第405話 「孤独の中で①」

 4月2日。フラウゼ王国王都近郊、アスファレート伯邸宅にて。

 国内外の貴賓を招いての饗宴きょうえんを催すこともしばしばのこの邸宅に、今日も大勢の貴族や国の諸臣が詰めかけていた。

 しかし、これから始まるのは、そのような社交の催しではない。諸臣が集う大ホールは、所狭しと椅子が並び、集まった人間の身分からすれば窮屈さを覚えるほどだ。

 そして、いくつかの弧状に並んだ列が向く中央には、かなりのゆとりを持って二つのイスがある。集まった者たちにとっていささか奇妙に思われたのは、より奥側のイスの足元の絨毯が取り除かれていることだ。その辺りだけ、床の石があらわになっている。

 イスの並びは、さながら議場のようであった。しかし、実際には、この場は非公開の法廷となる。集まった諸臣もそのことは知らされており、事の成り行きがどうなるものかと、ざわめきは静まることがなかった。


 王都にも、無論法廷はある。にも関わらず、この邸宅で執り行う理由は、アスファレート伯がかくまう魔人ユリウスの手を借りるためである。虚偽を許さず炎でそれを罰するという、彼の魔法を用いようというのだ。

 尋問において、彼の魔法の有用性は計り知れない。しかしながら、彼の存在を知るのは国の上層部のみである。王都で魔法を使えないこともさることながら、不用意に彼の力を借りれば、存在が民衆に露見するリスクもある。

 そういった事情を鑑み、わざわざ諸臣を呼び寄せ、この邸宅で査問を行おうというわけである。


 また、ユリウスの存在について、この場の諸臣には知られていても、実際にその顔や形貌なりかたちを知るものはごく僅かだ。

 そのため、彼は今回、この邸宅の使用人に紛れるようにして例の魔法を用いるという手筈となっている。そのように紛れ込んでいるが、詮索は無用との通達も出ているほどの、念の入れようだ。


 この邸宅に重臣が集うこと自体は、さして異様なことではない。非公開の集まりにおいては好都合だが、それでも、この時期に諸臣をわざわざ集めるという手間はある。

 しかし、査問の対象となる人物の重要性を踏まえれば、ここまでの備えもむしろ当然のことであった。


 この集まりに招集を受けた諸臣が全て席につくと、大ホールに隣接する別室から、この査問の主役となる人物が三人現れた。

 まずは王太子アルトリード。今回の招集を議会に提案した人物だ。提案の承認を受け、クリーガより転移門にて一時帰還し、この場にいる。

 続いて、今回に査問の主幹となる大貴族、ロクスフォール公だ。豊かな白ひげを蓄えた公は、老齢ながらもかくしゃくとした人物で、公爵家は司法関係に代々携わってきた。平時においては好々爺こうこうやであるが、変事においては国の厳父として敬愛されている。

 そして査問を受けるのが、ベーゼルフ侯だ。


 後ろに手を回され、手錠で身動きとマナの使用を封じられた侯爵は、壁を背に皆の視線を受ける形で席についた。彼に対面する形で公爵が席につき、彼らから少し離れ、扇状に並ぶ席の最前列中央にアルトが席につく。

 すると、侯爵の着席とともに、その足元に赤い魔法陣が刻まれていった。それが契機となったのか、大ホール内は異様なほどに静まり返っていく。

 そうして、査問がしめやかに始まり、公爵が口を開いた。


「まずは……事の発端において、我々は魔人の関与があったと見ているが、相違ないか?」

「……はい」


 侯爵の足元の魔法陣は、特に反応を示さなかった。彼の肯定を受け、公爵は話を進めていく。


「いかにして魔人が権力機構に食い込んだか、卿は知っておるか?」

「……いえ。憶測を語ることしか」

「ならば、事の始まりを暴こうと動いたことは?」

「人を遣わして試みたことはございますが……」


 侯爵は言葉に詰まった。そこに、何らかのためらいを見て取ったのだろう。公爵は続きを促す。


「この場において、隠し立ては無用である。卿もすでにそのつもりで、この場にいるものと思っていたのだが」

「……私が遣った者共が、国の諜報部と互いに牽制し合う形となり、期待通りの成果を上げることは叶いませんでした」


 つまり、国の諜報部と互いに足を引っ張りあったというわけである。言い淀んだのは、国の対応に対する非難と取られかねないからであろう。事実、彼の発言の後に、それを責める声が群臣の間から吹き出した。

 しかし、アルトが手を挙げるとすぐにそれも止んで凪となり、静まり返ったところで彼は口を開いた。


「卿が動かしたのは、あくまで私的に仕えている者たちという認識で構わないかな?」

「はい」

「では、新政府において、公式な諜報部門の存在は?」

「……いえ、ありませんでした。強いて申し上げるのならば、私設の部隊が半公式的なそれに該当するものと思われます」

「なぜ、公式な組織としては存在しなかったのだろう? 何か不都合でも?」


 この問いに、侯爵は押し黙り、足元の魔法陣をじっと見つめた。これまでの答弁において、魔法陣は一度も機能していない。

 しかし、前方の公爵と王太子、足元の魔法陣から睨みを利かせられているということには変わりない。少し長く口を閉ざし瞑目した侯爵は、やがて硬い表情で問いに答えた。


「そういった組織を作ろうという案は出ましたが、私が握りつぶしました」


 この答えに、諸臣の多くは耳を疑い、ざわめいた。それを公爵が鎮めさせ、侯爵には発言の先を促す。


「当時、新政府において、主導層たる貴族は互いに牽制しあっておりました。後ろめたい部分があったのか、あるいは王権簒奪が成った際、群臣の間から躍り出て出し抜こうという考えがあったのか……いずれにせよ、諜報部門の存在を求める声があった時、それはその部門の長としての立候補でもありました」

「それらを握りつぶし、卿が事実上の諜報の長となったというのであれば、私には同輩のようにも見えるのだが……違うというのだろうな」


 公爵が冷静に尋ねると、侯爵は少し間をおいてから「はい」と答えた。


「では、何が違うと?」

「私は新政府発足からほとんどの期間において、首魁に次ぐ地位にありました。そして……私は、自分が魔人の傀儡かいらいでないという確信がありました。それが、他の者共に諜報の手を委ねなかった理由でございます」

「他の者にその座を与えれば、魔人側に利することになっていたかもしれぬと?」

「はい」


 こうして答弁を重ねる侯爵の足元から、火が上がることはなかった。

 実際、魔人に取り入ろうという者が存在し、それが諜報を掌握していたのなら、魔人側の関心を惹くために様々な情報を漏らしていた可能性は高い。

 また、黒い月の夜や、それに備える段階での動きから、侯爵が魔人側を信用していなかったという証拠が上がっている。それ以前においても、彼は魔人とは微妙な距離を保ち続けてきたという証言もある。それらの情報は、今の彼の答弁の裏付けとなるものだ。

 少なくとも、侯爵は魔人側の存在ではなかった。それが確認できたところで、公爵は当初の話題に立ち返り、問いただす。


「魔人側と通じていたと思われる者に、心当たりは?」

「発端は先程も申し上げましたとおり、掴みきれませんでした」

「フォルス子爵が、卿の娘御を魔人に引き渡したという疑義があるが……彼は違うと?」


 アルトが指摘を入れると、場は騒然となった。王都には、まだあの夜戦について荒い報告しか上がっておらず、侯爵の娘が一時魔人の手に落ちたということを知らない者も多い。

 にわかに騒ぎ出す諸臣に対し、アルトは思慮が足らなかったとばかりに、苦々しく表情を歪めて場をなだめた。「彼女は無事だから、安心してほしい」との言葉で、場は再び落ち着きを取り戻し、侯爵の言を待つばかりとなる。


「フォルス子爵につきましては……少なくとも、新政府の旗色が悪くなるまでは、不穏な動きは見られませんでした」

「では、敗戦の報を受けてから、怪しい動きがあったと?」

「はい……他の群臣同様に、ですが」


 大軍の敗報で、多くの群臣は保身に走ったということだろう。それは想像に難いものではなく、その場にいる諸臣も、彼の言に疑いの目を向けることはなかった。

 しかし、公爵が一つ、落ち着いた口調で問いを発した。


「卿は自身を潔白であるように話す。それはある程度まで真実なのであろうが、卿も保身などは考えなかったのか?」


 侯爵は押し黙った。そこで、公爵は床に視線を落として眉をピクリと動かした。虚偽を発すれば身を焼かれるという魔法陣の上で、この問いはかなり酷薄であろう。

 そこで、一度魔法陣を解かせようと腕を動かしかけたところ――対面の人物は「いいえ」と言葉を返した。

 保身などは考えなかった。その証言に対し、魔法陣は反応をしない。場はにわかにざわつく。もしかすると、あの魔法陣は飾りなのかもしれぬ。そんな声まで上がる始末だ。

 湧き上がる諸臣の声を抑え、公爵はさらに問いを続ける。侯爵に対する、根源的な問いだ。


「卿があの企てに参画したのは、なぜだ?」

「……私が昨夏、遠征より戻った頃には、すでに大勢が決しておりましたゆえに」

「それで、仕方無しに流れに乗り、権力の最上部にまで上り詰めていったと?」

「誤解を恐れず申し上げるのならば、そのとおりです。少なくとも、あの政府を動かしていた者の中に、領民を任せられる器は、一つとしてありませんでした」

「前王太子も含めて、か?」

「……彼こそ、領民を任せるに値しない、その最たるものでした」


 話を聞くばかりの諸臣は、にわかに複雑な表情になった。敵対していたとはいえ、前王太子に対する大変な非礼である。

 しかしながら、査問を受ける侯爵には、静かな気迫のようなものがあった。未だに効力を発揮しない魔法陣も合わせ、彼の言葉には強い真実味がある。負けたから、かつての主君を悪し様に言っているのではなく、もともとそのように思いながらも仕えていたのだろう。そう思わせてしまうだけの、言葉の響きがあった。

 しかし、公爵は前王太子への言葉に拘泥しない。今の王太子に対する配慮もあるのだろうが、彼は別の問いを投げかけた。


「卿は一貫して、領民のために動いていたと、そう考えても差し支えないか?」

「……領民が第一とは申しませんが、重視していたのは確かです」

「では、一番は何だ?」

「人の世です」


 抽象的な表現に、公爵は眉を寄せた。このような場において、解釈の自由を許す答弁をされたことに、若干のいらだちを感じたようだ。


「では問うが、王権を簒奪することが、本当に人の世のためになると?」

「……我が方が率いていた軍に負ける程度の御威光であれば、そう考えます」

「しかし、先程の発言と矛盾するのではないか? 卿からみた主君は、民草を任せるに値しないのだろう?」

「はい」

「……事が成った後に、弑逆しいぎゃくするつもりだったのか?」

「はい」


 ホールの中がざわつき、熱を帯び始める。そんな中、声を押さえつけるのももどかしく、公爵は問いを重ねた。


「卿は……現王室を廃し、自らが主君として君臨するつもりだったのか?」

「……はい」


 その瞬間、侯爵の足元から火の手が上がった。

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