第407話 「帰還を果たして」
4月20日、9時。クリーガの転移門前。
内戦後の混乱も少しは落ち着いてきたということで、殿下はここを離れられることとなった。せっかくこちらに新たなる統治者のマイルズ卿を招いたというのに、いつまでも王太子の自分がいるのでは……というお気持ちもあるようだ。それに、王都へ帰らなければならない用事もある。
そんなわけで、まだ目を離せないところはあるものの、後事は臣下に任せ、殿下は少し早めに帰還されるという運びになったわけだ。俺たち近衛部隊も、殿下のご帰還に合わせてここを発つ。
そのお見送りにということで、フィルさんとクリスさんが来てくれた。ただ、お互い短い間に色々ありすぎて、かける言葉にも困ってしまう。
結局、悪友連中に背を押され、俺から話しかけることになった。殿下を差し置いて、だ。当のご本人は「楽できていいね」とほほ笑んでおられるから、別にいいんだろうけど。
軽く咳払いし、言葉を探し、お二人に話しかける。
「では、お元気で」
「ちょっと、隊長~! それだけ?」
「もう少し、面白い話とかさ~」
「あ~、うっさいぞ、もう! 別に、これで今生の別れってわけでもないし」
ヤジってくる仲間にキレ気味の苦笑いで応じると、お二人はにこやかに笑った。
これっきりじゃないってのは、気休めでもなんでもない、本当のことだ。転移門を今回使わせていただけるのは、殿下の近衛という肩書ならではの特別な措置だから、さすがにこれに頼るのは難しい。しかし、転移に頼らなくても、俺たちにはホウキがある。単に遊びに行くってためだけに使用を許されるわけじゃないけど……また、いつか会いに行くことは可能だろう。
結局、「また会いましょう」という定型句で締めることになった。これが嘘にならないようにしたいと思う。
お二人と握手を交わし、見送られながら、俺たちは管理所建屋の中へ入った。
王都側の施設同様、やはり全体的に薄暗い。二回目の利用になるからか、初回の時ほどの緊張はない。それでも、他の施設とは明らかに異なる、どこか神秘的で張り詰めたような雰囲気は、気軽に言葉を交わすにはかなり窮屈に感じられる。
「しかしまぁ、なんだ。こういうところ使わせてもらえるって考えると、肩書があるってのもいいもんだな!」
……雰囲気に呑まれない奴ってのもいるものだ。彼があっけらかんと言い放つと、緊張感もだいぶほぐれた。そんな彼に言葉を返してやる。
「肩書のおかげで、いろいろ経験できたしな」
「そう思うと、ちょっと名残惜しいかな。王都に戻ったら、この部隊も解散でしょ?」
隊員の子が、少し寂しそうに指摘した。実際、そうなるのかなと思う。そもそもが、秘匿しておきたい作戦行動のカモフラージュと、必要な権利権限を周囲に認可させるための肩書だ。今はむしろ、本来の役割を超えて、殿下にお仕えしているに過ぎない。だから、戻ったら解散するのが自然な流れだろう。
俺たちの先行きを思って、少し空気が湿りかけたところ、ラックスがさっぱりとした調子で言った。
「ひとまずは、お疲れさまって言って解散だね。でも、また何かあれば、召集があると思うよ」
「何かって……何か不穏だな~」
「そう? 殿下のことだから、また『夜空が寂しいから、何かやってくれ』って仰るかもしれないよ?」
「あ~あったあった!」
昨夏の
そうこうして話しながら、門が設置された部屋に入ると、ここの管理者さんは微妙な笑みを浮かべながら言った。
「ここがこんなに賑やかなのは、前代未聞かもしれませんね」
「失礼しました、大変なご迷惑を」
「い、いえ、こちらこそ言葉が足らず……
俺たちの雰囲気に引きずられたのか、こういう施設の管理者にしては、だいぶ砕けた感じで言葉を返された。なんにせよ、悪くは思われてないらしく、そこは助かった。
それから、管理者の方は王都との開通作業を始めた。大きな金の輪がぐるんぐるんと回転し、それに合わせて輪の内部でマナがダイナミックに動く。久しぶりに見る一連の作業には目を奪われた。
そして、門はあっという間につながった。金色の輪の間に、少し揺らいで"向こう側"の壁が見える。
これを通れば王都だ。ホウキでいくら旅程を短縮しても、さすがにこいつには敵わない。我ながら、妙なところで感心しながら、俺は門を通り抜けた。
俺の後にもみんなが続いて門をくぐり抜け……俺たちは、王都の土――床だけど――を踏むことができた。なんやかんや危機や困難があっても、みんなで乗り越えた。感慨もひとしおだ。
それから無言で、俺たちは王都側の管理所から出口へ向かって歩いた。みんなも、同様にしんみりと浸っている。この施設の雰囲気自体はそっけなくてよそよそしささえあるけど、そんなのも全然気にならなかった。
しかし、浸りっぱなしの気分が一変したのは、ここを出てからすぐのことだ。出口の壁にもたれかかっていたのはウェイン先輩で、大あくびをしているところを俺たち――殿下含む――に見られ、かなりバツの悪そうな苦笑いになる。
ただ、用もないのにこんなとこにいるわけじゃない。互いにそそくさと挨拶を済ませると、先輩は俺たちを急かすように言った。
「すでに大勢集まってるからな。後はお前らを待つばかりってところ」
「そうですか。みんな、走っていこうか?」
後ろのみんなに尋ねると、満場一致でうなずかれた。ただ、気になるのは、殿下だ。
「殿下はどうされますか?」
「邪魔でなければ……」
「いえ、走られるかどうかを聞いたつもりです……」
これからの集まりに、殿下は当然参加されるものと思っていた。懸念だったのは、走らせてしまっていいかどうかだ。すると、殿下は「もちろん」と返された。王族を走らせるのに抵抗はあるものの、ご本人がこう仰るんだからいいだろう。
話がまとまり先輩にうなずく。それから、先輩の先導で俺たちは走り出した。
向かう先は、闘技場だ。
王都へ一時帰還しなかった俺みたいなのになると、だいたい5ヶ月ぶりの帰還だ。待たせた人は多いし、だいぶ心配かけているとも思う。また、近衛部隊が全員冒険者であることを踏まえると、迷惑かけた相手は結構重複している。
そこで、闘技場でまとめて顔合わせしようというわけだ。
しかし……みんなやけに足が速い。やっぱり、待ちきれないんだろう。まとまった人数で街路や町の外を駆け抜けると、出くわした人々にギョッとされたものだけど、気にせず突っ走った。
そして、闘技場の敷地に入り、本当に嬉しそうに出迎えてくれたギルド職員の案内で、俺たちは闘技場の内側へ足を踏み入れた。
すると、そこには見慣れた顔がいくつもあって、それぞれが再会を喜んでくれたり、感極まったような表情になったり……。
気がつけば、俺は下半身にタックルの波状攻撃を受けていた。その実行犯たちは泣き声を上げている。
そんな俺に微笑みながら声をかけてきたのは、シルヴィアさんとジェニファーさんだ。シルヴィアさんは本当に久々に見るけど、相変わらずのハツラツとした笑顔で再会を祝してくれた。一方、ジェニファーさんはだいぶ涙ぐんでいる。それでも、彼女は鼻をすすってから、お勤めを果たそうとしてきた。
「一応、式事みたいなものもあるけど……どうする、隊長さん?」
「さすがにこれだと……もう、思い思いにってことでいいんじゃないですか?」
「そうね」
「ジェニファーさんも、今の調子だと辛そうだし」
涙ぐんでいる彼女を、ほんの少し茶化すように言うと、彼女は「もう!」と言って笑いながら、手にした式次の紙を丸めて俺の頭を叩いてきた。
実際、順序立てて何かを……って雰囲気じゃない。腰回りの包囲網がすでに出来上がってしまってるし、俺の周りだけじゃなくて、あちらこちらからも誰かが泣く声が聞こえる。どれもこれも嬉し泣きだろうけど。
俺がこどもたちの頭を撫でさすっていると、院長先生がやってきた。きっと、今まで本当に……クソ大変だったろうと思う。俺を囲む子たちの様子から、今までの苦労が忍ばれた。
ただ、先生はそのへんの苦労をまったく口にせず、「お疲れ様でした」と
「この子たちも、大きくなればきっと、リッツ先生の決断の意味を理解できると思います」
「そうですね、そうなるといいと思います」
「それまで、これからもぜひ、顔を出してくださいね?」
「もちろんです。というか、逃げられそうにないですし」
依然として俺を離そうとしない子たちを指しながら苦笑い気味になって言うと、先生は「お許しが出るまで、そうしてあげてください」と言って笑った。
院長先生が、ラウルを始めとする他の先生に挨拶へ向かうと、今度はメルが駆け寄ってきた。
ただ、いつもの彼と違うのは、俺からネタを引き出そうとしなかったことだ。いつもの元気はそのままに、「こっちも色々ありましたけど、またお話しましょう!」と、一方的にまくし立てて去っていった。
俺から何も聞き出そうとしなかったのは、気遣いによるものなんじゃないかと思う。活躍はあったけど、武勇伝と言って気楽に吹聴できるようなものじゃない。それに、再会を祝うこの場には、きっと不釣り合いな話題だろう。彼は、この空気を壊すのを嫌ったんだと思う。
それからも、大勢が入れ代わり立ち代わりで声をかけてきた。
エスターさんは、意外にもあっさりしていた。もう少しウェットな感じになるものと思っていたけど……戦勝自体は先月聞いていたから、それで完全に安心できたそうだ。まぁ、しっとりしているようで芯が強い感じもあるし、そんなに引きずらないところもあるから、そんなものなのかもしれない。
工廠の連中は、賑やかに再会を喜んでくれた。「色々と聞かせてくれよ!」という彼らの催促が何を指すものかは、今更問うまでもなかった。彼らのサポートに助けられた部分は、ものすごく大きい。それを素直に感謝すると、彼らは揃って胸を張った。
魔法庁の職員たちも、帰還をとても喜んでくれた。戦勝報告から少し間をあけ、今月始めから例のブライダル事業を再開したそうで、事業においては俺の弟子だか後輩にあたる職員さんたちが、喜々として報告してくれた。
そうして様々な人々と喜びを分かち合っていって、少し落ち着いた頃に、二人の女の子が視界に入った。アイリスさんとシエラだ。俺の方から手を振ってみると、すぐに気づいたアイリスさんは柔らかに微笑んで手を振り返してくれた。
帰ってきてよかった。
一方のシエラは、なにやら尻込みした感じでいる。そんなまごまごした彼女を引き連れ、アイリスさんは俺のすぐそばまでやってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま……シエラからは?」
「……おかえり」
「ただいま」
どこかぎこちなく挨拶してきたシエラを見ていると、アイリスさんは少し楽しそうに言った。
「いない間、大変だったんですよ? 『終わったんだから、早く帰ればいいのに。せっかく、速いホウキ貸してるってのに、まったく』って……」
「そ、それを言うならアイリスだって! 『向こうの様子が気になるから、ホウキ貸してください!』とかなんとか」
「私のは、その、冗談ですよ?」
「私だって!」
険悪とまでは言わないまでも、若干言い争いじみてきたところ、二人を「まぁまぁ」と言ってなだめる。すると、傍らにいて泣き止んだ子が「先生大変だね」と言った。それに周囲の大人が笑い始め、女の子二人はきまり悪そうになりながら、少し顔を朱に染めた。
それで、逆に落ち着けたのかもしれない。小さく咳払いした後、シエラが話しかけてきた。
「おかえり」
「ただいま」
言葉はさっきと変わらないけど、今聞いた声の方が、ずっと素直な響きがあった。
そうこうしていると、泣いていた子たちも、もう随分と落ち着いた。他の先生に挨拶をと促すと、素直に聞き入れてくれて、俺はようやく解放された。それで急に、妙な寂しさを覚えたり。
ただ、身動き取れるようになったのは幸いだった。辺りに視線を走らせ、他のみんなが思い思いに歓談しているのを確認すると、俺はアイリスさんに声をかけた。
「ちょっといいですか?」
「ええ、もちろん」
久々に聞く彼女の声で「もちろん」とか言われて、妙に心臓がドキドキする。そんな興奮をどうにか落ち着けてから、俺は小声で彼女に尋ねた。
「正月の約束の件、覚えてますか?」
「手料理ですよね? 練習しました」
またもドキドキさせられつつ、俺は浮足立ちそうな気持ちを抑え込んで、話を続けた。
「
「はい……では、楽しみにしてくださいね?」
そう言って彼女はニッコリ笑った。
本当に、ドキドキさせられっぱなしでヤバい。用が済んだ俺は、笑顔を保ちつつも、そそくさとその場を離れた。
☆
闘技場での再会パーティーが済んだ俺は、すぐにお屋敷へ向かった。
お屋敷につくと、ちょうどマリーさんが庭の手入れをやっているところだった。俺に気づくや、彼女は道具を置いて笑顔で話しかけてくる。
「お久しぶりですね。お元気そうでなによりです」
「そちらも変わりないようで……ありませんよね?」
「はい、ご心配なく」
そういう彼女は、確かに言葉通りだ。普段どおり落ち着いた
「奥様は?」
「所用で外出されています」
この機にご挨拶をと思っていただけに、少し残念だった。まぁ、日を改めるしかないか。
それに、今奥様がいらっしゃらないのは、ある意味では好都合かもしれない。気を取り直し、俺は彼女に話を切り出した。
「実は、折り入って相談が」
「恋煩いですか?」
「……そういう悪い顔を見ると、帰ってきたって気がしますね」
イタズラっぽい笑みを浮かべる彼女に言葉を返してから、俺は相談の内容を打ち明ける。
「明後日、戦勝記念式典と、褒章授与式がありまして」
「はい、それは私も知っています」
「それに来ていく服が……」
すると、話が早い彼女は合点がいったらしく、「あの服ですね」と言った。
しかし、俺を中に案内するでもなく、彼女はその場で考え事を始めた。やがて、俺に真剣な眼差しを向けながら話しかけてくる。
「今回の参戦は、ご自分で決められたのでしょう?」
「ええ、まぁ」
「そして、この家の手を離れて、ご自身の力で功績を上げられたのでしょう? でしたら、この家の客分としての装いではなく、独立した一個人としての装いをなされるべきです」
そう言って俺をまっすぐ見つめてくる彼女は、真面目さの中にどこか誇らしさも見え隠れしている。
彼女の発言自体は、納得の行くものだ。むしろ、あの家があの内戦に関わり合いにならないようにと、俺が動いていたわけでもあるから、家に関係のない一個人として式に出るべきだろう。
となると、服は別に調達しなければならない。すると、マリーさんは「少々お待ちを」と言った。
「ここで? どうかしましたか?」
「今から軽く着替えてきます。一緒に、明後日の服を用意しに行きましょう」
「いや、一人で行けますよ……」
「一緒はお嫌ですか?」
「……まさか」
「では、手をつないで行きましょう」
どこまでジョークかわからない言葉を残し、彼女はスタスタとお屋敷の中へ消えていく。
本当に、変わらないなぁ。
☆
それからマリーさんに案内されたのは、やはりというべきか、エスターさんの店だった。
それで、マリーさんとエスターさんは、かなり仲が良いことが判明した。俺の服選びということで、店の奥の作業場兼倉庫で和気あいあいと話し込んでいる。
確か、マリーさんの生家は装飾店だと聞いた。それに、お屋敷の方では色々と服が必要になるだろうし、その管理を彼女が一手に引き受けている。だから、前々からお得意様なのだろう。
明後日の式のための服をと、足を運んだわけだけど、同じ事を考える奴は他にもいたようだ。試着を繰り返す間に、隊の仲間が一人また一人とやってきた。
それから俺たちは、決して普段は着ないような服に、次々と袖を通していった。
しかし、中々決まらない。というのも、服選びに他の店員さんまで口を挟むようになったからだ。そうして俺たちは、微妙な顔をしたマネキンみたいになって、いくつもの服を試着していくことに。
王都に帰るなり、予想外のドタバタした感じだけど……まぁ、こういうのもいいか。
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