第416話 「深奥②」

 以前に転移門を使わせていただいた時と違い、目の前の金のリングは、地面に平行になるようにして浮いている。見るからに重量感があるリングが、まさかこうして浮くとは思わず、思わず面食らってしまった。

 そうして驚く一方で、今までの転移門については特に違和感を覚えず受け入れていたことに、今更ながら気づいた。

 おそらく、初利用の前に、生身で世界間を渡ってきたからだろう。自分の手で空間に穴を開けたあの無茶に比べれば、普通の転移門はだいぶまともに思える。

 それに、先入観の手助けもあっただろう。地面に立つ枠をくぐって、そこではないどこかへ行くというのは、青いタヌキ――いや、ネコだっけか――の彼が使う、ピンク色のドアを思い出させた。アレのおかげで、この世界の転移門について「ああ、なるほど」みたいな、どこか腑に落ちる感覚があったのかもしれない。


 それはさておいて、転移門の操作はこれで完了したようだ。尻込みしている俺に微笑みかけ、ウィルさんが前に躍り出る。


「これでつながったから、環の上から内側に入ろう」

「……ちなみに、下からくぐったらどうなります?」


 純粋に好奇心から尋ねてみると、彼は真顔でやや固まってから笑った。


「反対側からはつながらないはずだから、単に頭が出るだけだろうね。試そうって気はしないけど」

「まぁ、そうですよね」

「おっと、意外だね。やりたがると思ったけど」


 そう言って彼は笑ったけど、さすがに転移門相手に、正規じゃない方法で首を突っ込もうって気はしない。――今目にしている用法が正規のものかどうかはともかくとして。

 ともあれ、心配そうにする俺を安心させようと考えたのだろう。ウィルさんは宙に浮くリングに手をかけ、ヒラリと身を翻して腰かけた。彼がのっかっても、リングは宙に静止したままだ。

 そして、彼がリングの内側に投げ出しているはずの両脚は、完全に見えなくなっている。つまり、これでどこかにつながっているってことだ。

 そうして観察するばかりの俺に、彼は「お先に」と言い残し、リングの中へ身を投じていった。


 彼がいなくなって部屋の中に二人だけになると、急に居心地の悪さを覚えた。勲一等をもらっておきながら、あんまりビビっていたのでは格好がつかないだろう。未だに不安に思う気持ちはありつつも、それを抑え込み、俺もウィルさんに倣ってリングの上に腰かけた。

 すると、金色の輪の内側には、わずかに水色がかった、透明度の高い海が広がっているようだった。水面のようなマナが揺らぎ、キラリと光る波紋が絶え間なく水面に踊る。

 そして、そんな水面に突っ込んだ俺の脚は、やはり見えなくなっていた。しかし、どこかにつながっているのだろう。少なくとも、見えなくなった脚は、まだ俺の体の一部ではある。脚の感じからすると、向こうはこっちよりも少し暑いかもしれない。

 それから、試しにこちら側へ引き戻してみても、足はくっついたままだった。

 そうやって具合を確かめたところで、俺は深く息を吸い込み、揺らぐ水面へと全身を投げた。


 すると、柔らかな光に包まれ、体が宙に浮くような穏やかな浮遊感を覚えた。

 その後すぐに、足の裏に柔らかな感触が伝わった。俺を包み込む光が去っていき、代わりに遠くから潮騒らしき音が近づいてくる。

 いや、それは実際、潮騒だった。足元には白い砂浜が広がり、ごくごく薄い波が遠慮がちにこちらまで寄っては、すぐさま海の方へと引き返していく。

 足元から目を上げると、まずウィルさんがいた。俺の反応でも楽しんでいるのか、笑顔だった。そんな彼に力なく微笑み返す。


 どうやら、着いた先は孤島のようだった。背後からだけでなく、四方からも波の音が聞こえ、俺たちを取り囲んでくる。それに、ヤシらしき見慣れない樹と、青々とした元気な藪が生い茂っている。

 そして、木々と葉の向こうに白い建物が見えた。壁はのっぺりとしていて、光沢がない質感だ。あそこに用があるというのだろう。

 ふと、空を見上げてみた。雲ひとつない空から、さんさんと光が降り注いでいる。初夏の空って感じだ。そんな空に、"出入口"は見当たらない。つまり、行きに使った転移門は、一方通行だったというわけだ。


 状況の把握が済むと、頃合いを見計らったようで、ウィルさんが「もういいかな」と声をかけてきた。


「大丈夫です」

「悪いね。色々と不安はあるだろうけど、こちらとしても何から説明すればいいか……って感じなんだ。とりあえず、案内するよ」


 そう言うと、彼はやはり前方の建物へ向かって歩を進めた。

 若干奇妙なのは、建物に窓が一切ないことだ。見えるのは木製らしき両開きの扉だけ。まぁ、あれも普通の建物じゃないんだろう。

 そして、ウィルさんが建物の扉を開けると、俺は息を呑んだ。入口から先が異様なほどに暗い――というか、黒い。中の様子なんて、まったく見えないくらいに。まるで、扉を開けた先に黒く塗った壁があるようだ。そう言ってもらえた方が納得できる。

 今こうして立っている地面にまで、日差しがきちんと落ちてくる中、建物の中の暗さはどうにも不自然だった。今日の転移門を始めとして、何から何まで驚かされっぱなしだから、今更という感じではあるけど……。


 そうして警戒する俺に、ウィルさんは「私も、最初にここに来たときは、なんだこりゃって感じだったよ」と笑いながら言った。それで少し気がほぐれ、俺は彼に笑みを返す。

 すると、ウィルさんは黒い闇の中へ足を踏み入れた。そうやって踏み入れた半身が、全く見えなくなる。建物の境界から先に、一切の光が届かないようだ。

 そんな様子を見て、さっきの転移門のことを思い出した。あれも、水面に突っ込んだ脚が見えなくなっていた。すると、この入り口も、何らかの門なのだろうか?

 考えていても仕方ないので、俺は意を決して中へ入り込んだ。


 境界線を超えると、触感こそなかったものの、何らかの膜を通り抜けるような感覚があった。

 そして足を踏み入れた先には、やはり真っ暗な闇が広がっていた。

 ただ、外からは見えなかったものが、今は見えるようになっている。足場はどうも円形に近いらしく、その全体がうすぼんやりとした灰色に光っている。

 しかし……周囲を見渡すと、本当に暗い。壁があるんだかないんだかもわからない空間は、まるで無限に続いているように思われてならない。


 すると、ウィルさんは円の端の方に歩いていって、宙に手をかざした。そして、壁だか膜だか何だか……地面に対して垂直に、藍色に染めた何かの模様を描いていく。

 やがて、それが描き終わると、暗闇の向こう側に何かが別の空間がつながったようだ。こちらの足場と似たような、しかしだいぶ大きい円形の足場が前方に広がっている。

 足場よりももっと目を引くのは、その上だ。直径10m以上はあろうかという、半透明な紫色の球体が宙に浮いている。その内部には光点や光線が絶え間なく現れては消えている。それが何を意味するのか、見当もつかなかった。

 雰囲気に圧倒され、ただただ立ち尽くすばかりの俺に、ウィルさんはやや表情を引き締めてうなずき、先を促した。静かに歩いていく彼について、俺も前方の広間へ足を進めていく。


 そして、球体の正面についた。この広間に、俺たち以外の人間はいない。これから、何がどうなるんだろうか。思わず身構えていると……。


「やぁ、ようこそ!!」

「!?」


 驚いて尻餅をついてしまった。心臓が止まるかと思った。聞こえてきたのは、変声期前の少年に近いような、中性的な感じの声だ。間違っても、ウィルさんのじゃない。

 そのウィルさんに視線を向けると、彼は困ったような、あるいは呆れたような苦笑いを浮かべている。そして、前方の球体に向かい、たしなめるように言った。


「マスター、あまりからかうのは」

「いや、失敬失敬。ま、通過儀礼みたいなもんだ。君ん時もそうだったろ~?」


 悪びれる様子もなく、不思議な声の主は返答をした。声は四方八方から柔らかく反響するように聞こえるようでもあり……前方の球体が発しているようでもあった。それに、声とともに、球体の内部で踊る光の動きは活発になっていた。

 ということは……なんとなく察しがついた俺に、ウィルさんがちょっと申し訳なさそうに話しかけてくる。


「ホント、今日何回目になるかわからないけど、申し訳ないね。悪気が無い……とは断言できないけど」

「おい」

「この後は、きっと真面目な話になるから、気を取り直してほしい」


 球体からのツッコミを無視し、ウィルさんは言葉を続けた。そんな彼に応えるように、俺は背筋を伸ばして球体に向き直る。

 すると、球体は咳払いをし、居住まいを正すかのように、その内部で踊る光の動きを整え……そして、言った。


「ようこそ、天文院へ!」

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