第406話 「孤独の中で②」
侯爵を包み込むように広がる炎は幻覚ではない。確かな熱を感じさせる火の中、侯爵は――痛みに顔を歪めつつも、静かに微笑んだ。諸臣が騒ぎ立てる中、彼は対象的に、一言も発することなく火に焼かれている。
すると、一人の青年が機敏に動いた。侯爵のそばにあるタライに手を伸ばし、頭から水を浴びせかける。そうしてたちまち鎮火を終え、アルトは侯爵に話しかけた。
「この魔法は、飾りじゃないんだ。これでわかっただろう?」
「……これ以上、何か発言を求めると?」
「卿が何を考えていたのか、この場の一同にとっては知る価値があることだ」
まっすぐ目を合わせて話すアルトの静かな気迫に、侯爵はわずかに気圧され生唾を飲み込んだ。そして、アルトは決然として言葉を重ねる。
「卿がここで焼け死ねば、私は妻子に後を追わせるつもりだ」
「……お戯れを」
「……こんなことで、私を試してくれるなよ」
悲哀の色を帯びた目を向けられ、侯爵は床に視線を落とした。最初の出火は抑えたものの、足元の魔法陣は未だ健在である。
そうして警告が済むと、公爵は質問の続きを始めた。
「虚偽を申した理由は?」
「真意は……およそ信じ難き妄言と、捉えられかねないためです」
「では、少し質問を変えるが……卿は事が成った後、主君を弑逆して何とするつもりだったのか?」
「……やや順番が前後しますが、他国との外交権を得た後、他国の軍を招き入れて我が方の主君を殺し、さらにはこの度の内戦に関わった全ての貴族を粛清するつもりでいました。あの新政府において私一人で画策しても成らなかった企ても、一国を“得てしまった“後ならば、その騒動に乗じて動く余地はあるものと」
火の手は、上がらなかった。耳を疑うような放言に、議場は大きくどよめく。
「バ、バカな! そのようなことを本気で考えていたのか!?」
「話に乗る国などあるまいに!」
「私の首を担保に、国を売れば成る話と考えておりました。いずれにせよ、我が方が勝ってしまった場合、これが“フラウゼ領“を再び人の世に還すための有効な手立てかと」
怒声のように言葉を浴びせかけた諸臣も、彼の答弁には口を閉ざした。淡々と語るその口には、静かな威厳と覚悟があった。そして、追い詰められ、思いつめた人間しか持ち得ない、ある種の研ぎ澄まされた狂気が。
少なくとも、彼なりに領民と人の世を思っていた。その言葉に、偽りはなかったのだ。
やがて場内が静まり返ると、問われる側の侯爵が口を開いて尋ねた。
「私に対する処罰は如何様にお考えですか?」
「……卿が主導的立場にあった事実は確かだが、元を返せば”最初の裏切り者”にこそ根源的な罪がある。それを踏まえれば、卿に着せられるべき罪は……」
「それはなりません、ロクスフォール公。この身を以って見せしめとなされなければ」
恩情を示そうかという公爵の発言を遮り、侯爵は自身への極刑を申し出た。立場が上の者の言を遮るという無礼を働いたものの、そのような些事を咎める者は、この場には現れなかった。誰もが、彼の覚悟に呑まれ、戸惑うばかりだ。
そんな中、アルトは神妙な顔つきで侯爵に尋ねた。
「卿が他国にこの国を売ろうと考えた企ての中で、現王室を救おうとは考えなかったのか?」
「……はい」
「それこそが、本当の罪の在り処を示しているんじゃないかな」
アルトの言葉に、侯爵はハッとした表情になり、目を見開いた。そんな彼に、アルトは静かな口調で語りかける。
「この件は……私たちがもっとしっかりしていれば、未然に防げたのではないかと思う。それなのに、自らの襟を正すことなく、“王国”として卿を誅殺することなど、できはしないよ。たとえ何かしらの罰を与えることになろうとも、卿の命までは奪えない。それができる恥知らずな王室こそ、滅んで然るべきだろう?」
「しかし……」
慈悲を表しつつも、静かな威厳に満ちた王太子に、侯爵は言葉を詰まらせた。
すると、査問の前に彼らがいたのとはまた別室から、二人の男性が現れた。その姿に、場は凍りつく。一人は、王国宰相。そしてもう片方は、フラウゼ王国国王ランドバルト・フラウゼその人だ。
この二人の登場に、誰もが驚いた。査問の中心となっている、王侯貴族の三人も。
しかし、浮足立つ広間の中、アルトは真っ先に平静を取り戻した。そして、父王に軽く会釈をした後、宰相に向かって問いかける。
「今までの話は、別室で?」
「はい。
普段は温和でにこやかな宰相も、今は少し表情が硬い。この親子の溝を知っているからであろう。
やがて、アルトは父王に向かって、やや冷ややかな口調で言った。
「おはようございます、父上」
「……すでに日が上がってからだいぶ経つが」
「今の今まで寝て過ごしたような男の言葉とは思えませんね」
痛烈な皮肉に、場は凍てついた。しかし、意義の唱えようもない言葉ではある。なにしろ、王に代わって王太子の彼が、責任のある役を担っているのだから。
すると、国王は「済まなかった」と言った。誰にも聞こえるくらい、はっきりとした声で。その言葉に、アルトはキョトンとした顔で固まった。
王の言葉は、誰に向けたものなのだろうか? アルトに向けたものには違いないだろうが、それだけでもないのだろう。諸臣は言いしれない感情に身を揺さぶらせた。
そんな中、渦中の侯爵は言った。「今更……」と、ただそれだけの一言であったが、耳に痛いほどの静寂で場が満ちる。
侯爵の一言は、明らかに不敬であった。しかし、それを咎めようという声はない。少なくとも、この査問においては彼なりの志があったことを十分に示したのが一因であろう。そして、敬いつつも各自が思うところがあった、諸臣から国王への距離感もまた、侯爵の言を許した原因なのだろう。
国と王室に向けて弓を引いた男が、今もなお自身に敵意を向けている。しかしながら、侯爵の言葉に対し、王は申し訳無さそうに頭を垂れた。
「この度の事態は、余の不徳が致すところであった。卿の如き知勇の士に、やむにやまれず反旗を翻らせたこと、誠に申し訳なく思う。済まなかった」
王直々の謝罪に対し、侯爵はうなだれたものの、すぐに頭を上げて彼を睨みつけ直言を放つ。
「私のことなどよりも、殿下に向けて何かございましょう! この内戦など、結局はお家の問題ですぞ!」
「……そうだな、卿の言うとおりだ」
血の滲むような
しかし、息子に向けるべき肝心の言葉が出てこない。そうしてなんとも微妙な空気が流れ始めたところ、宰相が手を叩いて場の注目を集めた。
「ご家庭の問題とあれば、衆目の前でなさることもありますまい。余人の目が届かぬところで、ご存分になされませ」
「……そうだな。卿には世話ばかり掛ける」
「今後は、少し楽させていただけるものと期待しておりますぞ」
主君に対し、宰相がやや挑戦的な調子で言葉を向けると、王はほんの少しためらいを見せた後「そのつもりだ」と返した。
それから、この査問は幕を閉じた。結局の所、事の発端となった裏切り者を暴くまでには至っていない。新政府の頂点にあった侯爵の処分も未決だ。
しかしながら、査問に立ち会った諸臣は、国が一つ前に進んだという感触を得て帰路についた。
そうして、諸臣が一堂に会した大ホールも、最終的には二人を残すだけとなった。
「アルト」
「馴れ馴れしいな」
「今まで済まなかった」
「……兄には?」
「すでに謝った。届いてはいないかもしれないが……」
「なら、いいんだ」
そして、アルトは父王をまっすぐ見つめて言った。
「この半年で、家のことがよくわかったよ。私たちは、求められるものが大きすぎると耐えられなくなる。国の民が思う以上に、私たちは王族であるよりもずっと人間なんだ」
「……そうだな」
「だから、私は今更、あなたに父であることなんて求めない。だけど、せめて王であってくれ。それに耐えられなくなったら、王太子として支えてやるから」
「……済まない」
「……私も、二人から母上を奪って……悪いことをしたって思ってるよ。それがどれほどのことだったのか、私には見当もつかないけれど」
アルトがそう言うと、父王は真顔で立ち尽くした後、息子を抱きしめた。そして、「本当に済まなかった」と言った彼の頬に、涙が流れていく。
そうして父に初めて抱きしめられ、アルトは「今更だよ、ほんと……」と言った。ほんの少し鼻声で。
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