉を区切られると、急に静かになって寒気を覚えた。俺の方から口の挟みようもない。

 そして、話は戦後についてのものになった。


「星を焼灼する禁呪によって、魔人と人間の双方に大損害が出た。これで膠着状態に陥ってね。事実上の停戦だ。すると、戦後の多少は落ち着いた時期に、禁呪を正しく管理する機関が必要だということになって……天文院が生まれたんだ」

「つまり、禁呪の管理こそが、天文院の本質的な役割だと?」

「まぁ、そうなるね。もっと言うと、人間社会と星の存続こそが最大の存在目的で、そのために禁呪を管理してるわけだけど。黒い月の夜の予報をやっているのも、結局は人間社会を存続させるためのものだし」


 少しずつではあるものの、天文院に覆いかぶさっていたベールが剥がされていく。

 しかし、話を聞いていても、少し疑問が残る部分はある。人間社会の存続が目的というには、かなり不干渉主義に感じられる。そうせざるを得ない理由はあるのだろうけど……。

 それを問いただしてみると、「なぜだと思う?」と逆に問い返された。


「……不用意に干渉して、魔人との接点を作ると危険だから、ですか? 奴らの方が、人間よりは転移に慣れ親しんでますし……きっかけがあれば、ここへ乗り込まれるのではないかと」

「あ~、話が早い! そんなところだね」


 どこか明るい調子で声を返された閣下だけど、すぐに真面目な声音になって仰った。


「今こうしている瞬間にも、魔人の手にかかって命を落としている人がいるだろう。しかし、仮に可能だとしても、僕らは決して干渉しない。非定型の転移を逆用され、ここの所在が割れれば、人間社会全体にとって危険だからね」


 それがうぬぼれには聞こえなかった。少なくとも、黒い月の夜の予報がなくなれば、各国の負担は跳ね上がるだろう。いつ来るかわかるからこそ、あの夜に備えられている部分ってのはあると思う。

 干渉しないでいる理由はわかった。次に気になるのは……。


「この前の内戦において、天文院としてはどのようにお考えでしたか?」

「ああ、あれはかなり難しい状況だったよ。建前上は人間の国のためとしての蜂起でも、魔人の関与は疑いなかったからね。転移門を閉ざしても、魔人がそれを使えないという確証はないし……本当に、何事もなくてよかったよ。図書館も無事だったしね」

「図書館、ですか?」


 図書館には、ほんのお少しだけお邪魔――いや、かなり失礼――したことがある。あそこが、何か特殊なところだったんだろうか。

 気になって尋ねてみると、閣下は「そうだなぁ~」と返された。


「説明が前後して申し訳ないけど、僕らの行動規範として、物事の優先順位を教えるよ」


 そう仰って一番に告げられたのが、人間社会と星の存続だ。これは先程聞いた。

 続いてが、禁呪の管理。魔法庁ですら把握していない、″本物”の禁呪が、人間の手にも魔人の手にも渡らないように守り続けている。

それから、ここの存在の秘匿。ただ、これらの三点についていえば、天文院的には欠くべからざる事項であり、優先順位として大差はないという。ここが知れて禁呪が洩れれば、早晩ヒドいことになるだろうと考えられるからだ。

 そういうわけで、四つ目からが一段優先度の下がるものとなる。それが、図書館の保護だ。


「なぜでしょう」

「いくつかあるね。まず、魔人側に書物を与えたくはない。連中は独立独歩な気質があって、他人の知識に頼ろうとはしない。優れた術の使い手がいても、そいつ一代で終わることが普通だ。だから、人間の書物なんかに興味を惹かれるかは微妙だけど……人間から魔人が分化して以降、連中に把握されていないままの魔法はそれなりにある。それに……読書という習慣を受け入れることで、知識の共有って文化が奴らに根付けば最悪だ」


 なるほどと思わされる話だ。意外だったのは、魔人に伝わっていない魔法の存在についてだけど、これは大戦の前後の騒で失伝し、後の世で再発見された魔法なんかが該当するらしい。どの魔法がそういう魔法なのか、正確には把握されていないようだけど、結構あるという話だ。

 魔人側に知識を渡さないためばかりでなく、やはり人間側の知識を守るためにも、図書館を重要視している。もっというと、図書館という容認された知識の宝庫を人の世に留めおくことで、人間側の戦力の平均値を担保できると。


 図書館の保護に続いて優先されるのが、一国の存続、次いで都市の存続となる。これは、図書館や転移門を守るためって側面が強いようだ。

 それで、ほぼ最後に優先されるのが、王侯貴族の家系の存続となる。優先度最低ということは、気に掛けないこともないけど、できれば手を出したくないって辺りだ。


「家系というか、血の存続だね。そういうのは多くの民にとって大きな関心事だから、こちらから干渉すると耳目を集めやすい。だから、あまり手を出したくはないね。政治に取り込まれても困る」


 もちろん、魔人と戦い続けるために、そういう血が求められていることは言うまでもない。それでも、天文院は家系一つに拘泥することはないようだ。ましてや、王侯貴族の一人や二人が死にかけようと……個人として気にかけることはあっても、組織としては決して動かないのだろう。

 ただ幸いにも、観測史上において家系の断絶は、全ての国を考慮に入れても片手で足りる程度しか起きたことがない事象のようだ。そんな希少な事態だからこそ、全力で避けようという動きがあるのかもしれない。うまいこと血を融通しあって、家と血を絶やさないようにしているのだとか。


 そんな話を聞いて、今まで知り合った貴族の子女の方々の顔が思い浮かんだ。個人としての幸せを求める自由は、きっと許されていないんだろう。

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