第399話 「血戦④」
奴をこの場で倒したいという俺の気持ちと同じように、奴もその気のようだ。あるいは、自身の優位を信じて疑わないだけかもしれない。奴は逃げようという素振りも見せず、こちらへ攻勢を掛けてくる。
攻撃に対し、俺はホウキを操って回避しながら、少しずつ高度を上げていった。連携で普通に倒せるような相手ではない以上、地上から少しずつ距離を取りたい。じゃないと……。
奴も俺につきまとうかのように、攻撃しながらも少しずつ高度を上げていった。そして、バカみたいに笑いながら叫ぶ。
「ハハハ! あの城からしか帰還できないとでも思ってんのか?」
あ~、帰還のことはすっかり忘れていた。ああやって言ってくるってことは、別の用意があるのだろう。いや、単なるブラフか?
結局の所、俺は奴の発言を無視しようと決めた。奴には虚言癖がある、そう思い込むことにする。
高度を上げたかったのは、確かに城から遠ざけたかったからでもある。まだ、奴の仲間が残っているのなら、この機に加勢に来ないとも限らない。
しかし、もっと重大な理由があった。奴は人を喰ったような笑みを浮かべた後、魔法の記述をこれ見よがしに始めた。
クソ野郎だとは思うけど、一方で当然の成り行きだとも思った。これを妨害することは、できなくもない。ただ、これを俺だけで防ごうものなら……。
そして、下の様子を見もせず、奴は火砲を放った。そんな奴を俺はにらみつけ……下の方で炸裂音がした。悲鳴とかはない。単に、魔法でどうにかした程度の反応音だ。
それからも、奴は足元に何発か火砲を放ってみせたものの、結果は同じだった。下の様子から、被害が出たような感じの叫び声なんかは上がってこない。建物が壊れるような音も。
下からの距離を取りたかった一番の理由が、これだ。今の俺では、奴の凶行を完全には防ぎきれない。せいぜい、自分の身を呈して守るぐらいしかできない。それを見越して奴が空爆を仕掛ける可能性は予見できていた。
だから、下のみんなが対応に回るための時間稼ぎにと、地上からの距離が欲しかった。そして、みんなはそれに答えてくれたのだろう。いや、近衛部隊のみんな以外にも動いて下さった方はいるのかもしれないけど、この際同じことだ。
下への脅しが効かないと踏んだようで、奴は再度俺への攻撃を仕掛け始めた。街を破壊できなかった腹いせなのか、これまでよりもずっと苛烈に。
押し寄せる矢と光線、たまに織り交ぜられる砲弾の嵐をかいくぐりながら、俺は攻め手を考えた。生半可な魔法は効かない。一番いいのは、負傷をつなぎ合わせるあの縫合を破ることだけど、奴の魔法陣に手を突っ込んで、俺が無事でいられる確証はない――というか、耐えられないという冷たい予感が、確かにある。
奴と初めて遭遇し、人々の遺骸を解き放ったときのことを思い出した。あのときはだいぶ無理をしたと思う。奴の、あの魔法陣を破るってのは、それ以上の試みになるだろう。それをやり遂げる自信はない。分不相応に背伸びしてもなお、届かない位置にあるように思われる。
しかし、あの魔法陣をどうにかしないことには……縫合が間に合わないレベルで、全身を破壊できればってところだけど、そんな事が……。
いや、一つある。問題は、どうやって実現するかだ。
考えながらも俺は奴の攻撃を捌いていって、どうにか解にたどりついた。ホウキを下肢で操りながら、腰の道具入れから慎重に
それから、俺は上のジャケットを脱いだ。俺の妙な行動に、奴はさほどの警戒も見せない。苦し紛れとでも思ったのだろう。
「ハハハ! 寒すぎてついにおかしくなったか?」
「狂人は黙ってろ!」
ジャケットを左の小脇に抱え、俺はホウキで攻撃を避け続ける。狙いの攻撃が来るまで、辛抱強く。異刻で奴の魔法の出掛かりを確かめながら、ひたすらにその時を待ち続ける。
そして、狙いの魔法がやってきた。火砲だ。染色型の併用は、ない――奴のマナの色で、砲弾がやってくる。
俺を狙う砲弾が来るその前に、俺は左に抱えたジャケットを上に放り上げた。砲弾に対し、服の背を向けるようにして。俺自身はホウキからマナを抜き、揚力を喪失して落下する。
すると、そこまで俺がいた場所にジャケットと砲弾がかちあい、頭上で爆発が巻き起こった。その様子を異刻も合わせて確認する。爆発でジャケットがちぎれ飛び、破片が風に煽られて舞う。
そして、赤紫の爆風の中から、服の前の部分が舞い降りてきた。さっき指輪を仕込んだ部位だ。それを空中でつかみ取り、襲いかかる矢を避けつつ中身を確認する。
胸ポケットに仕込んだ指輪は、どうにか無事だった。わずかにひしゃげている感じがしないでもないけど、しっかりと爆風を吸っている。すなわち、奴の色のマナを。
指輪を取り落とさないように、気をつけながら、俺はまた道具入れから物を取り出した。
そして、手袋の上から指輪をはめ、どうにか準備が整った。無理やり指輪をねじ込む形になって食い込むけど、背に腹は代えられない。今、俺の左人差し指からは、奴の色のマナを出せる。それが全てだ。
空中で装備を整える俺に対し、さすがに奴が警戒心をあらわにした。しかし、何をされるのかは理解していないようだ。恐怖心は見えてこない。そんな奴を、俺は少し哀れに思いながら、少しずつ距離を詰めていく。
距離を詰めるほどに、奴からの攻撃は苛烈になった。なにかするつもりだというのは伝わっているようだ。距離が近づくほど対応の時間が少なくなり、自然と防御の負荷が増える。異刻で時を遅らせる強度が増え、魔法による防御も併用するからだ。自ら心臓を鷲掴みにして、無理に動かしているような苦痛が全身を襲う。
それでも、少しずつ勝利に近づいている感じはあった。やがて、奴の近傍に魔法陣を書けるぐらいの距離に取り付き、俺は左手から赤紫のマナを伸ばした。狙いは、奴を覆うように展開された藍色の球体、
その魔法陣は、藍色に染まっている。しかし、術者が最初に使ったのと同じマナであれば、その魔法陣の中に忍び込める。魔法陣からすれば、素材と同じ色のマナを使っている限りは、術者として扱われる。これまでの、あまり人には言えない実験の結果、俺はその理解に達していた。
果たして、俺の脳裏にその魔法陣が流れ込んできた。使ったこともない魔法陣が頭に入ってくるのは少し奇妙な感じがある。その魔法陣を、俺は赤紫のマナで書き損じさせた。
すると、脳内の揚術は消えてなくなり――それが現実にも反映された。体を浮遊させていた力を喪失し、奴の体が落下を始める。
さすがに、そのままでいる奴じゃない。理解が追いついていない、驚きに満ちた表情をしつつも、奴は再び揚術を書いてみせた。落下が収まり、仰向けの体がその場に浮いて……俺はまた、その魔法陣をかき消した。またも背中から落ちていく奴の表情に、恐怖の色がにじみ出る。
しかし、俺の狙いはもっと、こう……残酷だ。断続的に揚術を消したのでは、大した”威力”にならない。自由落下の力をフルに使い、奴の全身をノンストップで加速させ、地面に叩きつけて完全に破壊する。それが、本当の狙いだからだ。
そのために、俺は落下する奴にホウキで追随しつつ、揚術が書きかけの状態であるうちに、それを破壊していく。消すタイミングを得るため、異刻の負荷は増すものの、それは致し方のない出費だ。これで、奴を滅ぼせるのなら。
風を切り、二人で地に向かって落ちていく。今や、奴の顔には焦りと狼狽が張り付いている。しかし、それを笑う気にはなれなかった。こっちもいっぱいいっぱいだ。地面が近づくほどに、奴の記述速度は増していき、異刻の負担も跳ね上がっていく。
何回か揚術を妨害してやって、今のところは想定通りに推移している。数秒も経ってないんじゃないかというぐらい密度の高いやり取りの中、どうにか魔法陣の完成を見ることなく妨害できている。
しかし、それでも懸念はある。左手の指輪に吸わせたマナの残量が気がかりだ。布越しに爆風を、ほんの数秒ほど吸わせたに過ぎない。これが切れると、もうダメだ。
だから……今あの野郎がやっているみたいに、揚術じゃない魔法の妨害のためには指輪のマナを使えない。右手でどうにかしなければ。ホウキを操り、思考時間を異刻で稼ぎ、右手で瞬時に解答を書き上げる。尋常じゃない負荷が襲いかかっても、やり遂げる以外に道はない。
目の前で書かれつつあるのは、Eランク相当の円で単発型。
対するこちらは、
そして、加速した意識の中、地上まで俺と奴との静かな空中戦が始まった。
Bランク相当の円、藍色の染色型……揚術だ、かき消す。次も揚術、認めない。
やがて、視界の端に城の側面が映った。地面は近い。こっちはこっちで減速しなければ。
そして、最後に奴は……何らマナの光を出すことなく、手を差し出してきた。恐怖で引きつった笑みを浮かべて。
その手に向かって、矢を射掛けてやろうと思って、しかし思いとどまった。ここまで追い詰めたんだ。もう、助からない。奴もそう感じているんだろう。だったら、これまでだ。死体を蹴る趣味は、俺にはない。
もう地面は近い。衝突しないよう、ブレーキと旋回運動を混ぜると、奴との距離が開きかける。すると、奴が伸ばしたその手に赤紫の光が輝いた。
揚術だけは、絶対に認めない。絶対に、この場で殺す。
最後の記述を蹴散らしたその直後、大勢が遠巻きに見守る中、奴の体は中央広場の石畳に激突した。ドオンと重く低い音が響き、何かが砕けて爆ぜる音も混ざる。
そして、奴の体を構成していた諸々の物体は瞬時に赤紫の血煙へと変じ、それもすぐに無色透明の粒子へと変わっていく。魔人が死んだ時の砂のように。
体は完全に破壊した。しかし……衝突で陥没した石畳の穴の中、赤紫の魔法陣がうごめいていた。魔法陣を形作る模様の多くを解いて、辺りに糸を巡らしている。その様は、失った物を取り戻そうと必死になっているようで……。
ただひたすらに、哀れだった。
そんな努力の無益さを、あの魔法陣が悟るまで、そう長くはかからなかった。糸は力なく中心へ引き戻されていく。
様子をうかがいつつ地面に降り立つと、すぐに戦友たちが駆けつけてくれた。もう終わった、そんな直感が体の臨戦態勢を解いて、急に立てなくなる。
すると、俺の前を守るように二人が立ちふさがった。横には、「立てるか?」と言って声をかけてくれる仲間も。強烈な疲労感で頭がうまく回らなくなっていても、周りにいるのが誰なのかはすぐわかった。
そして、大勢が取り囲んで様子を見守る中、渦中の魔法陣は音を発した。今夜幾度となく聞いた、あの耳障りな笑い声だ。
やはり、アレが本体なんだろう。そして……もう、長くないんじゃないか。ぼんやりとした意識の中、どこまでも空疎に聞こえるバカ笑いを聞いて、俺はそんな事を思った。
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