第398話 「血戦③」
凍りついたような奴の手が、俺の首をギリギリと締め上げる。奴の後方から、吹き飛ばされた右腕がにじり寄る。両手で締められたら……そう考えると、カウントダウンはすでに始まっている。
奴の左手で握りつぶされそうになっている俺の首は、もう痛覚を送って寄越さない。凍えて感覚が鈍り、ただ苦しさだけが全身に伝わっていく。
そうして首を絞められてもなお、呼吸だけはどうにかできた。この
しかし、両手に力を込め、奴の腕を押し返そうとしてもまったく効かない。逆に腕から寒気が侵食するような恐怖を覚えた。両腕の力を抜けば押し切られる予感はある。でも、これが打開策になりはしない。
そうこうしている間にも、奴の右腕はにじり寄ってくる。それを見る視線に気づいたのか、奴は唇の端を吊り上げて笑っている。その後、視界の端にある奴の右腕が、これまでの直進とは違って、若干千鳥足めいた動きを始めた。
この野郎……遊んでいやがる、クソが。
とはいえ、こうして挑発してくれたおかげで、逆に冷静になれた部分もある。遊んでいるおかげで少しの猶予ができた。これを活かして、出し抜いてやる。
力押しでの解決は無理だ。となると、残されたのは魔法だ。
しかし、
なんであれ、このまま絞め殺されるよりは、何か抵抗の手口を見つけなければ……そう思って俺は意を決し、奴の左腕から右手を離した。すると、より一層強く、俺は手すりに押し付けられた。体の奥底から苦痛とともにうめき声が出る。
それでも、なんとか腕は動かせる。そうして記述を始めようとして、気がついた。首を絞め上げられ、全身の筋肉がそれに抵抗しようと奮闘している今、普段どおりには記述できない。震える右手から青緑の光がちらつき、それを見て奴は笑い声を上げた。
これじゃ無理だ。どうにか魔法を書こうとしても、普段どおりのスピードで書けそうにない。そうなると、奴に気づかれて意味がないだろう。
しかし、こんな状況でも普通に書ける魔法が一つあった。
意識が遠のく前にと、俺は精神を集中して異刻を展開し――うまくいった。少しずつ、時の流れを遅れさせる。そうやって時間を操作しても、首にまとわりつく苦しみは変わらないけど、それはどうしようもない。苦しみを長引かせながらでも、どうにかしなければ……。
遅れさせた時の流れの中、まずは奴に気付かれないように、後方へ青緑のマナを飛ばす。そして、試しに魔法陣を書こうとしてみると……とりあえず、書けそうではある。問題は、きちんと狙えるかどうか。槍を放つアングル次第では、俺も死にかねない。
どこに魔法陣を展開させようか、辺りに視線を巡らす。その時、ホウキが俺の視界に入った。ここに来るまで使っていた奴だ。
それを見て、全身に電流が走るようなインスピレーションを得た。腕の力だけじゃ押し返せない。しかし、腕力と一緒に、ホウキにマナを込めて推力に変えれば……イケるんじゃないか? 首を閉められるだけじゃなく、背に手すりを押し付けられているのもキツいんだ。これをどうにかできるなら……。
一度、ホウキから視線を外し、奴に視線を向ける。
そんなことを思った直後、俺の注意は奴の胸辺りに引き寄せられた。縫合した胸の傷は、まだ完全にはふさがっていない。糸の縫い付けは大雑把で、糸と糸の間から奴の体の内側が見えた。禍々しい、黒ずんだ赤紫の闇が。
やることは決まった。後は実行するだけだ。精神を集中させ、引き伸ばした時の中で視導術を展開する。これでホウキを掴み、今度は俺の手元へ引き寄せる。可能な限り速く、できれば音を立てず。
すると、いつもの視導術よりもスムーズに、物を運ぶことができた。ホウキなんて視導術基準では相当の重量物だろうに……そこで気づいたのは、視導術越しにマナを供給したおかげで、乗ってもいないホウキをこちらへ飛ばせたんじゃないかってことだ。
それに、正確な記述は難しいものの、マナだけは出せる。そんな火事場の馬鹿力が、こうしてうまく働いたんだろう。
首尾よく手元にホウキがやってくると、奴の表情は一変した。嫌らしい笑みが消え失せ、真顔になって目は見開いている。いい気味だ。
でも、本番はこれからだ。首を締め潰す力がさらに強くなって苦しくなる。それを耐えながら、俺は右手に掴んだホウキを奴の胸に――傷を縫い合わせる、糸と糸の間に突き立てた。腕の力とマナの推力、両方にありったけの力を込めて。
すると、ホウキは奴の胴体に突き刺さり、背中から柄の先端が見えた。そして、奴の体が少しずつ浮上していき……締め上げられている俺の首を支店に、お互いの体が俺の背の方へ回転しながら浮いていく。それとともに、俺の目に映る光景が、少しずつ変わっていく。バルコニーから続く屋内から、城の先端へ、赤紫の空へ、そして黒い月へ……。
やがて、全身に浮遊感を得た。バルコニーから外に出て、空中にいる。首周りの苦しみはない。これまで締め上げられていた喉に大量の空気が流れ込み、気道が熱い。
しかし、ダラダラやってる暇はない。ホウキに乗ろうと左手を伸ばして柄を掴む。一方、ホウキを突き刺された奴は、落下を活かして胴から柄を抜いたようだ。今では
そして、俺から距離を取りつつ、奴は赤紫の火砲を放ってきた。それに対し、俺はホウキから右手を離して、
この着弾前に、俺は
少し落下したところで、俺はありもしない空の足場を踏みしめ、奴の姿を視野に入れながら動いた。襲いかかる
そうやって俺の空中戦の用意が整ったところで、下から矢の嵐が飛んできた。もちろん、狙いは奴だ。精密な狙いの援護射撃は、しかし、わずかに奴の体を揺らした程度で終わった。
「普通に撃っただけじゃ、コイツは倒せないんだ! みんなはホウキに乗ったまま待機してくれ!」
大声で下に指示を出す。一方で奴は、一度も視線を俺から外そうとはしない。表情は、あの苛立たしい笑みに戻っている。
「中々やってくれるじゃないか。さっさと殺ってりゃよかったか?」
奴がそう言うと、上方から何かが落ちてきた――右腕だ。奴の右肩から伸びた糸が、落ちてくる腕をつなぎとめ、俺の前で縫合を始める。
やろうと思えばいつでもできたってことか? この動きさえも挑発に思えた一方、別の懸念もある。今は、腕を手元に寄せるのに集中したからこそ、こうやって素早く回復できたのでは?
とはいえ、いずれにしても俺の――俺たちの――不利は変わらない。こちらから加える攻撃は、致命打になりえない。一方、自身の身を気遣う必要性が薄いおかげで、奴は攻勢に注力できる。
それに、この空中戦だ。揚術が他の魔法との併用を前提とした高位魔法であるのに対し、俺が乗るホウキは、空を動き回るという一点では優れるものの、魔法との併用が難しい。高速な戦闘機動の中では、異刻を使わないとロクに魔法を書けない。ホウキを操る負荷も踏まえれば、かなりのロスだ。
しかし、それでも……この場でコイツを仕留めたい。生かしておけないクズ野郎だし……この夜が明ける前に、コイツをぶっ倒して、俺たちの戦いの締めくくりとしたい。俺たちと、この国のために。
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